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1℃ 絶対零度なキミに負ける

新学期の喧騒に沸く3年2組の教室で、俺——天峰悠真は、人生で初めて「壁」にぶつかっていた。


窓際の一番うしろの席。いわゆる"主人公席"

春の柔らかな光が差し込むその席で、彼女は微動だにせず、文庫本に目を落としている。

白峰凛。

窓際からのそよ風でその長いロングヘアの髪が揺れる。その綺麗な表情には喜怒哀楽の欠片もない。


「白峰さん、だよね」


俺はそんな白峰さんの声を掛ける。


「1年間、よろしくね、最期の1年一緒に楽しもっ!」


二カっと笑ってみせる。完璧に決まったと思った。容姿はもちろん、表情、声のトーンまで完璧だった。これまで培ってきた「誰にでも好かれる俺」の黄金比率。

バレー部でのキャプテン、学年トップの成績、生徒会兼今年の文化祭の実行委員会。それら全てを支えるために、毎朝5時に起きて自主トレをし、夜中まで机に向かって積み上げてきた“完璧な天峰悠真”のコミュニケーションだ。

どんな相手でもこの笑顔を見せれば、ほんの数秒で距離を縮めることができる...そう思っていた。

凛はこちらを見向きもせず、その本をめくった。

まるで、俺の存在なんてなかったかのように...


「...うん」


凛は静かに言った。これだけだった。

俺のことなんて気にもしていない。


「あ、はは、あ、次の授業なんだっけ」

「これ」


トントンっと凛の机に出ていた日本史の教科書を指で叩く。俺に目線も向けずに...


「あっそっか。ありがとう」


それ以上、会話が続かない。

会話はキャッチボールなのである。前者が話題を振り、後者がそれを返す。それが広がっていく、これが会話だ。しかし、彼女は違った。投げたボールは彼女の目の前の見えない何かに吸い込まれて、そのまま床にボトンっと落ちていく。


「うん」


最後に小さく呟かれたその一言を背中に浴びながら、俺は引きつった笑顔のまま、前を向いた。

視線が落ちる、胸の奥で、経験したことのない奇妙な敗北感が、じわじわと熱を持って広がり始める。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「ぶわはははっ!マジかよ!悠馬が秒で沈没してやんの!」


昼休みの食堂、二つ弁当が広がる机の前で鳳来春樹が腹をか賭けて笑い出した。同じバレー部で、幼馴染。そして、【裏の努力】をよく知っている唯一の人間だ。


「笑うなよ春樹、ナンパとかじゃなくてだな...挨拶だよ、隣の人へのさ」

「いや、挨拶でそこまで綺麗にスルーされるとかあるんだな! お前、誰とでも仲良くなれるのが自慢だったもんなぁ」


健太はひとしきり笑った後、ニカッと白い歯を見せた。


「ったくさすがに傷つくぞこれは」


思わず漏れたため息と一緒に、俺は心の中に渦巻く不満を春樹へと叩きつけた。


「まあ、お前が本気出せば押し切れるとは思うんだけどな。でもさ、あの白峰って子はちょっと毛色が違うぜ? 深追いして、いつもの『完璧な天峰くん』が崩れなきゃいいけどな」

「崩れるわけないだろ。ただ……ちょっと調子が狂うだけだ」


こうは言ったが不安だ。あの言葉に言い表せれない感じ...思い出すだけで恐怖を感じるまでである。


「どんな奴でも時間が経てば仲良く慣れるだろっ!」

「そうでありますぞ!天峰氏!鳳来氏!」


そこにシュバっと音を立ててわりこんで来たのは、クラスメイトの山田拓海だ。オタクに憧れるオタク...俺は結構好きなタイプの友達だ。


「山田どうしたんだよ、そんな血相変えて」

「フフフ……天峰氏が白峰さんに玉砕したと聞き、黙っていられなくてね! 私は密かに、彼女の『無機質キャラ』を徹底分析していたのです!


俺は【言いふらしたのか】と言わんばかりに春樹をぎろっと睨む。口笛で返す春樹。


「分析って何を...」

「白峰さんはいわゆる『塩対応』の極み。しかし、これはいわゆるクーデレ、あるいはツンデレ属性の可能性が微粒子レベルで存在します! 彼女のガードを崩すには、まずは外堀から埋めるべきかと……!」


熱く語る山田に、俺と春樹は顔を見合わせた。


「いや、山田。あいつはデレとかそういう次元じゃない気がするぞ……」


俺の言葉に、山田は「ふーむ」と顎をさすった。


「では、さらなる調査が必要ですな。データが集まり次第、また共有しますぞ!」


山田は嵐のように去っていった。少し呆れつつも、俺の心の中の「あいつと仲良くなりたい」という妙な執念に、さらに火がついたのは否めなかった。

今日は文化祭の初会合。うちの学校の文化祭は二学期の後半に開催されるのだが……何しろ学校の看板イベントだ。この時期から、すでに水面下で話し合いは動き出している。

ようやく会議が終わり、俺は盛大なため息とともに、机の上へとぐにゃりと溶けるように崩れ落ちた。


「悠馬がそんな表情なんて、珍しいね」


さすがに表に出しすぎたか...

