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5.自由気ままな暮らしとは①


 ユッタが王都に着いたのはそれから五日後である。


 家を出て早々にあんな事があったのだ。今回も何かしらあるだろうと思い進んでいたが、護衛の者が優秀なのか、はたまた運が良かったのか道中何も起こらず平和に王都へ辿り着いた。護衛とは王都のギルドで別れ、そこからは一人でシュルマン家のタウンハウスへと向かう。だが、ユッタは数える程しかタウンハウスへ来た事はなく、しかも来たのは母親が亡くなる前の事。タウンハウスへの道は記憶に無いに等しかった。


 それでも微かな記憶と街の人に聞きながら一時間掛けて辿り着けば、門の前で見覚えのある男性が焦った様子で初老の男性と話していた。年の頃は40歳かそこらだろう。茶色い髪は見るからに細く、額はユッタの記憶よりも後退している。ユッタは男性、父親であるシュルマン伯爵の姿を確認すると大声を出しながら駆け寄った。


「父様!」


 どしんと勢いよく背中に飛びつくと何の警戒もしていなかったシュルマン伯爵が前のめりに倒れる。地面に倒れる寸前で門番に体を支えられ、シュルマン伯爵は変な体勢でその場に固まった。


「父様!久しぶりね!元気にしてた?聞いて!私結婚させられそうになってるの!」


 そんな父親の衝撃など知らないとばかりにユッタは久しぶりの父親に目を輝かせながら話し掛ける。ぽかんと背中にいるユッタを見ながらシュルマン伯爵は蚊の鳴くような声を出した。


「ユッタ……」


 あまりに小さい声にユッタは聞き返そうとしたが、直ぐに自分の名を呼ばれたのだと気付き『ああ』と大きく頷く。


「ユッタ、ユッタよ。父様何でそんなに小さい声なの?風邪?」


 笑いながらユッタはそう言った。するとシュルマン伯爵はくしゃりと顔を歪ませ、体を反転させると何も考えずにユッタを抱き締めた。突然ぎゅうぎゅうと力の限り抱き締められたユッタは、きょとんと目を丸くしていたがやはり父親のぬくもりが恋しかったのだろう。嬉しそうに目を細め、シュルマン伯爵の背中に手を回した。鼻腔を擽るのは恐らく前と同じオーデコロンの香りと僅かな加齢臭、それと汗の香り。


「くさい」

「ユッタ、お前海賊に攫われたと」


 ユッタの暴言は聞こえていないのかシュルマン伯爵はユッタを抱き締めたままそう口にした。

 海賊、という言葉にユッタはピクリと反応し、力が和らいだ父親から体を離す。


「なんで知ってるの!?」


 シュルマン伯爵は涙をこらえた真っ赤な目で、鼻を啜りながら話し始めた。


「朝に連絡が入ったんだ。ユッタが港町で海賊に攫われたと。だから今から領地に戻ろうとしていたんだ。でもこうしてユッタが王都に。ユッタ、どうやって此処まで?海賊には攫われていなかったのかい?」


 ユッタが港町で攫われたのは13日前である。王都への連絡がまさかの約二週間もかかったらしい。これにはユッタの義母が関係していたのだが、今回この話は割愛する。


 ともあれ、父の耳にもユッタの誘拐情報が入り現場にて情報を仕入れようとした矢先、呑気にユッタが現れたのだ。それはそれは驚くだろう。

 ユッタは泣きそうにしている父親の顔をじっと見てから、こくんと頷いた。


「海賊船には乗ったわ。でもすぐ船を降ろされたの。それよりも父様、私の話を聞いてくれる?」


 ユッタのいつになく真剣な声にシュルマン伯爵は大きく頷いた。父の目に偽りがない事を確認したユッタは順番に話を始める。シュルマン伯爵が領地に帰らなくなってから受けた義母からの仕打ち、そして結婚をさせられそうになった事。海賊船での暮らしも少し話をした。聞いていたシュルマン伯爵は少し渋い顔をしていたが。


