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ふたつにひとつ



 ここにいるはずのない人物の登場に、私たちは混乱を隠せなかった。わずかに乱れた着衣を正すアレクは、ザクの酒場で衛兵たちに連れて行かれた時と同じ姿だ。


「どうして? あなたは捕まったはずじゃ……」

「捕まったよ。そして、出てきたのさ」

「動くな! 」


 何気なく足を踏み出したアレクに、衛兵が剣を向ける。アレクはそれを、つまらないものを見るように目を細めた。まったく怯むことなく薄く笑い、その目がルルを捉える。まずい、と思った時にはもう遅かった。


「命令だ。衛兵さんたちに眠っていただけ」

「めい、れい」


 制魔の輪に嵌められた石が鈍く光り、ルルの体が硬直した。次の瞬間、目にもとまらぬ早さでルルの小さな体が宙を飛んだ。気がついた時には、私たちの前に立っていた衛兵が全員床に崩れ落ちていた。


「ルル……! そんな!」

「殺しちゃいないよ。お隣の国相手に、そこまで手荒なことはしなくないからね」


 穏やかに笑いながらも、アレクの目は全く笑っていない。ルルはというと、まだアレクの“命令”が抜けないのか、光を失った目のままアレクの隣に無表情に浮いている。迂闊だった。あの首輪がある以上、ルルは人間の“命令”に逆らえないんだ。


 なんて卑怯な。ルルを操っていた盗人集団と同じで、ルルの意思とは関係なく、人間の都合がいいように使い倒す。そんなの、許せるわけがない。相手が腕の立つ傭兵であることも忘れて、私はアレクを睨み付けた。


「今すぐ、ルルを離しなさい。こんなことして、ただじゃ済まないわよ」

「威勢のいいお嬢ちゃんだ。嫌いじゃないぜ、そういう女は。だが、」


 言いながら、アレクの足が私の脇腹を掠めて、背後の壁を蹴りつけた。だんっと大きな音が響いて、思わず身を竦ませてしまう。


「――わかったかい。俺は傭兵だ。お嬢ちゃんが敵う相手じゃない」

「……だからといって、ルルを見捨てられるわけがないわ」

「おやめ。留守中にあんたが怪我でもしたら、エーアガイツ団の恥になる」

「母さん! 」


 有無をいわさぬ口調の母さんに肩を引かれ、それでも諦めきれずルルを見た。ルルは命令の呪縛にかかったまま、視線の定まらぬ顔でふわふわと浮いている。どうにかして、ルルを正気に戻す事ができないかしら。


 私が口を閉ざしたことで、肩を掴む手を緩めながら母さんがアレクに呼びかけた。


「ひとつ答えな。どうにも今晩の行動は、傭兵として名高いボルガンにふさわしくないように思える。ここまで騒ぎが大きくすれば、当然、雇い主――アマルノ時期国王に非が向く。それは雇い主の信頼を重視する傭兵が、最も避けたいことじゃないのかい? 」


 アレクの頬がぴくりと動く。ややあって、彼は短く笑いを漏らした。


「ああ、そうだ。俺達は今夜、傭兵としてではなく、個人としてここにいるのさ」


 そういって何処か遠くを見つめるアレクに、再び私の頭に違和感が浮かび上がる。目つきも鋭い、身のこなしも隙がない、私がどう足掻いても裏をかくことなどできない。それなのに、アレクは怖くないのだ。私たちを傷つける意思はないと、はっきり全身が告げているのだ。


「俺の国の、アマルノの話をしよう。知っての通り、今や国内は真っ二つ。どっちも傭兵を囲い込んで火種ばかりが膨れ上がり、もう後には引けない状況だ。この先にあるのはなんだ? ほんの僅かなきっかけがあれば、アマルノは焦土と化すだろう 」


 それでも、とアレクは吐き捨てた。「争いの超本人達や俺達が死ぬ分にはどうでもいい。俺達は傭兵だ、それぐらいの覚悟は出来ている。だけど、戦争で最も命を落とすのが誰か知っているかい? それは何でもない、そう、お嬢ちゃんみたいな普通の人間だ」

