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最終話 鎌倉を二人で――

「あああ……どうしたらいいの……」


 源平合戦に勝利して、鎌倉にとって邪魔な平家と法皇を排除して、木曽と和睦を結んで……もう全部終わったのだと安心してしまった。あの男の欲深さと、そしてわたしへの依存を見ていなかった。わたしには疫病神を使い切れなかった。

 やっぱり鎌倉を離れてはダメなんだろうか……。


「あれ、そういえば……死んだのに、あの夜の八幡宮に行ってない……どうして……?」


 もしかして、もう終わりなの?

 呪いの力を使い果たして、これ以上過去には戻れない?

 義仲さまが死んでいるのなら、義高さまを鎌倉から逃がすしかない。

 だけどその方法はもうさんざん試した。

 どこへ逃がそうとしても義高さまは救えない。


 わたしはこれから、この閉じた世界で、義高さまの死を経験し続けるの?


 考えるだけで足元がおぼつかなくなる。

 …………でも、あきらめるなんてできない。

 そんなの耐えられないっ、義高さまを救う方法を探さないと!





「ああ、そっか……わたしがやっちゃえばいいんだ……」


 朝からずっと悩み続けて、どうにかひとつだけ答えが出た。


 義高さまを殺すのは、頼朝お父さまだ。

 だったら、わたしがお父さまを殺せば、義高さまは救われるんだ。


 追い詰められたわたしは、お父さまと会える機会を待った。

 その間にこの世界はわたしがどういう行動を取ってきたのかを確認する。


 どうやら今回、記憶が統合されるまでわたしは何もしていないらしい。

 義高さまとも必要以上に親しくせず、毎日ただお母さまの言う事を聞き、普通のぼんやりとした少女として行動していたようだ。


 その関係だろう、いつもこの時期、わたしに会い難かったらしく一度も顔を見せたことのないお父さまがお母さまの館に来た。

 戦勝祝いのつもりか、お父さまがお母さまのところに来るのは、まあ言ってしまえば夜這いの日だ。偉い人は夫婦でも別に住んでいて夫が妻の家に夜這いに来る。


 しかし、なんてのん気なんだろう。ひとの婚約者を奪いながら自分だけは夫婦円満に、なんて許されるはずがないのに。

 わたしはお母さまの箪笥から鋭利なかんざしを持ち出した。お母さまが席を外した隙に、じゃれつくように座っているお父さまに近づく。そして、


「――っ!?」


 背後から首筋へ突き立てようと、かんざしを握りしめた手が掴まれた。


「大姫、何をしているッ!?」

「あ、あの…………お、お父さまにかんざしを差してあげようと思って……」

「かんざし? 男は人前に限らず烏帽子を脱ぐことはない。それに、こんな危ない物を持つにはまだ早い。仕舞っておこう」


 お父さまはわたしからかんざしを取り上げ、歩いて行ってしまった。


 掴まれて赤くなった手首をさする。

 わたしにお父さまを殺す理由なんて思い当たるはずがないのに、まるで命を狙われていると最初から分かっているような反応だった。


 ダメだ。

 お父さまを直接殺す、最後の手段もムリだった。

 本当に、今度こそ、もう何もできることがない。

 途方に暮れて床に膝を落とす。


「いたっ……?」


 お父さまが座っていた場所に、何か硬い物が落ちていた。

 いつかも見たな。

 貢ぎ物のサイコロだ。

 鎌倉では見ない、透き通るような美しい緑色の石でできたサイコロ。

 でも、この色、どこかで見たような……一体どこで?

