6.自由気ままな暮らしとは②
ユッタの話を聞いたシュルマン伯爵は期限、そしていくつかの約束をさせユッタの希望を受け入れた。
期限は四年。ユッタが二十歳となるまでは好きにしても良いとの事。当然籍は抜かず、二十歳となったらそれなりに仕事をして貰うとシュルマン伯爵はユッタへ伝えた。二十歳になったら結婚をするのか気になったユッタはその疑問をそのままシュルマン伯爵へ言うとシュルマン伯爵は複雑そうに微笑み、首を横へ振った。
どうやら結婚云々は全てユッタに委ねるらしい。だが、二十歳までは結婚も、ましてや子供も作ってはいけないと強く言われ、ユッタはポカンとした顔でそれに頷いた。
父の許しを得たユッタはまず、これから自分が暮らす家を考えた。
最初に頭に浮かんだのは『海』である。海賊生活に憧れたので船上生活をしようと考えたのだが、それは父であるシュルマン伯爵に早々に却下された。海は生易しいものではないと父に言われたユッタは初日で吐いた事を思い出し素直にその意見を聞いた。
そしてユッタは『海が駄目ならば山』と考え、それをシュルマン伯爵に伝えるとひとつの場所を提示された。そこはシュルマン伯爵領にある有名な避暑地である。山沿いにあるその村は一年中涼しく乾燥した土地の為、蒸し暑く辛い王都付近の貴族が夏にこぞって滞在をするのだ。その村より少し離れた場所には王族が夏に過ごす離宮もある。
シュルマン伯爵はその村にある白樺の森をユッタの居住地と決めた。ユッタも場所を知っており、反対する要素もなかった為、二つ返事で了承する。そこから親子の動きは早く、二か月もすればユッタの生活環境は整ったのだった。
ユッタはシュルマン伯爵に与えられたこじんまりとしたログハウスから外に出ると、野菜畑の近くにある井戸で水を汲む。
始まった夢の自由気まま生活に毎日うきうきとしているユッタは汲んだ水を柄杓で畑へ撒く。まだ種を蒔いたばかりで所々双葉が出ているだけの畑。それでも野菜や花を育てた事がないユッタにとっては感動的な光景だった。他も早く発芽するよう水をかける。あまりかけすぎると種が腐る可能性もあるのだが、ユッタがそんな事を知る訳もない。そうしていると昨日は出ていなかった双葉を見つけ、ユッタはにんまりと笑った。
「また増えたわ!きっと三か月後には大収穫祭ね!」
畑の横に座り込み、そう喜んでいるとユッタのログハウスの玄関が開く。出てきたのは年の頃40歳程だろうか、美しい灰色の髪をした女性だった。その女性はゆったりとした足取りで三段と短く、低い階段を降りるとユッタへ声を掛ける。
「ユッタ様、買い物に行きましょうか」
目じりに皺を作りながら言った女性は手に持っている籠を軽く揺らした。それを見たユッタは勢いよく立ち上がり、女性に駆け寄る。
「ベティーナ!行こう、行きましょう!今日は何を買う?」
濡れた手をスカートで拭きつつ、ユッタはその女性ベティーナへ満面の笑みを見せる。ベティーナは自身のハンカチを取り出すとそれをユッタへ渡した。ユッタはもうほぼ水気のない手に視線をやったあと、申し訳程度にそのハンカチで手を拭き、直ぐにそれをベティーナへ返した。
ベティーナとはユッタの乳母である。ユッタが11歳の時に職を辞し田舎生活を送っていたのだが、ユッタが家を出るタイミングで再雇用となり、このログハウスで共に暮らしている。
そしてベティーナと暮らすことがシュルマン伯爵と決めた約束の内の一つであった。ユッタ一人で暮らしたら何が起こるか分かったものではないとシュルマン伯爵が心配した結果である。
乾いたハンカチを渡されたベティーナはそれを籠へ入れると、反対にメモを取り出しヒラヒラと揺らした。
「ミルクと鶏肉、それに香草を買いましょうか」
