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異世界料理道 --外伝集--  作者: EDA
前伝 黎明の森

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エピローグ すべての生命に祝福を

 それから、三年余りの時が過ぎ去って――ジバ=ルウは、ファの広場における祝宴の場に身を置いていた。


 周囲では、途方もない数の人間が熱気と活力をほとばしらせている。

 本日は、ファの家長アイ=ファと家人アスタの婚儀の祝宴であった。

 それで、他に血族を持たない二人のために、これだけの人間が駆けつけたのである。どれだけの時間が過ぎ去っても、ジバ=ルウの心は感動に打ち震えたままであった。


(まあ……あんたたちは、それだけのことを成し遂げてくれたからねぇ……)


 アイ=ファとアスタはジバ=ルウばかりでなく、すべての森辺の同胞に救いをもたらしたのである。

 ジバ=ルウなどは、ずっと森辺の片隅でその輝きを見守っているばかりであったが――その喜びを忘れたことは一度としてなかった。


 アイ=ファと二年ぶりに再会して、アスタと初めて出会ったあの日の夜、ジバ=ルウは人間らしい心を取り戻すことができたのだ。

 ジバ=ルウの心を支配していた灰色の虚無感は、アスタの手腕によって晴らされた。アスタの料理は、ジバ=ルウの心に生きる喜びを思い出させてくれたのだ。


 それはやっぱり、アスタが外界の人間だからこそ成し遂げられたことであるのだろう。黒き森の最後の生き残りであったジバ=ルウは誰とも同じ苦悩を分かち合うこともできず、ひとり絶望の泥沼に沈んでしまっていたのだ。


 ジバ=ルウは、ずっと心の奥底で黒き森の存在を追い求めていた。

 ルウの家人として、のちにはルウの家長として、血族のために余すところなく力を尽くしていたが――その裏側では、どうしても疑念を捨てることができなかったのである。


 これは本当に、正しい人生であるのか?

 自分たちは、モルガの森で暮らしていくべきであるのか?

 森の恵みを口にすることもできず、獣臭いギバ肉を口にして、ひたすら銅貨を稼ぐことに執心する――そんな人生に意味はあるのかと、ジバ=ルウはそんな疑念を押し殺しながら手探りで人生を送っていたのだった。


 黒き森で暮らしていれば、あれほどたくさんの家族を失うことにもならなかった。

 ザッツ=スンだって、きっと道を踏み外すことにはならなかった。

 であれば、母なる黒き森とともに魂を返すことこそが、もっとも正しい道だったのではないか。スン家と敵対したことで、ジバ=ルウはそんな思いに見舞われた。それこそが、灰色の虚無感の正体であった。


(だけどどれだけ昔を懐かしんだって、もう黒き森はどこにもない……あたしたちは、このモルガの森で生きていくしかないんだ……)


 そんな思いは、五歳の頃からずっと抱いていた。

 しかしジバ=ルウはアスタと出会ったことで、そんな思いにさらなる希望を加えることがかなったのだった。


 ジバ=ルウが八十年にもわたって忌々しく思っていたギバ肉の味を、アスタは一夜にして美味なる料理に変貌させてしまったのだ。

 その衝撃が、ジバ=ルウの虚無感を粉々に打ち砕いたのだった。


「ジバ婆、ぼんやりしちゃって、どうしたの?」


 と、リミ=ルウがジバ=ルウの腕に取りすがってくる。

 あんなに小さかったリミ=ルウも、もはや十一歳だ。まだまだ子供であることに変わりはなかったが、もともと聡明であった彼女はどんどん大人らしくなっていた。


「なんでもないよ……あたしがこんな幸福な心地でいられるのも、アイ=ファとアスタをルウの家に招いてくれたリミのおかげだねぇ……」


「あはは! でも、リミがアイ=ファに出会えたのは、ジバ婆のおかげだからね!」


 ジバ=ルウの腕を抱きすくめながら、リミ=ルウは横合いに視線を向ける。

 二人は儀式の火の手前に敷かれた敷物に座しており、隣の台座にはアイ=ファとアスタが――いや、氏を授かったアスタ=ファが座しているのだ。


「ジバ婆が元気になったのはアスタのおかげだし、アスタが料理を作ってくれたのはアイ=ファのおかげだし、みんなのおかげだね!」


「うん……人の世っていうのは、そうやって回っていくんだろうねえ……」


 すべての物事は、ひとつに繋がっている。

 だから、ジバ=ルウもかつては絶望にとらわれることになったのだ。


 ただ幸福なだけの人生などは、ありえない。人は必ず死に、物は必ず壊れるのだから、いずれ幸福は不幸に転じるのだ。ジバ=ルウのそんな思いは、今でも変わっていなかった。


 しかしジバ=ルウは、もうそんな運命を恐れたりはしていない。

 不幸もまた、いずれ必ず終わるのだ。人は新たに子を生して、壊れた物は修理されるか新しい品が買いそろえられる。この世から人が根絶し、世界のすべてが灰燼と化すまで、幸福と不幸は延々と繰り返されるのだった。


