第四話「立法」
第四話「立法」
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翌日。
私は仕事を一段落させてから、からくり箱の前に来た。
私が下界に通信するためにからくり箱の前に来ると
田中殿は見つけ、「お手伝いします。」といい
からくり箱の前に座った。
昨日の続きを開いた。
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94 名無しさん
YOMI2020また来るかな
95 名無しさん
>94 毎日来てるやん
もう常連やろ
96 名無しさん
>95 禿同
このスレYOMI2020待ちになってるわ
97 名無しさん
フロリダいってくる
ノシ
98 名無しさん
>97 ノシ
99 名無しさん
次何の話するんやろな
100 名無しさん
>100ゲット
101 名無しさん
>100 おめ
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私は画面を眺めた。
「ふろりだ……?」
田中殿が後ろで笑った。
「フロリダというのは、風呂に入るために離脱します、という意味です。」
「風呂か。」
「はい。」
「そうか。」
私はしばらく考えてから、
田中殿に伝えたい内容を話した。
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102 名無しさん◆YOMI2020
おはようございます。
今日も少し話を投げかけさせてください。
宗門人別改帳という制度をご存知でしょうか。
1660年代に整備され、明治4年まで続いた記録台帳です。
103 名無しさん
また来た
104 名無しさん
>102 おは
宗門人別改帳?なにそれ
105 名無しさん
>104 読んで字のごとく宗門と人別を調べた帳面やろ
知らんけど
106 名無しさん
>105 kwsk
107 名無しさん
>106 ぐぐれ
108 名無しさん
キリシタン弾圧のやつやん?
忠清また悪いことしてるやん
109 名無しさん
>108 キリシタン弾圧は普通にアウトやん
110 名無しさん
今北産業
111 名無しさん
>110
・忠清が宗門人別改帳を作った
・キリシタン弾圧のやつ
・また忠清かよ
112 名無しさん
>111 乙
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私は少し苦い気持ちになった。
「キリシタン弾圧。」
田中殿が言った。
「この制度、キリシタン摘発が表向きの名目だったのは事実ですよね。」
「そうだ。だが、それだけではない。」
「どういうことですか。」
「戸籍だ。
村ごとに人の記録を作り、領主に提出する。
誰がどこに住んでいるか、何人家族か、何の宗門か。
それを記録し続けた。」
「それが明治まで続いたということですね。」
「そうだ。
明治政府も同じ仕組みで戸籍法を作った。
今の下界の戸籍制度の先祖だ。」
伝えたい内容を田中殿に伝え、
田中殿は文字を打った。
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113 名無しさん◆YOMI2020
>108 >109
キリシタン摘発が名目だったのは事実です。
ただ、宗門人別改帳は実質的に
日本初の全国的な戸籍制度として機能しました。
村ごとに住民を記録し、
誰がどこに住んでいるか、家族構成はどうかを把握する。
この仕組みは1871年(明治4年)の戸籍法制定まで続き、
明治政府も同様の考え方で戸籍制度を整備しています。
キリシタン弾圧の道具として作られたものが、
200年以上にわたって日本の戸籍制度の基盤となった。
そういう見方もできると思います。
114 名無しさん
>113 また長文きた笑
115 名無しさん
>113 戸籍のご先祖やったんか
それは知らんかった
116 名無しさん
>113 明治まで続いたの草
江戸時代の制度が明治まで使われてたってこと?
117 名無しさん
>116 そういうことやろ
忠清時代の制度が200年以上続いたってことか
118 名無しさん
>117 それ普通にすごくない?
119 名無しさん
>118 禿同
200年続く制度って相当やろ
120 名無しさん
でもキリシタン弾圧はキリシタン弾圧やろ
そこは擁護できんやろ
121 名無しさん
>120 まあそれはそう
122 名無しさん
>120 時代的に仕方なくない?
当時の幕府の方針やし
123 名無しさん
>122 それ言い出したら何でも許されるやん
124 名無しさん
>123 JKやろ
時代の文脈で見ないと
125 名無しさん
綱吉の天和の治の方がすごくない?
忠清時代より評価されてるやん
126 名無しさん
>125 天和の治は忠清時代の流れやろって
127 名無しさん
>126 へーそうなんか
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私はしばらく画面を見た。
「天和の治の方がすごくない?」
田中殿が言った。
「反論しますか。」
「する。」
私は打つ内容を田中殿に伝えた。
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128 名無しさん◆YOMI2020
>125
天和の治については、少し補足させてください。
綱吉が将軍になった1680年から、
堀田正俊が亡くなった1684年までの4年間が
天和の治と評価されています。
この4年間は、家綱時代に整備された仕組みを
そのまま引き継いでいた時期でもあります。
堀田正俊が亡くなった後、
政治は大きく変わっていきます。
天和の治を綱吉の功績とするか、
前政権の遺産とするかは、見方によって違うかもしれません。
129 名無しさん
>128 またきた
130 名無しさん
>128 前政権の遺産って言いたいんやな笑
131 名無しさん
>130 それな
YOMI2020、忠清推しすぎやろ
132 名無しさん
>131 まあ酒井忠清について調べてるって言ってたしな
133 名無しさん
>128 でも4年間は善政やったのは事実やろ
134 名無しさん
>133 JKやけど
その4年間が誰の功績かって話よな
135 名無しさん
>134 FA:どっちの功績でもある
これでよくない?
136 名無しさん
>135 それが一番丸い答えやな
137 名無しさん
YOMI2020のせいで忠清のこと調べてしまったわ
思ったより有能やな
138 名無しさん
>137 禿同
最初は権力の亡者やと思ってたけど
139 名無しさん
>138 それな
このスレ来る前と来た後で印象変わった
140 名無しさん
りだつ
ノシ
141 名無しさん
>140 ノシ
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時間が来た。
「また、明日か。」
私は静かに言った。
田中殿が言った。
「137番の方、見ましたか。」
「見た。」
「「思ったより有能」と書いてありましたよ。」
「……思ったより、か。」
「忠清さまは不満ですか。」
私はしばらく黙っていた。
「不満ではない。」
「そうですか。」
「最初は権力の亡者だと思っていた、と書いてあった。
印象が変わった、とも。」
「はい。」
「それで十分だ。」
一時間ずつ、届けていく。
それだけだ。




