想い、つながる時
最初に戻ったのは、髪を撫でる暖かな手の感触だった。
心地よくもこそばゆいようなこの感覚に、私は覚えがある。私はこの手に触れられることを、ずっと待っていた気がする。そこまで考えて、私はぱちりと目を開いた。
「ごめん。起こしちまったか」
「な、え、リゲル?! 」
目を丸くする私をよそに、ベッドに上半身を起こしたリゲルが気持ちよさそうに伸びをした。なんという、マイペース。というか、ちょっと昼寝から目が覚めたような気軽さで、昏睡状態から復活しないでいただきたい。
「いつ目が覚めたの?! 体は?! 大丈夫なの?!」
「そんな一気に質問するなよな。追いつかねぇだろ」
リゲルは苦笑すると、私を安心させるように両腕をぐるりと回した。
「見ての通り、すこぶる元気だよ。むしろ、たくさん寝て調子がいいくらいだ。俺は、何日くらい寝ていた? 」
「3日、かしら。――よかった。このままリゲルが目を覚まさなかったらどうしようって、ずっと怖かった」
「……それで、そばにいてくれたのか? 」
こぼれた本音にひどく優しい声で返され、心臓がぎゅっと掴まれた気がした。私が浮かれているのでなければ、リゲルはそう答えた時、少しだけ嬉しそうに微笑んだのだ。
かぁっと顔が熱くなり、私は俯いた。それなのに、追いかけるようにしてリゲルがずいと体を乗り出し、顔を覗きこまれてしまう。
「お前は? 」
「……へ? 」
質問の意図がわからず、間抜けな声が漏れる。そんな私に焦れたのか、リゲルはさらに身を乗り出してきた。ち、ちかい。
「お前は、ほんとに怪我とかしてないんだろうな」
「ええ。大丈夫よ」
そこが気になるか。よく考えてみれば、リゲルは山で再会を果たした時も、真っ先に私の身を案じてくれた。
――だから、あんな風に強く抱きしめたのだろう。その証拠に、こんなに顔が近くにあっても動揺するのは私ばかり。ちょっと、腹がたってきた。
ジト目で睨む私には気づかず、リゲルはほっと息をついた。
「よかった……。お前は、つくづく規格外だな。かっこいいよ」
「それ、褒めているの? 」
「当たり前だろ。たった一人で傭兵に立ち向かって、ルルを守り切った。あげく、俺達のことも救いにきてくれた。――お前の機転がなければ、俺は死んでいただろう」
死ぬ。その言葉の重みに、背筋に寒気が走った。リゲルを喪うかもしれない、それがどれほど恐ろしいことか、私はこの数日で痛いほど実感しだのだから。
「たった一人で、なんかじゃないわよ」
自分でも意識するより先に、言葉がこぼれ出た。首を傾げるリゲルを見据えて、私は膝の上に置いた手を握りしめた。
「私がルルと逃げる事ができたのは、リゲル、あなたのおかげよ」
「俺は」と、リゲルは一瞬きまずそうに目を逸らした。「あれだけ大口を叩いておきながら、ミアが危ない時に、側にいてやることができなかった」
「そうじゃなくて」
悔しそうに顔を歪めるリゲルに負けじと、私も語気を強める。
さっきリゲルが言ったことの大半は、単に私の運がよかったから成し得たことだ。追手と戦ったのはルルだし、ボルガンを捕らえたのはゼノ様率いる騎士団だ。だけど、もし、私が私の選択で選びとった事があるとすれば。
「ずっと、リゲルの事を考えていた。リゲルなら、どうするか。ルルも、アマルノ国も両方救いたければ、何をすればいいのか」
そしたら、リゲルは私のよく知る笑顔で、笑って答えた。
片方だけを選んだりしない。欲しいものは、全部つかみとる、と。
だから、私はあの時、空に向かって飛べたのだ。
「リゲルはいつだって、私を守ってくれた。私が立ち止まった時は、背中を押してくれた。危険が迫った時は、刃で受け止めてくれた。今回だって、そう。迷った私に、勇気を与えてくれたのはあなた」
いつの間に、私の中で、彼はこんなにも大きな存在になってしまったのだろう。揺らがない力を瞳に宿し、高みを目指し駆け上がっていくリゲルから、私はもう目を離せない。離したくない。
リゲルが、目を見開いた。同時に、自分の頬を伝う熱い滴に気づいた。変なの。私は悲しいことなど、何一つない。あるとすれば、胸を締め付けるたった一つの気持ちだけだ。
「リゲルが、帰ってきてくれて、よかった」
次の瞬間、私は腕をひかれ、やすやすと彼に抱きとめられていた。麻の薄い布地を通して、リゲルの体温が伝わってくる。レグルス山の時みたいな、切羽詰まった抱擁とは違う。優しく包みこむ腕は、まるで壊れ物を扱うかのように慎重で。
「リゲル、服、濡れちゃうから、」
「かまわない」
身を捩る私を封じ込めるように、リゲルの腕に若干の力がこもる。さらに体が密着して、私の心臓の音が彼に伝わってしまいそうなほどだ。
「ミア、好きだ」
心臓が跳ね上がった。
今、なんて言った?
