関平さんの逆襲にしては残酷な行為が始まりました。※
馬車に取り残された玄徳の正妻、甘夫人絳樹に雲長の夫人、韋夫人と息子の興、そしてそれぞれについた侍女たちは、呆然とする。
すぐに我に返ったのは韋夫人。
「ど、どういう事!? 誰か!! 誰か!? いないの!! お前、外を見て頂戴!! 」
声を上ずらせ、侍女に命じる。
そして、外に出て周囲を見回した侍女は、真っ青を通り越し蒼白の顔で叫ぶ。
「お、奥方様!! だ、誰も……御者も、護衛もおりませんわ!! あ、馬の鼻の先のずっと向こうに砂埃が、舞っております!! 」
「な、何ですって!? 」
「誰も……誰もいませんわ!! あ、あの、関平と言う女も、季常様も!! 」
侍女の声に、馬車の内部は狂乱の嵐のようになる。
「ど、どう言う事よ!? どう言う事!! 奥方様!? どう言う事ですの!! 」
韋夫人は我を忘れ食って掛かる。
「どうしてですの!! 何で、どうしてこんなことに!! 」
「私にも解らないわ!! お前、馬車を動かしなさい!! 早く!! 」
侍女に命じる絳樹に、韋夫人は癇癪を起こす。
「あぁ、ど、どうしてこんなことに!! 何で、私がこんな目に!! そうよ……そうよ!! 貴方に……あんたにおべっかを使ったりするのがいけなかったんだわ!! あんたのせいよ!! あんたが……いいえ、大元はあんな男に嫁いだのがいけなかったんだわ!! 何とかしなさいよ!! あんたが悪いんじゃない!! 」
食って掛かる韋夫人に、絳樹はかっとなる。
「誰が、あんたですって!? この私を誰だと思っているの!? 劉皇叔の妻なのよ!! あんたこそ、何様のつもり!? 新谷って言う小さい街と言うより村の商家の娘ごときが、私を罵って良いと思っているの!? あんたこそ、あの女を陥れたいって、私にすり寄ってきた癖に、大きな口を叩くんじゃないわよ!! 」
「何ですって!? あんただって、あの女を気に入らないと言ってたじゃないの!! で、追い出してせいせいした、ついでに残ったあの女の娘をイビっていたでしょうが!! 私に責任を押し付けるんじゃないわよ!! 」
「あんただって妾の子だの、礼儀も何もなっていないとか、何だのと言って楽しんでいた癖に!! 」
言い争うが、一向に馬が動く様子はなく、侍女たちも傍にいない。
慌てて二人は外に出ると、侍女たちは馬車を動かすどころか、二人を見捨てて逃走していた。
「な、な……お待ちなさい!! お前たち!! 主を置いてどこにいくの!! 」
絳樹は怒鳴り散らすが、足を止めることも返事もない。
「いやっぁぁ……何て、何て事に!! あんたのせいよ!! あんたが……トロトロと馬車を動かしているから、置き去りにされるんだわ!! 」
韋夫人は半狂乱になり、空いている手で絳樹に掴み掛かる。
「何するのよ!! あんたこそ、のんびりいこうって同意したじゃないの!! 」
と、取っ組み合いの喧嘩を始めていると、皆が進んでいった方角から赤い馬が走って来る。
「だ、誰か来たわ!! 」
髪や衣をつかんだまま、近づいてくるのをホッとして待っていると、
「奥方様に何をされているのですか!! 」
声を張り上げて近づいてきたのは、関平その人である。
しかも、近づきながら矛を振り上げ、そのまま、
「奥方様に害をなす者は生かしておけません!! ご命令通り!! 」
と、言い放ち、韋夫人の背を斬りつける!!
「あ……!? な、何……で、わ、た……」
目を見開いた韋夫人は、力を失い絳樹にのし掛かるように崩れ落ちる。
「き、きゃぁぁ……!? な、あん……貴方? 韋夫人!? 大丈夫? だ……」
押し潰されるように地に伏した絳樹は、韋夫人の体から避けようと触れるが、手にはベッタリと赤い血がつく。
「……い、やぁぁ……、血、血よ!? ど、どういう事よ!? 関平!! お前、義理の母親に何てこと、韋夫人? 韋夫人!? 」
肩を揺すり、声をかけるがすでに事切れているのか、動くことはない。
「どうしてこんなことに、どうしてこんな……、お、お前!? 義理の母親を殺すなんて……」
「義理の母親? 何のことですか? 私には、父も母もおりませんが? 」
「な、何を言っているの!! お前は雲長どのの娘で……」
「違いますよ。あちらも否定しておりますし、こちらもあんな男を父親なんて、思いもよりません。それにこの女は奥方様に反抗し、歯向かった反逆者。奥方様の護衛である私が殺すのは当然です」
平然と答える関平。
「な、何を言っているの!? お前おかしいのではないの!? へ、平然とそんなことを言うなんて!? 」
「おかしいですか!? 」
にたっ……と関平は唇を歪ませる。
「どうしてでしょう? 先程奥方様は、は……子竜将軍の母親が不義密通を犯したと責めた所反抗し、暴力を振るおうとしたので護衛に斬らせたと言われましたよね? 今も同じ状況ではありませんか!! ご命令通り、任務を遂行したまででございます。奥方様。誉めて戴けると思っておりましたが……どうしてそんな風におっしゃられるのか、そちらの方が解りませんが? 」
「そ、そんな……わ、私は……あの女と、この韋夫人とは……」
「違う? そんなことはありません。同じ状況ですよ。奥方様。それに、本来なら奥方様も斬らねばなりませんが……斬らない事を感謝して下さらないと……」
ふふふ……っと、狂喜の表情で腰を落としたままの絳樹を見下ろす。
「奥方様が妾と罵っていた女が、新谷を去る前に言っておりましたよ? 奥方様と糜夫人様が、殿以外の男と不義密通を犯していたと………」
「な、な、何を言って……い、るの……!? わ、私が、そ、そんなことを、する筈はないでしょう!! 」
声を上ずらせる。
一度、雲長の前妻をイビるために、口にしたことがあるのを思い出したのだ。
「そうなのですか!? では、嘘ですか。後で、益徳将軍の奥方に確認いたしますね? その方が、はっきりするでしょうから。では、奥方様? 一応反逆者の息子とはいえ、まだ乳飲み子……後で、殿か雲長将軍に伺って処分を決めて戴きます。その子を抱いて、私の馬に……殿の後を急いで追いましょう……良いですね? 」
底知れぬ恐怖感に絳樹は怯え、立ちすくむが、関平は馬に乗り振り返ると、
「このまま残られても結構ですよ? すぐに曹孟徳軍がやって来ますから待っていて下さい。どちらがよろしいですか? 今のうちですよ? 手をさしのべるのは……」
ブルブルと震えながら、韋夫人の腕の中の興を抱き取ると、関平に手を差し出した。
その手は女性にしてはごつごつとして荒れていた……。
「では、参りましょうか? 奥方様」
何故か嬉しそうな、高揚とした声で出発を宣言する関平の声が、地獄よりも恐ろしい破滅への道しるべのように聞こえ……絳樹は自分が何かを目覚めさせてしまったことに、ようやく気づいたのだった。