 どうでもいいはずのサイコロが妙に気になる。




 気づくとわたしは走り出していた。

 わたしを止めようと声をかけてくる人達を振り切って義高さまの館まで走った。庭先で探していた相手を見つけ、一直線にぶつかっていく。


「大姫様? もう遅いですよ。こんな時間に出歩いては――」

「おまえかああああああああああぁ!!!!」


 緑色のサイコロを握りしめた手を、義高さまの後ろにいた人物の顔面に叩きつけた。


 義高さまの浪人、海野幸氏に。


 全体重をかけてぶつかられ、地面に倒れた海野へ向けてそのまま何度も拳を振り下ろす。


「おまえがっ! おまえが義高さまを売ったのか! おまえがっ! おまえがっ! おまえがッッ!」


 何度も顔を殴る内に、歯で切れたわたしの血と海野の鼻血が飛び散り、地面に赤黒い染みを作っていく。


「大姫様ッ、おやめください! 幸氏が何をしたというのですか!?」

「放して義高さま! こいつが、海野がっ……海野! 一体いつからお父さまと通じていたの!?」


 羽交い締めにされたわたしの手からサイコロが転げ落ちた。

 義高さまも見覚えがあるだろう。

 わたしは覚えている。このサイコロは、一緒に鎌倉から逃げた時に見た、木曽の川で見た緑色の石で作られたものだ。だけど、義高さまが鎌倉に来た時の贈り物にスゴロクの道具があったなんて聞いていない。




 今思えば、どうしてこんなことに思い至らなかったのか。

 初めて見たあの日の光景が、義仲さまの死を知って、肩を寄せ合って涙を流す義高さまと海野の姿が、二人の間にある友情と忠義を確かなものだとわたしに信じさせた。


 でも、ちがったんだ。

 間違っていた。


 義高さまの死を知った時点で、わたしは梅雨の鎌倉に戻ってしまう。

 だから気にしていなかった。

 気をかけられなかった。


 でもわたしは知っている。

 未来の知識で、海野が義高さまの死後どうなるか。


 海野は義高さまに最も近い浪人であるが、処刑されていない。

 それどころか忠臣として評価されて鎌倉の御家人になっている。


 幼少から親しくしてきた主を殺した相手に仕えるか?

 まぁこんな裏切りばかりの武家社会ならあるかもしれない。

 海野の決断は一旦保留にしよう。

 だけど親類縁者にまで謂れのない疑いをかけて暗殺するような、疑心暗鬼の化身たる頼朝お父さまがそんな男を使うだろうか。


 ……ない、ありえない。

 元から何か密約がなければ、お父さまは海野を信じなかったはずだ。

 お父さまは義高さまを暗殺してすぐ、木曽義高残党討伐という名目で信濃に出兵している。義仲さまの御家人もほとんどが殺されている。忠臣だからなんて理由で海野を生かす人じゃない。


 鎌倉から逃げた後、何度やり直してもわたしが殺される理由が不思議だったけど、海野が裏切り者なら、通じていた痕跡を消すため、わたしを邪魔に思うのも納得できる。


「お父さまに何を言われた! 言え海野ぉ!! 言えよぉ!!!」

「大姫様、ここは私にお任せください」


 義高さまがわたしを海野から引き離す。

 どうしてっ! まだこんな裏切り者を信じるの!?


「幸氏……」


 義高さまは起き上がった海野の肩に手を置いた。

 しかし、海野が黙って殴られている様子に、義高さまもわたしの言っていることを察したのか、優しく微笑むその瞳にはどこか諦観があった。


「……義高……様……申し訳っ、申し訳ごさいません……」

「幸氏、話せ」

「わ、私はただ、義高様の近況を報告するように……」

「他にもあるのだろう?」

「…………そ、それと先日、御家人の中に義高様を狙っている者がいるから近日中に木曽へ逃がせと言われ……」


 裏切りを咎めようともしない義高さまの態度が、逆に自責の念を駆り立てたようで、海野は嗚咽を漏らしながら白状しはじめた。


 海野が嘘をついているようには見えない。

 だけど、腑に落ちない。

 お父さまが「逃がせ」って? なんで? お父さまが義高さまを殺すように命令したはずなのに……。


「大姫様」


 海野が無言で睨みつけるわたしの方を向いた。


「大姫様……御台所様は、大姫様の味方です」

「お母さまが? えっなに、何のはなし?」

「分かりませぬが、頼朝殿がそのようなことを漏らしておりました」


 お母さまはわたしの味方?

