第3章 01 新たな家族
2026.2/23
今回の更新は全6話です。
ラック=ドグランと婚儀を挙げたことにより、ジバ=ルウの生活は一変した。
ラック=ドグランが婿入りしたことで、かつてドグラン本家の家人であった四名もそのままルウ本家に迎え入れることになったのである。
それは、ラック=ドグランの母親と、かつて分家であった壮年の男女とその息子である二十歳の男衆という顔ぶれであった。
やはり、ルウ本家の家人が幼子を含めて四人きりというのは体面が悪い上に、ジバ=ルウが背負う苦労に関しても配慮されたのだろう。いきなり家人が倍増したジバ=ルウはしばらく落ち着かない日々を過ごすことになったものの、心強いことに変わりはなかった。
そしてドグランの人間は氏を捨てたため、全員にルウの氏が与えられている。
ラック=ドグランは、ラック=ルウである。婚儀の祝宴で初めてその名が告げられたとき、ジバ=ルウは得も言われぬ喜びを噛みしめることになった。
また、ジバ=ルウはけっきょく色恋の何たるかもわからないまま婚儀を挙げることになったわけだが――そちらに関しても、不和が生じることはなかった。もとよりラック=ルウが大切な存在であることは事実であったし、婚儀の後に初夜を迎えたならば、否応なく男女の絆というものを思い知らされることになったのだ。
今となってはラック=ルウのことが愛おしくてならないし、彼以外の人間を伴侶として迎えることなど想像することもできない。ジバ=ルウがラック=ルウに抱いていた親愛の念が、そのまま燃えるような恋慕の情に変換したかのような心地であった。
そうしてジバ=ルウは、かつての自分の浅はかさを思い知ることができた。
血族のためであれば婚儀の相手など誰でもかまわないなどというのは、大きな間違いであったのだ。一生をともにする伴侶は、もっとも大切に思える相手でなくてはならない――そんな当たり前のことが、ジバ=ルウにはまったくわかっていなかったのだった。
(あたしはずっとラックのことを弟みたいに思ってたけど、肝心な部分ではずっと負けてたんだなぁ)
そうしてジバ=ルウは自らの不明を恥じるとともに、この上ない喜びを授かることができた。そして、ラック=ルウの婿入りを決定した家長たる長兄の判断に、心からの感謝を捧げることになったのだった。
さらにジバ=ルウとラック=ルウは、至極すみやかに子を授かることができた。
婚儀を挙げた一年後には、もう最初の子を生み落とすことになったのだ。
ジバ=ルウたちが授かったのは、玉のように愛くるしい女児である。
髪や瞳の色などはジバ=ルウに似ていたが、顔立ちはラック=ルウに似ている。そしてその子を抱いた瞬間、ジバ=ルウは幼き頃に失った妹と弟のことを思い出して、思わず胸を詰まらせてしまったものであった。
「ジバとの間にこんな可愛い子が生まれるだなんて、本当に夢みたいだよ。俺もこの子の父親に相応しい人間になってみせるからね」
ラック=ルウなどは喜びの涙をぽろぽろとこぼしながら、そんな風に言っていた。ルウの家人となった後も、ラック=ルウの優しくて穏やかな気性に変わりはなかった。
ただし、身体のほうは齢を重ねるごとに逞しさを増していき、狩人としての力もめきめきと向上している。子供が生まれてから初めての収穫祭では、ついにラック=ルウが八名の勇者まで勝ち上がったのだった。
ちなみに最後のひとりまで勝ち抜いたのは、ジバ=ルウの兄たる家長である。
家長もラック=ルウも頼もしき父親を失ったことで、いっそうの力を求めることになったのだ。二人の若き狩人の躍進に、血族の面々も大きな喜びをあらわにしていた。
そして、それから二年後には次姉が生まれて、さらに三年後には待望の男児が生まれた。
ジバ=ルウが生誕の日を迎える直前の、雨季の真っ只中のことである こちらの男児はひときわ身体が大きく、ジバ=ルウは何度も魂を返す覚悟を固めるぐらいの痛苦に見舞われてしまったが――そのぶん、喜びもひとしおであった。半ば朦朧とした頭でその子と対面した際には、さしものジバ=ルウも涙を抑えることができなかった。
長姉とは反対で、顔立ちはジバ=ルウに似ているようであったが、真っ赤な髪と青い瞳はラック=ルウにそっくりである。それがいっそう、ジバ=ルウに深い喜びをもたらした。
