遺跡の虜囚
紋章の奥は、特に危険の無い通路と部屋があるのみだった。部屋の中は遥かな昔に誰かが住んでいたのだろうか、家具らしき物が残されていた。
レベッカさんとヘラルドさんの目付きが変わる。
「おいおいおい! いよいよらしい物が出て来たじゃねえか!」
「大発見よ! この遺跡の時代に生きていた者達の事がわかるかもしれないわ!」
木造ではなく遺跡を形作る材質と同様の物で、棚やベッドが残されていた。それだけではなく、ぼろぼろではあるものの衣類や書物の類いも見つけられて、二人のテンションはこれ以上無い程に高くなっている。
僕とソニアさんはそれを苦笑しながら眺めた。でもこれが大発見である事は、僕にだってわかる。これから大規模な調査隊を組織して、調べ尽くしていくのだろう。
ただ、今のところは下手に触らない事。それが重要だった。専門家でない者が素人判断で弄ればたちまち崩れ去り、情報は永遠に失われる。全員がそれを理解しているのか、誰も手で触れようとはしなかった。
そうして六部屋を巡り、通路の一番奥まで到達した。
そこには小さな部屋がある。円の形になっていて、天井は見えない程高い。床の隅は壁と繋がっていないようで、僕はこの部屋が何であるのか、何となく察した。入口の上方を見上げれば同様の穴が幾つも口を開けて、縦に等間隔で並んでいるのが見える。
つまりこれは、エレベーターのようなものだ。魔力で動くのだと思うけど、昇降機なんだ。
入口に扉が無いけど、怖く無かったのかな。
「穴があるのね。何だかわかる?」
「昇降機だよ、多分。魔力で床が上下するんだ」
「……恐ろしい事考えるわね、あなた」
よく見れば、入口の右側に文字が刻まれている。これは読めなかった。僕の記憶にあるどの文字とも違う。
「これは、人間の文字だわ。確か十を表しているはずよ。ここは人間の遺跡ね。これで明確になったわ」
「それなら、今いるのは第十階層って事かな」
「なるほどね。この部屋が昇降機だとすれば、確かにそう考えられるわ」
そんなところで、ひとまず引き返す。これ以上の調査は、専門家を待った方が良いとレベッカさんが判断した。
そうして紋章のところまで真っ直ぐ戻る。ところが。
「痛っ!」
何かにぶつかって、僕は尻餅を突いた。躓いたのでも転けたのでもなく尻餅。つまり前から衝撃を受けて後ろに倒れ込んだ。でも、前に物なんて何も無い。
嫌な予感が胸いっぱいに広がった。
立ち上がって、恐る恐る指を伸ばす。そして僕の指先はそれに触れた。手で触れ、あちこちに這わせ、そうして悟る。僕は、見えない壁に閉じ込められた。
いや、厳密には見えている。白い霧の魔力に紛れて、ちょうど見えなくなっていたんだ。あの大広間にあった物と同じ、透けて見える壁だ。さっき感じた何かを通り抜けたような感覚、あれはこの壁を通った感覚だったんだな。
魔眼でよく見て確認すればわかる。壁に穴など無く、僕は通る事が出来ない。何故か、僕だけが通れなかった。他の三人は普通に通り抜けている。だから不意を打たれて、尻餅なんて突いてしまった。
三人が振り返って、僕を見ている。ソニアさんが手を差し出してくれて、微笑みを向けていた。その手を握り返し、立ち上がる、そしてそのまま通ろうとして、引かれた僕の手は壁に触れた。ソニアさんの手も当然止まる。
不思議そうに、彼女は振り返る。僕は、苦笑いしか出来なかった。
手を引いて、まるで何かに引っかかっているようだと、ぶつかっているようだと気付いたのだろう。顔色が変わった。
「そんな、まさか!」
「どうしたの、ソニア?」
「ハルトが通れないのだ! 壁でもあるように、引っかかってしまう!」
「何ですって!?」
二人も慌てて戻って来て、僕の手を取って引いたり押したりする。けれどどうやっても通れなかった。
囚われてしまったわけだ。理由も原因もわからない。でも、この遺跡は僕を帰すつもりが無いようだった。
騒ぎに気付いたのか、ミツキさん達六人もこちらにやって来た。そしてレベッカさんから状況の説明がされる。
視線がこちらに向いたので、パントマイムよろしくぺたぺたと壁を触って見せる。思い切り体重をかけて押すように身体を斜めにすれば、何が起きているのか理解してくれた。
「そんな、一体どうなっているんですの!?」
エニスさんがそばまで来て、表情に困惑の色を見せた。僕のそばに座り込んでおろおろしている。見えない壁を触っている僕の手に手を添わせて押して、通らない事を確かめて嘆く。
「とにかく、どうするか決めなきゃいけないわね」
一足先に平静へと戻ったレベッカさんは、これからするべき事へと思考を切り替えていた。
