迎賓の間の再会
後で知ったことだけど、リゲルとゼノ様が、謎の男と死闘を繰り広げていた頃。
リリア離宮では、オレンジの火の手が煌々と夜空を照らし、その光景を恐々と見守る人々が庭園に溢れていた。
「やれやれ、何事かと思いましたが、逃げ遅れた方がいないようで良かったですの」
火の粉が舞い上がるのを見上げて、ユフィリアさんが首を振った。
彼女が言うように、さっきまで家族の無事を確認しようと右往左往する人々だらけだったが、それも落ち着いて、今はあるべき場所に収まるように家族や親友同士で身を寄せ合っている。
もれなく私も母さんを探したわけだけど、宿屋のおかみの顔に戻って、ハルさんやデニスさんの奥さんたちを連れて逃げていた。こんな時でも、さすがだなと思う。
とにかく、親しい人たちの無事を確認した後は、燃える離宮に私たちが近づかないようにバタバタと駆け巡る騎士様たちを見守っていたのだ。
「火事に早く気がついた人がいて、命拾いしましたね。そうじゃなけりゃ、こんなに早く全員逃げ出すことなんてできませんでしたよ」
「やっぱり、そうですよね」
冷や汗を拭うローゼンさんの言葉に、私は考え込んでいた。
あの時、真っ先に逃げろと促してくれた声。
特に制限はされていなかったけど、避難して来た人たちは暗黙の了解で迎賓の間にいて、それより奥の部屋にはいかなかった。
「あの声の方は、どうして奥の部屋にいたんでしょうか? 」
「そもそも、奥の部屋に、火事の原因となるような設備はないはずですの……」
「お二人とも、もういいではないですか。ささ、安全な方へ行きましょう」
火事を見上げて思案する私たちを、たまりかねたローゼンさんが急かした。
確かに、今までは館の奥の方で火の手が強まっていたのが、だんだんと迎賓の間に燃え広がってきていると、細い窓から伺える。そろそろ、本格的にリリア離宮から離れた方がいいかもしれないと、頭を掠めた時だった。
迎賓の間の細い窓を、黒く細い影がすっと横切ったのが目に飛び込み、私は驚いて瞬きした。
「ミア様? どうかしましたの? 」
「今、中に誰かいませんでした? 」
「この、火の海の中ですの? 」
目を凝らしてから、ユフィリアさんは戸惑いの色を浮かべて首を振った。
「きっと、見間違えですの。逃げ込んだ民はすべて、外に逃げた。それは、こうして火が強くなる前に中を確かめた、騎士様たちが知るところですのよ」
「けど……」
ユフィリアさんが言うことが正しい。
そう理解しているのに、頭の片隅に何かが引っ掛かっている。
どうして、人気のない奥の部屋で火の手があがったの。
どうして、誰かさんは人の立ち入らない場所で起きた火事に気付けたの。
どうして、私たちは皆、無事に逃げることができたの。
「あ……! 」
細い窓の向こう、最初に警告の声が上がった、火元へとつながる扉。そこに、細い影が滑り込んだ。広間に広がりつつある光に照らされたあれは、間違いなく人影だ。
顔を見ることは、叶わなかった。しかし、人影から伸びる細長いストールの影だけで、私に館の中へ飛び込むことを決意させるには十分だった。
突然、リリア離宮に向かって走り出した私に、仰天したユフィリアさんの声が追いかけてきた。
「ミア様!! どこへ!? 」
「見つけたんです、探し人を! 」
説明するのも、もどかしい。走りながら辺りを見渡すけれど、こういう時に限って近くに騎士様もいない。後ろにユフィリアさんの叫びを聞きながら、離宮に飛び込み、一瞬、肌を撫でた熱気に怯んだ。
大きく深呼吸して、にじんだ汗を拭う。大丈夫。まだ、この辺りの火は弱い。
「何を考えているんですの!? お戻りください! 」
「騎士様に伝えてください。中に逃げ遅れた人がいるって」
火が燃え移らないように、ドレスの裾を破く。うん、これで少しは動きやすくなった。膝丈までドレスが短くなったのに満足し、布切れを放ると、はらりと熱気に煽られて、それは戸口に凍りつくユフィリアさんのところへ流れていった。
「私は、一足先に、その人を連れ戻しに向かいます」
ユフィリアさんの悲鳴に似た叫びを振り切り、玄関ホールを全速力で駆け抜けた。大勢の人が逃げた後だからか、迎賓の間の豪華な扉は開け放たれている。勢いもそのままに、煌びやかな広間に一気に飛び込んだ。
「……っ! 」
