残された二人
残された僕とソニアさんは部屋を利用する事にした。水術のベッドと枕を作り、テーブルと椅子も用意した。食料は保存のために冷やしておいた方が良いので、炎術を併用しない水術の箱を作って入れておく。
ただ、僕はこの先を探索するつもりだ。そうなるとここに帰って来なくなる可能性も考えられる。なので、これらは全て十日でただの水になるつもりで作っている。
実験として十秒で消えるグラスを作ってみて、それは上手く出来たから大丈夫だろう。
起居にはその一室を使い、正面の一室を浴室代わりに使う。レイドさん達のために作っていたシートを敷き、その上に大きめの浴槽と脱いだ服を置くための机を作った。
水をお湯にするには炎術が確実に必要だし、蝋燭に火を灯すにも炎術が無いと不便だな。口止めして、教えてしまおうか。
「ソニアさん、秘密守れるよね?」
「もちろん。何か聞いて欲しい事があるのか? 誰にも話さないと、命に賭けて誓おう」
「そんな、大袈裟な……」
まあ、誓ってくれたので話そうか。秘密と言っても炎術の事しか話さないし、漏れてもあまり実害は無いんだけどね。
使って見せれば目を見張り、ほうと息を漏らす。
「ハルトは、炎術も使えるのか……。炎術、水術、癒術の三つとなれば、二百年に一人と言われる大魔法使いだな」
「そうなの?」
三つでも二百年に一人なのか。それじゃあ五つ使える僕は何なんだろうな。
「魔法を使えない身としては、羨ましい限りだ」
「僕といる間くらいは、便利に使ってくれて良いよ」
荷物を置くための棚も作って、そこに鞄やクロークを起きながら話す。ついでにブーツも脱いで、サンダルを二足出した。
魔物はこちらに入れないし、今日のところは探索もしないでゆっくりするつもりだ。だから寛ぐための環境を整える事ばかり考えてる。
「ソファも欲しいな……」
「下手な宿より快適になってしまうな」
ソファ作ったら一休みするけどね。さすがに魔力が尽きる。下部は硬く上部は柔らかくすれば良いだけだし、これは簡単に作れた。
ソニアさんも装備を外して、作ったばかりのソファに腰を下ろす。良い具合に沈み込むので、感嘆の声が聞こえた。
「これはすごい。こんな上等なソファ、初めて座ったよ」
「調整は出来るから、不都合あったら遠慮無く言ってね。僕もまだまだ手探りだからさ」
「了解した。だがこれは言う事が無いな」
気に入ってもらえたみたいだ。思い描いたのは、日本にいた時に座った事のあるお高いソファだ。もちろん買ってない。欲しかったけど予算を完全に超えてた。
二人でぼんやり、テーブルの上のランタンの火を眺める。ソファの座り心地は素晴らしく、魔力の消費による疲労もあってうとうとと眠気を感じていた。
「眠くなったか?」
「少しね」
「仮眠でも取るとしようか」
眠ってしまった方が魔力の回復も早いそうだ。なので誘われるままベッドに向かう。そして横になると思いの外疲弊していたらしく、たちまち深い眠りに落ちて行った。
目が覚めると、柔らかく温かいものに包まれていた。それは腕であり身体であり、抱き締められていると気付くのにそう時間を要しなかった。
彼女は起きているようで、目だけで見上げれば見つめ合う事になる。心なしか、回された腕に力が入ったような気がする。
「お前の上目遣いは、相当効くんだぞ」
弱いんだっけ? しくじった。
しかし、こんな状態にあるとヘラルドさんの言葉を否応無く思い出してしまうな。そんな事はしないけど、ソニアさんはこうしてくっ付く事に抵抗無いみたいだし、正直困るぞ。
ただ、頭撫でられたり頬摘ままれたりで本当に子供を可愛がってるだけの感じだから、そういう感情は無さそうだ。安心したけど、それはそれで悲しいものがあるな。複雑なところだ。
「では夕食にしようか」
僕を一頻り弄んだところで、ソニアさんは身体を起こした。僕も起き上がって、一緒に食事する。塩漬けの肉と野菜に、大きく硬めのクッキーのような物だ。飲み物は水。食べられない事は無いけれど美味しくはない。
何とか飲み下し、僕は浴槽へ湯を入れに向かう。ソニアさんも付いて来て、横でそれを眺めていた。不思議そうな顔で。
もしかしたら、この世界には風呂の概念が無い?
