希望のバトン
「――剣よ、力を喰らえ! 」
低い、それでいて凛とした声が響き、青白く透き通る氷の水晶が稲妻の檻を呑み込んだ。その水晶が砕けるとともに、稲妻の方も霧散した。
信じられない思いで目を見張る私の視界に、胸に王家の紋章があしらわれた装束に濃紺のマントを身にまとう冷ややかな麗人が映る。
驚愕に顔を染めるアレクが息を呑んだ。
「第三王子だと?! 」
「総員、ボルガンを捕らえよ」
ゼノ様が手を掲げると同時に、後ろに控える騎士たちが一斉にボルガンに襲いかかる。傭兵たちが地面に組み敷かれて行く中、ゼノ様は悠然と呆気にとられる私たちのもとへ歩いてきた。
「娘、怪我はないか? 」
「ええ……。 けど、ゼノ様がなぜここに? 」
「それはこちらの台詞だ。件の者の側にいるとは聞いていたが、まさか共に逃げているとはな」
呆れた口調のくせに、何か面白いものを観察するようにゼノ様がまじまじと私を見つめる。その隣で、一人の騎士がこほんと咳をした。思いっきり騎士装束をまとっているから一瞬わからなかったけれど、ディートハルトさんだ。
「エーアガイツ団が山に入ると報告を受け、我々もミザルへの道を急いだのだ。町についてすぐゼノ様が異変に気づかれ事に当たったが、正直、ボルガンを掴まえられる確率は五割に満たなかったことでしょう」
「お前が機転を利かせ、逃げて時間を稼いでなければ、彼の者をボルガンに奪われていただろう。娘、いや、ミア・ノーム。お前の勇気を称え、感謝する。ありがとう」
そういって、ゼノ様が表情を緩めた。それだけで、雪解けにより春が訪れたかのような錯覚を覚える。だけどゼノ様はすぐに笑みを消し、そっと私をどけてアレクに向き合った。アレクもまた静かにゼノ様の視線を受け止め、ピリッとした緊張感がその場を満たす。
「さて、ボルガンよ。我が国内で、随分と好き勝手動いてくれた。どんな裁きをも、受け入れる覚悟であろうな」
「……最後の希望を失った今、捨てるものなど何もないさ」
アレクから、ぎりりと奥歯を噛みしめる音がした。それに気づいたボルガンの面々が、暴れるのをやめて項垂れる。その様を、ゼノ様は静かに見下ろした。
「モンスターの足跡を追ううちに、同じ足跡をボルガンが辿っていると掴み、アマルノの内紛との繋がりに気づけた。モンスターを密猟者に捕らえさせたのは、王太子派だ。だが賊に奪われ、その隙に王弟派であるお前達が手を伸ばした。そうだな? 」
答えあわせをするように、ゼノ様がアレクに問う。だけど何の反応も示さないアレクに焦れて、思わず私は叫んでしまった。
「ボルガンがルルを求めたのは、内乱を防ぐためです! 」
「……ほう? 」
無礼を承知で口を挟んだのに、ゼノ様は先を促すように私に顔を向けた。その奥で、ディートハルトさんが相変わらず渋い顔をしている。お叱りなら、後でいくら受けてもいい。私は一礼してから、ミザル・ブルクでアレクが語ったことをゼノ様に伝えた。
「ルルを道具として扱おうとしたのは許せません。だけど、民を、家族を守ろうとしたこの人たちの想いは、過ちだとは思えないんです」
「君を懐柔するための嘘かもしれない。それでも君は、彼らを信じるのか? 」
一瞬怯んだ私の手に、ルルの小さな手が重ねられた。ルルを見ると、私を励ますように頷いていた。私はそれに応えて、ゼノ様をまっすぐ見据えた。
「はい」
「いいだろう」
ゼノ様は短く答えると、アレクを押さえつけていた部下を下がらせた。戸惑う私たちの前で、ゼノ様はアレクに告げた。
「ボルガンのリーダー、アレク。今この時より、お前たちを亡命者として扱う。我が国は血を流すことなく、アマルノの両陣営の武力構造を解体すると約束しよう」
「そんなことが、……可能なのか? 」
「俺がこの数日間、ただ遊んでいたとでも? 切れるカードはいくらでもある。交渉に引きずり出すことなど、造作も無い」
そう言ってゼノ様は胸元に施された王家の紋章に拳を重ね、誓いの姿勢を取った。
「そのモンスターを、最後の希望といったな。その希望とやら、俺が引き継ごう」
ゼノ様を見るアレクの瞳に、強い光が宿った。誰からともなく、傭兵たちから勝利の声が漏れだす。私はそれを見て、彼らが救われたのだと理解した。
もちろん、アマルノ国が真の意味で危機を脱するにはまだ時間がかかるだろう。けれど、ボルガンは賭けに勝った。これでもう、多くの人の血が無駄に流されることはない。最悪の事態は、回避されたんだ。
「アマルノ国を頼む! 」と、掠れた声でアレクが頭を下げた。「お嬢ちゃんにも、なんと礼を言えばいいのか……。お前さんが、道を開いてくれた」
「礼だなんて。私は、ルルもアマルノも救われて欲しかっただけよ」
窓から飛び降りた時、私はただ無我夢中だった。ルルを逃して、それが済んだらアマルノを救う方法を考える。自分でも笑ってしまうくらい、なんて無謀で無計画な賭けだろう。これも全部、あの馬鹿にあてられた結果かしら。
ふと笑みが漏れた時、風が唸りをあげて私たちの間を駆け抜けた。獣のような轟が、レグルス山の方から響く。吹雪を手でよけながら、ゼノ様が顔をしかめた。
「まずいな。思ったより、限界が近づいている」
「限界? 限界って、どういうことですか? 」
「山から溢れ出る魔力が、ますます強まっているということだ。このままでは冒険者は凍りつき、山諸共、永久の冬に呑まれるだろう」
「そんな……」
絶句して、私はレグルス山を仰ぎみた。風が強まったせいで、山は辛うじて裾野の影を捕らえることができるくらいだ。あの中にまだ、リゲル達がいるのだと思うとぞっとした。
「なんとかなりませんか?! 」
「なる」
詰め寄った私に、あっさりとディートハルトさんが頷いた。私が拍子抜けしていると、ゼノ様は小さく吹き出した。
「何を呆けている。救いの鍵を守ったのは、君だぞ」
「「え? 」」
声が重なり、私とルルは顔を見合わせた。ゼノ様はゆっくりと近づき、腰を落としてルルと視線を合わせた。ルルはというと助けてくれたという認識はあるためか、私にしがみつきつつも逃げずに踏みとどまっている。
ゼノ様の手がルルの首輪にそっと触れた途端、首輪全体が淡い輝きを放った。すると、かちりと音がして首輪がふたつに割れて、ルルの細い首を解放した。
「この者の正体だが、レグルス山の状況を見て確証に変わった。首輪が枷になっていたようだが、これで聴こえるだろう。お前を焦がれる、家族の声が」
「おかあ……さん? 」
みるみるうちにルルの全身を光が包み込み、細い体がふわりと宙に浮かんだ。私が驚いて手をのばすと、ルルは喜びに目を輝かせながら私の手を掴んだ。すると私の足も地を離れ、全身を暖かな光が満たすのを感じた。
「ミア、ぼく、帰る場所みつけた。おかあさん、来た! 」