 お父さまが義高さまを殺す。

 でもお父さまは義高さまを逃がせと命じた?


「……………ああ、そういうことかぁ……お母さまは、ちゃんとお父さまに抵抗してくれてたんだ……」

「大姫様、どうなされたのですか」

「ううん、義高さま……もういいの、安心して。義高さまはわたしが守るから」


 やっと気づけた。

 ずっと、わたしが気づけなかったルールに。




 義高さまの館を出ると、わたしを探しに来た御家人に家まで連れ戻された。


「姫、急にどこかへ行ったら心配するでしょう!」


 お母さまが突然姿を消したわたしを叱りながら抱きしめてくる。


「お母さま、ありがとう」

「ありがとう? ちゃんと反省してるの?」

「でもね、わたしは、わたしだけじゃなくて、ちゃんと義高さまも守って欲しかったの」


 いつもと違って抱き返すこともせず謝罪もしないわたしを疑問に思い、お母さまとお父さまが顔を合わせる。


「お母さま……たとえ鎌倉の外で義高さまを殺しても、わたしにとっては同じです……同じなのです。耐えられません」


 わたしの前では――鎌倉の中では義高さまを殺さない。

 これがたぶん、お母さまがお父さまに出した条件だ。

 わたしの心を守ろうとしてくれたんだろう。いくらお母さまでもお父さまが本気で決めたことには逆らえない。

 でも言った通りだ。

 義高さまを失うという結果が同じなら、そんな約束に意味なんてない。


「姫……どうしてそのことを……」

「お父さま、お願いです。どうか義高さまを殺さないでください」


 床に頭をこすりつける。

 お父さまはわたしが暗殺計画を知っていることに驚いた顔をしたが、すぐに首を横へ振った。


「ならん」

「どうしてっ!」

「義高を生かしておけば、必ず復讐するからだ!!」


 真っすぐにお父さまがわたしを見つめる。

 本気になったお父さまはこんなにも恐ろしい人だったのか。

 怖さのあまり視線をそらすこともできなくなってしまう。


「あなた……」

「政子、姫に教えるとはな。約束を違えたのはお前だ、義高は処刑する」

「そんな! 私は誰にも教えてなどおりません!」

「そうです! わたしは海野から聞いてきたのです! お父さまが義高さまを鎌倉の外に出そうとしているって!」

「ならんならん!! 二人で共謀しているのだろう!? そんな話を誰が信じるか!」


 お父さまは気が狂ったかのようにお母さまとわたしを怒鳴りつける。


 ……さっきは、お父さまを殺すということに囚われていたけど、思えば義仲さまの死を知った後のお父さまとこうして話をできるのは初めてだ。


 そして、最後かもしれない。

 もう今回巻き戻った時期と同じところまで戻れる保障すらない。

 こうなったら、いいよ。わたしも言いたいことを全部言ってやる!


「……お父さまが義高さまを殺さずにいられないのは、お父さまが弱いからではありませんか」

「違う! 復讐の芽は摘まねばならぬのだ! そうしなければ、源氏も清盛と同じ末路を辿ることになる! 俺は清盛と同じ後悔を抱いて死ぬつもりはない!」

「平……清盛?」


 そこか。お父さまの一番の弱みはそこだったのか。

 源平合戦は、平治の乱で敗北した源義朝の息子たちを見逃したから大事となった。頼朝を中心に東海から南関東がまとまり一大勢力ができてしまった。

 それが仇となり平清盛は心身を病んで死んだ。

 平家もこれから滅びる。


 お父さまは、復讐の連鎖を断つには疑わしき相手を全て殺さなければならないと怯えているのだ。


「やっぱり、それは人を信じられないお父さまの弱さです!」

「貴様、それが父に言う言葉かッ!?」

「だってそうでしょう! お父さまは誰なら信じられるのですか! 次は誰を殺しますか!? 今は内心、京で活躍した義経さまに嫉妬しているのでしょう! 義経さまが担がれて自分に反旗を翻すか不安に感じているのでしょう! じゃあ義経さまを殺しますか、その次は範頼さまですか!」


