後編 01 変事
2026.9/14
今回の更新は全10話です。
獣使いのシャントゥを仲間に引き入れたことにより、《ダルドロの一座》はいっそうの活力を得ることができた。
何せシャントゥは、巨大な狼と大鷲を自由に動かすことができるのである。それはギャムレイの炎の奇術にも匹敵するぐらい、派手派手しい芸であったのだった。
「まったく、最近の新入りは可愛げってもんがねえな! これじゃあ先輩様の面目が立たねえぜ!」
古参のトゥーイはそんな風に評していたが、その真っ青に染めあげられた面長の顔には陽気な笑みがたたえられていた。
《ダルドロの一座》は命運をともにする共同体であり、座員個人の人気が嫉妬や羨望に結びつくこともないのだ。力のある座員が仲間になれば稼ぎが上がるという、そんな喜びを分かち合うばかりであった。
なおかつ、シャントゥの力は舞台の外でも大いに発揮されていた。
有り体に言って、シャントゥの操る獣たちは食料集めに関してもきわめて有用であったのだ。
《ダルドロの一座》は旅芸人の矜持として、芸を見せることでしか稼ぎを得ていない。しかしまた、《ダルドロの一座》は辺境区域の集落や村落しか巡っていないため、芸事の稼ぎだけではとうてい食っていけないのだ。
よって、道中では辺境区域の森や雑木林に踏み入り、木の実や果実や山菜を収穫するとともに、鳥や獣などを狩っている。その狩りの場において、狼と大鷲が大きな働きを見せていたのだった。
そもそも狩猟に関しては、トゥーイがひとりで受け持っていた。彼は棒術のみならず、弓の名手でもあったのだ。座長のダルドロや大男のペテルなどは仕留めた獲物を持ち運ぶだけの役割しか果たしていなかった。
いっぽう狼と大鷲は、トゥーイをも上回る優秀な狩人であった。とりわけ大鷲などは天空を舞う鳥や川にひそむ魚を捕らえることまでできたため、座員たちの食事の場を大いに彩ってくれたものであった。
「まったく、頼もしい獣どもだぜ! 荷運びもできねえどこかの新入りにも見習ってもらいてえもんだな!」
トゥーイにそんな言葉をぶつけられる際には、ギャムレイも肩をすくめるしかなかった。左腕を失ったギャムレイは、舞台の外ではおおよそ役立たずであったのだ。
しかしギャムレイはギャムレイなりに、毎日忙しく自分の役割を果たしていた。何せギャムレイが扱う炎の奇術には、大変な下準備が必要であるのだ。道中でかき集めた材料で火薬の調合をするだけで、ギャムレイは他の誰よりも時間を食われていた。
だが、そうしてギャムレイが炎の奇術を披露することで、酒や食料が手に入るのである。
シャントゥが仲間入りした後も舞台の大トリを任されているギャムレイは、大きな充足を胸に日々を過ごすことができた。
そんな中、《ダルドロの一座》の舞台裏で思わぬ事態が生じたのは、シャントゥが仲間入りしてからふた月ほどが過ぎたのちのことであった。
◇
「ふふン。今日も精が出るねェ」
その日もギャムレイが火薬の調合の下ごしらえに励んでいると、笛吹きのベラが妖艶な微笑みをたたえつつ近づいてきた。
ここは辺境区域のど真ん中で、右手の側には黒々とした森がわだかまっている。狩り場としてはうってつけであるため、トゥーイたちは食料集めに励んでいるのだ。荷車の番をしているのはギャムレイと三名の女性陣、そして占星師のライラノスのみであった。
陽光に弱いギャムレイは天幕で適当に屋根を張り、その下でコルの石を砕いている。コルの石に含まれる紫色の結晶だけを寄り集めて、紫の炎を生み出す火薬の材料とするのだ。これは調合の下ごしらえの中でも、指折りで難儀な力仕事であった。
