雲長さん、離婚と義兄弟の誓いの危機です!!※
翌日、琉璃は美玲に勧められた淡い色の衣をまとい、美玲に先導され屋敷で主に客人をもてなす場所……あずまやに向かう。
そこには、豪快に茶菓子を食べていた益徳と、嗜める元直の横に、一人の凄絶なまでの迫力のある絶世の美女が腰を下ろしていた。
微笑み、首を傾げて見せるが、上品な色を用いた衣装は何故か殆ど刺繍がなく、髪飾りも過去に見た時には幾つもの宝玉が散りばめられていたと言うのに、琉璃が臥竜崗に置いてきた装飾よりも劣る質素さである。
「彩霞様……」
彩霞……李彩霞と現在呼ばれている彼女は、雲長の妻である。
過去の仮の名を貂蝉と言い、黄巾賊の乱の後、董仲穎と呂奉先の諍いを作り上げ、『美女連環の計』を王子師(ー允ー)と共に果たした女傑である。
今でも、悪女、傾城傾国の美女とも呼ばれるが、生きる為に利用出来るもの……女の身では顔と体……そして、知恵と演技力を使い二人を自滅に追い込んだ。
それは、全く後悔していないし、逆に誇りでもある。
したたかさと演技力、賢さがなくては生きていけない世だったのだ。
昔そういうことを、はっきりきっぱりと人の前で言い切った彩霞を、玄徳の正妻の甘氏絳樹と側室の糜氏淑玲は嘲り見下した。
しかし、琉璃は自分を一人の人間と認め、可愛がるだけでなく、『強くなり周囲の言葉をはねのけられる強い人間になりなさい』と、何度も言い聞かせてくれた彩霞を心の母と慕っていた。
「ようこそ、彩霞様!! 久しぶりにお会いできて嬉しいですわ!! 」
美玲はニッコリと笑うと、琉璃に手招きをし、自分の横に座らせる。
ちなみに琉璃の装いは、美玲が着せた美玲のお古の女物の衣姿である。
「大きくなったのね、琉璃と呼ばれているのでしょう? 素敵な名前ね。このようなところと言うのは残念だけれど……貴方が大きくなって、大事な家族を見つけて幸せに暮らしていたと元直様や益徳殿に聞いてホッとしたのよ。琉璃」
「お、伯母様もお変わりなく……」
美しいですと言いかけた琉璃は、哀しげに目を伏せた彩霞に目を見開く。
「ど、どうされましたか!? も、もしかして、わ、私がこの場に……」
「違うのよ。貴方は本当に素敵な名前通りの、素晴らしい令嬢、奥方になったと言うのに……私の娘に生まれて欲しかったわ……」
顔をあげ、告げる彩霞に、
「で、でも、彩霞伯母様には、瓜二つで美人の……」
「顔だけ。そして、雲長様が甘やかしたから、勉強もせず礼儀作法も、刺繍裁縫、家事一般全く出来ない子に育ったわ。それならそれで、自分と共に軍に入れて戦うとまではいかないにしろ、身を守るすべを教えておけばよかったんだわ……」
思い詰めた顔つきで、彩霞は呟く。
「彩霞姉貴……そんなに気にすんなよ~。驪珠の馬鹿は、昔からだ!! 俺の方が馬鹿だから許してやれよ」
益徳の慰めとは到底遠い言葉に、彩霞は益徳を見るとプッと笑う。
「昔から、不器用だけど優しいのよねぇ? 益徳どのは。美玲様が羨ましいわ」
「そんな。この人はがさつさと、ある意味運のよさのみで生き抜いてきた男ですから」
美玲の言葉に、彩霞は告げる。
「でも、美玲どのは正式な妻。でも、私は……今はもう、妾なのよ」
「えっ!! 」
美玲と琉璃は声をあげる。
「なっ!? なぜ、ど、どうして!? あ、あんなに仲睦まじい……」
「そ、そうです!! あ、あの……ひ、髭伯父には伯母様がいないと!! 」
