07 世捨て人
「まったく、酔狂なこったねェ」
そんな風にぼやいたのは、童女のベラであった。
自由開拓民の集落で芸を見せた翌日、《ダルドロの一座》はさっそく化け物がひそむという山中に足を踏み入れることになったのだ。
ただし、荷車と半数ばかりの座員は山麓に残している。山あいの獣道を突き進んでいるのは、腕に覚えのある座員たち――座長のダルドロ、童女ベラ、獣人ペテル、そしてギャムレイの四名であった。
「あ、あの……やっぱり俺なんかより、トゥーイのほうがよっぽど役に立つんじゃ……」
とてつもない怪力を持ちながら純朴な人柄であるペテルが気弱げな声をあげると、ダルドロは山林に高笑いを響かせた。
「こんな山の中じゃ、あいつが棒切れを振り回すのも難儀だろうがよ? それに、女連中を守る人手も必要だからな!」
「だったら、アタシは何なのさァ? アタシだって、か弱い女のひとりだよォ?」
「どの口が言いやがる! 一番おっかねえのは、お前さんじゃねえか!」
ベラは肩をすくめてから、横目でギャムレイをねめつけてきた。
「それに、アンタもさァ。間違っても、山火事なんざ起こすんじゃないよォ?」
「俺の目的は、奇術の材料集めだよ。こればっかりは、人まかせにできねえからな」
この山には、炎の奇術に有用な木の実や鉱物が存在するようであるのだ。とりわけ鉱物の判別というのは、素人には難しいはずであった。
(って、俺は玄人だってのかよ? いったい前世では、どんな生活を送ってたんだかな)
そんな思いを胸の片隅に抱えながら、ギャムレイは獣道を突き進む。こちらの山は大した標高でもなく、集落の住民たちも山腹までのぼって果実などを収穫していたという話であるのだ。頼りない獣道も、それなりに踏み固められていた。
毛むくじゃらの身体に革の外套を纏ったダルドロは、意気揚々と先頭を歩いている。彼はギャムレイよりも小柄であったが、その身は南の民のように肉厚で固太りしているのだ。そしてその身は異様に頑丈であるために、荒事にも恐れはないようであった。
いっぽう獣人ペテルは規格外の怪力を持つ巨漢であるが、ずっと怯えた眼差しで周囲を見回している。そして両名ともに、腰に下げているのは薪割り用の手斧のみだ。《ダルドロの一座》の荷車には、トゥーイが狩猟で使う弓矢ぐらいしか武器と呼べるようなものは積まれていなかった。
(ベラの姐さんなんざは、こんなちっこい身体だけど……まあ確かに、いざというときには一番頼りになりそうだな)
それにベラは驚くほど身軽であるため、どんな窮地に陥っても逃げることができそうだ。ギャムレイもそれほど仲間の心配はせずに、歩を進めることができた。
「お、川の音がしてきやがったぞ! まずは最初の目的地に到着したようだな!」
ダルドロが言う通り、茂みを抜けると川辺に行き着いた。
魚が泳ぐこともできなそうな小川であるが、川辺は小石で埋め尽くされている。ギャムレイの目的は、その小石であった。
「俺が探してるのは、コルの石だ。白い石の中に紫色の粒が散ってるんで、それっぽいもんがあったら集めてもらえるかい?」
「ふん! 石拾いなんざ、餓鬼のお遊び以来だな!」
そうしてギャムレイたちは、ひとまず石の採取に励んだ。
しかし、川辺の小石は半分がた白いのだ。そこから目当ての石を探し出すというのは、そう簡単な話ではなかった。
「あ、あの、こういう石でいいんですか?」
しばらくして、ペテルがおずおずといくつかの小石を差し出してきた。
「ああ、これだこれだ。こいつが、コルの石だよ」
