道の選び方
少し、昔話をしましょう。
そう言って、シリウスさんの目は遠くを見つめた。
「私と妻は、同じ郷の出身の女性です。初めて彼女にあったのは……、だめですね。思い出せません。それほど、彼女が隣にいるのは、私にとって当たり前のことでした。その妻が死んだのは、半年ほど前のことです」
死んだ。その乾いた言葉の響きに、却ってシリウスさんの胸の内が伺え、私はうなずくことさえできなかった。そんな私の様子に気づき、シリウスさんが小さく微笑んだ。
「生まれつき、体の弱い人でした。彼女を愛すと決めた時から、ずっと覚悟をしていたことです」
凪いだ口調のまま、シリウスさんは終わったこととして話す。
その左薬指に光る指輪がはまっていることに、私は初めて気が付いた。
「彼女に結婚を申し込んだ時、両方の親、加えて彼女本人にまで反対されました。自分の体は長くはもたない。先立つとわかっている女を、妻に迎えるつもりなのかと」
「それでも、その方と一緒になったんですか」
「はい。私が結婚をするなら、彼女以外にはありえなかった」
その人は、病気がちであるのを忘れてしまうくらい、太陽みたいに明るくてあたたかな笑顔をした女性だった。
彼女の体を気遣い身内だけであげた小さな結婚式で、しかし彼女はほころぶ笑顔を浮かべ、シリウスさんと二人、幸せで満ち足りていた。
「迷いがなかったのかと言われれば、当然、それはありました。慎ましくも幸せな日々は、同時に彼女の命のカウントダウンでもあった。やがて、彼女の病が決定的となった時、それは恐ろしい現実となりました」
シリウスさんは、奥さんの病気を治せる医者を探して、必死に走り回った。方々を当たって、それでも治らなくて、消えていく治療代を必死に稼いで。
「――……彼女が助かればそれでいいと、無茶に手を出しもしました。彼女の夫が私でなければ、力も金もある男であれば、彼女の命を救えるのではないか。妻への愛を誓うなどと言って、彼女が生き永らえる可能性の一つを、自ら潰したんじゃないか。そんな思いに取りつかれたまま」
「それは」
違う。そう言いたいのに、それ以上、言葉が出てこない。だけど、とシリウスさんは短く息を吐いて、空を仰ぎ見た。
「最期の時、彼女はやっぱり笑顔を浮かべました。笑顔で、取り乱す私に言いました。幸せであったと。一緒に生きられたことが、彼女の幸せであったと」
最期まで、私は彼女に救われてしまったのですね。
穏やかに言うシリウスさんの声は、建国祭でにぎわう人々の笑い声に溶けていった。
「奥さんは、心からそう言われたのだと思います」
「ええ、私もそう考えていますよ」
にこりと笑って、シリウスさんは私に顔を向けた。その目は、もう遠くを見つめていない。寄り添って歩く町の人たちを、面白そうに眺めているだけだ。
「結局のところ、私はわがままだったのです。彼女の限られた時間の中で、寄り添い、彼女を笑顔にさせるのが自分でありたい。その願いが、私のすべてでした」
そして願いは、他でもない奥さんによって叶えられた。
『楽しかった』と奥さんが一言いってくれただけで、シリウスさんは実感したそうだ。ああ、自分は、自分と妻は、なんて幸せ者であったのだろうと。
「ミアさん。あなたはまだ、想像が足りていない」
町の人々を瞳に映したまま、シリウスさんは空になったホットチョコレートの容器を私の手から取り上げた。
「リゲルさんがユフィリア嬢を選ぶことが、彼の夢の近道になると、あなたは言いました。逆にいえば、あなたを選ぶことは、彼にとって茨の道ということになります」
茨の道。本当に、そうだろうか。
私が違和感を覚えたことに、シリウスさんは満足そうに口角を上げた。
「仮に、その道が『茨』に満ちていたとして、それは超えられないものですか? 言い方を変えましょう。選んだ道が多少険しくとも、リゲルさんと二人でなら歩んでいけるのではないですか? 」
二人で、なら。
鼻の頭にひやりと冷たい感触がして、私は顔を上げた。
それは、雪だった。小さな雪の結晶が、ひらりひらりと空から舞い降りてきていた。
まるで、それが合図であったかのように、シリウスさんは立ち上がり、お礼を言いながら屋台の売り子さんにホットチョコレートの容器を返しに行った。まだ、ぼーっとしていた私の手を引いて立ち上がらせてから、シリウスさんは軽く服を叩いた。
「そろそろ、王宮に戻ったほうがいいのでは? 」
言われてから、はっとする。午後の祝賀パーティに向けて、ドレスの着付けやらなんやら使用人さんが手伝ってくるから、早めに戻ってくるように母さんに念を押されたんだった。
「そうでした! ……あ、あの! 」
慌てて駆けだしそうになったが、すんでのところで立ち止まる。呼びかけられたシリウスさんのほうはすでに立ち去ろうとしていたらしく、肩越しに振り返った。
「話してくだり、ありがとうございました」
「いえいえ。さぁ、行ってください」
ぺこりと頭を下げると、シリウスさんににこりと笑って道を促される。
もう一度だけお辞儀をしてから、王宮に向かって走り出す私の背中で、誰に言うでもないといった風にぽつりと言葉が零れ落ちた。
「ルルフェルドを無事に返していただいたお礼、ですよ」
どうして、その名前を。
どきりとして足を止めて振り返ったけれども、もうそこに人の良い旅人の姿は消え去り、笑顔で行きかう人々しか見ることは出来なかった。