「いなくて良いのよ。あの人、昨年、皇叔様の命令で、とある女性を一応形だけは側室として娶ったのね、ここ新谷の一番の商家の一人娘。で、息子が生まれたのよ。名前は興だったかしら。そうしたら、皇叔様の奥方がたとその女性がね? 私の過去をばらまいたのよ? 新谷中に」
静かに笑う。
「そうしたら、雲長様はどうしたと思う? 私の部屋をその人に譲り渡し、私が嫁に来る時に持ってきた装飾の全てを渡したの。私に与えられたのは、この東屋をほんの少し広くした位の古ぼけた離れ。侍女もいないし、食事は良く毒が入ってるわ。護衛とは名ばかりの監視もいるのよ。そうよねぇ……もう三十路のおばさんだもの……見捨てて当然よねぇ……? しかも生んだのは、あの甘やかされた驪珠一人。男の子が一人でもいれば違ったのかもしれないわね。もう遅いけど……」
「彩霞姉貴……」
益徳は、実の姉のように思っている義兄の嫁を見る。
「な、何で!! もっと早く俺に相談してくれなかったんだ!! そうすれば!! あの、姉貴の大事にしてた花飾りだけでも……」
「見張られてたのよ……」
苦笑する。
「私の味方は益徳どのと美玲様。元直様だけだもの……そして、琉璃位よ、私を本当の母のように慕ってくれたのは。……あの頃、表立って庇えなくてごめんなさい!! もし庇えば、雲長様がまた貴方に危害を加えるかもしれないと思って……」
「じゃぁ、今日は……」
「侍女の衣を拝借してやって来たわ。もうこの家に戻るつもりはない。せいせいするでしょう? 毒も盛らずにすむし、見張りの者も雇わずに済んでお金もかからずに済むでしょう。そして、『外側だけ豪華で幸せそうな振りをして、新しい嫁と子供と驪珠と暮らして頂戴、ついでに慰謝料と、私が私のお金で買った家に調度の数々、雇ってきた方々に払っていた給金に、装飾品も1つ残らず耳を揃えて返して頂戴ね』って、絶縁状を残してきてやったわ。ほほほ!! 」
高らかに勝利宣言をする彩霞。
と、制止する警備兵や侍女を押し退け、殴り飛ばし近づいてくる長身の男に、元直が彩霞を庇い下がり、益徳が琉璃を奥に押し込み、夫婦で東屋の入り口に立ち塞がる。
どうして自分を下げたのかと思った瞬間、
「『破鏡』!! やっぱりここにいたのね!! こっちにおいで!! 『破鏡』。遊んであげるから!! 来ないと……」
と甲高い声が響き、雲長の後ろから覗き込んでくる顔に、蒼白になる。
「……あ、あ……」
恐怖心と絶望感で全身を震わせる子竜を、彩霞は抱き締める。
「大丈夫よ!! 大丈夫。今度こそ、絶対守るわ。琉璃!! 」
「さ、彩霞様……こ、怖い……怖い‼ 」
両手で耳を覆い、涙をボロボロこぼしながら言葉を紡ぐ。
「怖いぃぃぃぃ。驪珠が、驪珠が来る!! 驪珠がぁぁぁぁ……驪珠が笑ってくる時は、私を動物みたいに扱う!! 石を投げたり、棒を投げたり、真冬に水を浴びせたり、首に縄をつけて引っ張ったり、馬になれって言って四つん這いにさせるの、しないと鞭で殴るの‼ ……だから、だから逃げるのに、いやぁぁぁぁ‼ 」
半狂乱で首を振り叫び始める琉璃を、愕然と見つめる周囲。
「それに餌だって言って、馬の糞とか、馬の飼い葉、腐りきった鳥やネズミの死骸、虫、トカゲ、蛇、毒薬、そこらにある雑草、樹の枝を食べさせられた‼ それに、光華を殺して食べろとまで言った。大事な光華を!! ……そして、『言うことを聞かないからお父様に訴えてやる』って言って驪珠がいなくなったら、髭伯父がやって来た……‼ 髭伯父が、髭叔父が殴る蹴る、髪をつかんで振り回す‼ ……いやぁぁ、死にたくない‼ 旦那様!! 旦那様……あぁぁぁぁ‼ いない、旦那様‼ 旦那様のところに帰れないなら、私は、私は……‼ 」
