エピローグ
それから、私たちがどうなったのかって?
簡単に言ってしまえば、今までと目立って変わったところはない、と思う。
「それじゃ、納得できないわよ」
カウンター越しに、アンナがぐいと身を乗り出した。相も変わらず、今日も豊かなお胸である。ためしに突いたら怒るだろうか。
周囲の男どもの視線、ついでに私の視線まで釘付けにしておきながら、アンナはそれどころではないとばかりに腕を組んでくいと眉を釣り上げた。
「さぁ、吐きなさい。甘々でデレデレな報告がたくさんあるでしょう?! 」
「ないわよ、まったく。私に何を期待しているの」
不満気に唇を尖らせるアンナに、私は苦笑して首を振った。もうかれこれ、一時間は同じやりとりをしている気がする。
ちょうど今朝、冒険者ギルドが一つチェックアウトしていき、久しぶりに手が空いた。そこで暇つぶしにとザクの酒場に立ち寄ったところ、店番をしていたアンナにこうして捕まってしまったのである。
「大体、アンナも知っているでしょ。冒険でこっちに来る時以外、リゲルは王都にいるの。進展、したくたってできないわ」
「あ、ちょっと膨れてる。ミア、かーわいい」
自棄を混ぜて答えると、アンナは嬉しそうに体をくねらせた。そうよ、そういうのが聞きたいの、などと言いながら、頬をつんつんとつついてくる。やめれ。
冬で山に入れなくなるまでの期間、冒険者は大半の時間をミザルで過ごす。とはいえ、手に入れた魔導石を売ったり武器を手入れしたりと、なんのかんので王都にも用事があるのだ。だから、こうしてリゲルが王都に戻るのも、当然なわけで。
「あーぁ。素直に町の男を捕まえておけば、いつでも好きなときにいちゃラブできたのに。なんだって、遠距離なんてハードな相手を選んだんだか」
「……別に、いちゃラブしたくて、付き合ったわけじゃないし」
茶化して、やれやれとアンナが肩を竦めた。そう言われても、好きになった相手がリゲルだったのだから仕方ない。突っ伏していじけた私に、アンナがいたずらっぽくウィンクしながら耳打ちした。
「ね、今からでも、町の男の子紹介しよっか。ミアのこと諦めきれない男子、両手に収まりきらないくらい知っているよ? 」
「はいはい、結構ですー」
私が断るのを知っていて、アンナは最近こればっかり言う。大体、金髪碧眼のナイスバディで視線を独り占めしているのは、彼女の方ではないか。適当に相槌で流していると、「あ、」とアンナが何やら私の背後を見て声をあげた。
「どうかした? 」
「いいの、いいの。じゃあね。ごゆっくりー」
アンナはそう言って、なにやらそそくさと逃げていく。突然、どうしたというのだろう。ひらひらと手を振る友人の背中に首を傾げ、振り返ろうとしたその時、背後から手が回され、両目を覆われた。
「ひゃっ! 」
「なんだ、その色気のない声」
笑いを含んだ声に、慌てて振り返って手を引き剥がす。聞き間違えなんかじゃなかった。いたずらが成功して満足気に笑うリゲルの姿に、私は声が裏返りそうになった。
「何でいるの?! エーアガイツ団の遠征は、明日からのはずじゃあ……」
「向こうでの用事が切り上がったからさ、一日早く来たんだ。どうだ、驚いただろ? 」
驚いたもなにも、こっちは言葉が出てこない。なんたって、ついさっきまで会いたいと願っていた恋人が目の前にいるのだ。ちゃんと女将さんには泊めてもらうよう頼み済だぜ、と得意げに話す彼に、私はもはや目を白黒させるしかない。
「で、」眉根を寄せて、リゲルがジト目で睨んできた。「興味深い話をしていたな。まだ、お前のこと狙っているやつがなんだって? 」
聞こえていたのか! 通りで、アンナが逃げ出したわけだ。茶化すだけ茶化しておいて、さっさと逃げ出した親友を恨みつつ、心なしか黒いオーラを放つリゲルに私はぶんぶんと首を振った。
「冗談に決っているでしょ! アンナの性格知っているくせに」
「ふぅん」
まだ疑っているのか、リゲルは表情を緩めない。ややあって、何を思ったのかリゲルは素早く身を屈め、私の額に口付けた。
「な……! 」
「ま、だとしても、ぜってぇ手出しさせないけど」
私に逃げる隙も与えず、早業の如くキスを落としたリゲルは、獲物を追い詰める冒険者の表情でにやりと笑った。私はというと、もちろん一瞬で頭がショートした。というか、公共の場所でなんてことしてくれるんだ、この男は!
