02 継承
翌日――臨時に開かれた家長会議にて、ガゼからスンに族長筋が継承される旨がすべての氏族の家長たちに伝えられた。
ジバ=ルウたちがその内容を聞かされたのは、夜になってからのことである。その日は家長もスンの集落で夜を明かすことなく戻ってきたため、昨日と同じように晩餐の場で事情が伝えられたのだった。
「思った通りと言うべきかどうか、最初の内は数多くの家長たちが文句をつけていた。しかし、最後には誰もがスンの家長の器量に感服して口をつぐんでいたぞ」
「へえ。スンの家長っていうのは、それほどの大人物なんだね」
「うむ。何せ、勇猛で知られるドムやザザの者たちが頭を垂れるほどの器量であるのだからな。狩人としての力量も、相当なものであろうし……俺の見る限り、俺とラックの二人がかりでもかなわんかもしれんな」
「ええ? ルウの勇者が二人がかりでも? それは、信じ難い話ですねぇ」
家人の女衆が目を丸くすると、家長は昂揚を抑えようとするかのようにまぶたを閉ざした。
「なおかつ、スンの家長はただ力に秀でているばかりでなく、相当の知恵者であるようにも見受けられた。いささか風変わりな人間でもあるが、族長に相応しい器量であろう。……あんな立派な男衆を差し置いて俺などに族長の座を譲ろうとしていたのは、まったく気の迷いだとしか思えんな」
「家長だって、十分に立派だけどね。でも、その家長が感服するぐらいの人間だったっていうんなら、あたしたちもひと安心だよ」
次姉の口の周りを織布でぬぐってあげながら、ジバ=ルウは微笑んだ。
「正直に言って、ガゼの族長は立派すぎるぐらい立派なお人だったからさ。その跡を継ぐ人間はあの立派な族長と比べられるんだから大変だろうと思ってたんだよ」
「うむ。あやつであれば、森辺の民を正しき道に導いてくれることだろう。俺も安心して、同じ道を進むことができる」
「そっか。家長にそうまで言わせるなんて、本当に立派な人間なんだね。俺もようやく安心できたよ」
と、草籠で眠るドグラン=ルウの頬をつついていたラック=ルウも、にこりと笑った。
「それで、新たな族長は何ていう名前なんだい?」
「名前か。名前はたしか、ダナヴィン=スンだ。まあ、俺たちが族長の名を呼ぶ機会はそうそうあるまいがな」
「ダナヴィン? それも氏族の名前だったっけ?」
「ダナにヴィンという氏族の名を掛け合わせた名前だな。滅んでいない氏族の名を、そのまま男衆の名として使うことはできまい」
「ああ、なるほど。そういう名付けもあるんだったね。……それじゃあこの子たちにも、かつて眷族であった氏族の名前を掛け合わせてつけるべきだったかなぁ?」
ラック=ルウの言葉に、ジバ=ルウは思わず苦笑を浮かべた。
「モーティ、アレク、デル、ロブルで、どんな風に掛け合わせようってのさ? どの組み合わせだって、女衆には仰々しいでしょうよ」
「うむ。そういう名は、おおよそ男児につけるものだ。次に男児が生まれた際には、一考してみるがいい」
家長が落ち着いた声で言うと、ラック=ルウは「いや」と屈託なく笑った。
「よくよく考えると、せっかくの眷族の名前を掛け合わせていたらすぐに尽きてしまうからね。眷族の名は男児が生まれるたびに、大事にひとつずつ使っていくことにするよ」
「うむ。ジバが五人もの男児を生み落としてくれたら、ルウ家も安泰だな」
ダナヴィン=スンという男衆が予想以上に立派な人間であったためか、今日は家長もずいぶん安らいだ顔をしていた。
森辺の民にとって、族長というのはそれだけ重要な存在であるのだ。ジバ=ルウもまた、心からの安堵を覚えていた。
(あたしたちが絶望せずにモルガの森まで辿り着けたのは、きっとガゼの族長のおかげだったんだろうしな。それで今だって、決して手放しで安心できるような状態ではないんだから……族長の力は、重要なはずだ)
そうしてその後は、くつろいだ空気の中で時間が流れ過ぎていき――昨晩からずっと落ち着かない心地であったジバ=ルウたちも、ようやく心安らかに眠ることがかなったのだった。
◇
その後、短からぬ歳月が過ぎても、森辺におかしな騒ぎが巻き起こることはなかった。
新たな族長ダナヴィン=スンは周囲の期待を裏切ることなく、族長としての重責を担ってくれたのだ。また、寡黙で内心の知れなかったガゼの家長に対して、新たな族長はずいぶん気安い人柄であるのだという話であった。
