前編 01 覚醒
2026.8/24
今回の更新は全8話です。
ギャレット・マルチネスが目を覚ますと、そこは何処とも知れない雑木林の真ん中であった。
地面の上で半身を起こしたギャレットは、わけもわからないまま自分の姿を見下ろす。しかし彼は火傷のひとつも負っておらず、五体満足の姿であった。
(どうなってるんだよ、こりゃ……俺は爆発に巻き込まれて、吹っ飛ばされたんじゃないのか?)
ギャレットは師匠の言いつけで、火薬の調合に取り組んでいた。そのとき、ニューヨークではちょっと珍しいぐらいの大きな地震が起きて、危険な火薬の瓶が床に落ち――おそらくは静電気か何かの影響で、大爆発を起こしたのだ。
目の前が真っ赤に染まるのを感じながら、ギャレットは大火傷を負うことを覚悟した。
しかしまあ、ギャレットの師匠などは全身が火傷の痕だらけであったのだ。あの希代の変人と同じような有り様になるのなら、それも悪くない――などと、ギャレットは爆発の一瞬でそんな想念を閃かせながら、運命に身をゆだねたのだった。
それで気づけば、この有り様である。
ギャレットはどこにも火傷を負っておらず、しかも見知らぬ雑木林の真っ只中で呆けている。果たしてニューヨークにこんな雑木林が存在するのかどうか、ギャレットは寡聞にして知らなかった。
(あの大爆発で、記憶のほうが吹っ飛んじまったのか? それにしたって、火傷のひとつも負ってないってのは道理が通らないだろうがよ。それどころか、服にだって焦げ目のひとつもついてないじゃねえか)
トレーラーハウスで火薬の調合に励んでいたギャレットは、小汚いジャンプスーツの姿である。この青いカラーリングは一着しか持っておらず、間違いなく爆発事故の際に着込んでいた品であった。
(まったく、わけがわからねえな……そもそも、ここはどこなんだよ? 夏みたいな暑さじゃねえか)
そうしてギャレットが座り込んだまま思い悩んでいると、雑木林の向こう側から黒い影が近づいてきた。
よくよく観察してみると、ギャレットが座り込んでいるのは雑木林に切り開かれた道のど真ん中であったのだ。そして、近づいてくるのは馬車に似た乗り物であったが――それをはっきり視認したところで、ギャレットはまた仰天することになった。
(おいおい、ありゃあ何のモンスターだ?)
その車を引いていたのは馬ではなく、黄色っぽい羽毛を持つダチョウのような鳥であったのだ。
ただし、ダチョウよりも遥かに巨大であり、それこそ馬をも上回る巨体であろう。それはかつてニュージーランドに生息していたと伝え聞く、ジャイアントモアのごとき姿であった。
その恐竜のような鉤爪に踏み潰されてしまわないように、ギャレットは大慌てで道の端に寄る。
すると、ギャレットの目の前で巨鳥の足が止まり、その手綱を握っていた人物がびっくりまなこを向けてきた。
「お前さん、ずいぶん奇妙な格好をしているな。こんなところで何をやってるんだい?」
そのように語るその人物のほうこそ、まったく見慣れない格好をしていた。見るからに粗末な襟なしのシャツの上に茶色くくすんだジレを羽織り、膝の抜けたボトムに革のサンダルといういでたちだ。イリノイの農家の人間でも、こうまで粗末な身なりはしていないはずであった。
それに、顔立ちもいささか変わっている。茶色い髪と瞳をしているのに、東洋人のようにのっぺりとした目鼻立ちで、なおかつ黄褐色の肌をしているのである。人種のサラダボウルと銘打たれるニューヨークでも、こういった風体の人間を見かけたことはなかった。
(でも、きちんと言葉は通じるんだな)
ギャレットは腹をくくって、その人物に語りかけることにした。
「それが、俺にもさっぱりわけがわからないんだよ。いったい、ここはどこなんだい?」