「あのねぇ! 」
「これくらいで慌てるなよ。行こうぜ」
怒る私に反して、リゲルはマイペースだ。ここでの用は済んだとばかりに、私に手を差し出して促してくる。リゲルは卑怯だ。そんな風に優しい目で微笑まれたら、私は文句の一つも言えなくなってしまうじゃないか。
やっぱり、何も変化がないなんてのは、嘘だったかなぁ。
半ばやけっぱちのようにそんなことを考えながら、私はリゲルの手を取った。
☆ ☆ ☆
前を行くリゲルに手を引かれ、私は青々とした木々の下を歩いていた。なだらかな砂利道の脇には、夏に咲く青の花が風に揺れて、とても綺麗だ。
やがて連れられたのは、リーベの丘だった。春には一面の白い花に覆われていたこの丘も、いまは緑一色である。見覚えのある道だから薄々と目的地には気づいていたけれど、ここに何かあるのだろうか。
「こっちだよ」
キョロキョロと周囲を見渡している私に、リゲルが笑いを含んだ声で呼びかける。リゲルが指し示したのは、丘のさらに先の方だ。
「お前、この先に行ったことある? 」
「ないわ」と、私は首を振った。「森に近づくのは、父さんに止められていたから」
「懸命だな。だから、これから行く所は、俺が一緒の時だけだぞ」
言い聞かせるように、リゲルが私の額を指で弾く。そして、私たちは丘の奥の細道を行った。ところどころ木の根っこで凸凹した場所はリゲルに支えてもらいながら、唐突の木々が割れて景色が開け、私は目をみはった。
「――ミザルの町が」
「偶然、この場所を見つけてさ。ミアにも見せたいって思っていたんだ」
私は、ただ景色に目を奪われて、頷くことしかできなかった。それは、とても美しい光景だった。崖の向こうに、ミザルの町が広がっており、太陽の光を受けて赤い屋根が色彩を放っていた。
「きれいだよな。山から戻ってくる時、こうして町が見える場所がいくつかあるんだ。木の向こうに赤い屋根が見えて、そうすると、帰ってきたんだってほっとする」
「冒険者の目には、ミザルの町はこういう風に見えているのね」
宿屋で帰りを迎えた際に、疲れを滲ませながらも、ほっと表情を緩める冒険者たちの姿を思い浮かべる。いうなれば、ミザルの町は冒険者にとって、シーズンの大半の時間を過ごす第二の故郷のようなものだ。
わたしたち宿屋も、冒険者にとって第二の家となれるよう、くつろぎ、安心してもらえるよう心を砕いている。それが、代々、レグルス山の麓を守ってきたミザルの町の生き方だから。
「初めての冒険の時から、この景色は好きだった。けど、お前を好きになってから、この景色はもっと重要で、大切な意味を持つようになった」
背後から抱きすくめられ、思わず私はびくりと肩を揺らした。背中から伝わる熱が、胸の奥をじんわりと満たしていく。
「ミア、誕生日おめでとう」
「覚えていてくれたんだ」
付き合う前に、ぽろっと話したことしかなかったのに。驚きを滲ませてそう返すと、「当たり前だろ」と、背中から離れて腕を組んだ。
「だから、無理をしてでも、今日来てくれたのね」
「そういうのは、気づかない振りをしろって」
頬をわずかに染めて、リゲルが不満気に口を尖らす。だって、前回の冒険で珍しい魔導石をいくつも手に入れたせいで、首都に戻ったらやることが目白押しだとぼやいていた。こうして早くミザルに来るには、さぞ忙しい思いをしたことだろう。
「リゲルに会えて、すごく嬉しい。きてくれて、ありがとう」
照れ隠しに首を擦るリゲルに、背伸びして頬に口付ける。私が満足して離れると、リゲルがびっくりしたように目を見開いていた。やがて、困ったように目を逸らした。
「お前……、それ、俺のこと煽っているって、気づいている? 」
「煽る? どのへんが? 」
「――だよなぁ。お前の無意識グセは、天然だよな」
何やら、リゲルから重々しい溜息が漏れる。やっぱり遊ばれているのかな、などとブツブツ言っているが、さっぱり何のことかわからない。
「私、あの町で待っているわ」
赤い屋根が連なる町を見下ろして、私はそう宣言した。
「リゲルがレグルス山で頂上を目指すなら、私は、あの町で一番の宿屋になる。なって、リゲルが安心して帰れる場所に、私がなるから」
「上等だ」
リゲルは目を細めると、天に向かって手をかざした。
「俺は、冒険者の頂上を取る! 」かざした手を握りしめ、リゲルの声に力がこもった。「そして、お前のもとに帰る。見てろよ。山も、お前のことも、俺は両方手に入れてやる」
「バカね。ほんと、欲張りなんだから」
くすりと笑うと、つられてリゲルも吹き出した。太陽に照らされたリゲルの笑顔はやっぱり眩しくて、いつまでも見ていたいなんて願ってしまった。
☆ ☆ ☆
レグルス山の麓、ミザルには、数多の冒険者を受け入れてきたミザル・ブルクという宿屋がある。そこが、私の家だ。
宿屋の仕事は、決して派手じゃない。シーズン中は連日連夜とまりにくる冒険者をもてなし、彼らが冒険の間に少しでも心を安らげるよう、心を砕く。その一つ一つは、美味しい食事を提供するとか、心地よい寝床を用意するとか、そんな些細なことだ。
年頃の娘が仕事一筋で、と母さんは嘆くけど、私はこの仕事が好きだ。冒険者の夢を間近で支え、その背中を見送り、帰りを出迎える。そのことが、私の誇りだ。
最近、私はこの仕事がもっと好きになった。
なぜって? それは、――恥ずかしいから秘密だ。
いけない、もうすぐ到着するはずだ。急いで支度をしよう。そして迎えよう。
誰よりも眩しく、誰よりも夢にまっすぐな、私の大切な駈け出しの冒険者を。
次回から、番外編として後日談を投下します。