「これはもしかして、中に入るのか?」
「うん、そうだよ。初めて?」
「ああ。話に聞いた事はあるが、見るのは初めてだな」
存在しないわけじゃないのか。貴族くらいしか入らないとか、そういう事なのかも。
楽しみになってきたのか、目が輝き始めた。
「こんなもんかな? それじゃソニアさん、お先にどうぞ」
「良いのか? 済まないな」
彼女は一旦荷物を取りに行って、戻って来た。入れ替わりに僕は退室して、ソファに座って待つ。ランタンは浴室に置いて来たので真っ暗、のはずだ。魔力に満ちているので僕には関係無い。
でも、暗闇で呆けて待っているとソニアさんが来た時に驚かせてしまうね。なので今度は明かりを作ろう。単純に考えれば、水に形を与えて物を作っている今のやり方を炎術でやれば良いだろう。
イメージはファンタジーもので定番の炎の剣だとか、あの手の物だ。
テーブルの上に、まずは水術で縦長の小箱を作る。その中に、炎の小さな球体を入れておいた。大きさは蝋燭の火程度。これで充分でしょ。
表面には細かい凹凸を作り、光をぼやけさせてみる。なかなか綺麗だ。何の気無しに触れたら熱かったので、籠を作って中に入れる。籠の中に台座を作ってそこに固定し、揺らしても動かないようにした。さらに籠の下側に持ち手を作り、テーブルの中心に穴を開けてぴったりはまるように合わせた。
これで松明のように持ち運べる明かりの完成だ。
そんなところにソニアさんが戻って来た。
「おお、明るいな。また便利な物を作ったようだ」
戻ったソニアさんを見て、僕は思わず惚けてしまった。
胸元から背中までを広く露出している白いキャミソールのようなワンピースを着ていて、これまでの戦士然とした印象から一転して女性らしさが前面に押し出されていた。肌の白さが露わでショートの髪も白の強い白金色のため、瞳の妖しい紫が一層際立つ。
僕の視線に気付いたのか、頬が少し色付いた。くすりと笑う。荷物を置いて、ソファへゆったりと座った。
「これは寝巻きに使っている服でな。ここは安全であるようだし、ゆるりとさせてもらうぞ」
ひらひらしていて、確かに外向きの服ではないな。軽くて楽そうで、リラックスするには良さそうだ。
「ところで、湯を浴びて来たらどうだ?」
「そうだね、行ってくるよ」
内心でどぎまぎしながら、僕も湯を浴びに向かった。
落ち着かなくてカラスの行水になってしまった。
さっぱりして戻ると、ソニアさんはテーブルに設置した明かりと火の消えたランタンを並べて見ている。そしてこちらを見て、不思議そうに言った。
「真っ暗のまま入っているようだったが、見えるのか?」
「あ」
しまった……。何て言えば良いんだ? どう誤魔化す? 魔眼の事は、さすがに話し辛いぞ。
言い淀んでいると、彼女は慌てた。
「いや、話し辛ければ何も言わなくて構わない。余計な詮索だった」
悪い事をしたという悔やむような表情が、僕の胸にちくりと刺さる。素朴な疑問を口にしただけなのだから、そんな風に思う事は無いだろう。隠さなきゃいけないものを抱えながら迂闊な事をしている僕の方にこそ、問題があるんだ。
それに、まあソニアさんなら炎術も見せてしまってるし、秘密の一つや二つ知られたところで構いはしないか。今更だな。
「絶対に話しちゃ駄目だからね?」
「もちろんそんな事はしないが、良いのか?」
「ソニアさんだからね。信用はしてるよ」
そう言うと、まるで花が咲いたような明るい笑顔を見せてくれる。
心臓をばくばくさせながら、ソファに腰を下ろす。ちらと見れば、嬉しそうな微笑みが見下ろしていた。綺麗だなあ、もう。
「魔眼って、知ってる?」
「伝承にある、力持つ眼の名だな。……まさか」
