03 喪失
あっという間に、三ヶ月もの日々が過ぎ去った。
その期間、ギャレットはずっと軟禁されている。あの夜に連れてこられた丸太作りの家屋の二階で、ひたすら火薬の研究に没頭しているのだ。
こちらの家屋は常時複数の男たちに見張られているため、炎の奇術を駆使しても逃げられそうにない。それにおそらく、ここは辺境の地に準備された秘密の隠れ家であるのだ。たとえ男たちの目を眩ませて木の塀を乗り越えることができたとしても、辺境のど真ん中から安全な土地まで逃げおおせる算段が立たなかった。
そうと割り切ったギャレットは、ひたすら火薬の研究に勤しんでいる。
ただし、この計画の首謀者の命令通りに爆薬の研究をしているわけではない。その目を盗んで、炎の奇術の研究に取り組んでいるのである。
ギャレットがその気になれば、ダイナマイトに似た代物を作りあげることは難しくない。この文明レベルが低い世界においては、そのていどの品でも十分に重宝されるはずだ。鋼の剣や鉄板を張った盾などで、ダイナマイトに太刀打ちできるわけがなかった。
しかし、もしもそのような品を持ち出したら、この世界のパワーバランスが崩れることになる。
そしてギャレットは、大量殺戮兵器の開発者という身分に成りおおせるのだ。ギャレットが、そんな未来を望む理由はなかった。
(俺の目標は、ファイアーマジックで成り上がることなんだよ。この世界の縄張り争いに加担するなんて、ふるふる御免さ)
そんなわけで、ギャレットはひたすら私欲を満たしていた。
何せこの場では、ギャレットが要求するだけであらゆる物資が準備されるのである。火薬の研究を進めるのに、これほど絶好の環境は他に存在しなかった。
(ま、いざとなったらそれこそ催涙弾みたいなもんでも作りあげて、見張りの連中を制圧してやるさ。それでトトスと荷車をぶんどって、おさらばだ)
そんな具合に、ギャレットは楽天的に過ごしていた。
もとよりギャレットは、身体ひとつでこの世界に放りだされた身であったのだ。日雇いの肉体労働に励みながら研究していた日々を思えば、むしろ安楽なぐらいであった。
「……ギャレットよ、研究は進んでおるか?」
と、その日の夜にはひさびさに首謀者の男が現れた。
でっぷりと肥えた、商人風の男である。ギャレットを軟禁してからはこの男も素顔をさらすようになっていたが、べつだん目にしたいと思えるような面相ではなかった。
その他に二名の護衛役と、あとはギャレットをこの場所まで案内したにやけ顔の男も同行している。彼らは誰もが首謀者の男に対して絶対服従のかまえであった。
「いやぁ、なかなかに難渋しております。火薬の破壊力を上げられるようにさまざまな鉱物の組み合わせを試しているのですが、どうにも期待通りの結果を得られないもんで」
ギャレットがいつもの調子で適当な言葉を返すと、男はにたにたと笑いながら両目に暗い感情をたたえた。
「其方にこの場を与えてから、すでに三ヶ月が過ぎておる。それだけの期間をかけて何の進展も見られないとは、怠惰に過ぎるというものではなかろうかな?」
「厳しいお言葉はごもっともですが、俺はちんけな炎の奇術を形にするのにも数年がかりだったんです。なかなかどうして、そう簡単な話ではないんですよ」
ギャレットが真面目くさった面持ちで肩をすくめると、男は「そうか」と目を細めた。
「しかしやっぱりわたしの目には、其方に勤勉さが欠如しているように見受けられる。ここはひとつ、期限でも切るべきであろうかな」
「期限ですか。でも、焦ったところで研究が進むわけではないですからねぇ」
「人間というのは、追い込まれることによって限界以上の力を振るうことができるものであるのだ。……あと十日の内に目ぼしい成果をあげられなかったときは、其方の右足をいただくことにしよう」
男は醜い顔に醜い笑みをたたえながら、そう言った。
「無論、其方が魂を返さないように処置をするので、案ずることはないぞ。事前に医術師を準備した上で、其方の右足首を切り落とす。べつだん、研究をするのに足は必要なかろうからな」