 未来を経験して知っている、お父さまの不安。そして卑しく矮小な心。それを言い当てられたお父さまが怯む。


「そんな殺伐とした陰謀と暗殺ばかりの国を作って、本当に源氏はやっていけると思いますか! 本当は味方なのに、身の内に潜む病魔だと決めつけ、親族を殺して源氏の世にできると思っているのですか! 平家を倒して、残りは常陸と奥州ですか! その後はどうしますか! 確かに一時は源氏の世が来るでしょう。ですが源氏を継ぐ万寿は今年まだ二歳ですよ! 戦のなくなった平安の世で御家を継いで、御家人の皆さまは万寿について来ますか!?」


 一気に言い放ったせいで、息が途切れる。


「……そなた、本当に一幡か?」

「お父さまが……あなた達がわたしを子供でいさせてくれなかったのでしょう! わたしは、義高さまが人質として鎌倉に連れてこられてから、ずっとどうしたらいいのか死にもの狂いで考えてきたんですよ!」


 再度、お父さまに頭を下げる。


「義高さまに復讐などさせません。源氏は……お父さまも、お母さまも、万寿も、わたしが必ず守ります。だからどうか、どうか義高さまをお助けください」


 額を冷たい床につけ、じっと返事を待つ。

 何分経っただろう、激昂しわたしを見下ろしていたお父さまが大きな音を立てて床に腰を下ろした。


「……政子、俺は……七つの娘に守ると言われるほど情けないか……」

「私は初めから義高殿の件では反対しております」

「そうだったな」


 少しだけ顔を上げて確認する。

 お父さまは頭を抱えてうなだれていた。


「それに頼朝様、一幡は私の娘ですよ」

「……だからどうした」

「頼朝様が伊東殿に命を狙われていたあの時、貴方様を見捨てようとした北条家に、私はなんと言いましたか」

「……義高を守らねば、一幡も自ら命を絶つとでも?」


 お母さまがこちらを見る。わたしは慌てて首を縦に振った。

 痛いのも苦しいのも嫌いだ。死は何度経験しても慣れない。

 それでも義高さまを失うよりはマシだ。比較する価値すらない。


「……悪いが今日は帰る」

「お父さまっ!?」

「義高の処遇は……一晩、考える」






 それから一月ほど経った頃、御所から帰ってきたお母さまがわたしを呼び出した。

 どうやらお父さまは当面の間、様子を見ると言ってくれたようだ。

 一晩とか言いながら一ヵ月も悩まされた甲斐はあった。


 正面からちゃんと話をするだけで未来が変わるなんて、これまでの冒険はなんだったのだろう――なんて思わなくもない。

 けど、海野の裏切りを知ることも、義仲さまの死後にお父さまと話をすることも、こうならなければできなかった。

 今はとりあえず、もう怯えなくていいよって義高さまに伝えなくちゃ。




「……大姫様、腕を組まれると歩きづらいですよ」

「いいの。義高さまは婿としてわたしと仲良くしてるところを見せないといけないんだから!」

「その話は御台所様からも言いつけられておりますが、一体何があったのです?」

「義高さまは知らなくていいのー」


 ようやく訪れた、わたしと義高さまが揃って迎える平和な1184年の鎌倉。

 白い源氏色の桜を見ながら鶴岡八幡宮へ向かって若宮大路を歩く。

 背伸びをして義高さまの鼻についた桜の花びらを取ってあげると、小さな笑いがこぼれた。二人の笑い声に混ざって、どこからか“前世の私”の笑い声が聞こえた気がした。





 ―終わり―

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