「魔眼は、魔力を見るんだ。この遺跡は魔力に満ちてるから、その光が照らしているから、明かりが無くても見えるんだ」
見上げると、その目付きは変わっていた。驚きに丸く見開き、そして僕の眼を覗き込む。両手で僕の頬を包み、じっと見つめ合わせてくる。
「……魔法を授けられるのか?」
「出来ないと思うよ?」
「ふ、まあそうか。伝承は伝承でしかない、という事だな」
自嘲気味に笑ったけれど、彼女はそのまましばらく視線を交わらせ続けた。諦め切れないんだろうな。魔法は便利だし、強力だ。誰しもが使いたいと願うだろう。だからこそ、レベッカさんの師匠はあんな運命を辿る事になったんだ。
あれ、でも……。兄弟子さんは魔法を使えるようになったんだよな。魔力の扱い方が間違っているだけの可能性はあるのか。
ソニアさんはどうなんだろうね。確かめるに良い方法は……。
そうだ、触れば魔力が感じられるかもしれないな。大地や遺跡を流れる魔力を僕は触れる事で感じ取っていた。それと同じ事をすれば良いだけなんだ。
レベッカさんの時はまだその辺りの事正確に理解してなかったからわざわざ魔法を使ってもらったけど、あの時もただ触るだけで良かったはずだね。よし、試させてもらおう。
頬に触れられてるから、そのまま魔眼に集中してソニアさんを感じ取れば……おお、魔力があるね。でも、サンプルが無さ過ぎて強いのか弱いのか判断出来ない。でも、魔力は把握出来た。このまま干渉出来ないかな。
こっちからも手で触れるために、ソニアさんの両手の甲に手を重ねる。意識的には、この方が認識し易いな。
「ど、どうしたのだ!?」
「そのままでいてね。落ち着いて、心を静かに」
赤いままで困惑していたけど、僕が何かしようとしているからか言う通りに努めてくれる。
そしてその時は、唐突に訪れた。
「何だ? 何かが動いたような……」
ソニアさんの身体から桃色の花びらのようなものがふわりと舞うように溢れた。それはまるで。
「桜吹雪……!」
彼女の身体が、風に煽られた桜の木のようだった。艶やかに咲き誇る桜に風が巻き起こって悪戯でもしたかのように桃色の小さな光が大量に噴き出して、渦を巻いて僕らの周りでくるくると、ひらひらと回って包む。数え切れないくらいに輝きが満ち満ちて、しかもまだ溢れ続けていた。
あまりにも美しくて、部屋全体を舞台に舞い踊る桜の花びらに僕は見惚れた。何も考えられない程に目が奪われ、心が惹かれた。風に吹かれて、風に乗って、吹雪となって回り巡る様に口を開けて惚けた。
仄かに光る桃色に何もかもを埋め尽くされて、僕はただただ圧倒され、飲み込まれるばかりだった。
そしてやがて、花びらは散るように落ちて消える。
幻想的なその光景は二度と見られないはずのものに酷似していて、この小さな胸は感動と寂寥でいっぱいに満たされた。気付けば瞳から雫がこぼれ、頬を伝ってソニアさんの手を濡らした。
「泣いているのか?」
「ソニアさんの魔力が綺麗で、懐かしくて……」
「懐かしいのか?」
「ずっと昔に見た光景に、そっくりなんだ。たくさんの桃色の花びらが風に舞うあの光景は、もう見られないから……」
涙は止まらずに流れ続け、自分が意外にも日本の事を恋しく思っているのだと実感させられた。桜吹雪だけでなく街の雑踏や建ち並ぶビル群、学生時代の思い出や職場の仲間達。家族の事も友人達の事も次々に止め処無く記憶が溢れ出していた。
何もかもが思い出されて、その全てを失ったのだと明確に突き付けられて、喪失感が今更怒涛の如くに押し寄せて来て、どうにもならなかった。
もう戻れない、二度と見る事も会う事も出来ない。
そんな思いが渦巻いて、僕はいつまでも涙を流し続けた。