「いやいや。そんな風に脅されましても――」
「それでも足りなければ、次の十日で左足首だ。これで其方も、懸命に働く気になろう」
どうやらこの男は、本気のようである。
ギャレットはへらへら笑いながら、卓上の物資に視線を巡らせた。いつ何が起きてもいいように、卓上には武器となるような火薬が準備されているのだ。
(いやいや、落ち着け。強行突破で逃げ出すとしても、時期を見るんだ。こいつがいる間は、普段以上に警備が厳重なんだから……逃げ出すんなら、こいつが消えた後だ)
そうしてギャレットが肩の力を抜いたとき、階下からおかしな声が聞こえてきた。
明らかに、諍いを起こしている気配である。首謀者の男は不快げに眉をひそめながら、護衛役の男を振り返った。
「何事だ? 様子を見てまいれ」
護衛役のひとりが「はい」とうなずき、扉に手をかける。
そして男は扉を開くと同時に、その場にへたりこんだ。
その男を蹴散らすようにして、三つの人影が室内に踏み入ってくる。
それはフードつきマントで人相を隠した、東の民に他ならなかった。
「な、なんだ、貴様らは!」
首謀者の男と腰ぎんちゃくの男は慌てた顔で引き下がり、もう片方の護衛役が腰から剣を抜こうとする。
すると、東の民のひとりが吹き矢から毒矢を射出した。
顔面に毒矢をくらった護衛役の男はびくんっと全身を痙攣させてから、その場にくずおれる。東の民が毒の扱いに長けているというのは周知の事実であったが、ギャレットがその手腕を目の当たりにしたのは初めてのことであった。
「ど、どうしてこんな……貴様らは、ゲルドの山賊か? あのような北の果てから、わざわざこのような場所まで押しかけたというのか?」
首謀者の男は傲然と声を張り上げたが、腰ぎんちゃくの男は子供のように震えてしまっている。東の民たちは感情の読めない目つきで、そんな二人の姿を見比べた。
「我々、ゲルドの山賊、あらず。……この世、摂理、守る、有志です」
「こ、この世の摂理? わ、わたしはただの商人だぞ! どうして東の民などにつけ狙われなくてはならんのだ!」
「あなた、摂理、乱すためです。あなた、運命、歪み、巻き込まれたのです」
東の民は、感情をあらわにすることを恥と考えている。よって、この場の三名も人形のような無表情であり、それがいっそうの威圧感をかもしだしていた。
「ただし、あなた、自ら、凶運、つかみました。おぞましき欲得、身、滅ぼずのです。魂、返したのち、西方神、許し、乞いなさい」
「ふ、ふざけるな! シムの黒蛇なんぞに、このわたしが――!」
と、首謀者の男は懐からちんけな短剣を抜き放つ。
それと同時に毒矢が飛来して、男の口を永久に閉ざした。
最後に残された腰ぎんちゃくの男は「ひいっ」と情けない声をあげて、頑丈な格子のはまった窓のほうに駆け寄ろうとする。その首筋にも、同じ毒矢が放たれた。
そうして四人もの人間が沈黙した。
護衛役の男たちも、もはや呼吸をしている様子はない。そして階下からも、いっさい物音は聞こえなくなっていた。
「……いやぁ、助かったよ。俺は無理やり連れてこられて、こんな場所に閉じ込められてたんだ」
卓上の火薬の位置を頭の中で計算しながら、ギャレットはことさら気安く声をあげた。
感情の読めない三対の目が、ギャレットの姿を静かに見つめ返してくる。その内のひとりが、仲間に対して「……どうです?」と問いかけた。
「はい。この者、星、ありません。《星無き民》です」
「やはり、そうでしたか。……父なる東方神、その兄弟たる西方神、聖なる存在、滅ぼすこと、お許しください」
そのようにつぶやいた東の民が、矢筒に新たな毒矢を仕込んだ。
「ちょっと待ってくれ! 俺は本当に、こいつらの仲間じゃないんだ! 危険な武器を開発するように命じられたけど、ずっと働いてるふりをしてただけなんだよ!」
「……そうですか。あなた、正しき心、持っているのですね。胸、痛みます」
