表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/19

1,狸狐庵山荘移住計画 ~ 9,闇のなかの訪問者

[1]狸狐庵山荘移住計画


この夏から、我々夫婦は、わけあって狸狐庵山荘に移住することとなった。

狸狐庵山荘は、『考える村』という山荘群の中にあるが、それぞれの山荘は完全に孤立していて、周りは奥深い山の木々に囲まれている。

自然との共存はトラブルがあとを断たないし、同時にまた歓びもあとを断たない。

山荘に移住してから、いくつかの特筆すべきことがある、いや、あり過ぎて、僕独りでは持ちきれないから、エッセイ集とか、随筆、或いは閑話集として書きしたためようかと思う。

因みにこれは、およそ一年間に亘って狸狐庵山荘での生活を中心に書き綴ったブログ閑話の一部を編纂したものである。


(プロローグ)

狸狐庵山荘は、自然のなかにある。

狸狐庵(りこあん)という名前に釣られて寄り集まって来るわけでもないだろうが、ここには狸逹が実によく出没する。

大きさといい姿形といい、そこら辺をうろちょろしている焦げ茶色の猫と大差はないが、なんとなくそれが狸だとすぐ判る。詳しく云えば猫より顔が少し尖っていて、小狡そうな目をしていて、脚が短く、黒っぽい背中の丸みをおびたところが一層その後ろめたい感じを助長する。

見かけるのはいつも繁みに逃げ込もうとするそのうしろ姿ばかりだから、滅多にその顔を正面から見ることはないが、振り向き様に見せる丸い目の回りは、漫画で画く狸のようにやはり黒っぽく縁取られている。 ただ、どことなく感じるそのマイナスなイメージのなかに愛らしさが見え隠れするのである。

その他りすに猪親子、野うさぎや鹿、それに様々な種類の昆虫と鳥たち、狸狐庵山荘周辺でうろちょろする愛らしい動物達を数え上げればきりがない。

これらは追ってご紹介するとして、今日のところは狸狐庵山荘には、とにかく狸逹がよく遊びに来るということ、ただし、狐はまだ見掛けないから、残念ながら、それは単なる偶然であって、どうやら狸狐庵という名前とは関係なさそうである。


生き物編(前編)


[2]ワアッー!芋虫がいっぱい!


狸狐庵山荘のある『考える村』は、『自然のなかに人間の生き方を考える』という、重ーいコンセプトのもとに、桂浜に龍馬像を立てた入交という人が設立した一団の山荘群で、そのコンセプトのとおり、まさにそれは自然のなかにある。

ということは、野生生物たちが極普通に暮らしている場所、ということになり、当然我々人間どもは彼らが命を営む世界に借り住まいするということになる。


「ねえ。ちょっと来て来て!」

狸狐庵窯の工房から隣の部屋に何かをしに来たらしい妻の気配を感じた僕は、あてずっぽうな声を掛けた。

この山荘に居るのは僕以外彼女しかいないし、まさか昼間っから狸や狐でもあるまい。それに僕に『くノー』と呼ばれる彼女は、物音をさせずに急に現れたりして僕を驚かせる。

「これ見てこれ」

僕はカーペットの上にいる3,4㌢くらいの極薄い緑色をした芋虫を指差した。多分小さめの蛾か何かの幼虫だと思われる。

「こんなのがねえ、さっきから部屋のあちこちにいっぱいいてねえ。今もそこら辺に3匹ぐらいいて、ティッシュで握りつぶして捨てたとこなんやけど、またおった。その前もそっちに3匹いて捨てたんやけど、何でこんなにいっぱいおるんやろ。それが急に現れるのよ。とても外から這ってきたとは思えん」

僕は部屋中あちこち指差しながら、妻に必死でその異常ぶりを訴えた。

「へー,なんやろうねえ。そんなにいっぱいいるーっ?」

妻も歩調を合わせて不思議がってくれた。

「全部が死にかけてるみたいやけど、何処から来たんやろうねえ。窓の外から飛んできたんやろうか、オタマジャクシみたいに。まあ不思議やねえこりゃあ」

妻は工房が暑いのか首にライトグリーンのタオルを掛け、それで鼻から頬っぺた辺りの汗を拭きながら、わずかに動いてる小さなイモムシを熱心に観察している。

 その時窓の外から一匹のジガバチがブウーンとプロペラ機のような羽音をさせながら二人の側を通り過ぎ、そして再び旋回しながら部屋の中央付近を飛び回りだした。ジガバチは通常人を刺したりしないから無視するか、或いはどうしても鬱陶しい時は近くにあるタオルみたいなもので軽く追っ払う。山荘に居て、近寄って来る虫達にいちいち構っていたらこっちの身が持たないわけで、その時も勝手に出ていくものか、でなければ側にあるタオルかうちわで追っ払らおうかなどと考えながら彼の様子を見ていた。

ところがどうもいつもと様子が違う。こいつは極端にウエストが細くスマートな、あのジガバチではない。よく見ると足で何かを抱えているようだ。卵をいっぱい持った海老を想像させる。動体視力を駆使してよく見ると、

