旅のひと
私達が馬車の方に戻ると、何やら御者さんが慌てた様子で馬をなだめていた。騒がしさに道行く人達も遠巻きに見守る中、アーサーさんが御者さんに呼びかけた。
「おいおい、どうした? 随分と、馬が荒れてやがるじゃねーか 」
「それが、少し離れて戻ってきたら、馬たちがこの様でして」
困り果てて御者さんが指差す先では、一頭の馬が大きく首を振りながら足踏みをしている。もう一つの馬車の馬は落ち着いているのにと、御者さんはすっかり弱り顔だ。
と、暴れ馬が私の方を見た。
「って、えぇ?! 」
「下がれ!! 」
太陽を背に巨大な影が振りかぶったと思ったら、リゲルに腕を引かれた。それが、嘶きながら蹄を振り上げた馬だと遅れて気づいた時には、馬は私たちに向かって突進を始めていた。
町を行く人々から、悲鳴があがる。いつの間に馬車との留め具が外れたのか、馬はみひとつの軽快ななりで、猛スピードで飛び込んでくる。実にありがたくない。
逃げ出そうとする私と母さん、そしてリゲルに対して、アーサーさんだけ両手を大きく開いて馬の前に仁王立ちした。肩をいからせて、エーアガイツ団のリーダーは吠えた。
「さ、こいやぁああ! 」
「無理ですって!! 」
「やめろ、おっさん!! 」
「アーサー、下がりな! 」
雄叫びをあげながら、迫りくる馬にアーサーさんが構える。これがレグルス山での光景であれば、冒険者とモンスターの死闘として見る者を圧倒しただろう。だが、ここは街中で相手は馬だ。誰も、そんなドリームマッチは頼んでない。
ぶつかる! 肉を打つ鈍い音を予想して私は顔をそむけたが、かわりに悲鳴にも似た歓声が耳に飛び込んできた。
慌てて私が視線を戻すと、アーサーさんと馬の間に割って入るように、すらりとした体躯の男性が馬の前に立ち塞がっていた。
男性の直前でたたらを踏む馬に対し、その男性は何かを囁きながら慣れた手つきで馬の首を撫でる。すると、徐々に馬の鼻息が荒いものから静かなものへと変わり、ぶるりと鼻を鳴らしたのを最後に馬は大人しく下を向いた。
「お怪我は、ありませんか? 」
呆気にとられて見守る私たちに、振り向いた男性はにこりと微笑んだ。
☆ ☆ ☆
「ずうずうしくご一緒させていただいちゃって、なんかすみません」
「とんでもありません。シリウスさんは、私たちの恩人ですから」
私がそう強く言うと、むかいの席に座るシリウスさんはちょっぴり困ったように頬を掻いた。シリウスさん――、馬の暴走を止めてくれた男の人に、無理を言って馬車に乗ってもらったのは私だ。
手早く馬を馬車に繋ぎなおし、すぐに去っていこうとした彼を、私と母さんでお礼をさせてほしいと引き留めた。シリウスさんは旅の途中だからと辞退しようとしたが、よくよく話を聞いたら王都に向かう途中だと言うので、せめて馬車に乗ってもらったのだ。
「度胸あるよな。あんな暴れ馬、平然と手懐けるなんて」
「昔から、動物に空かれる体質でして。人間よりもよほど、動物と過ごす時間が長いせいでしょうか」
ひらひらと手を振るシリウスさんは、長いストールを首に巻いている以外には、これといった特徴のある服を着ていない。鍛えられた体つきをしてはいるけど、なんとなく牧場関係の仕事とかではない気がする。
私たちの視線に気がついたシリウスさんは、傍らに置いた布袋をごそごそと漁り、くたびれた分厚い紙の束を取り出した。
「申し遅れました。私、旅をしながらモンスターの生態研究をしています。つけた記録を売って生計を立てているんですが、結構、冒険者の方には重宝いただいていますよ」
「うぉ、これって、生態録の原本じゃないですか! 」
リゲルが目をキラキラさせながら、紙の束をシリウスさんから受け取る。それを隣から覗きこんで、まず、びっしりと書かれた文字の量に驚いた。身体的特徴、食事内容、狩の様子、群れとのコミュニケーション。それらが、流れるような美しい文体で余すことなく綴られている。ページの隅には、緻密なスケッチも添えられていた。
「すごい……、これ全部、シリウスさんが書いたんですか? 」