「ジバは本当に頑張ったね。しばらくは何も考えず、ゆっくり休んでおくれよ」
子を生み落とした後もジバ=ルウは身を起こすことさえままならなかったので、ラック=ルウはひさかたぶりにジバ=ルウの弟を思い出させる悄然とした顔になってしまっていた。
「そんな顔をしないで、無事に子供が生まれたことを喜んであげてよ……それに、ゆっくりする前にこの子に名前をつけてあげないとね……」
「うん。ジバには何か、考えでもあるのかな?」
「あたしはこの子をドグランと名付けたいんだけど……ラックはどう思う?」
「ええ? よりにもよって、どうしてドグランに? 俺たちが氏を捨ててから、まだ六年ぐらいしか経っていないし……そうでなくても、滅んだ眷族の名を与えるなんて、ちょっと不吉なんじゃないかなぁ?」
「そんなことはないよ……ルウの眷族はみんな立派な氏族だったから、その強さにあやかりたいのさ……あたしは次に男の子が生まれたら、モーティって名付けたいと思ってるよ……」
ラック=ルウはひとたび固くまぶたを閉ざしてから、彼らしい純真な笑みを広げた。
「わかった。この子をドグランの名に相応しい狩人に育てあげよう。これからよろしくな、ドグラン」
もちろん草籠の赤子は何もわからないまま、あぶあぶと頼りなげな声をあげている。それがまた、ジバ=ルウとラック=ドグランの胸を深く満たしてやまなかった。
その後もジバ=ルウは数日間ほど寝込むことになり、ドグラン=ルウに乳をやるたびに死にそうな思いであったが――赤子を愛しく思う気持ちが、ジバ=ルウの魂を肉体に繋ぎ止めてくれた。
あらためて、子供というのは一族の宝である。
この時点で森辺の民がモルガの森に移り住んでから十六年が経ち、いよいよ苦しい時代の悪影響が表面化し始めたのだ。ジバ=ルウが二十一歳となるこの年、ルウの血族に十二歳以上の若衆というのは数えるぐらいしか存在しなかった。モルガの森に辿り着くまでの過酷な旅でジバ=ルウよりも幼い子供はすべて魂を返し、その後の五年間でもダビラの薬草を見つけだすまではおおよその幼子が育たなかったためである。
(あたしたちは、その分までたくさんの子を残さないといけないんだ。きっとこの先、家人の数がうんと少なくなる時代がやってくるだろうけど……その後に盛り返せるかどうかは、今にかかってる)
そんな思いを秘めながら、ジバ=ルウは生まれてきた子供たちにありったけの愛情を注いだ。
そうしてジバ=ルウが自分の生誕の日も半分がた寝たきりのまま過ごし、二ヶ月ほどをかけてようやく元の体力を取り戻したとき――森辺の民は、大きな運命の変転を迎えることになったのだった。
◇
ルウの集落にその一報が届けられたのは、家長会議を目前に迎えた緑の月の末のことである。
朝の仕事が一段落して、ジバ=ルウが家人の女衆とともに幼子たちをあやしていると、せわしなく玄関の戸板が叩かれたのだった。
「あ、朝から失礼する。ガゼの家人がやってきたので、家長に応対を願いたい」
それは、ルウの分家の男衆の声であった。
ジバ=ルウは眉をひそめつつ、かたわらの女衆に小さなドグラン=ルウの身を預ける。間もなく五歳になる長姉と三歳になったばかりの次姉も、きゃあきゃあとはしゃぎながら弟の身を追いかけた。
「あたしが家長を起こしてくるよ。この子たちをお願いね」
最近の家長は風格もたっぷりで家人の女衆も敬服することしきりであるため、こういう際にはジバ=ルウの出番であった。
「家長。ガゼの家人がやってきたそうだよ。何か一大事だろうから、出てもらえる?」
しばらくして、寝所の戸板が開かれた。
今まで眠りこけていたとは思えないほど、家長は鋭い面持ちをしている。父の死から六年が過ぎて、兄はルウ本家の家長に相応しい力と迫力を身につけていた。
「ガゼの家人か。それは確かに、只事ではあるまいな」
「うん。家の外に待たせているから、よろしくね」
「わかった。……お前も調子を取り戻したばかりなのだから、くれぐれも無理はするなよ」
と、家長は厳しい眼差しの中に優しい光をにじませる。家長は父から厳格さと優しさを正しく受け継ぎ、顔立ちや表情もどんどん似てきていた。
そうして家長は家人の女衆と幼子に見送られて、玄関を出ていく。