「ああ。ペテルを置いていってくれれば、こんな仕事も早々に片がつくんだけどな。ま、食料集めも二の次にはできねえから、こればっかりはしかたねえや」
「そいつは殊勝な心がけだねェ。残された右腕が潰れちまわないていどに、せいぜい励むがいいさァ」
ベラはくつくつと笑いながら、そう言った。
ギャムレイが《ダルドロの一座》に拾われてからはすでに三ヶ月ほども経っているはずだが、相変わらずベラというのは心根が知れない。美しい童女の姿をしていながら老婆のごとき風格を持つ、謎の存在である。腰までのばしたぬばたまの髪に、妖しい光をたたえる切れ長の目、血のように赤い唇、人形のように白くてなめらかな肌――その印象的な風貌にも、変わるところはなかった。
(だけど……やっぱり、気になっちまうな)
ギャムレイは水筒の水で咽喉を潤してから、あらためてベラのほうを見た。
「なあ、ベラの姐さん。ちょいと聞きたいことがあるんだが……どうか怒らずに聞いてもらえるかい?」
「あン? そんな念押しをされたって、腹が立つときは立つだろうさァ。アタシを怒らせたくないんなら、口をつつしむこったねェ」
と、ベラはむしろ愉快げに目を細める。
ギャムレイは、石片にまみれた右手で頭をかきむしった。
「でも、どうにも気になっちまうんだよ。もしも腹が立ったなら、死なないていどの折檻で勘弁してくれや」
「アンタにしては、前置きが長いねェ。どれだけ腹立たしいことを口にするのか、ちょいと楽しみになってきたよォ」
「楽しんでもらえたなら、幸いだ。姐さんは、その……ちっとばっかり、太っちまったのかい?」
ギャムレイの言葉に、ベラはいっそう目を細めた。
まるで微笑んでいるかのような表情であるが、ギャムレイとしては鳥肌を禁じ得ない。このベラを本気で怒らせたらどれほど恐ろしい目にあうことになるのか、ギャムレイは想像したくもなかった。
しかしそれでも、ギャムレイは指摘せずにはいられなかったのだ。
ベラはいつもゆったりとした朱色の装束を纏っているため、あまり判然としないのだが、どうにも腹のあたりがぽっこりと膨れているように思えてならないのである。
もちろんそれが外見上だけの話であるならば、ギャムレイが文句をつける筋合いもない。こんな生活をしていて余計な肉がつくぐらい滋養が行き渡っているならば、むしろめでたいぐらいだろう。しかし先日の舞台においては、ベラの曲芸に普段ほどの切れ味を感じなかったのだ。それでギャムレイは、ずいぶん懸念を覚えていたのだった。
「……そうかい。アンタごときにカンづかれるようじゃ、そろそろ潮時ってことかねェ」
微笑むように目を細めたまま、ベラはそう言った。
「うン。アタシもハラをくくったよォ。今日にでも、他の連中に事情を打ち明けるとするかねェ」
「事情って何だよ? そいつはまさか、厄介な病魔か何かなのか?」
ギャムレイが勢い込んで身を乗り出すと、ベラは咽喉を鳴らして笑った。
「病魔とは、ちょいと毛色が違うんだよねェ。コイツは呪いであり、宿業ってヤツなんだよォ」
「呪い? 宿業? なんなんだよ、そりゃ? 俺にもわかる言葉で説明してくれ」
「そんなに急かすもんじゃないさァ。……実はアタシは大昔に、不老不死の呪いをかけられてるんだよォ」
ベラは何をもったいぶる様子もなく、そんな言葉を口にした。
しかしギャムレイは、混乱するいっぽうである。
「ふ、不老不死? そいつはちょっと、冗談が過ぎるぜ?」
「何も冗談なんかじゃないさァ。アタシは禁忌の魔術師ってヤツに、魔術の実験台にされちまったんだよォ。でも、その魔術は大失敗で、アタシには厄介な呪いがかけられちまった。それで、こんなモンは何の役にも立たないってことで、くそったれな魔術師もトンズラこいちまったのさァ」
