雪の日
窓の外に舞う雪が、ぼんやりと庭を白く浮かび上がらせる。それを眺めながら、私は暖房器具に赤き石を入れて、火箸で軽くたたいた。途端に赤き石は柔らかく輝き、オレンジの火をともした。じんわりと部屋の温度があがり、窓が白く曇った。
パチパチと心地よい音を響かせるストーブの火に、私の後をついて回っていたルルが興味津々に目を輝かせた。
「あたたかい」
「これはストーブっていうの。火に触るのはダメよ。火傷をするからね」
今にも赤き石に手を伸ばしてしまいそうなルルに釘をさし、石を入れるための戸を閉めた。
緊急招集によりエーアガイツ団のみなさんが駐屯所に出かけていった隙に、母さんと私は手分けして館内に暖房設備を引っ張り出し、冬支度を整えていた。生まれてこの方、真夏にストーブに触れるなんて思わなかったけど、寒いんだから仕方ない。
外の雪は深さを増すばかりだ。立ち上がって窓を布でこすると、降りしきる雪の向こうにうっすらとレグルス山の影が見える。よく見るとその中腹に、ぐるぐると渦巻く雲がある。
アーサーさんは、それが魔力の渦だと言った。私には奇妙な形をした雲にしか見えないけど、それをみたルルは震え上がって私の後ろに隠れてしまったから、良くないものであるのはわかる。
「緊急収集、か……」
「ミア? だいじょうぶ? 」
幼かった頃の記憶が揺り起こされ、無意識に言葉がこぼれた。そんな私を、ルルが気遣わしげに見上げる。不安そうなルルを安心させようと、私は彼の柔らかな髪を撫でた。
「少し、昔のことを思い出しただけよ。ありがとう」
その時、エントランスホールに大勢の人間が入ってくる気配がした。戻ってきた。手早く火箸をしまいホールに向かうと、外套を脱ぐアーサーさんたちがいた。
彼らの引き締まった表情を見ただけで理解した。エーアガイツ団はレグルス山に登る。山に起きた異変を探るために。
あの夜と同じだ。
「まぁ、あれだ」と、アーサーさんが私を見て頭を掻く。
「明日の早朝、出発することになった。今後の流れを説明したい。ミア坊、ノエルたちを集めてくれねーか? 」
「わかっています」
みんなを、呼ばなくちゃ。
足がすくむ心地を振り払い、私は母さんたちを呼ぶために踵を返した。
☆ ☆ ☆
父さんが命を落とした日も、季節外れの雪が降った。
秋も暮れの頃、といっても、まだまだ紅葉が残る時期にちらついた雪を、のんきにも私は喜びはしゃいでいた。家の手伝いはもっと小さい頃からしていたし、自分では十分に大きくなったつもりだったけど、私はまだ子供だったのだ。
その証拠に、父さんは早すぎる雪に表情を曇らせていた。
大人たちの不吉な予感は当たった。早すぎる雪にモンスターが山を下り、とある渓谷で冒険者と激しい戦闘が起きた。運が悪いことに、その衝撃で崖が崩れ、商業ギルドと付添っていた攻略ギルドが降りられなくなった。
落石による負傷者は多数、事態は一刻を争い、すぐに衛兵を中心に救出隊が組まれた。それに、アーサーさんやハルさんみたいにミザルにいた冒険者、そして、父さんたち町の人間が加わった。
何も怖いことはないと信じていた。冒険者も衛兵もいるのだし、父さんは元冒険者だ。それよりも、動けなくなったギルドを救うため山に入っていく背中が、正義の味方みたいで誇らしかった。だけど、それが生きている父さんをみた最期になってしまった。
眠れない。ベッドに身を横たえたまま、暗闇の中で私は目を開いた。目を閉じると、どうも余計なことを考えてしまう。諦めて、私は枕脇に畳んでおいたショールをはおり、そっと部屋を抜け出した。
早朝の出発に備えて宿はすっかり寝静まっており、窓の外の雪だけがしんしんと降り積もる。とてつもなく、静かだ。まるで、体の芯まで冷え切ってしまうような。
「ミア? 」
てっきり誰もいないものと思っていた私は、背後から呼びかけられ飛び上がった。振り向くと、寒さに両腕をさするリゲルがいた。
「リゲル! 何しているのよ、早く寝ないと明日に響くわよ? 」
「喉が渇いて、水飲んできた帰りだよ。お前こそ、こんな時間に何してんの? 」
「私は……」
寝つけなくて。そう返そうとした私に、リゲルの手が伸びた。そして、肩から落ちそうになっていたショールを私に掛け直してくれた。「風邪、引いたらまずいからな」と、言い訳のように添える彼に、こんな時なのに笑いがこぼれてしまう。
