循ちゃんはとても賢くて優しい少年です。※
統と玉蘭の馬の訓練に、見本として乗った琉璃の姿に、韓義公と徐文嚮は頭を抱えた。
「ちょっと待ってくれないか……?琉璃どの、それは……」
「8才になるまで習った、馬に乗る技術です。えっと、おかしいですか?」
きょとーんと目を丸くして、首を傾げる美少女。
しかし、先程目の前で繰り広げられたのは、手綱を離し後ろ向きに立つと、逆さに一回転をした上に、飛び降りて駆けていく馬を追いかけるとそのまま飛び上がって、回転しながら鞍に乗る。
それだけではなく、鞍の上に立ち上がり、そのまま逆立ちをして、くるくるっと飛び降りて見せる。
子供たちは大喜びだが、義公と文嚮は言葉を失った……。
な、何なんだこれは!!
何もかもが違いすぎる!!
馬に乗ると言うと普通は、手綱を握り鞍に乗る……ではないのか!!
「……だ、誰に習ったんだ!?」
「髭叔父と、虎叔父です」
「髭叔父、虎叔父と言うと……」
文嚮は、問いかける。
「関雲長と張益徳のことか?」
「はい」
「……曲芸師にでも育てるつもりだったのか!?」
義公は唸る。
「えっと、並走する敵の馬に飛び乗って、攻撃とか……他には、飛び上がって蹴りを入れて、馬から落としたり……相手の馬を蹴ったり……してますね」
「してますって、今もしてるのか!?」
「はい。私は体力がない上に長時間戦うことは出来ません。なので短期決戦が必要なのです。その為に俊敏な動きに、判断能力をかなり鍛えました!!」
自信満々に言ってのける琉璃に二人は額を押さえ、広を抱いた孔明を見る。
「おい、孔明。嫁の戦い方……直さなかったのか?」
「あれ位、可愛いじゃないですか。可愛い嫁に無駄な傷はいりません!!」
「いやいやいや……普通の戦い方とか……」
義公の問いかけに、孔明は、
「え?じゃぁ、夏侯元譲将軍と、まともに一騎討ちしろと!?琉璃は曹子孝将軍と戦いましたけど、元譲将軍とは絶対無理です!!戦わせる位なら、ここの猿か公瑾どのを出しますよ!!」
「いやいやいや……そこまで要求してないし……」
「関雲長どのですか?それも拒否します!!私の琉璃に手を出すなら、その前に暗殺します!!」
キッパリと言い切った孔明に、顔を引きつらせる。
「暗殺って……味方を……」
「あれ、味方じゃないんです。ここで言う、猿にベッタリくっついて、増長するおっさんがたと同じですから。必要なければ即座に切り捨てる予定です」
真顔で言い切った孔明に……二人は、雲長が孔明を激怒させた内容を聞いてみたいような……聞きたくないような気がしたのだった。
その間にも循と喬と均が、玉蘭と統に教えていく。
統は慣れてきている為良いのだが、まだ少し怖がっている玉蘭の馬を、喬が手綱を握りゆっくりと歩かせる。
「怖くないですよ。緊張しないで、回りを見て下さい。河の流れ、その音に、風……馬の足音……!?」
喬は身を翻し、玉蘭の後ろに乗ると庇うように抱き締める。
均も同様に統を、琉璃も駆け寄り循の体を抱き締め、孔明に義公、文嚮が子供たちを守るように身構える。
姿を見せたのは、周公瑾を先頭とした一軍である。
「……何をしている」
「そりゃぁ、こっちの台詞だ。猿の馬鹿部下!!」
義公は、自分よりも年下だと言うのに横柄な態度の公瑾に言い返す。
「私には、大都督としての任務がありますからね。貴方方のように物見遊山ではないですよ?」
「はっ!?今さら、大都督?お前その地位を剥奪された癖に、何を言ってるんだ!?今すぐ戻って、猿の子守りに専念しやがれ!!」
しっしと追い払う仕草に、顔を青黒く染める。
「だ、誰に向かって……」
「猿真似しか出来ない馬鹿猿を増長させた、馬鹿!!顔だけだろうが!!しかも、自信満々なのは良いが、武力も頭も平均以下!!お前程度の男に大都督を任せる気はねぇな。なられても従うつもりはない!!。お前になられる位なら、孔明殿の方が大都督になってくれと俺は懇願するな!!」
「えーと。私は遠慮します~!!公瑾どのの後任は出来ません」
孔明の一言に、にやっと笑う公瑾を蔑むように、
「馬鹿の後任は、やりたくありません!!しかも、その後ろの兵程度を纏めたと自慢して欲しくないです。大都督なら、全軍を統率してこそ大都督!!出来もしないなら、名乗るな!!他の武将とも連携して、情報を共有して、指示を出してこそ、大都督!!そしてその間にも、次代の大都督となれる存在や、そして同じように武将を育てることも、大都督の職務!!それを放置しておいて、今さら名乗るな!!子供の前で恥をさらすな!!」
言葉を失う公瑾を、琉璃の腕の中から見つめた循は、