さすがに、ここは暑い。外から見ていた時より、火がカーテンやテーブルクロスに燃え移っている。幸いだったのは、いくつかの窓が開かれているおかげで、火の割りには煙が充満していないことか。
どのみち、ぐずぐずするわけにはいかない。素早く視線を走らせ、人影が消えた扉を見つけた。当然、その扉の向こうが火元であるため、扉の周りは特に火が強い。むっと立ち昇る熱気を避けて大きく息を吸い込み、その人の名前を呼んだ。
「シリウスさん!! 私です、ミアです!! 」
返事はない。チリチリと火が周囲を取り囲んで行くのを感じながら、もう一度、声を張り上げた。
「シリウスさん、いるのはわかっています! 出てきてください! 」
「……ミアさん? 」
火の向こうから声がして、はっと目を凝らした。それと同じくして、炎が揺らめき、その奥から信じられないといった表情のシリウスさんが現れた。
「シリウスさん……! 」
「まさか、ありえない。なぜ、あなたがここに」
安堵の息をつく私に対し、シリウスさんはゆるゆると頭を振った。けれど、すぐに思い直したように、炎を踏み越えて私の肩を掴んだ。
「早く、外にお逃げなさい。この先は、火の海です。もう、全員が外に逃げたと思っていたのですが」
「シリウスさんも、一緒に行きますよね? 」
私を出口の方へ押そうとする手が、ふいに強張った。それに気がつかないふりをして、シリウスさんの顔を覗き込み、もう一度重ねた。
「シリウスさんも、一緒に逃げてくれるんですよね? 」
「私は……」言い淀んでから、シリウスさんは眉を下げた。「まだ、やるべきことが残っています。大丈夫、ちゃんと後から追いかけますよ」
「嘘です! 」
どこかで、私の思い過ごしであればと願っていた。
けど、私を見つけた時のシリウスさんに、ついに確信をしてしまった。
胸の奥が、ひりりと傷む。泣きだしたくなる気持ちを抑えて、私は乾いた口を開いた。
「あなたが、調教師ですね」
私の言葉に、シリウスさんは目を見開いた。否定も肯定もないまま、火の爆ぜる音だけが広間を満たす。心臓が胸を叩き、ごくりと唾を飲み込んだ。
「正確には、調教師の一人、ですよね。外で起きているモンスターの異常発生、あれは、お仲間の仕業なんでしょう? 」
「……いつから、気付いていたのですか? 」
いつから。ああ、これで、もう逃げられない。
ゆっくりと目を閉じて呼吸を整えてから、私は肩を落とした。
「ついさっきです。ただの、勘みたいなものですが」
そう、証拠など何もない。全ては勘で、ただ、モンスターの異常発生が調教師の仕業だということ、調教師の一人がシリウスさんだということ、その二つの仮説を立てた時、不思議と辻褄があってしまっただけだ。
「城郭での騒ぎが故意に仕組まれたものなら、リリア離宮の火事も、当然仕組まれたものである可能性が高い。けど、それにしては、被害が少なすぎたんです」
引っかかったのは、言うまでもなく、火事を知らせた人物だ。故意で火を付けるからには隠れた場所で行い、発見を遅らせようとするはずだ。それなのに、声の主が火に気づくのがいくらなんでも早すぎた。
「それで、声の主と火をつけた人物が、同一人物である可能性を考えました。けど、それだと、わけがわからない。火を付けておいて、避難を促すなんておかしいじゃないですか。−−そんな時、あなたを火の中に見つけた」
見覚えのあるストールが扉の向こうに消えるのをみた瞬間、かちりとパズルのピースがはまる音がした。
どうして火を付けたのか、その狙いはわからない。けど、シリウスさんが調教師で、リリア離宮に火を放ったのなら。
「シリウスさんが、大勢の人を火事で殺そうとするわけない。きっと、ちょっとくらい不自然でも、みんなを逃がそうとするはずだって。どうです? 図星、みたいですね」
こんな当てずっぽう、外れてくれた方が良かった。しかし、そこに否定の言葉はなく、辛そうに表情を歪めるシリウスさんがいるだけだ。ややあって、弱々しい笑みをのせて、彼は首を振った。
「……そこまでわかっているなら、私がなぜ、火事の中に残ったのかもお気づきのはずです。あなたは、ここに来るべきじゃなかった」
「放っておけるわけないじゃないですか! 」
ソファが、机が、絨毯が。徐々に燃え広がる火に、額に汗がにじむ。オレンジに染まる視界に飲み込まれないよう、私はぐっと背筋を伸ばした。
「ここで死ぬつもりなんて、許さない。一緒に逃げましょう、シリウスさん! 」




