クリーンヒット
食事と睡眠をたっぷりとって、ルルは元気を取り戻しつつあった。始め頃は病的に白かった肌もほんのりと赤みをさし、細いのは相変わらずでもずっと健康にみえた。幼い顔に時折浮かんでいた警戒の色も、大分弱まっている。
肝心なルルの身元調査の方は、第3王子であり軍司令であるゼノ様が動いていると王都から通達がきた。
ゼノ様からエーアガイツ団に届いた指令は一つだけ、「少年を保護したままミザル・ブルクに待機」。要は、こっちで調べるから大人しく待っていろということだ。
ゼノ様は辺境まで自ら馬を走らせる行動派として騎士たちから信頼が厚いし、不正や虚偽を許さない氷の皇帝が動いたならこれほど頼もしいことはない。その一方で、王子がわざわざ動くなんて、改めて事態の大きさを知る。
「ルルって、本当に凄い存在なのね」
「すごい? 僕はふつう、すごくない」
ため息交じりに漏れた感想に、図鑑に見入っていたルルが顔を上げた。
彼はこうして、絨毯の上にぺたりと座って図鑑を読んでいるのが日中の過ごし方になっていた。特にお気に入りは父さんの書斎にあった植物やモンスターの図鑑で、レグルス山固有のものなど見つけると嬉しそうに目を輝かせる。
あくまで自分は普通だと主張するルルは、大きな瞳を瞬かせてきょとんとしている。その仕草が可愛くて私が身悶えていると、武具の手入れをしていたリゲルが呆れたように目を細めた。
「お前、そいつが取扱注意のモンスターだってこと覚えてる? 」
「……にらまれる、やだ」
「ちょっと、ルルをそんな目でみないでよ。かわいそうに」
リゲルの視線を逃れるようにすすすっと身を寄せてきたルルを、抱きしめて庇う。これぞ母性本能、かわいいは正義。それを見て、リゲルはますます口をへの字に曲げた。
「あのなぁ。妙になつかれているみたいだけど、そいつが何のモンスターでどっからきたか、そいつから聞き出せたのか? 」
「うっ」
そこを指摘されるとつらい。
光栄なことに、ルルがこうして体を触れられることを許すのは私だけだ。他の人間が触れようとすると警戒して飛びのいてしまう。まるで懐かない猫みたいだ。
だけどルルは、私に対してすら自分の身の内を明かそうとはしない。尋ねても困った顔をするだけだ。ルルの身に起こったことを思えば無理もない話だが、完璧には信用しきれないんだろうなと悲しくなる。
私が言い淀んでいると、それみたことかとリゲルが鼻をならす。
「ほらな。お互いまだ知らないことが多すぎる。だいたいお前、身の安全ってものを考えて行動しろよ。毎度ご丁寧に目の前でピンチに陥りやがって」
「反省しているわよ! ……ちょっと、無防備だったかなーって」
「今も同じだ。初っ端こいつに飛び掛かられたの、忘れたとは言わせねぇぞ」
ぐさり。的確に痛いところを突かれ、おのずと表情が渋くなる。だけど、腕の中からルルがじっと私を見上げてきっぱりと言った。
「僕、ミア傷つけない。ミア、怪我しない」
「制魔の輪がついている間は、そりゃ出来ないだろうよ。だけどな、」
そうじゃない、とルルは首を振った。柔らかな栗色の髪が、動きに合わせてふわふわと揺れる。
「人間、こわい。でも、ミア優しい。僕、ミア好き」
そういって、ルルはふにゃりと笑った。美少年の預けきった微笑むを間近で受け止めた私は、すっかり心臓を射抜かれた。叫ばなかっただけ、褒めてほしい。たまらず私はルルをぎゅっと抱きしめて、柔らかい髪に顔をうずめる。
「あああ、ルルずっとここにいていいよ! うちの子になろう! 」
「ミア、くるしい。嬉しいけど、くるし、いい匂い」
「お・ま・え!! 」
がちゃがちゃと武具が床に落ちる音がして、顔をひきつらせたリゲルが勢いよく立ち上がった。そのまま大股に近寄ると、いきなりルルの首根っこを掴む。
「もう理由なんざどーでもいい! 今すぐ離れろ! この野郎、あざとく攻めやがって! 」
「こわい、やだ、ミア 」
びっくりしたルルはますます私にしがみつくし、リゲルはなんとしてもルルを引きはがそうとするし、大騒ぎだ。おまけに、むきになったリゲルにのしかかられ、私は硬直した。盗人騒ぎですっかり忘れていたけど、背中むずむず病はまだ治っていなかった!
「ちょ、リゲルやだ、離れて……離れなさい、バカ!! 」
夢中でその辺にあった図鑑を手に取り、よく確認せず突き出す。結果、リゲルの顔面にクリーンヒットした。転げ落ちたリゲルは冒険者にあるまじき様相で地面にうずくまったけど、たぶん角は当たってないはず。
「と、とにかく、ルルは悪い子じゃないから! そこだけはよろしく」
その隙に私はルルを降ろして先を促し、すたこらさっさと逃げ出した。リゲルから返事がないのがちらりと心配ではあったけど、私は私で紅潮した顔を見られまいと必死だ。
その後、風のうわさで、広間で膝を抱えて項垂れるリゲルを見たとか見なかったとか聞いたけど、定かではない。