その内のひとつをつまみあげながら、ギャムレイは忌々しい日の光にかざした。白い石に、紫色の結晶が点々と散っている。
「だけど、こっちのこれは外れだな。紫じゃなくて、黒いだろ?」
「ええ? お、俺にはちょっと区別がつきませんけど……」
「だから、俺が出向くしかなかったんだよ。外れの石まで持ち帰ってたら、大荷物になっちまうからな」
座員たちが拾い集めた小石は最後にギャムレイが検分して、目当ての品だけを持参した荷袋に詰め込んでいく。
そんな作業を半刻ほど続けたところで、ダルドロが「あーあ!」と声を張り上げた。
「さすがに飽きてきちまったな! だんだん腹も減ってきたし、そろそろ果実でも探すとするか!」
「ざ、座長。そんな大声をあげたら、化け物どもが寄ってきちまいますよ」
ペテルが巨体を縮めながら弱々しい声をあげると、ダルドロは呵々大笑した。
「俺たちは、そいつを探しに来たんだろうがよ! 向こうからやってくるなら、手間がはぶけるじゃねえか!」
すると、ベラが「ふうン」と声をあげた。
「じゃ、その幸いに感謝でも捧げるこったねェ」
「あん? そいつはどういう――」
ベラのほうを振り返ったダルドロは、そこで言葉を呑み込む。
そして、ペテルが「ひいっ」とへたりこんだ。
小川の向こうの茂みから、巨大な獣が眼光を燃やしていたのだ。
まだその全容は見て取れないが、その獣は並の人間よりもよほど巨大な図体をしているようであった。
「ふん……こいつはジャガルの犬ってもんに似てるようだが……こんな馬鹿でかい犬なんてのは、見たことも聞いたこともねえなあ」
押し殺した声で、ダルドロはそう言った。
その間も、巨大な獣は不動でこちらを睨み据えている。その獣毛は灰褐色をしており、双眸は黄色く燃えあがっていた。
「犬なんざ、アタシぐらいの大きさでも人様を噛み殺すことができるんだからねェ。あんな馬鹿でかい犬、まともにやりあっても勝ち目はないよォ」
「ふふん。剣士様じゃあるまいし、まともにやりあう必要なんざねえだろ」
ダルドロは不敵に笑いながら、腰の手斧をそっと握りしめた。
「おい、ギャムレイ。炎の奇術は、いつでもぶっぱなせるな?」
「ああ。だけど、すばしっこい獣なんざに命中させるのは、まず無理だぜ」
「だったら、動きを止めてやるよ。あいつが俺に噛みついたら、どこでも好きに焼いてやれ」
「いやいや。いくらなんでも、そいつは――」
ギャムレイがそこまで言いかけたとき、忌々しい陽射しがふっと陰った。
それを不自然に感じて頭上を見上げたギャムレイは、再び呆気に取られる。空中に、途方もなく巨大な鳥が浮かび上がっていたのだ。
大きく広げられた翼は、人間が腕を広げたよりも幅がある。
その胴体も、下手をしたらベラぐらいの大きさであろう。その足先には、刃物のような鉤爪が生えていた。
巨大な翼をバサバサと羽ばたかせながら、その巨鳥が「ケエッ」と鋭い声をあげる。
ペテルは「ひゃあっ!」と角の生えた頭を抱え込み、ダルドロは「おいおい」と苦笑した。
「こいつは、大盤振る舞いだな。ま、いいさ。最初に襲いかかってきたほうの顔面を焼いてやれ」
すると――どこからともなく、「それは困るのぉ」というとぼけた声が響きわたった。
「そやつらは、決して自分から人を襲ったりはせん。どうかそちらも、物騒な真似は差し控えてもらえんかな」
「ついに、頭目の登場かい。荒事を避けたいのは、こっちも同じこった。よければ、腹を割って話そうじゃねえか」
「ふむ。胆の据わった御仁だの」
そんな言葉とともに、巨大な犬じみた獣のかたわらで茂みが動いた。