その東の民が矢筒をくわえようとしたため、ギャレットは「おいおい」と言いつのった。
「それでも俺を殺そうってのか? そんなの、あまりに無法じゃねえか。東の民ってのは、もっと温厚な連中だと思ってたぜ」
「……我々、摂理、守る、有志なのです。あなた、摂理、乱す、存在なのです」
「俺はただの奇術師だ。今後も人様を傷つけるつもりなんかない。それでも、容赦しねえってのか?」
「はい。あなた、人柄、志、関係ありません。肝要、あなた、知識、および、技術であるのです」
矢筒を口もとにあてがったまま、東の民はそう言った。
「あなた、新たな知識、新たな技術、この世界、もたらすのでしょう。ですが、我々、その技、この世界、不要、判じました。あなたの技、危険、過ぎるのです」
「……俺だって、好きでこんな世界に来たわけじゃない。それなのに、今度は一方的に殺されなきゃならねえってのか?」
「はい。胸、痛みます。ですが、摂理、守るためなのです。《星無き民》、この世界、繁栄、もたらすはずですが……あなた、もたらす、混沌と破滅です」
東の民は西の言葉が覚束ない上に、このたびはいっそうわけがわからないことを口にしている。
しかしギャレットは彼らの言葉を自分の境遇に重ねることで、見えてくるものがあった。
「《星無き民》だか何だか知らねえけど、俺をこんな世界に放り込んだのは神様か何かなんだろう? それでけっきょくこんな騒ぎで終わっちまうなんて、ずいぶんお粗末な話じゃねえか。この世界の神々ってのは、そんな能無しの集まりなのか?」
「……あなた、《星無き民》です。ゆえに、四大神、信仰心、持っていないのでしょう。ですが、愚弄、許されません」
「俺はこんなみじめな死にざまをさらそうとしてるんだから、文句のひとつも言いたくなるのが当たり前だろうがよ? この世界の神々ってのが能無しじゃないってんなら、俺には生きる価値や意味ってもんがあるんじゃねえか?」
ギャレットはこの世界の住人たちの信仰心に、一縷の望みを託したのだ。
しかし、東の民の無感情な様子に変わりはなかった。
「運命、司る、神々です。今日、この日、運命もまた、神々、意志であるのです。我々、読み解けない、意味、あるのでしょう」
「そんなもんは、詭弁だね。俺がここで死んじまったら、この世界で生き返った意味がない。この世界の神々が、そんな意味のないことをするってのかい?」
矢筒を構えた東の民が、初めて考え込むような目つきになる。
しかし、その口から放たれた言葉は、ギャレットの期待から大きく外れていた。
「であれば……道、間違えた、あなたなのでしょう」
「あん? 俺が何を間違えたってんだよ? 俺なんざ、炎の奇術しか取り柄がねえんだ。炎の奇術がこの世界の害にしかならねえってんなら、俺を生き返らせる意味なんざねえだろ」
「いえ。その技、この世界、不要です。あなた、その他、この世界、繁栄させるすべ、持っているはずです」
「しつけえな。俺には炎の奇術しか――」
そこまで言いかけたところで、ギャレットははたと思いあたった。
ギャレットは確かに奇術師の弟子であったが、それ以前は農家の次男坊であったのだ。農業の知識に関してだけは、幼少期から嫌というほど叩き込まれていた。
そしてギャレットがこの世界に生まれ落ちたとき、すぐそばにはガーデという農園で有名な領地があった。しかしガーデは不作に次ぐ不作で、つい先年に滅んでしまったのだ。
もしもあのとき、ギャレットがゾイナではなくガーデに向かっていたら、いったいどうなっていたのか――硫黄華を火薬の原料ではなく農薬として扱っていたならば、いったいどうなっていたのか――
そこまで考えたところで、ギャレットは大笑いしてしまった。
「そりゃいいや! つまりこの世界の神どもは、俺に農民として生きることを期待してたのかよ? そんなもん、俺の親父と同類じゃねえか! あのクソ親父と同レベルの神々なんざに、従ってたまるかよ!」
