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お別れの時


 おかえり。


 私がそう呟いたとき、グラス同士がぶつかるような澄んだ音が響き、谷間を塞いでいた巨大な氷の壁が弾けた。それはきらきらと輝く光の欠片となり、私たちに降り注いだ。


「壁が……」

「そうだ! ルルは? 」


 リゲルに肩を貸して支えながら私が振りかえった時、私はそこに、竜の目の高さまで浮かび上がるルルの小さな体を見つけた。純白の竜と言えば、ユグド連峰一帯を治める一族がいると聞いたことがある。その白竜が、ルルに対して慄いていた。


“そんな、まさか……。だって、お前は……”

“お母さん。僕、ここにいるよ”


 次の瞬間、一際まばゆくルルの体が輝いたと思えば、そこにちょうどルルくらいの大きさの小さな竜が現れた。親と同じ真っ白な体に、まだあどけない顔付きをしたその子竜は、唖然とする母竜の顔に体を摺り寄せた。


“ああ……、ルルフェルド……! ”


 透き通るような美しい声が歓喜に震え、竜の目から大きな雫が零れ落ちた。


「……って、ええ?! 」

「お母さんって……」


 体を摺り寄せ再会を喜びあう2頭の竜を前に、私とリゲルが絶句する。目の前で当然のように変身したけれど、あのちっこい竜がルルであることがどうも受け入れられない。


「ていうか、なんでハルさんもアーサーさんも、そんな平静なんですか?! 」

「あはは。もしかしてそうなのかなーとは、思っていたから」

「はぁ?! 俺は聞いてないですよ! そんな話! 」

「お前が投げ飛ばされてから、俺とハルとで言ってたろうが。『あんたの探し人、俺たちが預かっているかもしれねぇ』って。まぁ、あっちも頭に血が上っていたのか、全然聞いちゃくれなかったがな」


 それを聞いて、リゲルが頭を抱えて呻いた。「あれは、そういう会話だったのか……」と声が漏れていたが、大方リゲルのことだから、必死すぎて二人の声を聞いている余裕がなかったに違いない。


「白銀の女王! 」


 そう声を張り上げ、ゼノ様が竜の前で跪いた。母竜が動きを止めて、大きな瞳でゼノ様を、そして後ろの私たちまでじっと見据える。


「私はゼノ・ステファノ。この国を統べる王を、父に持つ者です」


“……お前は、ルルフェルドと共に現れた人間だな”


「私はご子息の敵ではありません。そして、ここにいる者が皆、貴殿のもとにご子息をお返しするべく、力を尽くしてきたとご報告します」


 母竜が確認するようにルルをみやると、ルル(だった小さい竜)がこくりと頷く。


「ですが、」とゼノ様が続けた。「ご子息を攫ったのもまた、我々人間。私は一国の王子として、あなたに請う。どうか貴殿の怒りを私に託し、我らが恥、我々人間の手で始末をつけることをお許しねがえぬか」


ぴりりとした緊張が、谷底を満たした。その重苦しい沈黙に、私は思い出した。ミザル・ブルクで、アーサーさんが教えてくれたではないか。ルルを親元に帰せる時が来たとして、それもまた、勝負になると。


 ここで母竜が応と頷けば、私たちを信頼し、人間という種族に挽回の機会を与えるという意味だ。だが、否と答えれば。


 怖い。まるで、空気まで凍りついたようだ。思わず肩がふるりと震えた時、ルルがくるりと宙返りして、勢いよくこちらへ飛んできた。そして、私たちを庇うように、母竜との間にふわふわと浮いた。


“お願い。この人たちを、怒らないで”

“ルルフェルド。攫われたお前が、人間の肩を持つというの”


 琴の音のような美しい声に、非難の色が混じる。だけどルルは、臆することなく細い首をふるふると横に振った。


「人間こわい。だけど、ミア、好き。ミア、助けてくれた」

「うわっ、ルル?! 」

「うぉ?! 」


 一瞬で人間の美少年に戻ったルルに腕を掴まれ、私とリゲルの体が浮かび上がった。突然のことに慌てる私たちを連れたまま、ルルが母竜に向かって懸命に訴える。


「ミア。リゲル。アーサー。ハル。みんな、助けてくれた。みんな、好き。みんな、悲しむの、見たくない。おねがい」


 その言葉に、母竜が私とリゲルをじっと見つめた。心の奥底まで見透かすような深い海の色の瞳に、つい怯んでしまいそうになる。だけど、目を逸らすつもりはなかった。だって、ルルと過ごした時間は、本当に楽しかったのだから。


 やがて、諦めたようにその瞳が閉じられた。


“人間の王子”


 目を閉じたまま、澄んだ声がゼノ様に呼びかける。そこに、溜息のようなものが混じっていたのは、聞き間違えではないだろう。


“ルルフェルドの匂いを追ってこの地に降り立った時、この子の魔力を感じることができなかった。そのため息子の死を確信し、そこの人間たちと牙を交えることとなった。そのカラクリは、どう説明する”


「原因は、この首輪でしょう」


 そういいながらゼノ様が取り出したのは、転移する直前にゼノ様が外した制魔の輪だ。


「この首輪は、ご子息の魔力を幾分か封じていた。ご子息を攫った者たちがはめたものだが、人の里で保護する以上、それを取ることはできなかった。そのために、再会を遅らせることとなろうとは……、申し訳ない」


“それを、ここへ”


「はっ」


 言われた通り、ゼノ様が母竜の足元に置き、下がった。ゼノ様が離れたのを見計らって、母竜が細く口を開く。その瞬間、氷の刃がどこからともなく現れ、地面に置かれた首輪を真っ二つにした。


 一瞬で無残な布きれと化した首輪の惨状に、思わず見ていた私たちの表情が引き攣る。だけど、母竜は興味を無くしたようにそれを見ようともせず、とても穏やかな様子で夜空を仰いだ。


“帰りましょう、ルルフェルド。これ以上、人の里に用はありません”


 その言葉に、ゼノ様が深く頭を垂れる。


 谷底が白く輝き、青白い光の玉がふわりと浮かび上がった。いくつもの光の玉が私たちの間をふわふわと上に登っていき、傷ついた大地を、冒険者を癒していく。


「ミア。リゲル。ありがとう」


 ルルが華奢な腕いっぱいの力で、私とリゲルに抱きついてきた。柔らかな髪を撫でると、急にこれがお別れなのだと実感が訪れる。ルルが無事お母さんの下に帰れるのは嬉しいことだというのに、鼻の奥がつんと痛んだ。


「また、会えるかしら? 」

「うん。僕、会いにくる。ぜったい、また」


 母竜が、ルルの名前を呼んだ。ルルはひらりと体を翻すと、本来の子竜に戻って母親のもとに飛んでいった。


 柔らかく輝く無数の光の玉が満たす谷底に、親子の白竜が仲睦まじく寄り添う。それはまるで、かつて絵本に描かれていたような、神々しくも温かい、優しい竜の姿そのものだった。


“人間の子供たち”


 ふいに呼びかけられて戸惑う私とリゲルに、母竜が目を細めた。慈愛に満ちたまなざしが、青白い光に飲み込まれていく。薄れていくルルの姿に思わず手を伸ばした私に、母竜は確かに微笑んだ気がした。


“ありがとう”


 その言葉が耳に残るうちに、母竜とルルの姿は消えてしまった。


 こうして、静寂の盗人がミザルに現れてから続いていた一連の騒動は、私たちとルルの別れという形で幕を下ろした。



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