その間に、ジバ=ルウは伴侶も起こしておくことにした。
「ガゼの家人が……? そういえば、以前はガゼの族長がやってきたよね……ジバがまた、何か褒められるようなことをしたっけ……?」
ねぼけた声をあげるラック=ルウに、ジバ=ルウは「もう」と苦笑した。
「この数年であたしがしたことと言ったら、三人の子を生んだぐらいだよ。我ながら立派だとは思うけど、族長に褒められるほどではないだろうね」
「うん……ジバはこんなに小さいのに、立派だよ……」
そう言って、ラック=ルウは無邪気な笑みをこぼす。厳格さを増していく家長に対して、ラック=ルウはむしろ柔和さが際立つようになっていた。
「とにかくこっちは、事情がさっぱりわからないからさ。念のために、ラックも控えておいてよ」
「俺にできるのは、ギバを狩ることぐらいだけどね……でも、せっかくだから可愛い子供たちの相手でもしていようかな」
そうして二人が広間に戻ると、家人の女衆が困惑の面持ちで振り返ってきた。
「家長はお供の男衆を引き連れて、ガゼの集落に行ってしまったよ。いったい何事なんでしょうねぇ」
「え? 理由は言ってなかったの?」
「ええ。なんでも、族長筋の今後に関わる一大事だとかで……嫌ですねぇ。何もおかしなことにならないように祈るばかりですよ」
女衆はそのように語っていたが、変転の運命に変わりはなかった。
ジバ=ルウたちにそれが明かされたのは、夜になってからのことである。中天を過ぎてから戻ってきた家長はそのまま森に入り、狩人としての仕事を果たしたのちに、晩餐の場で驚くべき言葉を告げてきたのだった。
「昨日、ガゼの族長が魂を返した。それで、よりにもよってルウに族長筋の座を受け継いでもらいたいなどと言い渡されたのだ」
そんなとてつもない言葉を聞かされて、しばらくは誰もが呆気に取られていた。
平気な顔をしているのは、幼子と赤ん坊のみである。三歳の次姉に木皿の煮汁をすすらせていたジバ=ルウは、呼吸を整えながら声をあげた。
「それはいったい、どういう話なの? ガゼにも眷族のリーマにも、立派な狩人はたくさんいるでしょう?」
「うむ。族長は以前から、自分が魂を返した折には余所の氏族に族長筋の座を譲ると述べていたらしい。それで血族の面々も、その言葉に従っているのだ」
ジバ=ルウが「どうして?」と反問すると、家長は「わからん」と首を横に振った。
「ガゼの集落に出向いてみても、不満げな顔をしている人間はひとりもいなかった。どうもあやつらの族長に対する信頼は、俺の想像以上であったようだ」
「……うん。族長は誰からも敬服されていたけど、血族の信頼はひときわ厚いっていう話だったよね」
そのように応じたのは、ラック=ルウである。ドグランの跡継ぎであった彼は家長会議に参じたこともないので、きっと父親からガゼの集落の様子を聞き及んでいたのだろう。
「でも、ガゼの族長が魂を返してしまったのか……俺にはまだ、そっちの話が信じられないぐらいだよ」
と、ラック=ルウは切なげに息をつく。それでジバ=ルウも族長の不思議な眼差しを思い出して、胸を詰まらせることになった。
あの白銀の瞳をした族長が、ついに魂を返してしまったのだ。
族長もすでに四十を過ぎているはずなので、森辺の狩人としては決して若すぎるわけでもなかったが――やはりジバ=ルウとしても、あれだけの大人物が魂を返してしまったというのは信じ難いところであった。
「それで、どうして族長筋を受け継ぐのがルウなの? 父さんの時代から、そうまでガゼと懇意にしていたわけではないでしょう?」
「うむ。それでもガゼの族長は、ルウに族長筋を譲りたいと言い張っていたらしい。族長筋にもっとも相応しいのは、ルウであると見込んでいたのだそうだ」
「……それで家長は、どう答えたの?」
家長は厳格なる面持ちのまま、「断った」と言い捨てる。
とたんに、家人たちの多くが安堵の息をついた。
「それを聞いて、ほっとしました……いきなり族長筋だなんて言われても、あたしは頭も心も追いつきませんよ」
そのように語ったのは、ラック=ルウの母親である。
家長は木皿の煮汁をすすりこんでから、「うむ」と応じた。
「今の俺たちは、血族の行く末を思うだけで手一杯だ。この上、すべての同胞の行く末を担うことなどできそうにない。俺は、そのように答えた」