「ここはゾイナとガーデを繋ぐ街道の真ん中だよ。歩きだと、どちらも数刻がかりの距離だろうがね」
「ゾイナ? ガーデ? 聞き覚えのない地名だな。やっぱりここは、ニューヨークじゃないんだろう?」
「にゅうよおく? そんなけったいな名前の領地は、聞いた覚えもないね。あんた、ダバッグあたりから流れてきたのかい?」
「それも、知らない名前だな。それじゃあここは、どこの州なんだよ? テキサスか? フロリダか? こんな暑いってことは、やっぱり南部なんだろう?」
「そっちも聞き覚えのない名前ばかりだねぇ。言うまでもないけど、ここは西の王国セルヴァの版図だよ。南部と言えば南部だけど、歩いてジャガルを目指せるほどではないかな」
「西の……王国? おいおい、まさか合衆国ですらないってのかよ? そいつは、悪い冗談だぜ」
「すていつって何だよ。あんた……頭は大丈夫かい?」
その人物は、とても気の毒そうな眼差しをギャレットに向けてくる。ついでに巨鳥もギャレットのほうを見やりながら、とぼけた顔で小首を傾げていた。
「俺もだんだん自信がなくなってきたよ……それじゃあ、今日は何年の何月何日なんだ?」
「今日は赤の月の十三日だよ。……何年ってのは、なんの話だい? まさか、大陸歴がどうこうなんて言いだしゃしないだろうね? そんなもんを律儀に勘定してるのは、せいぜい聖堂のお人らぐらいさ」
「いやいや、暦まで違ってるなんて、ありえねえだろ。あんたは英語をしゃべってるんだから、ここは英語圏の国であるはずだ」
「いんぐりっしゅ……ってのもわからないねぇ」
ギャレットは両手で頭をひっかき回してから、天を仰いだ。
「わかった! こいつは、プランクショーなんだな? カメラはどこにあるんだよ? 降参するから、もう種明かしをしてくれ!」
「お、おい。落ち着きなよ。あんた、どこかで頭でもぶつけちまったんじゃないか?」
と、御者の男は心から心配そうに呼びかけてくる。それは、とうてい演技とは思えなかったし――それにギャレットも内心では、これが誰かの悪戯などでないということを理解していた。たとえこの人物がハリウッドスター並の名優であり、この巨鳥が精巧な作り物であったとしても、爆発事故に巻き込まれたギャレットが無傷でいる道理が立たないのだった。
(これが誰かの悪戯じゃないってんなら……神や悪魔の悪戯だってのか?)
そんな風に考えた瞬間――ギャレットの脳裏に、とある光景がフラッシュバックした。
爆発事故の、あの瞬間である。火薬の瓶が床に落ちて、真っ赤な爆炎をあげた瞬間、ギャレットの視界は真紅に閉ざされて――そこで世界が、時間を止めた。
ギャレットは爆炎に包み込まれているというのに、まったく熱さを感じていない。
その代わりに、激烈な痛みが五体に弾け散った。
そして、ギャレットの身は作業場の壁まで吹っ飛んでいき――炎に包まれているギャレットが、それを頭上から見下ろしている。眼下のギャレットは作業着が丸焦げであるのに、それを見下ろしているギャレットは傷ひとつ負っていなかった。
そして、炎に包まれたギャレットはふわふわと宙に引きずりあげられて、眼下のギャレットの姿がどんどん遠ざかっていく。
(いや、ちょっと待ってくれ……!)
ギャレットは惑乱しながら、眼下の自分に手を差し伸べる。
そこで、記憶は寸断された。
「おい……本当に大丈夫かい?」
男の心配そうな声が、ギャレットを現世に引き戻した。
気づけば、ギャレットの全身が脂汗に濡れている。得体の知れない切迫感が、ギャレットの心臓を締めあげていた。
「いや、あんまり大丈夫じゃなさそうだ……俺は……」
自分は、死んでしまったのかもしれない。
たったいま脳裏に蘇ったあの光景は、肉体と魂の分離であるとしか解釈できないように思われた。
(でも、それじゃあ……今の俺は、何なんだよ?)