そこから現れたのは、ぼろきれのようなものを纏った痩身の人間である。
ざんばらにのばした髪は灰色で、痩せこけた顔も同じ色合いの髭に覆われている。一見は枯れ果てた老人のようだが、ただその茶色い瞳には瑞々しい光が宿されていた。
だが――その奇怪な人物は、その腕に異形の存在を抱きかかえていた。
真っ黒の獣毛に覆われた、獣の赤子である。ただその赤子は長い腕と短い足を有しており、まるで人間のような形状をしていた。
「ふふん。確かに獣のほうは化け物ぞろいだが、お前さんは意外に話が通じそうだな」
腰の手斧に指先を添えたまま、ダルドロはふてぶてしい笑みを投げかけた。
「しかし、集落の連中はお前さんのことも化け物あつかいしていたぞ。そいつは、どうしてなんだろうな?」
「それは、わしが何かを語る前に逃げ帰ってしまうからだろうな。何も悪さをする気はないのだが、こやつらとともにあるだけで化け物あつかいされてしまうのだ」
そんな風に言ってから、その男はヒュッと口笛を吹いた。
すると、ギャムレイたちの頭上に浮かんでいた巨鳥が大きく翼を羽ばたかせて、男のもとに着地する。その頭は、やはり男の胸もと近くにまで達していた。
「へェ。アンタは本当に、そいつらを自由に操れるんだねェ」
ベラが笑いを含んだ声をあげると、男は穏やかな面持ちで「うむ」とうなずいた。
「わしとこやつらは、家族なのでな。こやつらも、年長者たるわしを敬ってくれておるのだ」
「獣が家族か! こいつはいい! お前さんも、とびきりのはみだしもんだな!」
ダルドロは高笑いをあげて、手斧から指先を離した。
「俺は旅芸人、不死身のダルドロという者だ! お前さんは、何者なんだ?」
「わしは俗世を捨ててしまったので、もはや名前を呼ばれることはないがな。かつては、シャントゥと呼ばれておったよ」
「そうかそうか! とりあえず、腹を割って話そうじゃねえか! そっちが悪さをしねえってんなら、俺たちが暴れる理由もねえんだからよ!」
ダルドロは、川辺にどかりと座り込む。ベラとギャムレイもそれにならい、ペテルは最初からへたりこんでいた。
それを見て、シャントゥと名乗った男はかたわらの獣の首筋を撫でる。すると獣は茂みに半分がたもぐったまま身を伏せた。
「ふふん。そうして大人しくしていれば、なかなか可愛げもあるじゃねえか。そいつらは、いったいどういう獣なんだい?」
「こちらは黄の山の狼、こちらは青の谷の大鷲だ。こやつらも同胞とはぐれてしまったため、わしが面倒を見ることになったのよ」
「ふうン」とベラも声をあげた。
「それじゃあ、後生大事に抱え込んでる、そいつは何なのかねェ?」
「こやつは、黒き森の猿だ。黒き森は数十年前に焼かれてしまい、何頭かの黒猿だけが逃げのびたようなのだが……それらもすべて死に絶えて、こやつが最後のひとりになってしまったのよ」
シャントゥが慈愛に満ちた眼差しで頭を撫でると、黒き森の猿とやらは「きい」と甲高い声をあげた。
よくよく見るとその顔や胸のあたりには獣毛が生えておらず、青黒い皮膚が剥き出しになっている。鼻は潰れて、唇はめくれあがり、なまじ人間に似ているためにずいぶん恐ろしげな風貌であったが――ただその黒い瞳は、とてもつぶらであった。
「つまりお前さんは、はぐれもんの獣をあちこちから集めて面倒を見てるってわけかい。こいつは、ますます重畳だ」
話を聞けば聞くほどに、ダルドロは喜悦の面持ちになっていく。ギャムレイの目から見ても、シャントゥのような奇人はダルドロの眼鏡にかなうのだろうと思えてならなかった。
(ま、俺もそのひとりなわけだしな)