薄地のラフな上下を着ているリゲルは、当然ながらレイピアを帯刀してはいない。寝るときは外すよね、と当たり前の感想を抱きつつ、数時間後には彼もまたレグルス山に行ってしまうという事実が胸を締め付けた。
「もしかして、親父さんのこと思い出していた? 」
的確に言い当てられた驚きが顔に出ていたのだろう。リゲルは軽く肩をすくめた。
「昔のこと、おっさんたちに聞いたんだ。勝手にごめん」
「別に構わないわ。それに、当たっているもの」
両手でショールをぎゅっと握りしめ、私は身を縮こまらせた。そうすれば、少しでも心が揺らぐのを止められる気がしたのだ。
「昔のこと、思い出していたわ。明日の朝、皆さんを送り出すのが怖い。これが最後になったらどうしようって、それだけが頭から離れないの」
「昔と今とでは、決定的に違うことがあるぜ? 」
違うこと? 先を促す私に、リゲルはあっけらかんと自分を親指で指し、屈託無く笑った。
「俺がいる。魔導石の暴走だかなんだか知らねーけど、この俺がいるからには誰も死なせない。傷つかせない。むしろ、」
呆気にとられる私を指差し、リゲルは続けた。
「衛兵の護衛がつくとはいえ、ルルは残るは、ミアは無茶をするはでミザル・ブルクの方がよほど心配だぜ? 」
「失礼ね! 私だって留守をまかされるくらいどうてことないわ 」
「どうだか。なんせお前は、ピンチに陥る天才だ。仕方ないから、さっさと解決して、さっさと戻ってきてやるよ。だから、ミアは俺たちを信じて帰りを待っていろ。それが、看板娘の誇りだろ? 」
ああ、リゲルは私を励ましてくれているのだ。それも、すごく彼らしい形で。おかしくて、笑いが込み上げた。
「あんた」私は息も絶え絶えに、目尻に滲んだ涙をぬぐった。「馬鹿じゃないの? どこから来るのよ、その自信は」
「いいだろ。俺は、俺のやり方で大切なものを守るって決めたんだよ」
何よ、それ。めちゃくちゃだ。根拠もなければ保障もない。やっぱり、リゲルはリゲルだ。自信家で、努力家で、負けず嫌いで、男前で、子供みたいで。そばにいるとなぜか惹きつけられる、眩しくてかっこいい駆け出しの冒険者。
「好きよ、リゲルのそういうところ」
「――は? 」
「大好き」
遠回りをしてしまったけど、ようやく答えを見つけた。私の好きは、リゲルだ。馬鹿みたいに前向きなリゲルが好きだ。すごく強いくせに、貪欲に高みを目指すリゲルが好きだ。がさつなようで、ほんとは優しいリゲルが大好きだ。
リゲルは困ったような、途方にくれたような顔をして髪を掻き上げた。戸惑いつつ私を見つめる瞳は、暗闇の中揺れている。
「その、好きってどういう意味? 」
「どういう意味って? 」
「深い意味がないなら、そう言って。じゃないと、勘違いしちまいそうだ」
そういって目を逸らしたリゲルの頬には、赤みが挿していた。それだけで、一気に私の頭も沸騰した。やってしまった。また、やってしまった。どうしてこう、私は堪え性がないのだろう。なんでまた、いきなり「好き」とか言っているのだろう。
「リゲル、あの! 」
「待て! その先は、戻ってから聞く! 」
鋭く手を突き出して制止され、私は慌てて言葉を飲み込んだ。2、3回深呼吸を重ねてから、リゲルが恨めし気に私を睨んだ。
「その先を聞いたら、どっちにしろ山に行きたくなりそうだ」
「……あんたこそ、それってどういう意味よ」
「さぁな。やたらと人を振り回す女には、教えてやんねぇよ。――そろそろ寝ようぜ。いい加減、明日に響く。どうせミアの方が、早く起きるんだろ? 」
言葉づかいはぶっきらぼうなのに、そう言って私の頭に重ねられた手は優しかった。ぽんぽんと軽い調子で私の頭を叩き、リゲルの手が離れる。いってしまう。息苦しいような胸の痛みに、私は彼の背中に呼びかけた。
「絶対、戻ってきなさいよ! 」
返事の代わりに、リゲルは後ろ手に握りこぶしを掲げてみせた。
翌朝、衛兵とエーアガイツ団を含めたいくつかの攻略ギルドたちは、レグルス山の異変を収めるために、山に向け出発した。
彼らの足跡を、降り積もる雪がすぐに覆い隠していった。




