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孤高の彼女  作者: 赤虎
10/45

引越

1


夢と希望に溢れた私の大学生活は、紗希に跡形もなく破壊された。朝5時起床、6時半には教室に入り紗希と朝練と言う名の自習。授業が終わると7時頃まで図書館で紗希と自習・・・朝は紗希が5時に起きるから、7時はその時間になると紗希がお腹減ったと言い出して家に帰るから・・・私も7時半頃にアパートに戻り適当に御飯食べてお風呂入って後は寝るだけの生活。日曜日は少し遅めに起きるから、午前中は溜まった洗濯物や洗い物を始末して終わり。午後は授業の準備をしないと・・・そうでもしないと私の頭じゃ授業に付いていけないから・・・大学が学問の府である以上、学生は勉学に集中すべきであるが・・・それにしても悲惨だ・・・泣きたい・・・それでも最初の内は身だしなみにも気を遣っていたが、それも次第に面倒になり、今は1日中ジャージを着ている始末。僅かでもいいから自由時間が欲しい・・・とか紗希に愚痴ったら、


「いっそのこと私ん家に住む?部屋1つ空いているし。雑用も2人で手分けすれば負担が減るじゃん」


とのこと。寝るだけのために月70,000円も家賃払うのはバカバカしい。一戸建住宅で1部屋借りるだけならどう考えても月70,000円もするはずがない。雑用も紗希と一緒にすれば理屈上半分の時間で済む・・・これは好条件だ!・・・待てよ・・・紗希と同じ家に住むということは、完全に紗希の統制下に入るということじゃないのか?・・・いや、既に私は紗希の完全統制下にある。何も変わらないじゃないか・・・それなら、自由時間が少しでもある方がいい!


「じゃ、今度の日曜に来る?私、オフだし」


2


日曜日の午後、私は紗希の家を訪ねた。大学から自転車で10分。今のアパートより多少遠くなるが、紗希の家は商店街の裏通りにあるので買物は超便利だ。


「やあ、いらっしゃい、ハチ君」

「は、はい、お邪魔します」


菊地教授が出迎えてくれた。いきなりハチって、紗希は未だに私の名前を正確に伝えていないのか?


「初めまして、八屋恵です」

「えっ?ハチっていう苗字じゃなかったの?」


このおっさん、天然か?


「まぁ、座って。ところで八屋君、コーヒーは好きかな?グアテマラのいい豆が入ったんだけど」

「あまり詳しくないですけど、好きです」

「じゃ、淹れよう。多少時間かかるから、紗希、部屋を案内してくれ」

「分かった。行こうか」


紗希は私を2階に案内した。


「一番奥がお父さんの寝室兼物置。その隣が私の部屋で、今空いているのはこの部屋」


紗希は階段を上がった正面の部屋のドアを開けた。南向きで和室の6畳間。物干用のベランダがあり、道に面しているので日当たりがすごくいい。部屋の片隅にトイレトレーと少し深めのお皿がある。


「猫飼ってるの?」

「お父さんが昔飼ってたんだ、猫・・・」


お皿に何か書いてあるので手にしてみると


さきのごはん


と子供の字で書いてある。


「さきって・・・」

「猫の名前だよ。お父さんの実子の、詩織って子がつけた名前らしいよ」

「・・・」

「お父さんは詩織の妹という意味で、養子にした身元不明の女の子に紗希という名前をつけたんじゃないかな。その女の子が体操選手の菊地紗希・・・私は彼女の名前を受け継いだ・・・詩織も生きていれば、もう20歳になっているのにね・・・」