「あ!シチュー?」
「そうですよ。お好きでしょう?」
「うん!じゃあバゲットも買わなきゃね!それとも作る?」
「今回は作りましょうか。手作りの方が美味しいですからね」
子供の時のようにユッタはベティーナの腕に纏わりつき、腕を引っ張る。早く行こうと腕を掴んだままユッタは村へと買い物へ向かった。
到着した市場は村の左側にある。近くの農家や牧場から仕入れた品物が綺麗に品出しされており、ユッタはここへ足を運ぶ度、毎回初めてのような感動を覚える。果物、野菜、肉に卵。立地の問題で魚は少ないがそれでも他の領地よりは多かろう、常に10種類以上の魚が大きな桶に入れられ販売されていた。
ユッタはベティーナの腕から離れ、ベティーナの視界からは消えない様ちょこちょこと並べられている品物を見る。ユッタが特に気に入っているのはオレンジなどの柑橘系が売っている店だ。その店の近くへ行くと気持ちの良い爽やかな香りが鼻腔を擽り何とも言えない気持ちにさせる。それに視界にも良い。その鮮やかな色彩は見ているだけでわくわくとさせた。
反対に苦手な店は魚屋である。近くに行かずとも生臭さに鼻を押さえてしまう。
「ベティーナ、ちょっと園芸店見てきても良い?」
ふと以前見た本に書いてあった発芽を促進させる液体の事を思い出し、ユッタはミルクを買っているベティーナへ話しかけた。
「いいですよ。じゃあ村の入り口で落ち合いましょう」
「わかったわ!」
そう言うとユッタは市場を抜け、入り口付近にある園芸店へと向かった。途中、見知った村人が焦った顔で走っていくのを不思議に思いながら見送り、のんびりと歩く。
「どうしたのかしら?」
小首を傾げ、それでも園芸店へと足を進めると、突然大勢の人が一定方向から駆けて来た。その中に居たのはよく話す店の人や見掛けた事がある程度の村人達、それと見た事が無い全体的に茶色いコーディネートをした熊のような男達だった。
「盗賊!」
ぽろりと出た言葉に反応したのはその熊のような男達の一部だった。荒くれ者と言えば盗賊か海賊しかしらないユッタは自身が言葉を発した事も気付かず、ポカンと男達を見る。
「盗賊だぁ?俺たちゃ、山賊だ!お嬢ちゃん」
「山賊……海賊でもなく山賊」
全体的に茶色いコーディネートの荒くれ者達。その中の一人が何故かナイフに舌を這わせ、そう口にした。ユッタをニヤついた目で見ながらゆっくり舌を這わず様はとても気持ちが悪い。何故ナイフを舐めるのか理解出来ないユッタはあからさまに引いた顔で口元に手をやった。
「きもちわるいー」
気持ちを隠す事を知らないユッタは周辺に聞こえる声ではっきりと言う。すると山賊達がピタリと動きを止めた。ナイフを舐めていた男もだ。
山賊達は一瞬止まった後、次々と各々動き始める。中には他の村人のところへ行く者も居た。ユッタの事は他の人にまかせるという事だろう。だが数人はその場に留まり、ユッタへ鋭い視線を向けた。
その視線を見て、ユッタはまたやってしまったと顔を青褪めさせる。失言を今さら後悔しても遅いのだ。後悔とは何事も事後にある。もう何を考えるにも遅い。それでもユッタは逃げようとじりじり後退していくが、ナイフを舐めていた男が大股でユッタへ迫る。その顔は発言が頭にきている顔だ。
「何が気持ち悪いって?」
ずんずんと来る男から逃げる様に後退していたが、背中に固いものがあたった。どうやらもう逃げ場はないらしい。
「だってナイフ舐めるから……」
怯えながらも男の質問に答えたユッタ。目は潤んでいるが、発言は馬鹿正直である。ユッタの発言に更に青筋を増やした山賊は持っていたナイフを壁に突き立てた。一瞬、舐めたナイフを刺されるのかと思ったが壁であったことに妙にホッとしたユッタは此処で何時ぞやの海賊を思い出す。