ギャレットは自分の頬をぴしゃぴしゃと叩いてみたが、まぎれもなく自分の顔の感触であり、痛覚も残されている。身体のほうも健康そのもので、どこにも不調は見当たらなかった。
呼吸をすれば、豊かな緑の香りが感じられる。こんな自然の只中に身を置いたのは、故郷を捨てた十八歳以来のことであったのだ。それから五年ばかりもニューヨークで過ごしていたギャレットには、きわめて懐かしい感覚であった。
「本当に気の毒な限りだねぇ。しがない行商人の俺なんかじゃ、なんの役にも立てないだろうけど……よかったら、ゾイナまで乗っていくかい? それで、司祭さんか衛兵さんでも頼りゃいいさ」
そんな言葉をかけられて、ギャレットはぼんやりと男のほうを振り返った。
「でも、俺は……身の証を立てられそうにない。こんな状態で町まで出向いたら、どうなっちまうんだろうな」
「かといって、こんな場所で夜を明かすことはできないだろう? 後ろ暗いところがないなら、堂々としてりゃいいさ」
そう言って、男は善良そうに微笑んだ。
「それじゃさ、その袖をまくって、右腕を見せてもらえるかい?」
「……右腕? どうしてまた?」
「罪人は、右腕にその証が刻みつけられてるんだよ。あんたが刑場から逃げ出した罪人ならその証が残されてるはずだし、町の入り口で衛兵さんに取っ捕まっちまうだろうね」
ギャレットはあまり話の内容を理解できていないまま、機械的にジャンプスーツの袖をまくった。
なんの変哲もない、骨張った右腕だ。それを見て、男はいっそう朗らかに笑った。
「少なくとも、これでいきなり衛兵さんに捕まっちまうことはないよ。身の振り方がわからないなら、然るべき相手を頼るこった」
「……あんた、ずいぶん親切なんだな」
「俺は色んな人間を相手に商売をしてるから、少しは人を見る目があると思ってるんだ。少なくとも、あんたは無法者なんかじゃないんだろう。よかったら、ゾイナまで乗っていきな」
ギャレットはしばらく男の笑顔を見つめてから、「わかった」とうなずいた。ギャレットの目から見ても、この人物は悪人に見えなかったのだ。偏屈者のギャレットなどよりは、よほど善良な人間であるはずだった。
(俺がすでに死んでるんだったら、何を怖がったって意味ねえしな)
そうしてギャレットは、その巨鳥が引く荷車に乗り込むことになった。
荷台には幌が張られており、その内側には雑多に木箱が詰め込まれている。幌の前側は開いているので、御者の男の背中を眺めることができた。
「それじゃあ、出発するよ」
男が巨鳥の尻に革鞭を当てて、荷車を発進させる。
その荒っぽい振動に身をゆだねながら、ギャレットはぼんやりと自分の短い半生に思いを馳せた。
ギャレット・マルチネスは二十三歳で、出身はイリノイ州。ひなびた農家の次男坊で、子供の頃からひと山あてることばかりを考えていた。
それで行き着いたのは、マジシャンの弟子という珍妙な道である。
もとよりギャレットは人をけむに巻くことに悦楽を覚える偏屈者であったし、動画チャンネルで視聴したとあるマジシャンの手腕に心をつかまれてしまったのだ。それで十八歳の年に故郷を飛び出し、ニューヨークに存在するマジシャンの事務所に押しかけたのだった。
そのマジシャンはギャレットに輪をかけた偏屈者で、このご時世にたったひとつの芸しか持っていなかった。
それは火を使った手品、ファイアーマジックである。
通常、ファイアーマジックなどはマジシャンにとって手慰みであろう。サムチップやフラッシュペーパーといった小道具を使って観客に軽い驚きを与える、小手調べのひとつに過ぎないはずだ。
しかし、ギャレットが見込んだ偏屈な師匠は、独自のファイアーマジックの開発に血道をあげていた。
七色に燃える蝶を宙に飛ばしたり、床に火の玉を走らせたり、何メートルも先にある標的を炎の弾丸で射抜いたり――自ら火薬を調合して、そんなマジックを完成させていったのだった。