「軽妙というか飄然というか、何事も風のように受け流す気性であるのだ。時には柔弱にも見えかねないが、しかし何しろ知恵者でもあるのでな。あれならば、ガゼの家長とは異なる形でジェノスの貴族と渡り合うことができよう」
家長は、そんな風に語っていた。
森辺の族長は年に何度か、ジェノスの立場ある人間と会合しているのだ。それでこちらは森辺の集落の状態を伝え、あちらからは町におけるギバの被害などが言い渡されるらしい。ジバ=ルウが察するところ、それは森辺の民がきちんとギバ狩りの仕事を果たしているかどうかを確認をするという意味合いが強いように思われた。
(でも、こっちは仕留めたギバの牙や角や毛皮なんかを町で売ってるからな。それを調べれば、どれだけのギバを狩っているかはわかるはずだ。もしかしたら、わざわざ族長を町まで呼びつけているのは……あちらが施した恩義を忘れないようにと念を押しているのかもな)
ずっと森辺にこもっていると忘れがちであるが、この地はジェノスの領土であり、森辺の民の君主はジェノスの領主であるのだ。どれだけ生活に困っても森の恵みに手をつけないというのが、その主従関係の絶対の証でもあった。
しかしまた、わざわざ念を押されなくとも、森辺の民が約定を破ることはない。領主に隠れて森の恵みを盗み食いするなど、森辺の民の誇りが許さないのだ。力のない氏族がいまだに飢えに苦しんでいるのが、その証拠であった。
よって、森辺の民の多くにとって、ジェノスの領主や貴族などというものは別の世界に住まう見果てぬ存在でしかなかったのだが――ダナヴィン=スンが新たな族長になってから一年ほどが過ぎた頃、やおらその存在を意識することになった。
ジバ=ルウたちがそれを知らされたのは、やはり家長会議の翌日のことである。
二十二歳となり、四人目の子を生み落としたジバ=ルウは、愛しい我が子たちの世話を見ながらその言葉を聞かされた。
「実はこのたび、族長がジェノスの貴族から褒賞金というものを授かってきたのだ」
もちろんルウ本家の家人たちは、みんなきょとんとしていた。
「ええと……ほうしょうきんって、何のことだろう?」
「うむ。簡単に言えば、数多くのギバを仕留めたことに対する褒美だな。森辺ではいまだに飢えに苦しむ人間が多いため、族長が手助けを願った結果であるらしい」
「ふうん? それで、薬や食べ物でも分けてもらえたのかい?」
「いや。銅貨を渡されて、それで必要なものを買い求めるように申しつけられたらしい。しかし、すべての氏族で分けていては微々たる額であったため、このたびはひときわ貧しき氏族に配られることになったのだ」
家長の言葉に、ラック=ルウは嬉しそうな顔を見せた。
「それじゃあ貧しい氏族でも、ダビラの薬草や食材を買い求めることができるというわけだね。それは、めでたい話じゃないか」
「うむ。病魔や飢えで幼子を亡くすというのは、やりきれない話だからな」
そう言って、家長も優しい眼差しを我が子に向ける。十一歳となった家長の子も、幼子から若衆へと成長しつつあった。
ジバ=ルウたちの長姉は間もなく六歳、次姉は四歳、長兄のドグラン=ルウは一歳だ。そして、新たな乳飲み子として誕生したのは男児であり、モーティの名が与えられていた。
「族長は、本当に立派なお人だね。まさか、また外の人間から施しを受けられるとは考えてもいなかったよ」
「うむ。さすが知恵者といったところであろう。俺などでは、そんな知恵も回らんし……そもそも、こちらを忌避する相手に救いを求めることなど、とうていできそうにないからな。新たな族長に相応しいのは、やはりダナヴィン=スンであったということだ」
家長も、満足そうな眼差しになっていた。ルウの血族も余所の氏族の心配をしている余裕はないが、それでも罪なき人間や幼子が救われるのであれば嬉しくないわけがないのだ。ジバ=ルウもまた、温かい気持ちで家長の言葉を聞くことができた。
(でも……)
ジバ=ルウは、我が身や血族の行く末に一抹の懸念を抱いている。
それをこの場で、家長に伝えることにした。
「ねえ、家長。やっぱりルウの血族は、他の氏族よりも豊かな暮らしを送ってるんだよね?」
「うむ? まあ、そうだな。いまだに氏族の半分ぐらいは、飢えに苦しんでいるという話であるし……ルウと同じかそれ以上の豊かさを手にしているのは、スンの血族を除けばとレイとルティムぐらいしか覚えにない」
