益徳さんの贖罪は誰が赦しても、自ら背負い続けます。※
こちらは益徳の軍である。
先程、急に前の軍が停止し、身動きがとれなくなった。
その為、元直に頼み、前の様子を見て貰ってきた所である。
「ただいま、戻りました。益徳どの」
「で、何があった。全く、度々止まってはこっちも迷惑するし、後方のもぐらたちにも迷惑だ。こっちも伏兵出来ないし、もぐらたちには火矢の準備もあるって言うのに……」
益徳の問いかけに、様子を見てきた元直が、
「実は……奥方様方が、益徳どのと士元に叱られたのを根に持ち、馬車を止めました。そして、関平どのに言いがかりをつけて、地面に引きずり下ろして這いつくばらせ、謝罪しろと命令していました」
「はぁ!? な、何考えてんだ!? 関平に謝罪? 悪いのは自分達で、反省すべきだろう!? 」
「そうですが……ご本人方の言い分は、関平どのが告げ口をしたとのことです」
「馬鹿だろう……!? 絶対馬鹿だ!! で、どうなったんだ!? 」
「関平どのが地に這いつくばって、頭を下げ続け、溜飲を下げた奥方たちが、ようやく馬車を動かすように命令をした所です」
その言葉に、益徳は頭を抱える。
「あぁ、あんなの。兄ぃの嫁、妾じゃなかったら、置いて逃亡してやったのに!! くそっ。関平も、最近は必死に努力して頑張ってる。この逃亡がうまくいったら……兄ぃに頼んで、武将ではあるが嫁に出してやって欲しいと頼むつもりなのに」
昔の『驪珠』と呼ばれていた時代は、鼻持ちならない……自分の美貌と父親の名声を自慢して琉璃を苛めたり、父親の部下や侍女たちをイビったりと酷かったが、最近は必死に、殊勝に頑張っている。
益徳は、それを認め始めた所だったのである。
「どうされますか? 益徳どの」
やれやれと首を振ると、
「止まる。先が動かねぇと、こっちも動けねぇ。それに、埋伏にはこの辺りが充分適しているだろう? 元直」
「そうですね。少し予定よりも近いですが、余りにも前が動くのが遅すぎます。追っ手が近いと言うのに……一体何を……もう少し危機感を感じて欲しいものです……」
「そうだよなぁ……本気で、兄ぃにあの嫁たちと離縁しろと告げ口してやろうか……」
イライラと呟く益徳。
「まだ、瑠璃姉貴がいた頃はまともだった。それに、麗月姉貴がいた頃は……『亮月』が生まれた時には兄貴は本気で大喜びで……今みたいに子供が生まれても、そっけない……生まれたのかってな顔はしてなかったよ」
元直は部隊に埋伏を指示しながら、振り返る。
「『亮月』……? えっと、孔明の名前の『亮』に『月』? 」
「あぁ、そうだ。『亮月』。『破鏡』と呼ばれるまでの……と言うより、琉璃の本当の名前だ。兄ぃがつけた。明るい、明らかなはっきりとした月。……麗月姉貴と自分の娘。麗月姉貴が殺され、壊れちまった兄ぃがその名を呼ぶことをやめ……『破鏡』と呼んだ。壊れた月……半身を失った兄ぃは壊れた。あんなに可愛がっていた娘を棄て、表情を無くした。……俺やあの髭が、何度言っても『あれは娘じゃない。あれは紛い物、壊れた人形であって、壊せばいい……全て壊してやればいい!! 』……そう、言ってな。俺も馬鹿だから、兄ぃが言うのならそう扱えばいいだろうと、俺のイライラの解消をするように……大人の、男の兵士と同じように扱った。命令違反だ、何だと理由をつけ……殴る蹴るをした。その当時の琉璃は、俺を見る度に怯えた」
馬を隠し、自分も気配を消し、身を伏せた益徳は、同様に隣に身を伏せた元直に告げる。
「そりゃぁ、そうだろ。元々民兵上がりで俺たちの当時の軍は軍隊ってより、柄の悪い任侠そのもの、その寄せ集めだった。柄が悪いだけじゃなく、軍の規律なんてものあったもんじゃねぇ。無法状態だ。それにこの荊州に比べ、俺たちが生まれ育った北は、ろくな作物も取れねぇ荒れた土地も多かった。兄ぃの実家は王族の末裔とは言え、辺境に封じられた王の子孫で、小さい村の小役人をしてた父親が死んで、母上に育てて貰ってた。貧乏でわらじやむしろを売って歩いて、実りのよくねぇ荒れた畑に種を撒いて、それでも足りねぇから近所の畑の手伝いをしたりして、細々と暮らしていたらしい。でもそんな生活でも、母上は兄ぃにそれなりの教育をと、廬子幹(-植-)老師の元で勉強をさせ、公孫伯珪兄貴と友人になったんだそうだ」
「公孫……と言うと……」
「公孫瓚どのと言った方が分かりやすいか?公孫兄貴も任侠上がりというか、太っ腹な兄貴でな。髭は、国でお前のように知り合いの敵討ちをして……それが役人の親族とかで逃走。当然金もねぇ。俺の実家はそこそこの肉屋で、俺も家を飛び出す時に持ち出した金は、すぐ兵糧ですっからかん。いつも資金は不足してるし、ろくに食べ物もねぇ……。黄巾の賊討伐の部隊に入っても、金が手に入るもんじゃねぇ、腹は減るが金は足りねぇ。そんな中を時々差し入れてくれてたな。で、ある程度の軍になりつつあった時に麗月姉貴と出会った」