 ユッタが思った通り、結婚の話は義母の独断だった。

 そしてシュルマン伯爵はユッタの話を鵜呑みにするのではなく、きちんと義母の調査を行った。結果はクロ、驚くほどに真っ黒だった。領地にある本館の使用人達からの証言とユッタの結婚相手からの証言。義母は何故か絶対にばれないと思っていたらしく口止めを殆どしていなかった。まあ、シュルマン伯爵も娘に言われなければ調査しなかったので『結婚』という話がなければ本当にバレなかったのかもしれない。

 はたから見ていれば何故シュルマン伯爵は分からなかったのかという話なのだが『娘本人からも元気だと手紙が来ている、後妻からも娘と仲良くやっていると手紙が来た、だから大丈夫だと思った』という何も考えていない典型的な男だったというだけの話。


 義母のユッタへの仕打ちの裏付けが取れてから事は驚く程早く進んだ。

 まず、義母とシュルマン伯爵は離縁した。当然義母はごねたが、義母の両親が無理やり離縁状にサインさせ無事義母はシュルマン伯爵家の籍から消えた。義母との結婚を勧めた親戚はシュルマン伯爵に終始平身低頭だった。どうやら結婚前は猫を被っていたらしい。継子いじめをするような人には見えなかったと冷や汗をかきながら言い訳をしていた。そもそもシュルマン伯爵には再婚意思はなかった。なのにも関わらず結婚を強引に進めたのはこの親戚である。結果、その親戚とは当分付き合いをやめるらしい。


 そしてユッタが王都へ訪れた原因である結婚だが、当然シュルマン伯爵が許す筈もなくユッタと40歳年上の豊満ボディ成金貴族との結婚話は白紙となった。ホッと一安心したユッタとは対照的に絶望に陥ったのは義母である。

 なんと継子いじめをするなど!と怒った両親によって義母はその豊満ボディ成金貴族へ輿入れする事となったのだ。これには流石のユッタも驚いた。何故そんな常識的な親からザ・女のような子供が生まれたのか甚だ疑問である。


 そうして数年ぶりに平和を手に入れたユッタはタウンハウスに与えられた部屋でぼんやりとあの夢のようであった海賊船生活を思い返していた。

 好きな時に寝て、好きな時に食べる。ユッタにはまだ苦く感じて酒の楽しみは分からないが、年を取ればそれも美味しく感じるのだろう。べろべろまで酒を飲んで、踊る日々。何物にも縛られる事のない生活。


「いいなあ。また船に乗りたい」


 窓辺にある椅子に腰掛け、申し訳程度の大きさである飾り気のないテーブルに片肘をつく。漏れる願望と共に溜息も漏れた。

 あの船に居たのは一週間だけだった。それなのにも関わらず、数年も居たような気にさせる程濃厚な楽しい日々。確かに少しだけ嫌な事もあったが、それをも帳消しに出来る程充実していた。


 ユッタは落ち着いた日々に戻ってから何度も考える事がある。それはシュルマン伯爵家の事だ。現在、シュルマン伯爵家には子供がユッタしかいない。言葉にして言われた事はほぼ無いが、現状ユッタが伯爵家の後継者である。だがしかし、ユッタはそれを従兄弟に譲りたいと考えている。まだ父親であるシュルマン伯爵には伝えていないが近々言うつもりだ。その時、シュルマン伯爵がどう反応するか、どう判断するかは正直ユッタには想像出来ない。それを想像するには離れていた時が長すぎた。怒られるという事ももしかしたらあるのかもしれない。


 それでも、とユッタは思う。ユッタには縛られる貴族生活は出来ない。父のように国に尽くし働くことなど想像も出来ない。働く、という事が想像できないのは16歳という年齢のせいもあるのだろう。