しかし世間ではもっと大々的なイリュージョンがもてはやされているため、師匠は初老の齢になっても前座あつかいの二流マジシャンである。ギャレットはその技をすべて受け継いだのちに自らの手で発展させて、ファイアーマジック一本でラスベガスの大舞台に立つという野望を抱いていた。
(……ま、そんな人生も、あえなく終了しちまったみたいだな)
やがてゾイナという町に到着すると、ギャレットのそんな思いは確信に変わった。その町は木造りの塀に囲まれており、出入り口にはゲーム世界で見るような兵士たちが槍を掲げていたのである。
そこで右腕や持ち物をあらためられたのちに町の中まで踏み込むと、ギャレットの確信はますます強まった。そこはギャレットが生まれ育った世界よりも、遥かに文明レベルが低い世界であったのだ。
足もとは地面が剥き出しで、家屋もおおよそ木造りである。通行人の身なりはいかにも粗末で、きわめて原始的な作りをしている。衣類を留めるのは木製のボタンや帯などで、ジッパーの概念すら存在しないようであった。
「……きっとここには、ガスも電力も存在しないんだろうな」
「なんだい、そりゃ? とりあえず、衛兵さんの詰め所か聖堂でお世話になるべきだと思うけど、どうするね?」
御者台を降りて巨鳥の手綱を引いている男が、陽気に呼びかけてくる。
敬虔なカトリック信者であった両親に反発して無神論者となったギャレットとしては、神職者の世話になるというのは気が引けるところである。しかし、出入り口にいた守衛たちの横柄さを考えると、衛兵の詰め所というのも気が重かった。
「うーん……それ以外に、選択肢はないもんかなぁ?」
「だってあんたは、銅貨の一枚も持ってないんだろう? それじゃあ、宿屋で夜を明かすこともできないじゃないか。そんな人間に親切を施してくれるのは、衛兵さんか司祭さんぐらいのもんだよ」
「そうか……その人らがあんたぐらい親切だといいんだけどな」
「はは。俺なんて、ただのしがない行商人さ」
ギャレットは溜息をつきながら、あらためて荷台の内部を見回した。
「そういえば、あんたは何を売りさばいてるんだい?」
「色々だよ。今日はガーデまで出向いて、岩塩やら果実酒やら肥料やらを売りさばいてきたんだ。しかしあちらさんも景気が悪いみたいで、肥料がずいぶん売れ残っちまったよ」
「肥料か……そんな気のきいたもんもあるんだな」
「気がきいてるかい? 俺にはよくわからねえけど、厄介な虫を退治したりアロウの畑を耕したりするのに必要なんだって話だね。肥料をまくと、土の質が変わるんだとか何だとか……俺には、さっぱりだ」
それでは肥料というよりも、むしろ農薬である。農家に生まれついたギャレットは、それなり以上に農業の知識を備え持っているのだ。
ただ――それとは異なる部分で、ギャレットは心に小さな疼きを覚えた。
「……その肥料ってのは、どんなもんなんだい?」
「うん? どんなもんって言われてもなぁ。俺はこのゾイナに流れてくる品を買いつけて、そいつをほうぼうで売りさばいてるだけなんだよ。肥料ってのは温泉で有名なジュロンの山あいから流れてきたもんで、水に濡らすとえらく臭いんだ」
ギャレットの疼きが、どんどん強まっていく。
ギャレットはてくてくと歩く男の背中を見つめながら、さらに言いつのった。
「なあ、その肥料ってのを、ちょっと見せてくれないか?」
「うん? そんなもんを見たがるなんて、酔狂なお人だね。肥料の箱には、黄色い印をつけてるよ。くれぐれも、汗やらよだれやら垂らさねえようにな」
ギャレットはせわしなく視線を巡らせて、黄色い印がつけられた木箱を見つけ出した。
そうして震える指先で蓋を開いてみると、黄色い粉末がびっしりと詰め込まれている。
それは、硫黄華と呼ばれる硫黄の粉末であり――古式ゆかしい農薬であると同時に、黒色火薬の原料でもあった。