「あれだ!ほれ!こいつ、芋虫を抱いてる」

 僕は飛んでるジガバチを指差しながら思わず妻を振り返る。

「えー?!なにこれ!凄いこれ!」

妻も面白いくらいに反応した。その声にジガバチも驚いたのかあるいは予定通りの行動なのか、突然抱き抱えていた薄緑色の芋虫をカーペットの上に爆弾のように落とすと、ジガバチはすーっと窓から姿を消してしまった。そして、カーペットの上に残された芋虫もやはり瀕死の状態のようで、微かに動くのみである。

「まー、驚いた。これだったんだねえ芋虫の正体は。あなたもよく見つけたわねえ。これを」

妻は自然界の不思議に感嘆しきりだ。

後で気付いたことだが、僕の記憶の端っこに、確かジガバチのことだと思ったが、芋虫などの幼虫に麻酔針のようなものを打ち込み、生かしたままの状態の芋虫の体内あるいは体外に卵を生み付け、卵から孵ったジガバチの幼虫はその芋虫の体液を餌に育っていくというのがあった。

古い記憶を掘り起こし、うろ覚えの中から記憶を辿ったところ、どうやらこの事なんだと気付いた次第だ。

確認のためネットで『ジガバチの生態』でアクセスして調べてみたところ、僕の記憶と大差はなく、ただ普通は地面に小さな穴を掘ってその中に芋虫を運び込み、その芋虫にわずか一個だけの卵を生みつけた後は、石ころや土で穴に蓋をしてそのまま立ち去るケースが多いとある。

それなら僕の部屋に芋虫を運び込んだジガバチは一体何をしようといていたのか多少の疑問は残るが、どちらにしろ自然界の少し残酷だが、なかなか興味深いすがたを垣間見た気がした。



[3]昆虫食


『昆虫食』とは昆虫を食べることである。

僕は生まれてこのかた、昆虫を食べたことは二度だけある。

実を言うと、その二回ともに定かな記憶がなく、実際食べたかどうかさえ判らない。だから食べる機会が二度あったと言った方がいいのかもしれない。

一度は幼い頃、小学校1,2年の頃だったと思う。

近所のガキ大将に連れられて蜂の子を取りに行った。僕の家からさほど遠くないガレージのようなトタン葺の建物の軒下にアシナガバチの大きな巣があった。その頃僕たちにとって蜂と言えばアシナガバチかミツバチで、クマバチとかスズメバチとかは名前とその恐ろしさだけは話で聞かされていたが、実際見たことはなかった。

昆虫採集用の網で、軒下にぶら下がっているアシナガバチの巣を取る。ただそれだけで何の防備もせず、今考えると非常に危険な行動だ。お目当ては蜂の子であり、パサパサとした蜂の巣をばらして中から白っぽい芋虫のような蜂の子を取り出した記憶はある。それを油で炒めて食べたら、甘くて美味しいということは聞いていた。しかしそれを実際そうやって食べたという記憶はない。だからそれがどんな味なのか当然知らない、もしくは覚えていない。

その時のことに関しもう1つ定かでないことがある。網で蜂の巣を取る時に僕の体のどこかを蜂に刺されたという微かな記憶があるのだ。それが首であり、可なり痛くて、水を含ませたタオルで母が冷やしてくれた、というのはその記憶を呼び起こすため僕が後日想像したことなのかもしれない。

僕の脳裏の端の極めて曖昧な記憶の中に、それらの景色全体がゆらゆらと漂っているのだ。


もう1つの昆虫を食べた記憶。残念ながらこれもはっきりしたものではない。

これは、時はずっと下って僕が20台の頃、会社の出張で長野県とか岐阜県辺りに行ったときのことである。宿泊場所が下呂温泉で、ホテルの近くのこじんまりとした居酒屋だった記憶がある。ここまで言えば殆どの人が、あああれか、と気づくと思うが、そうあのイナゴ(バッタ)の佃煮を食べる機会があったのである。しかしこれも食べたのか食べないのか、美味しかったのか不味かったのか、さっぱり判らない。食べたとしても佃煮のこと、素材が何であれ佃煮の味しかしないはずだ。だから、食べるは食べたが「あっ、普通の雑魚の佃煮なんかと変わらないねえ。食べれんことはないわ」なんて会話をしながら、ビールで流し込んだに違いない。はっきりとした記憶がないため、ここはそういうことにしておこう。

 

ということで能書きが長くなったが、僕はこれ迄に二度ほど昆虫を食べたことがある、ということだ。

それがどうした、と言われそうだから、先を急ごう。

いや、更に長くなりそうだから続きは次回ということに。

次回は『カメムシを食べた男』となります。


4]カメムシを食べた男


地球上の昆虫の種類は、確認されているだけで100万種、更に毎年3000種以上の新種が報告されているという。未発見のものも含めるとなんと推定で1000万種以上にのぼるであろうと言われている。これは地球上の全動物種のうちの約8割を占めるというから、地球はまさに『昆虫惑星』だと言ってもいい。

その日、僕と妻は高知市から南西方向に車で50分程行った海沿いにあるスカイベイゴルフクラブというゴルフ場で、僕の従兄と共に3人でゴルフのラウンドをした。ところがそのラウンドで妻が久し振りの70台である79で上がり、気分がいいからスーパーでステーキ肉でも買って、ふたりでワインで乾杯しようかということになった。