会議室、俺の隣にちょこんと座っていたのは...文化祭実行副委員長の"神崎怜"...学年一の美少女と噂され、周囲からは俺と「お似合いの二人」なんて言われている、いわば表の世界の住人だ。いつも明るく社交的な彼女は、小首をかしげて俺を見ていた。


「まぁな、隣の子と仲良くできなくて悩んでて」


神崎は机に肘を突き、顎を手に乗せた


「ふふ珍しいね、天峰君が他人のことで躍起になるなんて、頑張って話しかけてたよね」

「いや見てたんかい...躍起になってるわけじゃないよ。ただ、隣の席だし、普通に仲良くしたいだけ」

「そう? 私と話す時の天峰くんは、いっつも完璧で、余裕たっぷりなのに」


怜がふっと顔を近づけてくる。キラキラとした瞳が、じっと俺の視線を捕らえて離さない


「あの白峰さんって子といる時の天峰くん、なんだか……らしくないっていうか。必死に見える。私じゃ、アンタをそんな風に『熱く』させることはできないのかな」

「えっ?」

「なんてね、恋愛漫画っぽいセリフだったでしょ」


へへっ、と悪戯っぽく笑う怜。――ああ、そうだ。彼女も俺と同じ、完璧な“神崎怜”だったのだ。これには一本取られた、と俺は内心で苦笑するしかなかった。

いや、同じ..ではない。彼女はほんとうに完璧だ。誰にでも良い顔をして、100点満点の対応をする自分。

怜が知っているのは、俺が努力して作り上げた「表の天峰悠真」だ。ただ努力して作り上げた。

だけど、白峰凛の前では、そのメッキが全く通用しない。

通用しないからこそ、俺の中の何かが激しく揺さぶられている。


「じゃあね、文化祭、一緒に頑張ろっ」


そんな言葉を残してひらりと手を振り、怜は一人で部室を出て行った。


「躍起...か...」


一人だけの会議室でぼそっと、何故か口に出してしまっていた。

誰にでも認められたくて、完璧でありたくて、必死に積み上げてきた。

なのに、あの無機質な少女は、俺のそんなハリボテの完璧さなんて、これっぽっちも興味がないと言わんばかりに一蹴したのだ。


「……認めさせてやる」


誰に、何を認めさせたいのか、自分でもまだよく分かっていなかった。

ただ、冷たい氷のような彼女の心を、俺の熱で...100℃で。どうしても溶かしてみたい。


初めて味わう「仲良くなれない」というもどかしさが、俺の胸の奥で、確かに熱い炎へと変わり始めていた。


「帰るか」


今日は部活もないし、会議のおかげで放課後の予定は綺麗さっぱり空白だ。

……って、教室の鍵が手元にあるのはどういうことだ?


「神崎の奴……。鍵閉めがめんどくさいからって、俺に全部任せて先に帰りやがったな?」


脳裏に浮かぶのは、さっき「じゃあね」とひらひら手を振って消えたあいつの姿。完璧超人のくせに、こういう面倒事だけはちゃっかり俺に押しつけやがる。まぁ、上手い。手口が。


どさりとカバンを肩にかけ、俺は重い腰を上げて会議室のドアをゆっくりと引いた。

――その瞬間だった。

燃えるような夕日が、どこまでも続く長い廊下を明るいおオレンジに染め上げている。


コンコンッ。


軽快な足音。それに合わせるように、会議室の前を足早に通り過ぎていく影があった。

白峰さんだった。

彼女が目の前を横切るその瞬間、世界がスピードを落とし、まるでスローモーションのように引き伸ばされた。

俺は息を呑み、目を見開いたまま、指先一つ動かすことができなかった。

ハッと我に返る。白峰さん……っ!? こんな時間まで一体何をしていたんだ? 残って勉強でもしていたのだろうか。

ダメだ、完全にテンパってる。今まで必死に維持してきた【完璧】な俺が、今、音を立てて崩壊していくのが分かった。

遠ざかっていく小気味いい足音。


――本当に、このまま行かせていいのか?


違う、さっき決めたはずだ。あの冷たい氷のような彼女の心を、俺の熱で、どうしても溶かしてみたいって……!


胸の奥から湧き上がる衝動のままに、俺は一歩、強く床を踏み出した。

 そして――喉を震わせて、声を張り上げる


「白峰さんっ!」


彼女の後ろまでバレー部で鍛え上げられた脚力を使い一気に距離を詰める。

白峰さんは、ピタッと止まりこちらを冷たい目線で見つめる。


――やばい。完全に、おかしい。


酷い緊張のせいで、いつもなら簡単にできる『相手の目を見て、完璧な笑顔で話す』という芸当が、今の俺にはどうしてもできなかった。白峰さんの顔を、一切見ることができない。

それでも、ここで引いたら男がすたる。俺はガチガチに強張る顎を無理やり動かして、次の言葉を絞り出した


「と、途中まででいいから……っ!」


必死に、縋るように紡いだ俺の言葉。

それに対する彼女の返答は――。


「……やだ」


コン、コン、コン……。

冷徹。あまりにも冷徹で、血の通っていない無機質な拒絶。

はっと視線を上げたときには、もう目の前に彼女の姿はなかった。

夕日の差し込む無人の廊下で、俺は直立不動のまま、静かに天を仰いだ。

ーこれ、無理なやつだ...

完全に感情の消え失せた真顔でぽつりと呟き、俺はそのまま、まるで糸の切れた人形のように真っ直ぐ後ろへと倒れ込んだ...

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