そのように語りながら、ベラは丸く膨らんだ腹部をゆったりと撫でさすった。
「おかげでアタシは死ぬこともできずに、延々と生き続けなきゃならない。ただ、不老不死なんて御大層なことを言っても、人間の肉体ってェのはいつか朽ちるもんだからねェ。この肉体はそろそろ限界だから、新しい肉体を生み落とさないといけないんだよォ」
「あ、新しい肉体?」
「そう。蛇が脱皮をするようなモンさァ。アタシは新しい自分を生み落として、そっちに魂を乗せ換える。もうあと三回ばかりも月が巡ったら、アンタもその片っぽしかない目で見届けられるだろうさァ」
ギャムレイは、今度こそ惑乱の絶頂に至ることになった。
「つ、つまり姐さんは、子を孕んでるってことかい? な、なんでそんな大事なことを、今まで隠してたんだよ? それじゃあ、相手は誰なんだ? まさか……座員の誰かじゃねえだろうな?」
「アンタ、今までナニを聞いてたのさァ? アタシが生まれ変わるのに、男の子種なんざ必要ありゃしないんだよォ」
ベラはやたらと幅の広い袖で口もとを隠しながら、くすくすと笑い声をこぼした。
「あ、姐さんこそ、何を言ってやがるんだよ? 仲間内で、虚言はご法度だろう?」
「だからアタシは、まじりけのない真実を語ってるんだよォ。ま、信じるか信じないかは、おまかせするさァ」
ベラはふわりと装束の裾をひるがえして、きびすを返してしまう。
ギャムレイは呆気に取られてしまい、それを追いかけることもできなかったのだった。
◇
「……なあ、これはどういうことなんだよ?」
ギャムレイが小声で問い詰めると、トゥーイは「知らねえよ」と真っ青に染めあげられた顔をしかめた。
夜は更けて、晩餐の刻限である。辺境の真ん中で盛大に火が焚かれて、今日の収穫が詰め込まれた鉄鍋が煮込まれている。座長のダルドロは女の座員たちと盛り上がっているが、ギャムレイはその輪から外れてトゥーイとペテルを詰問しているさなかであった。
この晩餐の準備が始められる前に、ベラはすべての座員の前で事情を明かしていた。ギャムレイが聞かされたあのわけのわからない話が、そっくりそのまま繰り返されたのだ。
初めは誰もがきょとんとしていたが、気づけばこの騒ぎである。ギャムレイのように文句をつける人間は他におらず、ひたすらベラの懐妊を祝福しているような有り様であった。
「とりあえず、ベラが子を孕んだってのは間違いのねえことなんだろうさ。ったく、そんな身体で曲芸なんかするんじゃねえよ。俺の振り回した棒が腹にでも当たってたらって想像すると、背筋が寒くなっちまうぜ」
「た、確かにベラは、少し動きが鈍かったですもんね。でも、まさか子供を孕んでいただなんて……俺は想像もしてませんでした」
と、もしゃもしゃの茶色い髪から巨大な二本の角を生やした大男のペテルは、しみじみと息をつく。いっぽう全身を青く染めあげた曲芸師のトゥーイは、ずっとしかめっ面であった。
「……子を孕んだんなら、そりゃあめでたい話だよ。でも、どうしてそれをあんなわけのわからねえ話でごまかそうとするんだ? あれは、誰が父親なのかを隠したいだけなんじゃねえのか?」
そんな言葉を囁きながら、ギャムレイはトゥーイとペテルの顔をにらみつけた。
「まさか……お前らが姐さんのお相手なんじゃねえだろうな?」
「冗談ぬかすなよ。あのベラを相手に、そんな真似ができるかってんだよ」
「そ、そうですよ。そんなの、あまりに恐れ多すぎます」