 この世界は、幸福と不幸、希望と絶望の両面をあわせ持っている。

 その片面にばかり目をやっていては、道を踏み外してしまうのだ。かつてのジバ=ルウも、おそらくはかつてのザッツ=スンも、その事実を見誤っていたのだった。


(あたしの子供は死に絶えて、孫や曾孫の何人かも魂を返しちまったけど……今のあたしは、今までで一番たくさんの家族と友に囲まれている……それで不幸ぶっていたら、誰にも顔向けできないさ……)


 ジバ=ルウは誰よりも長く生きたからこそ、たくさんの死を見届けることになった。そしてそれと同時に、たくさんの生誕も見届けてきたのだ。

 どれだけたくさんの家族を授かっても、かつての家族たちの死をなかったことにはできない。それはきっと幸福と希望ばかりに目を向けて、不幸と絶望から目をそらしているに過ぎないのだろう。


 だからジバ=ルウはすべての悲しみを抱いたまま、今を生きている。

 それを支えてくれるのが、今の喜びと希望であるのだ。それを忘れない限り、ジバ=ルウがあの灰色の虚無感に見舞われることはないはずであった。


「ファの家には、どんな赤ちゃんが生まれるんだろー。すっごく楽しみだね」


 と、リミ=ルウが世にも幸せそうな面持ちで、そんな言葉を囁きかけてくる。

 ジバ=ルウは万感の思いで、「そうだねぇ……」と答えた。


「あたしがこの目でそれを見届けられるかどうかは、わからないけれど……楽しみなことに変わりはないよ……」


「えー? ジバ婆は、リミの婚儀も見届けてくれるんでしょ?」


 リミ=ルウは、可愛らしく口をとがらせる。

 ジバ=ルウはゆったりと微笑みながら、その赤茶けた髪を撫でた。


「それを言うなら、あたしはリミの子の婚儀や孫の婚儀だって見届けたいと願っているよ……でも、そんな強欲な願いは森の怒りに触れちまうだろうから……魂を返したあとでも、ずっと見守ろうと思っているのさ……」


 まだ幼いリミ=ルウには、ジバ=ルウの思いも理解しきれないだろう。

 しかし聡明なリミ=ルウであれば、いつか理解してくれるはずだ。そんな思いを胸に、ジバ=ルウは言いつのった。


「あたしの親や兄弟たちだって、そうやってあたしたちを見守ってくれてるんだよ……それでいつかは、リミだって同じ場所に向かうんだから……何も寂しがる必要はないのさ……」


 すると、リミ=ルウの水色の瞳に明るい光が宿された。


「うん。リミが会ったことないドグラン爺も、みんなと一緒に見守ってくれてるんだよね」


「そうだよ……生きている間は生きている相手と、魂を返した後は魂を返した相手と、それぞれ一緒にいることができるのさ……それなら、何も寂しくないだろう……?」


「うん。それでもジバ婆が魂を返しちゃうのは、すごく寂しいけど……自分が魂を返すときは、寂しくないと思う」


 どうやら聡明なリミ=ルウは、もう半分がたジバ=ルウの思いを理解してくれたようであった。


「だから、今のあたしも寂しくないんだよ……それもみんな、これまで出会ってきたすべての人たちのおかげってわけさ……」


「うん……でも、アイ=ファたちに赤ちゃんができたら、二人で一緒にお祝いしようね?」


 リミ=ルウは瞳を明るく輝かせたまま、ちょっと甘えるような顔になる。

 ジバ=ルウは心を込めて、その髪をもういっぺん撫でることにした。


「そんな幸せな行く末を迎えられるように、母なる森に祈っておこう……どんな立派な赤子が生まれるのか、楽しみなところだねぇ……」


 リミ=ルウは「うん!」と大きくうなずきながら、また台座のほうに向きなおる。

 ジバ=ルウもそちらに目をやると、アイ=ファとアスタ=ファはたくさんの同胞に囲まれながら幸せそうに笑っていた。


 金褐色の髪を自然に垂らしたアイ=ファは、全身を輝く織物に包み込まれている。

 あれほど強い気持ちで狩人を志したアイ=ファが、ついに刀を置く覚悟を固めたのだ。しかし彼女の進む先には、これまでともまた異なる幸せな行く末が広がっているはずであった。


 そうしてすべての物事は、刻々と移り変わっていく。

 きっとルウの家長の座は、間もなくジザ=ルウに受け継がれるのだろう。

 ザッツ=スンは魂を返してしまったが、その子であるズーロ=スンはあと七年ばかりで森辺に戻ってくる。

 その頃には、リミ=ルウも婚儀を挙げているだろうか。ララ=ルウやルド=ルウは、どうだろう。すでに十五歳を過ぎている二人は、いつ婚儀を挙げてもおかしくはなかった。


 そしていつかは、コタ=ルウやルディ=ルウ、ドンティ=ルウやゼディアス=ルティムやエヴァ=リリンも大きくなって、婚儀を挙げて、子を生すことになる。それらもすべて、ジバ=ルウにとっては可愛い曾孫の子たちであった。