「大人数で行くとモンスターに警戒されますから、一人で観察をしているんです。だから、誰とも話さない分、つい記録が多くなってしまって」
「生態録ってのは、モンスターの生態を知るための重要な資料で、俺達冒険者は作戦の前に必ず目を通すんだ。けど、こんなに情報量があるものは初めて見たよ」
素人目でみても凄いと思ったけど、リゲルの感心ようを見ているとよほどレベルの高い記録みたいだ。すっかり記録に目が釘付けになった私達を見て、シリウスさんが照れたように手をひらひらと振った。
「私より、お二人の方がよほど凄いですよ。褒章を受けるのでしょう? ――特にミアさんは、その、竜の子供と心を通わせたとか」
思わずといった風に口にして、シリウスさんははっと口を押さえた。それでも視線をウロウロと彷徨わせている辺り、どこまで突っ込んで聞いていいかのラインを迷っているみたいだ。
「すみません。竜の生態など、私達の間ですらヴェールに包まれているもので、つい」
「もうルルはお母さんのとこ帰っちゃったし、大丈夫ですよ。だけど、仲良くなったのは確かだけど、そんな大層なことはしていませんよ? 」
期待を隠しきれない瞳を前に心苦しいが、シリウスさんが考えているような『神話級のモンスターと人間の、種族を超えた交流』なんてものはなかった。ていうか、ルルはずっと人間の子供の姿をとっていたわけだし。
「しかし、子供とはいえ、竜は誇り高い生物です。何か、竜の心を開くに至るきっかけがあったのではないですか? 」
「……強いていえば、スープ、かしら 」
「スープ? 」
虚をつかれて目を瞬かせるシリウスさんに、私はこくりと頷いた。
ルルが私に懐いてくれた瞬間といえば、やっぱり制魔の輪のせいで気絶をしたルルが目を覚ました時だ。あの時、ルルはとてもお腹を空かせていて、パンを握りしめたまま気絶するなんて器用なことを成し遂げていた。
「だから食べ物を与えられて、嬉しかったんだと思います」
「絶対それ、違うと思うぞ」
「あら。じゃあ、リゲルはどうしてだったと思うの? 」
「知るか。お前が脳天気だったから、とかじゃねーの」
却下。リゲルに聞くんじゃなかった。つい、渋い表情を浮かべてしまったのを目ざとく見抜かれ、途端にリゲルがお説教モードに入る。
「あの時も言ったけど、お前、ルルに対して最初っから危機感なさすぎたんだよ。一応、色々未知数なモンスターだってのに」
「反省しているってば……」
これは、面倒くさい地雷を踏んでしまった。救いを求めるようにシリウスさんを見ると、私達二人を交互に見ながら、困ったように肩を竦めた。
「モンスターに不用意に近づくのは、正直おすすめできません。しかし、竜は人間よりよほど高潔で、純粋です。時に彼らは、清い魂をも見抜いてみせる。――今回の場合、竜を案じる裏表のないミアさんの心が、竜に伝わったのかもしれませんね」
今度は、私の方が胸をはる番だ。どうだとばかりにリゲルを見てやれば、口をへの字に曲げて何か言いたそうにしている。だけど、モンスターの専門家の太鼓判をもらった私に、もう怖いものはない!
大体、前から思っていたが、リゲルは過保護だ。私がやらかし、その度にリゲルに守ってもらった数々を思い返せば大口を叩けないのは確かだが、それでも、私は何もよちよち歩きの子供ではない。
私達の攻防を見守っていたシリウスさんが、くすりと笑みを漏らした。
「重ねて言いますが、不用意にモンスターに近づくのは禁止、ですよ。でないと、そこにいる恋人さんが心配をしてしまいます」
「ふぇ?! わ、こ、恋人って、なんでわかったんですか?! 」
思わず心臓が跳ねて、それはもう変な声がでた。
と、その時、馬車ががくんと揺れて、乗っていた三人ともよろめいた。窓から外を窺ってみれば、いつの間にかレンガ道に変わっていて、どうやら道が変わるタイミングで軽い衝撃が馬車を襲ったようだった。
席からずり落ちそうになっている布袋を引っ張りあげ、どさりと置き直してから、シリウスさんは肩を竦めた。
「――ただ、そんな気がしただけですよ」