その夜の食卓はゴルフの話題に花が咲き、フィレステーキとリカオーで買った安物ワインがまた格別に美味であった。そして我が家の定番となっている、残り野菜やニンニクチップなんかを入れて作る締めの焼そばを焼いているとき、山荘の南側の窓から緑色したカメムシ、通称屁こき虫が飛んで来て僕のすぐ前のテーブルの上に止まった。

カメムシ、なかでもアオクサカメムシは姿形、特にライトグリーンのその色が大変美しい。その強烈な臭いさえなければ、ペットとして可愛がってやってもいいくらいである。ひょっとしたらテントウムシよりも可愛いかもしれない。再度言うがこれも臭くなければの話である。あの臭いだけは、さすがの僕でも好きにはなれない。植物の葉緑素を凝縮して、なおかつわざわざと悪臭に仕立て上げたような臭い。神様も結構苦労してんだなあと思う。

ここで少し疑問に思うことがある。しかし余り横道に逸れると、肝心の話が前に進まない。別に進む必要もないだろうが、ここではひとつ我慢して、その件は次の機会に譲ることとする。

 そんなわけで僕は、カメムシ、なかでもアオクサカメムシには好意的な印象を持っているため、出来ることなら彼らとトラブルなんかは起こしたくない。ましてや彼らを怒らせてあの臭いを嗅がされたり、或いはその結果彼らを殺してしまったりなんてことは極力避けたい。一方彼らの側としても、僕の今までの経験からして、優しく扱われている限りは決して悪臭を放ったりはしない。つまりカメムシ君には友好的に接するのが最善の策だと言える。だからこの時カメムシ君が山荘のテーブルのあかりを求めて来たときにも、暖かい無視を決め込んでいた。

しかしこの時の彼は、焼そばを食べる僕の周りをしつこくウロウロしていて、僕としても過って潰してしまっては大変と、そっと手のひらに乗せて外に放とうとしたがうまくいかず、彼はテーブルの下に落ちてそのまま行方不明になってしまった。

その後僕は妻とのゴルフ談義と食べることに夢中で、彼のことはすっかり忘れていたのである。

それから間もなくして、僕が焼そばに入っているキャベツを食べているとき、一瞬口の中に青臭い匂いが広がった。最初は、随分成分の濃いキャベツだくらいに思っていたが、すぐにそれは紛れもないあのカメムシの放つ悪臭だと気付いたのである。どこかで知らないうちに彼を圧迫してしまったのか、いや、それは間違いなく僕自身の口の中がその発生源だった。

思わず口の中のものを皿の上に吐き出しながら

「やったー、えらいこっちゃー!」と大騒ぎする僕に妻もたじろぎ

「なになに、今度はなに?」

妻のこの驚きの言葉は、色んな特異なことの起こる山荘での、彼女の口癖になっていた。

「カメムシを食べた。臭っさー!」

口から出したものをよく見ると、噛み砕かれた野菜たちに混ざって無惨な形となったカメムシの姿があった。

僕の前歯で噛まれ、半分にちぎれかかった、多分それはさっきまで僕の周りをウロウロしていたアオクサカメムシ君にちがいなかった。

「わーっ、これだ、これー!」

僕は、もしかするとキャベツの切れっ端と間違えて見過ごしそうな鮮やかな緑色をしたカメムシの死骸を指差しながら、その異常な体験ぶりを妻に訴えた。

口の中の悪臭は、それ以上酷くなることはなかったが、それはそのままの横這い状態で続いていて、僕は軽い吐き気を抑えながら洗面所で何度も何度も口を漱いでいた。

カメムシを噛み切ったのは、どうやら下の前歯の左の方らしく、特にそこら辺から例の臭いが発散されているようだった。

しかしそれは我慢できない程のものでもなく、また実際吐き気も催しはしたものの、それもまた我慢できる範囲内でのことではあった。

何事も慣れであることを考えれば、工夫して調理さえすれば、カメムシもまた食べれないことはないとも思った。

その後も臭いは暫くは残った。しかしキュウリを食べたときにも同じような匂いがするときがある。大雑把に言えば、他の緑の色素の濃い野菜も同系列の匂いであることに気付く。その証拠にカメムシを噛み殺して以来、色んな野菜を食べてるときに,ハッとすることがよくあるのだ。

実際カメムシはメキシコでは人気の食材であり生食するらしい。またラオスなんかでは、生食のほか炒めものにしたり或いは素揚げで食べる。

つまり『カメムシを食べた男』などと大袈裟に言うまでもなく、世界的にはさほど珍しいことではないのである。

その他にも世界的なことを言えば、ハエから始まってゴキブリ、蛾の幼虫、ムカデ、蚊、クモ、挙げ句の果てにはダニ入りチーズまで我々の感覚からすれば到底信じ難いものまでが、世界のある場所では食べられている昆虫としてその名を連ねる。

まあ百歩譲ってそれらの酷いゲテモノは別として、我々日本人も何らかの機会に、昆虫食を食生活の一部として取り入れることを検討する価値は十分あるように思える。なにしろ地球上には1000万種類もの昆虫がいるわけで、それがいざというときの貴重な蛋白源になることは認めざるを得ない事実であろう。