 ゼディアス=ルティムは、同じ名を持つ曽祖父に負けないぐらい立派な家長になることだろう。

 また、ルウの分家やシンの家、果てにはレイやマァムにも、ジバ=ルウにとっては何名かの曾孫やその子が居揃っている。ドグラン=ルウの血筋だけでも大層な数であるのに、次兄のモーティ=ルウや末妹のルミア・ルウ=ルティムや長姉や次姉の血筋も絶えることなく続いているのだ。


 ジバ=ルウは、それらのすべての行く末を見届けようという所存である。

 ジバ=ルウの生命はもういくばくも残されていないのかもしれないが、魂を返したのちには母なる森の腕の中で見守ることがかなうのだ。そしてそこには、ジバ=ルウのかつての家族たちも居揃っているのだった。


(きっともうすぐだよ、ラック……まあ、母なる森の気まぐれで、数年がかりになる可能性もあるんだろうけど……こうまで長々と生き永らえちまったら、大した差ではないだろうさ……)


 そしてそこには、スン家の人々も居揃っているのだ。

 道を踏み外してしまったザッツ=スンは、父たるダナヴィン=スンに笑顔でたしなめられているだろうか。そんな想像をするだけで、ジバ=ルウは胸を温かくすることができた。


 折しも、台座のアイ=ファたちはスンの家人たちから祝福の言葉を授かっている。

 その内のひとり、屋台の商売を手伝っているクルア=スンという若い娘は、かつてのガゼの族長とよく似た眼差しを持っていた。


 ガゼの族長よりはいくぶんくすんだ色合いであるが、この世のすべてを見通すようなきらめきを持つ銀灰色の瞳である。

 そして彼女は、族長の伴侶とよく似た美しい面立ちをしていたので――もしかしたら、本当にガゼの血筋であるのかもしれなかった。


(まあ、そんなことはどうでもいいけどさ……どんな血筋であろうとも、森辺の同胞であることに変わりはないんだからね……)


 そうしてスンの家人たちが身を引くと、ファの両名の付添人として控えていたルド=ルウが元気な声をあげた。


「いやー、本当に挨拶を受けるだけで、すっげー時間をくっちまったなー」


 どうやら二百四十名にも及ぶというすべての参席者が、挨拶を終えたようである。

 すると、アスタ=ファが今度は付添人と語らいたいと言いだした。


 そこにシュミラル=リリンもやってきて、その場にはいっそうの賑わいが生まれる。

 ジバ=ルウもまた、夢見るような心地でその温かな空気にひたることができた。


 アイ=ファとアスタ=ファの幸せそうな姿を見ているだけで、ジバ=ルウは胸を詰まらせてしまう。

 二人は、いまだ二十歳――その行く先には、さまざまな幸福と不幸、さまざまな希望と絶望、さまざまな祝福と試練が待ちかまえているはずであった。


 ジバ=ルウは一日でも長く、二人と同じ時を過ごしたいと願っている。

 そして魂を返したのちは、天から二人を見守るのだ。何にせよ、ジバ=ルウの喜びに変わるところはなかった。


(こんなに長く生きることができて、あたしは幸せだった……そんな風に思えることこそが、一番の幸せなんだろうねぇ……)


 そして、たとえ明日にでも魂を返すことになろうとも、ジバ=ルウの心に悔いはない。

 ジバ=ルウがこの世から消え去っても、若き家族や友たちの生は連綿と続けられていくのだ。花や葉が枯れ落ちても新たな生命が芽吹く森のように、森の子たる森辺の民もそうして永久に等しい時間を生きることがかなうのであった。


(すべての生命に、祝福を……この世界に生まれ落ちることができて、あたしは心から幸せだったよ……)


 どうかすべての家族と友たちが、自分と同じ幸せを授かれるように――

 そんな祈りを捧げながら、ジバ=ルウは敷物から腰をあげて大切な友に祝福を捧げることにした。

2026.4/22

ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

『前伝 黎明の森』は今回で完結として、来月からは現代日本の明日太を主人公にした『異伝 魂の片割れ』というエピソードを更新していく予定です。

引き続き当作をお楽しみいただけたら幸いでございます。

ではでは、更新再開まで少々お待ちください。

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― 新着の感想 ―
だんだん知った名前が出てきて、子供の頃は、若い頃は、こんなだったんだと知れるのは面白かったです。 アイファとアスタに子ができたとして、どんな風に鍛えていくのかも楽しみですが、それは置いといて、現代の方…
明かされてなかったジバ=ルウを中心とした森辺の民の前伝面白かったです。 又聞きなので誇張したり都合の悪所省略されてるであろう 家老を出した事もある武家だった我家が戊辰戦争前後のゴタゴタで元服済み男子…
ジバ=ルウには是非とももっともっと長生きして 幸せな余生を過ごしてほしいものですね 一方次の物語は現代日本の明日太が どんな生活をしているのかが知れるだなんて楽しみです(^^)
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