「死んじゃったの?」

「4歳の時、交通事故でね・・・」

「そうだったの・・・」

「・・・どう?気に入った?」

「・・・日当たりいいし、申し分ないよ!」

「お~い!コーヒー入ったぞ!」

「じゃ降りようか」


部屋にはコーヒーのいい香りが満ちている。


「どうかな?」

「ホント、美味しいです!」

「紗希はコーヒー飲まないから、1人で飲んでもつまらないんだよね」

「ところで教授、家賃ですが・・・」

「いらないよ」

「えっ?」

「君のような優秀で真面目で根性がある学生がうちに来てくれれば、紗希にいい影響をもたらすからね。部屋は気に入ってくれた?」

「はい、もちろんです」


優秀で真面目で根性があるって、そんな歯痒いことを誰が教授に伝えたんだ・・・紗希しかいないけど、紗希は私のことをそう評価している?何だか信じがたい・・・


「それじゃ、何時頃引越すかな?」

「学祭の前後が休講ですから、その時期を考えています」

「11月の中旬か・・・まだ時間があるから、少しずつ荷物を運んだら?引越代が節約できるしね」

「そうさせていただければ幸いです」

「じゃ、決まりだ」


その後雑談が始まったが、ふと見ると奥の部屋に仏壇がある。


「あの・・・詩織ちゃんに御焼香したんですけど・・・」

「ああ、遠慮なくどうぞ」


私は教授の了解を得て奥の部屋に入った。3人の遺影がある。交通事故で亡くなった奥さんと詩織ちゃんと・・・紗希?・・・いや、この人は2年前に亡くなった体操選手の菊地紗希だ・・・だけど、今の紗希と瓜二つじゃないか。この写真を大学で見せたら、誰もが紗希と答えるに違いない。私は半ば狼狽しながら焼香を済ませると居間に戻り紗希の顔を凝視する。確かに同じ顔だ・・・


「どうしたの?」

「紗希の顔が・・・」


紗希はとぼけていたが、分かっていたのであろう。私の話を即座に遮った。


「お父さん、折角だから晩御飯ハチと一緒に食べようよ。ハチ、買い物に行くよ」

「そりゃいいねぇ。じゃ、これ」


菊地教授は財布から5千円札を出すと紗希に渡した。


「全部使うなよ」

「分かってますって」


私は釈然としないまま紗希と買い物に出かけた。


3


引越しの段取りもできたので、後は両親に報告するだけだが、ウザい。すごくウザい。父親は権威主義者だから引越し先が大学教授の家、しかも医療ロボットの権威である菊地教授の家と知ったら間違いなく挨拶に来る。たぶん、母親も巻き込んで夫婦一緒に・・・でも通過儀礼として、2~3時間我慢すればいい、ってか、我慢するしかない。私は意を決すると実家に電話した。


《引越しって、あんた、男でもできたの?》

「違うよ!友達の家の部屋が空いているから来ないかって」

《その友達って、男?》

「違うってば、女友達だよ!」

《親御さんは何している人なの?》

「うちの大学の、工学部の教授。経歴や実績は機械システム工学科の菊地教授で調べれば詳しく分かるよ」

《それなら心配ないけど・・・家賃は?》

「いらないって」

《そうはいかないでしょ。お父さんと相談するけど、一度御挨拶しないと。そもそも、親の承諾を得ない未成年の法律行為は取り消せるんだからね!》

「はいはい、分かりました。日程が決まったら連絡してね」


2週間後の日曜日、私は桜町駅で両親を待っていた。


「恵、待った?」

「少しね。じゃ、行こうか」


両親を連れて菊地教授の家に赴く。紗希は撮影の仕事が入っているから不在だ。余計なこと言う危険があるからいない方がいいのだが・・・


「恵の父と母でございます」

「いらっしゃい。さぁ、どうぞ」


父親は内弁慶で小心者、しかもあがり症だからこうした場面では無口になる。したがって常に母親が仕切る。


「いつも娘がお世話になっています。これ、つまらない物ですが・・・」

「お気遣いなく・・・ところで御両親、コーヒーはお好きですか?コロンビアのいい豆が入ったんですけど」

「多少嗜む程度ですが・・・」

「じゃ、淹れましょう。少しお待ちくださいね。そうそう、この雑誌でもどうぞ」


菊地教授は自分が淹れたコーヒーを誰かに飲んでもらいたくて仕方ないようだ。紗希がこれまで全く飲まなかった反動だろう。教授は本棚から何冊が雑誌を取り出すとテーブルに置いた。これ、全て紗希が載っているファッション雑誌じゃないか!しかも該当箇所に付箋を貼って・・・医療ロボットの権威も所詮親バカなのか・・・