ギャムレイがそんな感慨を噛みしめていると、ダルドロは「で?」と身を乗り出した。
「お前さんは、ひと月ほど前からこの山に棲みついたってんだろう? それまでは、どこで何をしていたんだい?」
「わしはもう何年も前に俗世を捨てて、ひとり気ままに辺境の地をさまよっておったのだ。それでふた月ほど前にこの子猿と巡りあい、こやつが育つまでは腰を落ち着けるべきかと判じてこの山にお邪魔したのだが……裏の山腹で樹木が伐採され始めたため、ひと月ほど前にこちらに移り住んだのよ」
「ほうほう。それで集落の連中と行きあっちまったわけだな」
「うむ。できれば誰とも関わりたくなかったのだが、この辺りで飲み水にできるのはこの小川ぐらいなのでな。むやみに驚かせてしまい、申し訳ないことだ」
シャントゥは如何にも飄然としており、悪意の欠片も感じられない。ただその周囲に集った獣たちの迫力で、化け物あつかいされていたようであった。
「……だったら、集落の連中とも腹を割って話をしてみたらどうだ? あっちは果実なんかを収穫したいだけなんだから、お前さんと縄張り争いをする必要はねえだろう」
と、ダルドロはふいに探るような眼差しをシャントゥに突きつける。
かつてはギャムレイも、同じ眼差しを向けられた覚えがあった。
「いや……何を話しても、詮無きことであろうよ。真っ当な人間にとって、獣と心を通じ合わせるような者は化け物に他ならんのだ」
あくまで穏やかな面持ちのまま、シャントゥはそう言った。
「それに、狼も大鷲も人間とは比較にならないほどの力を持っておる。決して人間を傷つけないと伝えても、なかなか信じてもらうことはできんだろう。だからわしは俗世を捨てて、獣と生きる道を選んだのだ」
ダルドロは「そうかそうか」とにんまり笑った。
「確かに集落の連中は、お前さんがいずれ山から下りてくるんじゃねえかと怯えてたぜ。それでついに恥を忍んで、王国に助けを求めようとしていたぐらいだからな」
「そうか……この山も、安住の地にはならんようだの」
シャントゥは切なげに息をついて、また子猿の頭を撫でた。
「こやつがもう少し大きくなるまでは、腰を落ち着けておきたかったのだが……またどこかの山や森を探すしかないの」
「だったらいっそ、山を下りてみちゃあどうだい? 俺たちと一緒にいりゃあ、人の目を恐れる必要もねえだろうしな!」
シャントゥは「ほ?」と目を丸くした。
「それは、どういう話なのかの。おぬしらは、旅芸人と申したか?」
「おう! すべてのしがらみからそっぽを向いた、はみだしもんの集まりだ! お前さんは獣のはぐれもんを集めているようだが、俺は人間のはみだしもんを集めているのよ!」
ダルドロは黄色い乱杭歯を剝き出しにして、にいっと笑った。
「お前さんがそいつらを自由に扱えるってんなら、それだけで芸になる! 芸を見せれば食料に化けるし、食いっぱぐれることもねえ! それに、俺たちが巡ってるのは辺境の地ばかりだ! 獣どもは行き道で、好きに獲物をあさりゃあいいさ!」
「それはまた……とんでもないことを抜かす御仁だの。よりにもよって、この世捨て人に芸を見せろと仰るか」
「世捨て人は、こっちも同様だってんだよ! 俺たちはみんな故郷も家族も打ち捨てて、気楽に旅を楽しんでるんだ! それなら、お前さんと同じこったろう?」
シャントゥは、茶色い瞳でダルドロの笑顔を静かに見つめる。
その瞳もまた、子猿に負けないぐらい無垢であり――そして、灰色の髭に覆われた口もとにも、やがて澄みわたった微笑がたたえられたのだった。