何事も慣れてしまえば、ごく普通のありふれたことになってしまうのだから、怖れずトライあるのみである。


[5]狸狐庵山荘『ねずみ騒動の巻』


山荘は文字通り山の中にある。

だから街中ではない色んなことが起こる。

「ねえ、大変なことになった」

山荘の居間で炬燵に入り、すっかりくつろいでる僕にまた異変の知らせだ。

「今度は何?」

今日は僕が妻のお株を奪った。

「工房にネズミが出た」

「ネズミ? リスの間違いでしょ」

「いやいや、尻尾には毛がなくって、ミミズみたいな尻尾やった」

工房はプレハブのユニットハウスだから、昼間日が出てると暖房が要らないくらいに暖かい。それに陶芸用に藁や籾殻も置いてあってネズミ達には格好の棲みかとなっているのかも知れない。

「私がろくろを廻していると、足に何か触るものがあるのよねえ、またムカデが出たのかと思って慌てて下を見たら、黒っぽい色のネズミやった」

「それで、どこに行った?」

「そこの藁のところでウロウロしてたから、網持って追っかけたんやけど、どっか行ってもうた」

僕もそこら辺の藁とか籾殻を除けたりして暫く探したが、どこにもその気配すらない。

「少し前から、何かそっちの隅の方でごそごそ音がしてるとは思ってたのよねえ。何かそれらしい糞みたいなものもあったし」

「どこから入ってきたのかねえ」

「判らんね。どこにもそんな穴は無い筈やけどねえ」

「入口の戸が開いてる隙に入ったんやね、きっと」

「どうしよう。ここで作業するにもネズミがいると思うと落ち着かないわねえ。安心して居られん」


早々に僕はホームセンターでネズミ捕りモチ『チュートリアル』を買ってきて、夜工房を閉める前に藁の側に仕掛けておいた。

翌朝僕は、掛かっていて欲しいようなそれでいて掛かっているのがなんだか怖いような、複雑な心持ちのまま工房に様子を見に行った。

果たして、『チュートリアル』は昨夜のままの閑散とした姿をさらけ出している。

そしてその日の夕方、街なかのマンションに帰る野暮用ができ山荘を空けることとなった。

ところが山荘の戸締まりをして車で帰宅途中に僕の携帯に連絡が入り、突如として野暮用がキャンセルとなって、妻と僕は再び山荘にUターンすることとなったのである。

「え?ひょっとしてあの黒い陰は、チュウ太さんでは?」

卵を潰したくらいの大きさの真っ黒いネズミが、まだ掛かったばかりなのか、『チュートリアル』の上でモゴモゴと蠢く姿があった。そして時々「キュー、キュー」と悲しげな声で鳴く(泣く?)。

その日、僕達が山荘を空けることを見ていたかのようなタイミングだった。

「今夜僕達がいないようだから、さあ、ネズミの宴会でもやろうか、なんて出てきたんだろうねえ。とんだ宴会になっちまったねえこいつらも。可哀想に」

とてもじゃないがそんな工房で作業は出来ないと、妻は顔を歪めて避難してきた。

今日の仕事はもうお仕舞いだという。

「どこか山の遠くの方に逃がしてやったら?」

「それは無理でしょう。もうベットリとくっ付いてるんやから。もうすぐ死ぬと思うよ」

「まー、可哀想。困ったねえこりゃ。殺さずに工房から逃げてもらう方法はないものかしら」

暫くして『チュウ太さん』は動かなくなった。

「どっかに埋めてやらないの?」

「そりゃあ無理」

「じゃあどうする気?」

「生ゴミとして出すしかないでしょ」

「ゴミと一緒か」

「いや、そうじゃなくて、火葬と考えなきゃ。人間と同んなじよ」

「じゃあもう今、始末しましょうか。見るの辛いから」

「ダメダメ。ネズミは大体つがいで行動してるから。一匹居たら必ずもう一匹居るから、このまま置いといたら、助けに来るのよ」

「そうか。辛いねえ、本当に」

『チュートリアル』は二枚が一組となっていた。

この際もう一ヶ所にセットして、一網打尽にしようと僕は考えたのだ。


その夜僕は、『チュートリアル』に掛かって死んだネズミの家族の夢を見た。

オヤジが帰らないと家族で心配していた。

僕はそのわけを知っていたから、母ネズミと子ネズミにその話をした。

親子ネズミは泣いていた。

そこで僕は目が覚めた。

夜中の三時半だった。

それから僕は二時間くらいは眠れなかった。


翌朝、やはり新しくセットした『チュートリアル』にもう一匹のネズミが掛かっていた。

見掛けは昨日掛かったネズミとほぼ同じものだった。

多分僕が昨夜の夢の中で見た母ネズミなんだなと思った。

僕は彼らを事務的にビニール袋に入れ、出来るだけ平然とした面持ちでゴミステーションまで運んだ。


6]やりたくなくても、やってしまうこと

狸狐庵山荘の住人もご他聞に漏れず、周辺に住む野生動物たちの餌付けを志している。

僕の場合、取り敢えずは工房の裏の松林に餌場を作り、殻付きのピーナツとか時には食べ残した饅頭なんかも並べてみた。

すると一日もしないうちにいつの間にか餌は無くなっていて、しかもお客さんの姿は見えない。但し、饅頭のあんこは殆ど食べずに残されていた。もしお客さんが鳥なら虫歯の心配はないのだから食べればいいのに。