あの家を出た日も同じような事にあった気がする。赤い髪の海賊に殺されるかと思ったあの運命の港町。
町ではあんなに怖かった海賊、ジンは懐に入れた人間にはとことん甘かった。いつも笑って褒めて、撫でてくれた。
「私は此処で死ぬの?」
まだ全然自由気まま生活を満喫していない。猶予の期間までまだまだだ。なのにユッタはここでナイフを突き立てられている。
吐露した言葉に山賊はいやらしく笑うと、ナイフを壁から抜き、今度はユッタの頬に沿わした。
「それは嬢ちゃん次第だなあ。あと数年すれば良い女になりそうだしな」
舐めたナイフが頬を這う。ツー……と頬に細い赤い線が引かれ、一筋の血が頬から流れた。山賊は絶望を孕んだ瞳をしたユッタを満足そうに見るとその血を躊躇なく舐め上げる。その瞬間、ぞわりとした感覚が全身を走りユッタは悲鳴を上げた。
「ギャアーーーーー!!!!」
悲鳴と共に山賊の急所を蹴り上げる。偶然当たってしまっただけなのだが、それでも山賊には会心の一撃だった。呻くような悲鳴を上げた山賊は股間を押さえたまま地面に蹲る。その隙にユッタはダッシュで村人が逃げて行った方角へ走り出した。だが、そこは貴族令嬢のユッタである。山賊の足には敵わず、すぐに腕を掴まれる。
「この女!お頭に何しやがる!」
「だって舐めた!舐めたよ!ばい菌入るわ!」
「お前!お頭の股間蹴り上げただけでなく、お頭を病原菌扱いすんのか!」
「いや!汚いものは汚いでしょう!はーなーしーてーー!!」
腕を掴んできた山賊から逃れようとユッタは激しく暴れたが、大人の男の力に敵う筈もない。腕はユッタが暴れてもびくりともしなかったが、それでも山賊は動くユッタを煩わしく思ったのだろう。そのまま腕をひねり上げると地面に体を落とした。突然、視界が下がり驚いていると今度は目の前に剣が刺される。ドシュッと鈍い音が耳元で聞こえ、ユッタは小さく悲鳴を上げた。
「お前、もう死んでいいよ」
地面に張り付いた体勢のまま、ユッタは落ちてくる言葉を聞いた。それは今まで感じた事がない恐怖を与える声。ユッタは何とかその山賊の顔を見ようと首を動かすが、首が動くのを良しとしない山賊により足で頭を上から押さえられる。小さく口を開けていたせいでほんの少し舌を噛んだ。
ユッタの視界にあるのは銀色に鈍く光る刃と持ち直した山賊のお頭、これがまさか最後に見る光景になるとはユッタは今まで生きてきて思ってもみなかった。死ぬのはベッドの上だろうと思っていたが、まさかこんな土の上になるとは。
ユッタは頬を舐められた事を騒がなければ良かったと人生最後の後悔をした。
地面に刺さった刃が抜かれ、視界から消える。先程まで聞こえていた山賊や村人達の叫び声さえももう聞こえない。耳だけ先に切られたのだろうか。もう何もかも諦めたユッタは下ろされる刃に覚悟し、瞼を閉じようとゆっくりを瞼に力を入れた。
だが、ふと視界の中に新たなものがある事に気付く。それは先程までなかった筈のもの、いや人だった。それは見覚えのある特徴的な三日月型の剣を振り、山賊のお頭を斬る。真っ赤に染まったお頭が力を無くし後ろへ倒れた。
赤髪の男はお頭が倒れた事を一瞥も確認せず、前へと歩き続ける。ユッタに落とされる刃が止まった事を考えると上の山賊も状況が読み込めていないに違いない。ユッタの頭を踏む力が緩んだ。
「お前!なんなんだ!おかし」
頭上で喚く声が聞こえた。だが言葉の途中で赤髪の男にナイフを投げつけられ、その山賊は最後まで言う事が出来なかった。命中したナイフは鈍い音と共に男へ刺さる。短い声が聞こえた後、ユッタを拘束していた男がごろりと横へ転がった。生きているかどうか確認するのが恐ろしかったが、僅かに胸が動いていたのできっと大丈夫だろう。きっと、そうきっと。