錯乱し、咄嗟に髪に差していた髪飾りを引き抜き、喉を突こうとした琉璃を、益徳が手首をつかみ取り上げる。
「落ち着け!! 落ち着け琉璃!! 大丈夫だ!! もう、そんなことは起きない!! 俺が、約束する!! 雲長兄貴と驪珠は、絶対お前に近づけない!! 絶対だ」
「旦那様……旦那様!! 旦那様と喬ちゃんと、家族がいれば……それで良かったのに!! 良かったのに!! 返して、私の家に、幸せを返してぇ!! 」
絶叫し、次の瞬間力が抜け、意識を失う。
「琉璃ちゃん!! 」
「琉璃!! 」
駆け寄る美玲と彩霞、元直に琉璃を預け、つかつかと近づいた益徳は、義兄の襟元をぐいっと掴み顔を近づけると、
「出てけ、今すぐ出ていけよ。人ん家の人間に暴力振るって侵入するって、どこだよ、ここは? あぁ? あんたの義弟の家じゃねぇのかよ? 」
「す、済まない!! 彩霞がいなくなったので探していたんだ。彩霞と近い人間はお前たち夫婦だと思って……」
「ふーん、で? 彩霞姉貴にあることあること喋られたら困るから、連れ戻しに来たって訳か? で、人ん家に来るのに手土産も先触れもなく、その上、驪珠は連れてくんなと念を押したのに連れてきたのか? さすがは親馬鹿。その上、俺を下に見て見下してるって訳だ? まぁなぁ? 俺は『漢寿亭侯』じゃぁねぇし? 年も下で義兄弟だ……だからといって、やっていいことと悪いことがあるだろ!! 兄ぃには、へこへこしてるくせに、俺や元直に俺の嫁と客人は下かよ!! え? 何様だあんた!! 」
「あ、あのな、益徳、私は……」
いつにない剣幕の義弟の怒りを、いつものように和らげようと手を伸ばす雲長の行為を、怒り狂った益徳ははねのける。
「触るな!! 頭を撫でて、自分の優位を確認したいなら、生まれたばっかのガキか、あの『白眉』にやれよ、兄貴。『白眉』お気に入りだもんな~? いつも言ってるよなぁ? 馬鹿な義弟より賢い義弟が欲しかったんだろう? 兄ぃに言って、俺との契りを破って『白眉』と誓えよ。俺も、勝手に人ん家に入って暴力振るう義兄より、この元直義弟にすっから。じゃぁ、たのまぁ? 兄ぃに伝えてくれな? 」
「え、益徳っ!? 」
「義兄弟やめたのですから、人の字呼び捨てにしないでくれませんかね? 漢寿亭侯どの。で、二度と俺の屋敷に入って来ないで戴きたい!! ご令嬢にも。貴方が育てた娘でしょう? 友達がどんなものかじっくり教えて差し上げて戴けますか? 俺に教えたように……いや? それよりこの琉璃に教えたように、やればよろしいんですよ? 貴方なら上手くされるでしょう? この俺が預かっている琉璃が、これだけ怯えるのですからね。さぞかし執拗に何度も責めいたぶりイビったのでしょうね? 同じようにして差し上げて戴けますか? でないと不公平ではありませんか? ねえ? 漢寿亭侯どの。それに、そうすればこの手のつけられない傲慢なお嬢様も即大人しくなられるでしょう。ねぇ、それが良いと思いませんか? 彩霞姉貴? 」
琉璃の意識を取り戻させようと声をかけたり、頬を撫でたりしていた彩霞は、夫を見上げ冷笑する。