そんなことが何度も続いた。

餌場が木の上の方だったことから、ひょっとしてリスではないか、などと期待も膨らんだが、

「あのねえ、茶色とか黒とか白い色の混ざったような綺麗な色の鳥がピーナツを殻ごと持ってくのを見たよ」

妻がロクロを廻している目の前で、パッチワークの縫いぐるみみたいな鳥が次から次へとピーナツを運んでいったという。

これが我々とヤマガラとの出会いであった。

ヤマガラは、非常に人懐っこくて餌付けが簡単であることは、よく耳にする話である。

神社の模型の前で、鈴を鳴らしたり、おみくじを引いたりする、色とりどりの小鳥がいることは知っていた。あれがヤマガラだったのだ。

へそ曲がりな僕としては、そんな誰にでも出きるようなありふれたことはやりたくなかった。

それにヤマガラの図々しさは日を追ってエスカレートしてくる。

餌がないと『ビィービィー』という品のない啼き声で、盛んに餌の催促をする。

それでいて、ある一定以上の距離は詰められず、人の直ぐ近くの餌を取りに来るとか、或いは人間の究極の悦びである手から餌を取っていくなどという気の利いた芸当は決してやらないのである。

その後餌を何処に置いても、先ずはヤマガラが取りに来て、他の動物が来る暇がない。

空から飛んで来るのだから、何処に置こうがヤマガラに見逃して貰う手立てはない。

このままだとヤマガラを無用に肥らせるだけだった。

妻と娘のアイリーンは、彼らの好物がひまわりの種だと知ると、わざわざホームセンターで買い込んで来て、それなりに楽しんでいるが、あくまでもヤマガラは僕の本意ではない。

僕の餌付けのターゲットは、リスか野うさぎ或いは鹿である。


二月のある日、僕の従弟が来て狸狐庵山荘の直ぐ傍の木の枝に、ミカンを半分にして刺しておいた。

空かさずメジロがやって来て、枝から逆さにぶら下がるようにしてミカンをずーと突っつき始めた。

メジロは、その名のとおり小さな黒目の周りが真っ白くなっていて、全身は所謂ウグイス色の羽根である。

ここでうっかりメジロの羽根を『うぐいす色』と言ったが、それは間違いだそうで、本来『うぐいす色』とは本当のウグイスの背中付近の羽の色、つまり灰色がかった緑褐色をいうらしい。

多くの人が『うぐいす色』と思い込んでる色は、実は『うぐいす色』ではなくて、『めじろ色』ということになる。

そしてまた『梅にうぐいす』と言うが、これは春になって梅にウグイスが来ると言う意味ではない。

いち早く春を告げる花が梅であり、春になると初鳴きして人びとの耳を楽しませてくれるのがウグイスである。

つまり東西の春の横綱の揃い踏みということであって、それから派生して『松と鶴』のように相性がいいという意味にも使われるようになったわけだ。

現実には梅の花には、メジロ達が花の蜜を求めて大勢やって来るが、ウグイスは滅多に来ない。

僕もよく目にする光景だが、黄緑色した愛らしいメジロたちが逆さになったり、梅の花びらのなかに頭を突っ込むようにして蜜を吸う図は、春そのものであり、写真ではなく一幅の掛軸や襖絵にでもしたいような情動さえある。

そんな事情もあって、昔のひとはウグイスとメジロを間違えてたのではないかという憶測もあるが、『うぐいす色』にしても『梅にうぐいす』の意味にしても、昔のひとの間でも明確に区別されていたわけで、昔は(まむし)から象まで、引っ括めて動物全般を虫と呼んでた時代だから、ウグイスもメジロもちゃんとした区別はしてなかったのだろう、などという憶測は全く当たらないことになる。

どちらにしろ、メジロが花の蜜や果実を啄む姿は、ヤマガラがビィービィーとひまわりの種を催促する姿よりは絵になることが云いたかったのである。

因みにウグイスは、下に笹があるような広葉樹林の繁みに姿を隠すようにして棲息していて、主に虫なんかを食べて一年を過ごすようである。


ヤマガラとメジロの四方山噺がつい長くなったようだ。今日はこの辺で。



[7]狸狐庵山荘のウグイス


2月20日頃だったと思う、僕は狸狐庵山荘で、ウグイスがぎこちなく啼くのを聞いた。

多分今年の初鳴きである。

山荘としてはまだ極寒のなかにある。


去年この山荘に越してきて、間断無く啼くそのウグイスの数に驚いた。

『数に驚いた』と言ったが、ひょっとしたら一羽或いは二羽がずーと啼き続けている可能性も無くはない。

極稀に、数羽が合唱のようになることもあるが、殆どが独唱である。それにウグイスは一ヶ所にじっとしていることはなく、結構小まめに場所を移動する。

移動する姿だけは、それらしきものがちらりと見える。

だから、山荘の周りの木々の色んな場所から聞こえても、合唱にならない限り、複数居るとは限らないのである。

ウグイスは、雄の求愛のための『法ー、法華経』以外にも色んな啼き方をする。

『チャッ,チャッ,チャッ』とか啼くのは、『谷渡り啼き』と言って警告のためらしいが、僕のお気に入りは『ポテチッ,ポテチッ、ポテチッ』と啼く、いわゆる『ポテチ』啼きである。これは『法ー、法華経』と啼くための発声練習と警告が合わさったものだと、僕なりに解釈している。