ドールブさんがシートを持って来てくれて、話し合いのために全員で円に座る。一様に難しい表情となり、それだけ僕の事を案じてくれているのだとわかって嬉しくもあり、申し訳なくも感じられた。
「まず原因がわからないわ。それを調べるには、結局戻って調査隊を編成しなきゃ駄目ね」
「レヴァーレストから集めてくるんだろ? 何日かかるんだ?」
「往復だけで五日から六日はかかるもの。各種道具の支度を考えて、早くても八日は必要ね」
「そんなにかかりますの!?」
必要な道具が全てレヴァーレストで揃うと仮定しての話だろうから、実際にはもっと延びるだろう。それを待つ間、僕はずっとこの遺跡の中か。気が滅入るね。
でも、大人しくしてる気なんて無い。その間に一人でも行けるところまで行くつもりだ。この遺跡は出来る限り早く止めなければならない。調査隊を待って調査の結果も待って、なんてしていたらいつになるかわかったものではない。
レベッカさんには悪いけど、勝手に先に進ませてもらう。
ところが、だ。
「一人で残すのも心配だし、護衛を残して行きましょ」
なんて事をレベッカさんは言った。
「大丈夫だよ、魔物だって来られないんだしさ」
僕は一人でも大丈夫と主張する。けど子供を一人残すなんて選択肢は、皆には無かった。それはそうだよね。皆さん良識のある大人だ、畜生。
「わたくしが残りますわ」
「エニス、あなたは駄目よ。仲間が待ってるでしょ? 彼らをこれ以上縛り付けておけないわ。ヘラルドにも仲間と合流して、調査隊に加わってもらいたいわね。あたしとミツキは準備があるから戻らないといけない。だからソニア、あなたに頼んでも良いかしら?」
「もちろん構わない。ハルトの事は任せてくれ」
笑顔で請け負ってくれて、僕の相方はソニアさんに決まった。
「本当に一人で大丈夫だよ?」
「お前一人だけを残して帰る事など、私には出来ない。魔物は来なくとも話し相手くらいいた方が良いだろう」
レイドさん達も残ろうと言ってくれるけど、彼らもレベッカさんに却下された。装備はぼろぼろだし疲弊しているはずだし、彼らを残す選択は最初から無いだろうね。
そんなわけで、僕とソニアさんが二人きりで残される事になった。
「食料は渡しておくわね。このバッグは荷物を運ぶのに使うから置いて行けないけど」
「水は自分で作れるから大丈夫として、ランタン借りても良い?」
「もちろんよ。蝋燭もありったけ渡すわ」
僕だけなら周りにある魔力の光で見えるから要らないんだけど、ソニアさんも残るとなれば明かりは必須だ。ずっと暗闇の中では、僕がそばにいたとしても辛いものがあるだろう。
それから、ヘラルドさんが疑問を口にした。
「坊主が残るのは仕方ねえとしてもよ、上の広間はどうやって通る?」
「親父、それならリリーがいるから大丈夫だよ」
答えたのは娘のヘムリさんだ。何でも、風を流して触れたものを感知したらしい。そよ風程度で行えば消費も少なく、扱い易いそうな。
彼ら四人が大広間を抜けられたのは、リリーさんの風術のおかげだったわけだ。
「そんな使い方が出来るんだね。勉強になるなあ」
「……そんなに大した事じゃない」
頬を染めて恥じらうリリーさん。相変わらず可愛いな!
風術なら僕も使える。今後は僕も感知出来るね、ありがたい情報だ。
「この壁は元通りに出来るかしら?」
レベッカさんの疑問は、試せばすぐに答えを得られた。紋章に魔力を少し取られるけど、開閉は自由になる。魔物が絶対来ないとも限らないから眠る時には閉じた方が良いだろうと、わざわざ気にかけてくれたみたい。
「ハルト様、出来得る限り早く戻ります」
ミツキさんが髪に触れ、撫でる。心配そうな表情を浮かべていて、残して帰らなければならない事を心苦しく思っているようだ。
他の皆も、思い思いに言葉を残す。特にエニスさんが立ち去り難いらしく、握った手をなかなか放そうとしなかった。
「十日は戻らねえだろうしな、ソニアとしっぽり楽しんでろよ」
「このエロ親父!」
間髪入れずに突っ込んだけど、思いもよらずヘムリさんと声がかぶった。ヘラルドさんは娘の前でもこうなんだな。
冗談のネタにされたソニアさんはと見れば、顔を真っ赤にして硬直している。免疫無いのか? 本当にサキュバスらしくないな。
そんなところで、一行は僕ら二人を残して帰って行く。遠くなっていく松明の明かりを二人で、見えなくなるまで見送った。寂寥を感じたのか、ソニアさんが手を握ってくる。それを握り返して、僕は紋章に魔力を送って壁を閉じた。
よくよく考えてみると、面白い仕掛けだ。紋章は魔力で出来ているんだけど、壁自体は地術のようだ。これ、僕も出来ないだろうか。後で仕組みを調べてみようかな。