「はい。《星無き民》、逸脱者です。ですが、あなた、《星無き民》としても、逸脱、しているのでしょう」
東の民はどこか満足そうに語りながら、矢筒を構えなおした。
「もはや、胸、痛みません。あなた、神々の意志、背いたゆえ、滅ぶのです」
ギャレットは、「ああ、そうかよ」と溜息をついた。
この東の民たちは、自分が正義だと信じているのだ。ギャレットの経験上、それはこの世でもっともタチの悪い人種であった。
「それで関係者を皆殺しとは、恐れ入ったよ。お前らみたいな無法者の勝手を許す東方神に幸いあれ、だ」
「あなた、運命、呪う資格、あります。あなた、魂、救われること、願っています」
東の民が、吹き矢をくわえる。
そこから毒矢が放たれる前に、ギャレットは右手に隠していたラナの葉で点火した火種を放ったつもりであったが――実際は、一瞬だけ遅かった。ギャレットの手から火種が投じられるより早く、顔面をかばったギャレットの左前腕に毒矢が突き刺さったのだ。
そこから生じた痛みによって、ギャレットの手元がわずかに狂った。
そうして火種は、ギャレットの思惑よりも短い軌道で放物線を描き――もっとも大量の火薬が詰め込まれていた壺の口に落下したのだった。
五色に輝く爆炎が、その場のすべてを吹き飛ばす。
それは世界の終わりのように、美しい光景であった。
(あーあ。炎に始まり、炎に終わるか。ま、俺には相応しい最期だったな)
ちりぢりになっていく意識の中で、ギャレットはそんな風にうそぶいた。
そして――
◇
そして彼は、薄暗がりの中で目を覚ました。
背中から伝わる振動が、彼に不快な覚醒をもたらしたのだ。それで彼が獣のあくびめいたうめき声をもらすと、「おやおやァ?」という女の声が響きわたった。
「ついにお目ざめかァい? ずいぶん時間がかかったもんだねェ」
聞き覚えのない、不思議な声音である。
童女のように繊細な声音であるのに、老婆のような風格があふれかえっている。その声が、彼の耳にねっとりと忍び込んできた。
「どこだよ、ここは……お前は、誰だ……?」
そんな風に語る彼の声は、それこそ老人のようにしわがれている。
謎の女はくすくすと笑いながら、彼の顔を覗き込んできた。
「ここは荷車の中で、アタシは荷車の持ち主だよォ。アンタは三日も寝こんでたんだから、無理をしないこったねェ」
「三日……? 俺はいったい……?」
「アンタは瓦礫の山にうずもれて、死にかけてたんだよォ。それで、アタシらが手当てしてやったのさァ」
そのように語っているのは、まだ十歳ぐらいにしか見えない童女であった。
ただその顔は、人形のように美しい。ぬけるように色が白く、髪や瞳は闇のように黒く、唇は血のように赤かった。
「ま、手当をしたのはコッチの勝手だから、なァんも恩に着せるつもりはないけどさァ。他の連中もアンタに興味津々だから、もうちっとばかり元気になったら相手をしてやっておくれよォ」
「さっぱりわけがわからねえな……けっきょくお前らは、何者なんだ……?」
「アタシらは旅芸人、《ダルドロの一座》だよォ。アタシは笛吹きのベラってモンさァ」
ベラと名乗る童女は赤い唇を吊り上げて微笑みながら、そう言った。
「それじゃあ、アンタも名前を聞かせてもらえるかァい?」
「俺は、ギャ――」
と、そこまで言いかけたところで、彼の思考にもやがかかった。
童女ベラは「どうしたんだァい?」と顔を寄せてくる。
「いや……俺は……俺は、誰なんだ……?」
頭の中に渦巻く記憶の欠片が、次々と白いもやの向こうに溶けていく。
それで最後に残されたのは、色とりどりの炎が爆散する恐ろしくも美しい光景であった。
「ふうン。ま、あんたは死にかけてたんだからねェ。あれこれ混乱したって、おかしいことはないさァ。もう何日かはゆっくり休んで、のんびり力を取り戻しなァ」
童女ベラはそんな風に言ってくれたが、彼の記憶は永久に戻ることはなかった。
謎の爆炎に吹き飛ばされた彼は、記憶と左目と左腕を失ってしまったのだった。