「そうねぇ? それよりも、益徳どの。この人の子供じみた気位の高さを、ズタズタに切り裂いて頂戴な? そうすれば、もっと胸がすくと思うわぁ? 何が『春秋』よ。そんなの読んでる振りだけで、『孫子』や『六韜』だって私の方が知ってるわ。書簡が読めて凄いって自慢してるって、貴方がけなしてる馬家の坊っちゃんと、貴方は同じ程度の馬鹿なのよ!! 馬鹿だから、力任せの戦術しか出来なくて負けっぱなし、それを益徳どののせいにして逃げる。臆病者に卑怯者!! 人を馬鹿にする方法も程度が低すぎるわね!! 今すぐ離婚よ!! あぁ、そうだったわ、もうそちらから一方的に離縁を言い渡されているのよね? 私は妾だもの」
「さ、彩霞!? 」
「離縁を一方的にした人が、私を呼び捨てにしないで頂戴!! 何時まで人を所有物扱いするの!? 片腹痛いわ!! さぁ、今すぐ帰って、私の財産全て返して頂戴!! ちなみに、忘れているかもしれないけれど、今貴方の住んでいる屋敷は、私の財産で購入した物なの。使用人も元々私が雇ったの!! 全て解雇するわ!! 理由? 解っているでしょう? 主を忘れ、主を害そうとした罪よ。ついでに、貴方の嫁の実家も潰してあげる!! 貴方が、その方向違いの思い上がった気位の高さを、同じように嫁に教える前に、礼儀作法を教えるべきだったわね!? あの屋敷は売るわ、で、私は申し訳ないけれど、益徳どの、美玲さましばらくいさせて下さらないかしら? それと、すぐに屋敷を売り払って下さいます? 」
「いいぜ、彩霞姉貴の一人。一緒に住もうぜ!! 琉璃もいるし、娘として暮らすといい」
「そうね。こんな可愛い娘、自慢だわ!! 」
二人は笑いあう。
「あ、あの、お母様……」
口を開き、おもねるように見上げる驪珠に、彩霞は表情もなく、
「あら、漢寿亭侯様のご令嬢様? 何かご用ですか? あぁ、妾だったという方のお子様ですから、ご令嬢ではなく、妾の子ですわね? 」
蔑むように言い捨てる実母の変わりように、驪珠は硬直する。
「妾の子は妾の子らしく、家の中で使用人同様働かなくてはなりませんわね? それに、妾の子らしく、控えめにすればいいものを、礼儀も知らず、挨拶一つ出来ない愚かな娘が、この私に軽々しく声をかけないで欲しいわね。穢らわしい!! 」
「な、お、お母さ……」
「お黙り!! 私には、愚かな妾の子などいないわ!! 私にはこの、琉璃という可愛い娘がいるのです。貴方のような妾の子の母になった覚えはございません。私は、この愛らしい娘が具合が悪いのです。失礼いたしますわ」
「お母さま!! 」
すがりつこうとする手を振り払い、彩霞は先導する美玲と琉璃を抱き上げた元直を追い、立ち去る。
「で? 一体何時までこちらに? 俺は医者を呼びにいくので忙しいんですが? 早く帰ってくれませんか? 招いた覚えのないお客人方」
「あ、謝りに……」
口を開こうとした雲長に、うんざりと、
「へぇ? 誰に? 姉貴は要らないって言いましたよね? 俺も聞く耳持ちませんし、琉璃はそちらに会うと、多分どころか必ず、さっきの発作起こすと思うので……必要ないんじゃないですか? どうせ、そのご令嬢……じゃなかったか? 妾の子も本気で自分がした意味も解ってないでしょうし、口先だけの謝罪って全く心に届かないんですよねぇ。それより、そちらは忙しいんではないですか? まずは嫁と息子と住む、引っ越し先をお探しください……ついでに、このじゃじゃ馬しつけ直せ!! てめぇ、勝手に人の屋敷をうろつくなよ、出ていけ!! 」
父親が叔父と話している隙を狙い、屋敷に向かおうとした驪珠を捕まえ、押し付ける。
「おい、次同じことしやがったら、昔の琉璃にやったように殴り飛ばしてやる……二度とさせんな……次はねぇ!! 」
益徳の気迫に呑まれ、雲長は頷きすごすごと帰っていった。