ウグイスは、その姿を確認するのが中々難しい。

声はすれども姿は見えずというやつである。

すぐ近くで啼いているはずなのに、どうしても見付けることが出来ない。

「私も工房のすぐ近くで啼いてたからねえ、探すんだけど、中々見つからないわねえ」

妻は視力が1.5で、遠くの物なら並外れて頗るよく見える。しかし最近では、そのことが災いしているのかどうなのか、近くのものが丸っきり見えない。

だからお洒落な老眼鏡を小物屋で買ってきて、いつも『ど根性ガエル』のひろしみたいに頭の上に載っけている。

そんな妻が、遠くの物に目を凝らしたら大抵の物はなんでも発見してしまう。

ゴルフ場でもボールの飛んでく先などは完全に見えてるために、第2のキャディーとも呼ばれる。

そんな妻の眼をしても見つからないウグイスは、忍者並の隠れ上手なのかも知れない。

そんなわけで、バードウォッチングの'いろは'も知らない僕にとって、ウグイスの啼く姿を見ることは、最早叶わぬ夢と諦めていた。

2,3日前、薄曇りで春風駘蕩とした日があった。

つい先日まで、病の恐怖に晒されて、季節の移ろいや極普通な時間の過ぎていくことの悦びを再び知った僕にとって、こんな一日は何よりもうれしい無二な時間である。

山荘の周りの至る所に自生するヤマツツジが今丁度満開で、朱赤色や紅紫色の花が咲きほこっている。

ヤマツツジは、人を幻想の世界に誘う花だという。

泉鏡花の小説に『龍潭譚(りゅうたんだん)』という短編小説がある。

躑躅(ツツジ)の丘で遊んでた少年が、幻想の世界に誘い込まれ、幻想と現実の間のせめぎ合いを経て、現実の世界へと戻ってくるといった幻想譚である。

少年はハンミョウという美しい昆虫に顔を刺され、その毒のために異界をさ迷うという、スパイダーマンのような話だ。

そのなかにヤマツツジが咲きほこる様子を描いたくだりが幾つかあるからここで紹介したい。

『行く方も躑躅(ツツジ)なり。来し方も躑躅なり』

『両側つづきの躑躅の花。遠き方は前後を塞ぎて、日かげ赤く咲き込めたる空のいろの真蒼き下に、佇むは我のみなり』

『ゆう日あざやかに、ぱっと茜さして、眼もあやに躑躅の花、ただ紅の雪の降積めるかと疑わる。』

満開のヤマツツジに囲まれて、そのなかを独り歩けば、そのあまりの美しさに、恐ろしさを感じることであろう。

そんなヤマツツジが、今『考える村』でも繚乱として、訪れる人びとを別天地に誘う。


僕はヤマツツジの群生に囲まれて、デッキの椅子に深く腰を掛け、まどろんでいた。

薄く目を開けると、遠くの方には春の海がのたりと横たわっている。

耳には小鳥のさえずりがある。

僕の意識が、フーッと遠くなりかかった瞬間、

『法ー、法華経!』

といきなり耳元でやられた。

ハッとして目を開けると、すぐ目の前の電線にウグイスらしき尻尾の長い小鳥が停まっていて、オペラ歌手のように首を長く上の方に伸ばし、喉を膨らませるようにして、

『法ー、法華経!』と豪快に声を張上げる。

その華奢な身体を目一杯使いながら長い尾っぽをぴんと立てて、全身全霊を込めて啼くその姿は、恋にすべてを懸ける情熱的な姿というより、むしろ僕には一途さを通り越した憐れさに見えて仕方がない。

僕にとって、ウグイスのさえずる姿を見るのは生まれて初めての経験であった。

すぐさま望遠カメラを探したがない。

何処にも見当たらなかった。

だから僕は、その瞬間の全てを自分の目に焼き付けることにした。

ウグイスは一度啼き終ると電線の上を横っ飛びするように素早く移動する。まるで落ち着きがない。

そしてそこで『ポテチッ、ポテチッ、ポテチッ!』をやったかと思ったら、2,3回その場で跳ねるようにしてから、何処かに飛び去ってしまった。

その後もウグイスは、時々その電線にやって来て、さえずっては飛び去った。僕は妻を工房から呼んできて、二人でその珍しいウグイスの啼く姿を観賞した。


感動することは、他にもいろいろと沢山あった。

そんななかで、春日遅遅な一日を、僕の望みどおりに極普通に過ごすことができた。

大自然に感謝したい。


8]ヤマガラ夫婦『ブラッキーとホワイティー』


今朝も早朝から、ヤマガラがデッキ近くの木に止まって、そこら辺にひまわりの種が置かれてないか、様子を窺っている。

うちの山荘におやつを探しに来るヤマガラは、どうやらいつも同じ二羽が中心のようである。

「こいつら、来る度に大きくなってるように思わん?」

「ほんとね。特にホワイティーなんか、元々雀くらいだったのが、今はモズくらいあるわよねえ」

また妻が横文字のわけの解らんことを言い出した。

「なんじゃ、その『ミルクティー』とか云うのは?」

「違う。『ホワイティー』よ!いつも来るのが二羽いてね、そのちょっと大きめで、頭の天辺の白い部分が広くて大きいのが『ホワイティー』。もう一方の、全体的にちょっと小振りで、頭の天辺の白い部分が殆ど無くて、黒い頭のヤマガラが『ブラッキー』って名前」