「綺麗な人ね・・・そう言えば、お嬢さんがいらっしゃるはずだけど・・・」

「紗希は今日バイトなんです」


台所から菊地教授が答えた。


「日曜日にアルバイトとは、家庭教師ですか」

「いえ、モデルです」

「今見ている写真の子が、菊地教授の娘の紗希だよ」

「この人がお友達の・・・恵、あなたも少しは見習いなさい!年頃の娘がジャージなんか着て、中学生じゃあるまいし!」

「あのね、これはファッション雑誌用にメイクして着飾った紗希なの!紗希が何時もこんな服着ているって考えているのであれば、大間違いだよ!普段は私より酷い恰好してるんだから!」

「ただいま!あれ、御客さん?」


玄関で紗希の声がした。ちょうどいい。私は玄関に赴くと紗希を居間に連れてきた。


「お母さん、彼女が友達の紗希!見てよ、この格好!」

「どうしたの?何があったの?」

「紗希、今日はどうした?」

「午後の撮影のカメラマンがスタジオに来る途中で交通事故に遭って入院しちゃって、撮影が全部キャンセルになったの。無駄に時間を使ってしまった・・・」

「そうか。八屋君の御両親がいらっしゃったから御挨拶をね」

「あっ、八屋さんの友人で菊地紗希といいます。初めまして」

「初めまして、恵の父と母でございます。娘がいつもお世話になっています」

「で、分かったでしょ!写真は仮の姿だって!」

「コーヒー、入りましたよ」


私が変にヒートアップしたタイミングで、コーヒーがでてきた。話の流れが変わった。


「先生、家賃はいらないと娘から聞きましたが、そうは参りませんのでとりあえずこれをお納めください。」


母親は鞄から封筒を取り出すと菊地教授の前に置いた。


「いえ、いただけません。お納めください」

「そうおっしゃらずに・・・」


菊地教授と母親は共に譲らない。この状況、使えると考えた私は博打に出た。


「それじゃ、私にちょうだい・・・私ね、好きな人がいるの。その人とは入学早々喧嘩したんだけど、その人は命を救うために獣医学科に入学したと言い切った。クソ真面目で頑固だけど優秀で私をいつも引っ張ってくれる。部活も合コンもしないで何時も勉強していて、バイトはしているけどそれは開業資金を今から貯めるためで遊びとは全然関係ない。私はその人と同じ夢を見たい。その夢を実現させたい。その日のために私のバイト代と一緒に貯めておくから・・・」

「お前、いつの間に・・・」


父親が初めて口を開いた。そう、これは私と県会議員の息子との婚約をぶっ壊すための博打だ。でも、私は嘘を言っていない。


「そうね・・・このお金は私が預かっておきます。いいでしょ、お父さん」


母親は全てを理解したようだ。父親は黙って頷いた。


「ハチ、私の知らないとこで何時男作ったの?誰?」


マジですか!それともあえてとぼけて言っているのか、紗希は!でも、紗希のこの言葉は父親にとって止めになったようだ。その後は歓談になった。菊地教授と母親だけの・・・


「お話は尽きませんが、私共はそろそろ・・・」

「遠方から御足労いただいたのに、おもてなしも十分できず申し訳ありません」

「いいえ、コーヒー、美味しゅうございました。それで十分でございます。今後とも娘を宜しくお願いします。先生、紗希さん・・・」

「じゃ、私、駅まで送っていくから」

「買物頼むね。今晩もうちで食べるでしょ?」

「うん!」


駅までの道程、私達は無言で歩いた。


「切符買ってくる」


父親がみどりの窓口に行くと、母親が話しかけてきた。


「好きな人って、紗希さんでしょ?」

「何故分かったの?」

「恵が今迄電話で話してくれた表現と同じだったから・・・バカでも分かるわよ。でも安心して。お父さんには内緒にしてあげる。婚約話も私は反対している。恵は自分の意思で生きなさい」

「ありがとう・・・」

「それにしても、紗希さんのフォローは見事だったわね」

「あれ、紗希は状況理解していないから・・・」

「そうなの?」

「多分ね・・・」

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