そうか。緊張のあまり、ついに私は幻聴まで聞こえ始めたのだろう。そう納得しかけて、でもやはり耳元で響いた熱のこもる声は、間違いなくリゲルのものだったと思い返す。
「リゲル、あの? 」
「だめ。今、顔見られたら死ぬ」
私は顔をあげてリゲルの真意を図ろうとしたが、彼に頭を押さえて封じられてしまった。けれど、私は気づいてしまった。彼の鼓動もまた、ひどく高鳴っていた。
「俺は、もっと強くなる」決意を声にのせて、リゲルが続けた。「強くなって、どんな脅威だろうと、跳ね返すだけの力を持つ。何者だろうと、お前を傷つけることを許さない」
だから、と、リゲルは私の肩を掴んで離れた。精悍な顔を微かに赤く染めて、琥珀色の瞳が私を射抜く。覚悟を決めたように、リゲルが短く息を吸った。
「どこにも行くな。俺の側にいてくれ」
「そ、ば? 」
掠れた声で問い返すと、リゲルはぐっと口を引き結び、目を伏せた。
「……ミアは、その、俺じゃなくても引く手あまただろ。中には、俺よりよほど強い奴もいるかもしれない。けど、俺は、お前が他の奴のものになるなんて、耐えられないんだ」
辛そうな表情を浮かべて、リゲルが頭を振る。リゲルに反して、私は口元に笑みが浮かぶのを感じた。だって、そうでしょ。自分で言うのもなんだけど、自覚するずっと前から、気持ちが溢れて駄々漏れだったというのに。
――ほんと、バカなんだから。
「約束する。俺は、お前を必ず守る。だから……」
ふわりと、カーテンが舞い上がった。
永遠のような一瞬の中、私は身を乗り出し、唇でそっと彼の頬に触れた。穏やかな風にのり、夏の草木の香りが部屋を満たす。やがて、呆然と固まってしまったリゲルから、私はそっと離れた。
「あの夜の続き。これで、好きの意味、わかってくれた? 」
「お、まえ」
伸ばされた手が、私の頬に優しく触れる。その手に、私も手を重ねた。大きくて、暖かな手だ。剣を握りしめ、夢をつかみとる力強い手だ。
「はなれないわよ」私を映す琥珀色の瞳に、私は微笑んだ。「冒険者の成長を見守るのは、宿屋の専売特許。好きな人が相手なら、尚更よ」
「――やっぱ、お前には敵いそうもねぇな」
悔しそうに呟きながら、リゲルが笑みを漏らした。それから、頬に触れていた手で引き寄せられた。
「俺は、お前に惚れてばかりだ」
触れてしまいそうな距離で、リゲルの整った顔が甘く微笑む。想いが溢れ、こぼれ落ちたかのようなその表情は、私が初めて見る彼の顔で。
ばかじゃないの。そう、照れ隠しに答える前に、私の口は柔らかい感触で塞がれた。ああ、もう。言いたいことは、まだまだ山積みになのに。
私を庇う背中が、どれだけ頼もしかったかだとか。
冒険者として立ち向かう姿が、凛々しく、輝いて見えたとか。
勝利に沸く笑顔に、その隣にいたいと願ったこととか。
だけど、とりあえず今は。初めて奪われた唇に目が回りそうになりながら、私は瞳を閉じて、リゲルの背中に手を回したのだった。