「……お父さん……僕や母様や玉蘭よりも、仲謀様の方が大事なんだよね?僕たちよりも大事なら、母様と結婚しなかったら良かったのに……。僕たち要らないんでしょう?胤以外。特に僕、要らない子なんでしょ?期待しないんでしょう?出来が悪いんでしょう?じゃぁ僕も、お父さん要らない!!お父さんに期待しない!!お父さんの子供になるより、僕は、孔明おじさんのお家の子になる!!お父さんなんて大嫌いだ!!」
循の声に、公瑾は目を丸くする。
循は、キッと父親を睨み付ける。
「孔明おじさんは、僕を良い子だって誉めてくれた!!気になったことがあって、でも、聞くのを躊躇っていたら、ゆっくりで良いよ?話して御覧?って優しく言ってくれた!!それでお話ししたら、凄い!!偉いよ!!賢いよ!!って抱き締めてくれた!!孔明おじさんは僕の目を見てお話を聞いてくれるんだ!!でも、お父さんは僕の話を聞いてくれない!!僕をずっと馬鹿にして、何とも思ってなかったでしょ!!僕は言わなかったけど、ずっとずっと……お父さんの事大嫌いだった!!本当はお父さんが、僕たちと仲直りしようって、話そうって言ってくれたり、本当にこの国を守ってくれるなら、孔明おじさんに誉めて貰った策略を言おうと思ってた!!でも、絶対言わない!!お父さんは人が頑張った事を見てくれない!!それか、それを自分の手柄にしてしまうんだ!!ずるい!!卑怯だ!!」
「……循……」
何時もの俯き、怯えたような……脆弱な息子とは全く違う循の姿に驚き、呟く公瑾に、唇を噛んだ少年は、
「僕の名前……知ってたの?初めて言ったよね?小さい頃は知らないけど、物心ついてからは呼んでくれたことないよね?何時も何時も胤と比較して、馬鹿だ愚かだって、罵声ばかり……僕は……僕は!!馬に乗るのは大好きだし、書簡を読んで勉強するのも大好きだけど……本当は、管弦を習いたかった!!お父さんと母様の琴瑟の音を聴くのが、大好きだった!!習いたかった!!でも、お父さんは一度だって聞いてくれなかったよね?胤には、何でも色々揃えたりしてたのに……僕には、何一つ……」
俯き、拳を握りしめた少年は顔をあげて、怒鳴る。
「自分の子供のことすら何もしない人間が、大都督なんか名乗るな!!息子一人の話しも聞かない人間が、自分勝手に何もかも押し付けるだけ押し付けて!!話しも聞かないまま、出来てないと決めつけて!!何が父親だ!!嘘つき!!胤には何でもあげてたのに!!僕が馬が欲しいって言ったら、『お前程度に馬はやれない』そう言ったよね?程度って何!?胤には、あげたよね!!」
「そ、それは……」
気圧されて、口ごもる……。
「胤にあげた馬はどうなったの!?胤が面倒見なくて、僕が代わりに面倒見てたのに、可愛がってたのに……目の前でお父さん、連弩の的にしたよね!?『暴れ馬だから』って……。良い子だったのに……僕にはなついてくれて、甘えてくれるようになったのに……殺して、僕に食べろって……」
循は、父親を睨む……。
憎しみのこもった目で……。
「大嫌いだ!!僕の可愛がってたあの子を返せ!!僕に甘えてくれるようになってた……優しい子だったのに!!知りもしないで、見もしないで、勝手に殺すなんて許さない!!返せ!!何が、何が『美周郎』だ!!自分の顔が自慢なら、自分の顔を一生眺めて過ごせば良い!!一人で一生鏡や、水面を見つめてればいいんだ!!馬鹿!!大嫌いだ!!」
わぁぁ……!!
泣きじゃくる。
「僕の、僕の……可愛い玲瓏……返せ!!僕の玲瓏……!!」
「……す、済まない……」
呟く、公瑾に、
「大嫌いだ!!嘘つき!!嘘つき!!僕のこと嫌いな癖に!!要らない子供だった癖に!!今更自分の子供扱いするな!!」
「そ、それは違う……」
「嘘つき!!僕は知ってる!!自分に都合が良い時には満面の笑みで、都合が悪い時には周囲をちらっと見て、左頬がひきつる笑顔を見せるんだ!!今だってそうじゃないか!!都合が悪いんだ。違わない癖に……大嫌いだ!!」
激しく泣きじゃくり始めた循を、抱き締める琉璃。
そして、冷たい眼差しで、孔明は、
「大都督失格どころか、親失格ですね。素晴らしい父親像を聞かせて戴きましたよ」
つかつかと近づくと、拳を振り上げ公瑾を殴り飛ばす。
「均!!」
「はいはーい」
馬に乗ったまま近づいた均は、背中に掛けていた『諸葛連弩』を差し出す。
受け取った孔明は、地面に座りこみ頭を振っている公瑾に、それを突きつけ、
「さて、私の息子に愛馬を殺して食べさせた……。では、貴方には、どんなことをして差し上げましょうか……」
「……!?」
「貴方は、大都督の資格も父親の資格もない、ただの愚かな男です。とっとと去ると良い。そして猿の兄として、それなりに戦の邪魔をせず、大人しくしてて下さい……でなければ……これの餌食となりますよ?」
孔明の言葉に、公瑾は赤く腫れ上がった頬を押さえつつ、逃げていったのだった。