「それで、納得してもらえたの?」
「いや。だから俺は、つぶさに理由を語ってみせた。まず、ルウ本家は家人が少ないため、俺にもしものことがあったならばすぐさま跡継ぎに困ることになる、とな」
そう言って、家長は広間を見回した。
現在のルウ本家の家人は、家長を含めて十一名となる。しかし、ルウ本家の血を継ぐのは家長の子たる十歳の男児と、妹のジバ=ルウ、そしてその三名の幼子のみであった。
「無論、俺はこいつを立派な跡継ぎに育てると誓った身だがな。族長の座を拒むには、相応の理由であろう」
そのように語りながら、家長は愛し子の頭を撫でる。だいぶん大人びてきた家長の子は、少し気恥ずかしそうに微笑んだ。
「さらに、族長筋を受け継ぐには、ひとつの条件があったのだ」
「条件?」
「うむ。総勢で五十名にも及ぶガゼとリーマの家人を、すべて家人として迎えるということだ」
「家人に? つまり、ガゼとリーマは氏を捨てるということ?」
「うむ。それも、族長の決定であったらしい」
我が子に向けられた穏やかな眼差しが、これまで以上の鋭い光を帯びた。
「しかし俺たちは、ガゼとリーマの家人など名前も人柄も知らん。そんな相手を五十人ばかりも家人として迎えることなど、できるわけがなかろう。氏族とは、血の縁とは、そのように軽々しいものではないのだ」
「うん。確かにその通りだね。それで、どうなったの?」
「その場には、スンの家長も呼びつけられていた。ルウがこの申し出を断る際には、スンが次の候補であったのだそうだ」
その言葉に、また家人たちがどよめいた。
「ドムではなく、スンに? まあ、スンも大層な力をつけたという評判でしたけれど……」
「うむ。さらにスンはこの一年ばかりで、ドムとザザを眷族に迎え入れていたのだ」
家長の言葉に、家人たちはこれまで以上の驚きをあらわにする。ジバ=ルウにとっても、それは完全に想定外の話であった。
「ドムとザザを、眷族に? あの勇猛で知られる二つの氏族が、スンを親筋として認めたということなの?」
「そうだ。しかもスンは先年に家長を交代したばかりで、今の家長はジバと同じ齢になる。そのような若さで、ドムとザザを従えることができたということだな」
家人たちはもはや呆気に取られて、声をあげることもできなくなっていた。
「それこそが、族長の器量というものであろう。俺からも、族長に相応しいのはスンの家長であると言葉を添えることになった」
「……それで、スンの家長はその申し出を受け入れたの?」
「受け入れた」と家長が応じると、またあちこちから嘆息がこぼされた。
「それで明日は取り急ぎ、すべての氏族の家長がガゼの集落に集められることになった。そこで、スンが族長筋を受け継ぐ旨を伝えるのだそうだ。このように突拍子もない話を聞かされては、文句をつける人間も多いやもしれんが……まあ、俺たちが案じても詮無きことであろう」
「そうだね」と、ラック=ルウが笑顔で応じた。
「俺は、ガゼの族長の判断を信じるよ。まあそうすると、うちの家長こそがもっとも族長に相応しいっていうことになるけど……こればっかりは、しかたないからね」
「うむ。これが十年後……いや、せめて五年後の話であれば、俺も大いに悩んだやもしれんがな」
そう言って、家長はまた我が子の頭を撫でた。
「しかし、たとえ跡継ぎの問題がなかったとしても、やはり五十名もの人間をいきなり家人として迎えることはできん。ガゼの族長も、今少し道理の通った話を遺してほしかったものだ」
「うん。族長は立派すぎて、俺たちにはその考えが理解しきれないのかもしれないね」
ラック=ルウの言葉が、またジバ=ルウの古い記憶を刺激した。
ガゼの族長の、不思議な眼差しである。あれは人の心の奥底ばかりでなく、この世の行く末までをも見通しているかのような眼差しであったのだった。
(それでも今のあたしたちに、族長筋なんて務まりそうもない。ここはスンの人らに頑張ってもらうしかないよ)
そんな風に念じながら、ジバ=ルウも愛し子の頭を撫でる。
草籠の中でもぞもぞと身じろいでいたドグラン=ルウは、びっくりするぐらい澄みわたった青い瞳を輝かせながら、「あぶう」と可愛らしい声をあげた。