「ユッタ」
聞き覚えのある声に地面に転がっていたユッタはゆっくりと視線をあげる。赤い髪に緑の瞳、それに派手なピアス。
それは数か月前に一週間だけいた海賊船に居た男。
「ジン……ジンだ」
土だらけの姿のまま、ユッタは起き上がる事もせずその名を呼ぶ。久方ぶりに音にした名前に胸があの船生活を思い出させた。
ジンは一向に立ち上がらないユッタを立たせようと、両脇に手を入れる。そのままされるがまま持ち上げられると今度は服の土をジンに払われる。それは流石にどうだろうと思ったユッタは服をはたくジンの手首を掴んだ。
「大丈夫、あとは自分でやるから」
「出来るか?さっきまで地面で寝てた奴がよ」
「出来る!出来るから!いや、違うの!ジン!どうして此処にいるの?船は?此処は港町じゃないわ!」
段々と事態を把握してきたユッタはジンに詰め寄る。ジンは呻く山賊を足で踏みながら答えた。
「海賊やめた」
「え、海賊ってやめられるものなの?」
「逆にやめられねえ事ってあんのか?」
「確かに」
言われてみればこの世にやめられない事の方が少ないだろう。
素直に納得したユッタを見てジンは離れていても変わらない様子に笑みが零れた。
因みに山賊達はお頭が倒された事により、散り散りと撤退していった。お頭が倒れたところを見ていた者達はジンに対して怯えた目を向けていたが、当の本人には慣れた視線だ。しれっとした顔をしていた。
「なーあ、お前何処に住んでんの?」
さて、これからベティーナを探しにいこうとジンの手首を掴んだまま考えていたユッタであったが、突然ジンにそう問われ首を傾げた。
「此処の近くに森よ。私の乳母と一緒に住んでるの」
問われた事を素直に答えると、ジンは楽しそうに鼻を鳴らす。
「俺もそこに住んで構わねえよな」
口角を上げ、楽しそうに言ったジンにユッタは目を丸くした後数度パチパチと瞬きをした。
最初、何を言われたのか理解出来なかったユッタであったが、何度か言葉を反芻しているとその言葉の意味をはっきりと理解してきた。
ジンはユッタとベティーナと共に暮らしたいのだという。それはなんと面白そうな事だろう。
元々、海賊船暮らしに憧れてこの暮らしをしていたユッタにとってその申し出はとても嬉しいものだった。自分の憧れの原点が一緒に居てくれるという。そもそもユッタがあの生活が楽しかった事の理由の一つがジンという存在だ。
元海賊のジンと共の生活ならばきっと今よりも楽しい生活が送れるに違いない。そう考えたユッタは満面の笑みでそれを受け入れた。
「一緒に住みましょ!ジンと一緒なら楽しいわ!」
手首を掴んでいた手をジンの手に絡める。嬉しそうに笑うユッタの姿にジンは口角を上げた。
「ああ、ペットは飼い主と一緒じゃねえとな」
くしゃりと笑ったジンは空いている方の手でユッタの頭を撫でる。土がついているがそれでも毛並みは前と少しも変わっていない。ポッカリと開いていた心が満たされる心地がし、ジンは大きく息を吸い込んだ。
こうして元海賊と貴族令嬢は共に生活を始めた。これを一番に知ったベティーナはそれはそれは驚き、当然反対をしたがジンがユッタを山賊から守ったと知ると意見をひっくり返し、用心棒としてジンを招き入れた。
父であるシュルマン伯爵にしてもそうだ。報告を受けユッタの元へ訪れたがユッタがジンに対して全幅の信頼を置いていたのでそれを受け入れた。
これから始まるユッタとジンの自由気ままな暮らし。
蓋を開けてみれば様々なトラブルに直面するのだがそれはまた今度、機会があったらお話しする事にしよう。
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