「えー?名前があるの?あいつら」

「そうよ。私が付けたの」

今まで、僕にとって全部が同じ形や色に見えていたヤマガラだったが、言われてみれば確かにそんな特徴はあるようで、それからは、二羽がちゃんと別々のヤマガラに見えてきだしたから、人間の『観察』や『ネーミング』の大切さを痛感したものだった。


日が高く昇って、ヤマガラたちがデッキの周辺でウロウロしているのを無視していると、決まって「ビービービー、ビービービー」と煩くがなりたてて催促をする。僕は出来るだけ無視を決め込んでいるのだが、妻が決まって隣で「来た、来た!ブラッキーが来たよ」という。

それでも一生懸命無視を通そうとする僕に、

ヤマガラは『ビービービー』攻撃で畳み掛け、妻は「ほらほら、ホワイティーも来た、来た!」という。

堪らず僕は立ち上がり、ひまわりの種を物置に取りに行く。


最近の餌遣りは、普通にデッキに置いたりはしない。

デッキに面した広い硝子窓の敷居に並べたり、更にはそこから1メートル程屋内に入ったところに置いてみる。

そんなことをしても、人さえ近くに居なければ何の頓着も無く、3,40個のひまわりの種があっという間に無くなってしまう。

ひまわりの種は、薄いプラスチックのような殼を被っていて、ヤマガラはそれを一個ずつ、殼ごとくわえて近くの木の枝まで運び、足でそれを固定しておいて、啄木鳥のように殼を割って中味を取り出す。その一連の行動を何度も何度も繰り返すのであるが、彼らにとって、人間が近くに居る屋内の餌を如何に勇気を出して取ってくるのか、これが中々ハラハラ、ドキドキの緊張の連続のようで、特にホワイティーにとっては、食欲と緊張を天秤にかけ、そのスリルに堪えられなくなった時には、餌取りを途中で断念して、何処かに行ってしまうこともある。

我々の見るところ、ブラッキーが雄でホワイティーが雌のヤマガラではないか、そして二羽は夫婦であろうと推測した。

ホワイティーはブラッキーに比べ動きが鈍く、更に臆病な性格の様だ。

餌を取りに屋内に来たとき、ひどくパニクったりして、飛ぶ方向を間違え、出口とは違うガラス戸にぶち当たったりする。酷いときには山荘の中の方に飛んで、慌てて方向変換して出て行くこともある。

そんなドジなヤマガラをよく見ると、それは大概ホワイティーであることが多い。

その結果、ひまわりの種10個のうち8個はブラッキーが食べて、残りの2個がホワイティーといった具合である。

たまに部外者となる、見慣れないヤマガラが来ることもあるが、大概夫婦で追っ払ってしまう。

この山荘でひまわりの種をもらって、他のヤマガラよりは一回り以上大きくなってるから、部外のヤマガラをはじめ、集団でやって来るシジュウカラやメジロまで、こともなげに蹴散らせるわけだ。

それを見てると、僕は少し腹立たしくなる。

どうせなら、シジュウカラにもメジロにも来て貰いたい。

「ホワイティー、お腹が大きいのやろか。もう直ぐ、卵産みそう」

「そうか。それで体が大きいんだ。それならブラッキーも自分ばっかり食べてないで、ホワイティーに餌を取ってやるとか、いっその亊、口移しで食べさせてやるとか、いうようなことしないのかねえ、あいつは」

僕には、このヤマガラ夫婦の考えてることが、未だに理解出来ないのであった。



[9]闇のなかの訪問者


二羽のメジロが、定期的に山荘を訪れるようになった。

朝、山荘にあるボウカシの木の枝に温州みかんを半分にしたものを刺しておくと、いつも同じ二羽の常連さんと思われるメジロが入れ替わり立ち替わりやって来ては、みかんの果肉に細長いストローのようなくちばしを深く差し込むようにして啄み、夕方ちかくになるとみかんの中袋と皮だけを残して、果肉だけを綺麗に平らげてしまう。

焼き魚を丁寧に、綺麗に食べたあとの頭と骨だけが標本のように残った姿を思い出す。

僕はメジロにやるみかんを、最近温州みかんからネーブルオレンジに変えてみた。

ネーブルは温州みかんよりは一回り大きく実が締まっているため、だからメジロにも食べごたえがあって長持ちするだろうと考えたわけだ。


「ヤマガラがねえ、メジロを追っ払ってるよ」

ヤマガラ担当の妻が、僕に逐一報告をする。

「えー?ヤマガラもみかん食べるのかねえ」

「食べんけどねえ、ただ追っ払うだけ」

「意地悪だねえ、ヤマガラの奴」

前にも云った通り、山荘に来るヤマガラの常連はホワイティーとブラッキーだ。

その他にも通りすがりのヤマガラや、気まぐれにちょっかい出しに来る(ヤカラ)もいるが、雄らしきブラッキーにはどうやら縄張り意識があるようで、侵入者に対しては厳しく追い払ったりする。