益徳は遠い目をする。
「綺麗な女って言うよりも、人間とは思えねぇ姉貴だった。美貌の主ってのは瑠璃姉貴もそうだったが、瑠璃姉貴が傾城傾国の魔性の女を演じられる、強さとしたたかさを持っていたが、麗月姉貴は、儚げで優麗で庇護欲をかきたてられる、そんな優しい……壊れそうな脆そうな人が、麗月姉貴だった。異国からこの国にやって来る位だ。苦労だってしてるだろうに、そんなことはおくびにも見せず人に優しく微笑みかけ、助けるような人だった……。琉璃は、麗月姉貴にそっくりだ。だから、兄ぃには耐えられなかったんだろうな。……もう二度と会えない……麗月姉貴の面影が……ちらついて」
「そ、それでも……それでも!! 琉璃には、罪はないでしょう!! 亡くなった琉璃の母親と琉璃がそっくりでも、それは琉璃の責任では!! 」
「あぁ、そうだ。でも、一つだけは言える。もし……兄ぃが、琉璃を傍に置いて、麗月姉貴のいた頃と同じように扱っていたら……即座に、絳樹姉貴に抹殺されてた。……自分が殺した麗月姉貴の遺体を、自分の息のかかった兵士共に暴行させ、原型を留めぬ程、切り刻み兄ぃの前に投げ捨てるような女に……」
余りの残酷さに、戦闘に参加し血や遺骸を見続けている元直すら、絶句する。
夫が愛していた女性を殺させ、遺骸を……穢し、バラバラにし……それを、夫の前にさらしたと言うのか?
「しかも麗月姉貴は、男を引き込み兄ぃを裏切ってたとか、嘘やホラ話を言いふらし、だから兄ぃの名誉の為に罰を与えたんだと……そう言ってたな」
「ば、罰を与えた‼ ……そ、そんな……そんなことを、言い放ったと、言うのですか!? 甘夫人様は……」
「そうだ。そう確かに言った」
思い出すのも嫌なのか……益徳は目を伏せる。
「で、後はさっきも言っての通りだ。……俺は、琉璃に赦して貰った。……でも、俺の仕出かしたことは、今さら謝っても、赦して貰っても……今の俺が許せねぇ……。麗月姉貴を守れなかったことも、琉璃に苦しい思いをさせたことも……。だから……俺は生涯、贖罪を負って生きていく。もう二度としないと、琉璃に心の中で謝罪し続けるし、その為なら……兄ぃの嫁を敵に回しても後悔しねぇ……。そうやって生きていく覚悟を決めたし、それを嫁に……美玲にも告げている。美玲も了承してくれた」
「益徳どの……」
その強い決意に、元直は言葉を失う。
そこまで……それまで……この人は、考えに考え抜いていたのか……。
短期間……それこそ数年しか一緒にいなかったが、最初はかなり単純明快で気性が激しく、ここまでどんな生活をしてこんな子供のような大人げない武将に育てられたのだろうと、心の中では思っていた。
しかし、単純明快な分素直で、これは違うと言うとどう違うんだと癇癪を起こすが、馬鹿にした態度ではなく丁寧に真摯に説明をすると納得をしてくれ、
『怒鳴ってすまなかった。本当に悪い』
と、頭を下げる。
その素直さと、癇癪もなく普通に接していると、ごく普通の兄貴分と言うか、懐の広い豪快な男だった。
そして勉強したいと、もっと武将として軍を率いる立場として、責任のとれるような人間になりたいと、教えを乞うてきた。
それは、成長……自分がどんな立場にいるか、軍や義兄の為に何をすればいいかと言うだけでなく、贖罪もあったと言うのか……。
「……益徳どの……。琉璃だけじゃなく、麗月様もきっと赦していますし、いつまでもそこまで重荷を背負い込むなと……思っていますよ」
「そうかな……そうだと、嬉しいが……でもな……もし、麗月姉貴が生きてたらと思うんだ。そうすれば兄ぃは、もっと別の生き方をできたかも知れねぇ……」
「……でも、そうすれば、孔明と琉璃が会えなかったと思います。話を聞いていると、昔の殿はかなり琉璃……亮月姫を溺愛されていたでしょうし……孔明、姉上たちによると暴れ竜だそうですから、孔明が暴走していたかもしれませんよ」
敬弟をだしに茶化すと、表情を緩ませる。
「もぐらが暴れる……畑を荒らすのか?」
「畑位なら良いですけど、孔明の暴走って、恐ろしいと思うんですよね……」
「そうかも知れねえ。大人しい、何を考えてるのか分からねぇ奴ほど、怒らせるとこえぇもんな」
「えぇ、そうです。ですからまずは、この戦で牽制をして、逃げ切りましょう!! 」
「そうだな。それが一番だ」
二人は頷きあう。
そして、息を潜め、その時を待っていたのだった。