「……それが、ルルがいれば変えられるの? 」


 自分について話されているのがわかったのか、ルルの目が私を向く。目があった一瞬、その目に生気が戻りそうな気配があったが、アレクが黒き石に触れぬよう首輪を撫でたことで、すぐに元の無感動な表情に戻ってしまった。


「静寂の盗人。隣国を騒がす名前を耳にした時、すぐに人ではないと勘が働いた。裏に通じるギルドが魔物を買い付けたが、賊に奪われたという噂もあった」


切り札となり得るモンスターが巡り巡って盗人として利用されていると知った時、アレクは雇い主を説得した。噂が本当なら、静寂の盗人は相当高レベルのモンスターだ。手に入れれば、相手との戦力差を格段に広げることができると。


雇い主は二つ返事で了承した。モンスターを手に入れれば敵方を一掃できると大喜びだったが、重要なのはそこではない。


アマルノで二つの勢力が一発触発の緊迫状態となっているのは、両者の力が拮抗しているからだ。では、そのバランスが片方に傾いたらどうなるか。圧倒的な力量差は戦意すら削ぐ抑止力となり、それでも敵方が負け戦に乗り出そうとも、勝敗は一瞬で決し民間人の被害は最小限に止めることができる。


「だけど、あんた達が手に入れる前に、エーアガイツ団がその子を保護してしまった。当然、雇い主は国際問題を避けるためにルルを諦めたんじゃないのかい」

「諦めたさ。だから、それからは俺達の独断だ。この一件で、ボルガンの信用は地に堕ちる。事が済んだならば、独断による暴走として全ての泥をも被ろう。だが、この戦争を回避する、それだけは……!」


 傷の走る顔に隠された、燃えるように強い意志に、私は気圧された。


 どうしよう。私は、どうすればいい?

 おそらく、アレク以外のボルガンは他の衛兵を片付け、ミザルから逃げる道を開いている。それが整い次第、アレクはルルを連れてアマルノ国へと逃れてしまうだろう。


 私は、ルルをミザル・ブルクに置くと決めた時、あの子を守ると心に決めた。だけどアレクの話を聞いて、助けてあげたい、力になりたいとも思った。

 ルルが人間の都合で利用されるのは避けたい。だけど、ルルという武器を得なくては、アマルノ国で多くの罪なき血が流されてしまう。二つに一つの、無情な選択。


 こんな時、どうすれば―――。


“俺は、俺のやり方で大切なものを守るって決めたんだよ”


 ふと、リゲルの言葉が脳裏に蘇った。閃光の剣士と謳われ、まっすぐな剣で道を切り拓くリゲルなら、どちらを選ぶだろう。そこまで考えて、頭に引っかかった。リゲルはどっちか選んだりしない。両方つかみとりに行くはずだ。


「リーダー! 馬の準備が出来たぞ! 」

「ああ。ごくろうさん」


 扉越しに呼びかけられたアレクが、頷いて背を向ける。その手がルルの首輪に触れようとした時、私は窓に駆け寄り叫んだ。


「ルル! 」


 声に反応したルルの瞳が見開かれる。つられて振り返ったアレクもまた絶句した。なぜなら私が窓を大きく開け放ち、窓枠に足を掛け、体を半分外に乗り出していたからだ。暖かな室内に冷たい外気が流れ込み、私を見つめるアレクの表情が険しくなった。


「何の真似だい、お嬢ちゃん」

「私が危ない目に合うのが嫌って、言ってくれたわよね」


 無表情の下に隠されたルルの素顔に向けて、なびく髪を押さえながら私は必死に呼びかけた。小さな体が、正気と服従の間で揺れ動くのがわかる。もうひと押しだ。雪が頬や瞼にあたって冷たくてしょうがないが、かまっていられない。


「私もルルが危険な目にあうのは嫌。ルルも、そうならないって約束したでしょう? だから、こっちにおいで、ルル! 」


 悲鳴をあげたのは、部屋にいた誰だったのか。

 窓枠に掛けた足を軽く蹴り、雪が降りしきる暗闇の中に私は身を躍らせた。



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