「ああ、ドムとザザはスンの眷族、ガゼとリーマはスンの家人なんだもんね。それに次ぐのが、ルウとレイとルティムってことか」
「うむ。ただしレイとルティムは、すでにすべての眷族が滅んでいる。いずれ余所の氏族と血の縁を結ばなければ、先細りすることは目に見えているが……それでも他の氏族に比べれば、まだしも豊かな暮らしを送っているようだ」
「そっか。やっぱりどの氏族も、まだまだ苦しい生活を送ってるんだね。……それじゃあ褒賞金っていうものも、ルウまでは巡ってこないわけだ」
ジバ=ルウの言葉に、家長は眉をひそめた。
「お前は、何を案じているのだ? 施しを受けずに済むのならば、それに越したことはあるまい。銅貨を受け取った家長たちもただ喜んでいるばかりでなく、狩人としての誇りを傷つけられたはずだぞ」
「うん。あたしだって、狩人の誇りを二の次にしたりはしないよ。みんなは生命を削って、血族の生活を支えてくれているんだからね。だから、銅貨の大切さも身にしみてわかってる。……その上で、家長に聞いてほしい話があるんだよ」
家長は眉をひそめるのをやめる代わりに、眼光を鋭くした。
「お前は族長に負けないぐらいの知恵者であると、俺はそのように信じている。頭ごなしに叱りつけたりはしないと約束するので、何でも包み隠さずに語ってみせるがいい」
「うん、ありがとう。あたしはこの前、このモーティを無事に生み落とすことができたけど……ドグランのときと同様に、魂を返す覚悟を固めていたんだよ」
すると、ラック=ルウがたちまち眉を下げた。
「ジバがどれだけ苦しそうにしていたかは、俺たちも見届けているよ。俺だってジバが元気を取り戻すまでは、生きた心地がしなかったんだ」
「うん。あたしは身体が小さいし、この子もドグランも立派な身体をしてるから、負担が大きかったんだと思う。やっぱりお産は生命がけなんだって、あらためて痛感させられたよ」
「うん。この前も、シュティファの女衆がお産で魂を返してしまったしね」
それはジバ=ルウのお産の直前の話であったため、ラック=ルウはいっそう心を乱すことになったのだ。ジバ=ルウは優しい伴侶に微笑みかけてから、言葉を重ねた。
「ただね、二回連続で死ぬような思いをして、あたしは思ったんだ。もっと力が欲しい、あたしには力が足りてないって……感覚的な話だから、ちょっと説明するのが難しいんだけど……モーティを生んだ後、あたしはものすごく飢えてたんだよ」
「……飢えていた?」
「うん。お腹が空いたとかそういう話じゃなく、滋養が足りないって感じたんだ。子を生み落としたことで、自分の中にぽっかり穴があいたみたいな……大事な何かが足りていないって、気が狂いそうなほど苦しかったの。それで、死に物狂いで煮汁をすすったんだけど、あたしの飢えはまったく満たされなかった。食べても食べても物足りないっていう、終わりのない苦しみだったんだよ」
ジバ=ルウは何とか真情が伝わるようにと、懸命に言いつのった。
「あたしはその前から、ずっと今の食事に疑問を持ってた。ギバ肉とアリアとポイタンだけで、本当に滋養が足りているのかってね。十年以上も前、あたしがダビラの薬草のことを思いついたのも、それが原因だったんだよ。だから……」
「だから、ダビラの薬草のように、俺たちには口にするべき滋養がある、と?」
「うん。あたしは、そう思ってる。『アムスホルンの息吹』で魂を返す幼子は減ったけど、お産や病魔で魂を返す人間ももっと減らすことができるんじゃないかなぁ?」
家長は炯々と光る目でジバ=ルウの顔をしばし見据えてから、やがて静かな声で「そうか」とつぶやいた。
「お前の言いたいことは、理解した。しかしこの場でただちに正否を決められるような話ではないので、明日まで時間をもらいたく思う」
「明日? 明日、どうするの?」
「それは、今から考える。お前も明日までは頭を休めておけ」
それだけ言って、家長は食事を再開させた。
その表情は静謐で、何を考えているかもわからない。しかしまた、ジバ=ルウの言葉が間違っていると判じたならば、その場で厳しい言葉を口にしていたことだろう。ジバ=ルウとしては、年を重ねるごとに頼もしくなっていく家長の器量に期待をかけるしかなかった。