「それじゃあ、やっぱり……座長なのか?」
ギャムレイがこっそり目を向けると、ダルドロは果実酒の土瓶を掲げて高笑いをしている。そしてベラ当人は、千里眼の老婆ノッドと踊り子のラミカにはさまれて、静かに妖艶に微笑んでいた。
黒猿の子を抱いたシャントゥは柔和な笑顔でその場を見守っており、占星師のライラノスはひとり輪から外れてぽつねんと座している。あとは狼と大鷲がどこかの暗がりにひそんでいるばかりで、これが座員のすべてであった。
「シャントゥやライラノスは、まあ除外していいだろう。それでお前らが違うって言い張るんなら、あとは座長しか考えられねえよな」
「ふん。俺にしてみりゃあ、一番あやしいのはお前だけどな」
トゥーイのぶっきらぼうな言葉に、ギャムレイは「あん?」と眉をひそめる。
「俺がそんな真似するもんかよ。だいたい、俺が仲間入りしたのは三ヶ月前だろ? たった三ヶ月で、ああまで腹が膨れるもんか」
「ベラはなりが小せえから、普通より目立つだけかもしれねえだろ。お前は自分の足で歩けるようになるまでずっとベラと同じ荷車にこもってたんだから、一番あやしいじゃねえか」
「ふざけんな。自分の足で歩くこともできねえような有り様で、そんな悪さができるかってんだよ」
「人間は死にかけると、子供を残してえって本能が働くって話だぜ? お前なんかはベラに下の面倒も見られてたんだから、うってつけだ」
ギャムレイが思わず身を乗り出そうとすると、ペテルが大慌てで割って入った。
「も、もうやめましょうよ。座員同士で争うのも、ご法度のはずですよ?」
トゥーイは「ふん」と鼻を鳴らすと、大儀そうに身を起こした。
「やめだやめだ。馬鹿らしくって、つきあってらんねえよ。おい、俺にも酒をよこしやがれ」
トゥーイが賑わいの場に向かっていくと、ペテルはおずおずとギャムレイに微笑みかけてきた。
「ト、トゥーイも俺もギャムレイと同じように、ベラを頼りにしてたんです。だからそんな、大それた真似はできませんよ」
「……じゃ、やっぱり座長か。俺も座長が一番あやしいと思ってたんだ」
「い、いえ。座長だったら、そんな話を隠したりはしないはずです。仲間内で、虚言はご法度ですからね」
そう言って、ペテルものそりと巨体を起こした。
「だ、だから俺は、ベラの言葉を信じることにします。ベラだって、大切な仲間なんですからね」
そうしてギャムレイは、ひとりになった。
そこに、シャントゥがひょこひょこと近づいてくる。右腕一本で子猿を抱きかかえつつ、左手には粗末な木皿が掲げられていた。
「ほれ、おぬしの分だ。兎も魚もまとめて放り込んでしもうたが、なかなかいけるようだぞ」
「……ああ、そうかい」と、ギャムレイは荒っぽく木皿をひったくる。
シャントゥは「ほほ」と笑いながら、ギャムレイの隣に腰を下ろした。
「おぬしがそのように心を乱すのは、初めてのことだの。そんなにベラの話が気にかかるのだろうかな?」
「……そりゃあそうだろ。あんたは俺より新入りだから、どうってことねえのかもしれねえけどな」
「しかし、おぬしより古株の連中も余念なく祝福しておるようだぞ。……もしやおぬしは、ベラに懸想しておったのかの?」
「……そういう話じゃねえんだよ」と、ギャムレイは深々と息をつく。
シャントゥは「ほほ」と笑いながら、両腕で子猿の身を抱えなおした。
「であれば、おぬしも祝福してやるがよい。何にせよ、子というのは宝なのだからな」
まるでシャントゥに賛同を示すかのように、子猿が「きい」と甲高い声をあげる。
そのつぶらな黒い瞳で見つめられても、ギャムレイの心はいっこうに晴れなかった。