それでいてブラッキー達にしても餌場はここだけではないようで、一日中近辺をうろうろしながら時々狸狐庵山荘の餌場の様子を見に来るといった具合である。


「ねえ、あの木にあったみかんの皮、何処かに持って行った?」

ある朝、妻が不審げに訊く。

ボウガシの枝に突き刺さったままで残されてる筈の、メジロが食べた残したみかんの中袋と皮が、今朝は見たらないというのだ。

「いやー、知らんよ。他の鳥が皮まで食べたとか。それともリスかなぁ」

僕の方は、言われて始めて気が付いた。


いつもそうだが、僕と妻とは注意を払う場所や神経を集中する分野が違っていて、お互いがその空白部分を補い合うことが多々ある。

勿論双方が重なり合う部分もあるわけで、そんなときにはそれぞれの反応やコメントが同じで、それを同時にハモったりすることもあったりする。


「リスだといいけどねえ。それとも、ハクビシンかも知れんねえ」

中国辺りでは高級食材として珍重されるハクビシンもここの山荘の周りで何度か見掛けたことがあった。

それならば、文旦の皮なら鳥類の手には負えないだろうと、文旦を半分にして木の枝に刺しておいたところ、それさえも翌日には跡形も無くなっている。

ただ、文旦の種だけは木の下に散らばっていた。

少なくとも犯人は、鳥類では無さそうだ。

しかも、やって来る時間帯は、恐らく深夜か朝方であろうと想像された。

そんなある日のこと、朝起きてみると

「わー、何これ、大変だこりゃ。恐!」

妻がデッキに出て大騒ぎしている。

彼女の怯えた視線の先には、デッキの上に散乱したネーブルオレンジのかじり掛けた皮や種があった。

確かに不気味な光景である。

これで鳥類である可能性は消えたようだ。

間違いなく獣だと思うが、矢張ハクビシンなのだろうか。

ハクビシンは木登りが上手で、木の枝に逆さにぶら下がって柿の実を食べてる姿を、かつて僕は目にしたことがあった。


そんなオカルト映画のコンパクト判のような小さな事件が何度か繰り返され、そしてまたある日のこと、僕は、黒潮カントリーを見下ろすデッキの上から、ある特定のホールのフェアウェーとグリーンを狙ってティーショットすることをシミュレーションしながら素振をする、こんな贅沢な素振もそうざらには有るまいなどと、ほくそ笑みながらデッキでクラブを振ろうとした、その時、視界の端っこでちらりと動くものを知覚する。

いつもみかんを刺して置くボウガシの木のすぐ近くでのことだった。

僕はクラブを振るのを止め、その動くものの方に忍び足で近寄った。

風呂やトイレのある山荘の裏側になるところで、何か獣らしきものを見付けた。

それが、山の繁みに入る直前に後ろ姿が見えた。

きつね色のフサフサとした毛に被われていて、尻尾もでかい。足の短いところを見ると狐ではなさそうだ。

その獣は一度繁みの中に隠れたが、またこちらの様子を伺うようにして姿を現した。

目の回りが黒っぽくなっていて、縫いぐるみのようなとてもかわいい顔だ。

ネットで調べて見ると、どうやらあれがイタチらしい。

そしてそこには彼らの生態について、これでもかというくらいに悪口がつらつらと書き並べてあった。

勿論人間中心の手前勝手な視点であることは言うまでもないが、それがたとえ解っていても、これによってあの動物のかわいいといったイメージは吹っ飛んでしまう。

愛らしく見えていた目の周りのパンダのような隈も、突如として小狡い邪悪なものの象徴へと変貌を遂げる。

そう言えば少し前に妻と二人で、考える村に通じる林道を夜遅く車で走っていた時の話だ。

夜の林道には色んな動物たちが、極普通の日常のようにして出没する。

猪、鹿、狸、野うさぎ、など挙げればきりがないが、ある時、短足で細長い婦人用の毛皮の襟巻きのような動物が我々の車の前を走って行くことがあった。

普通の動物なら10メートルも走ると、直ぐに道端の山や繁みの中に逸れて走り込む。ところがこの襟巻き君は、車の前のアスファルトの道のど真ん中を、まるで我々の車の道案内でもするかのように、時々後ろを振り返りながらどんどん走っていく。

曲がりくねった道で見えなくなってもカーブを曲がれば、まだその先を走っている。

こちらがスピードを上げれば襟巻き君もスピードアップして駆けて行く。

暫くの間、彼はマラソンランナーのように走り続けた。

そして遂に息が切れたのか、道端の繁みに転がり込むようにして駆け込んだ。

「そうそう。最初からそうすればいいのに」

と妻が胸を撫で下ろす。

その時の襟巻きのような動物は、ひたすらに可愛いかった。今思えばあれは青年の『イタ公』、つまり生前の『いたちのファー』だったことになる。


今回、山荘にやって来たイタ公は、みかんの皮によっぽどの未練があったようで暫くの間繁み中でうろちょろしていたが、遂には山の斜面を下って何処かに姿を消してしまった。

彼らの出没は、闇の中だけではない。

イタ公たちは、垂直の壁でも平気で登り、家の屋根裏なんかに巣を作るという。

みかんをボウガシの木の枝に刺すのは、もう止めにしよう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