 それでも、それでもせめて父に放っておかれた年月分位までは好きに生活しても良いのではないか?とユッタは思うのだ。



◇◇◇◇◇



 その日ユッタは帰宅した父を捕まえ、ダイニングの父専用の椅子へ座らせた。帰宅したばかりで外套を脱ぐ暇も与えられず強引に座らされたシュルマン伯爵は驚いた顔のまま、何やら必死なユッタを見る。だが驚き顔の中にも楽しさが滲み出ており、ユッタの強引さに対してまんざらでもない事が伺えた。


「どうしたんだい、ユッタ」


 頬を緩ませながらシュルマン伯爵が聞けば、ユッタは自分の席には座らずシュルマン伯爵の椅子の肘置きに自身の両手を置いた。そのまま身を見り出せばシュルマン伯爵が大きく横に体を反らす。


「父様、私後継者から降りたいの!」

「んん?」

「私!自由に暮らしてみたいの!海賊みたいに!」

「海賊!?」


 目を輝かし、ユッタは決意に満ちた目を父に注いだ。その勢いと放り出た言葉にシュルマン伯爵は仰け反った体勢のまま零れんばかりに目を見開いた。

 後継者云々は良いとして『海賊』という言葉に只々驚く。我が娘ながら驚く程思考が謎だと思いながら咳払いをひとつし、体を元の正常な位置に戻した。


「ユッタ、もう少し私にも分かるように説明してくれるかい?」


 輝く目に飲み込まれぬ様、しっかりとユッタを見たシュルマン伯爵はユッタの髪を撫でる。突然の父の手に驚くこともせず、ユッタは気持ち良さそうに目を細め、自身の言葉の意図を伝えた。実に感情がふんだんに入った説明であったがシュルマン伯爵はうんうんと相槌のみで言葉を挟まず、最後までユッタの主張を聞く。


 ユッタの説明の主語は大きい。それに擬音も多いため慣れない者やある程度プライドの高い人には理解出来ない事が多い。だが数年離れていたとしてもシュルマン伯爵はユッタの父親である。必死に自身の言葉で説明しようとしているユッタに寄り添い、その話を聞き入る。身振り手振りで説明をするユッタに何度も頷き、シュルマン伯爵はその手をユッタの頭から手に添えた。


 『自由な暮らしに憧れる。貴族生活はもう出来る気はしない』最終的にそういう事なのだろうと理解したシュルマン伯爵は話し終え、こちらを伺うように上目遣いをしているユッタに柔らかく微笑む。ユッタの手に添えた自身のかさついた手を包み込むように丸めるとその手にもう片方の手を乗せた。


「まずユッタ。後継者はユッタでは無いから大丈夫だ」

「本当!?」


 ひとつひとつユッタが理解出来るように口にする。


「私の次は君の従兄弟のヤーマンだ。彼が15歳になったら養子に入って貰うよう段取りしてある。だからあと2年だね」

「そうなの。知らなかったわ」

「そうだね、まだ伝えていなかった。ごめんね」


 ユッタは自分がそもそも後継者ではなかった事に驚いたが、自分が望んでいた事でもあったので驚いたのは一瞬。その後すぐに嬉しそうに笑った。


 ユッタが住むこの国でも女性の継承権は一般的に認められている。貴族の頂点にいる公爵家の現当主も女公爵である。他国ではまだ男尊女卑が酷いところがあると聞くが、この国では無縁の言葉だ。

 なのでシュルマン伯爵も当初、ユッタが幼い頃まではユッタを後継者として育ててきた。だが、自由奔放であった妻の性格を色濃く受け継いだユッタには貴族社会での腹の探り合いは出来ないと早々に判断し、親戚に話を持って行ったのである。ユッタ、12歳になった頃の話だ。

 勿論、シュルマン伯爵の独断ではない。病床にいた妻と相談し決めた事だ。自分がじきに亡くなる事を理解していた妻はユッタの事をそれはそれは心配していた。妻はユッタやシュルマン伯爵以上にユッタの性格、性質を理解していたのだ。


 シュルマン伯爵は病床の妻と話していた事を思い出す。そしてやはり妻の思った通りになったと心の中で妻に話しかけたのだった。




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