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来年も、その先も  作者: ムネディ


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13/13

エピローグ 3人の海

 数年後の夏、電車の窓に海が見えた瞬間、小さな手がガラスを指さした。

「海!」

 弾んだ声に、向かいの席にいた人が笑顔を向ける。

「見えたね」

 美帆が隣から答えると、子どもは何度も頷いた。

 窓の外へ夢中になり、座席から立ち上がりそうになる身体を、直人が脇から支える。

「ちゃんと座って見ような」

「近くに行く?」

「もうすぐ着くよ」

「もうすぐって何分?」

 直人が答えようとすると、美帆が先にスマートフォンを確認した。

「あと12分」

「正確だな」

「直人が『もうすぐ』でごまかそうとするからでしょ」

「12分なら、もうすぐでいいだろ」

「子どもにとっての12分は長いの」

 美帆はそう言いながら、座席の下に置いた荷物を確認した。

 今年は2泊ではなく、1泊だけの旅行だった。

 着替えに帽子、日焼け止め、飲み物、砂浜で使う小さな道具。

 2人だけで来ていた頃より荷物は増え、予定どおりに進まないことも増えた。

 それでも直人は、毎年この海へ来ようと約束した夜より、今の方がずっと遠くまで来たように感じていた。

 電車が小さな駅へ着く。

 ホームへ降りると、潮を含んだ風が頬を撫でた。

「海の匂いするね」

 美帆が言った。

「毎年同じこと言ってる」

「直人も毎年同じことを返すよね」

「そうだっけ」

「覚えてないの?」

「覚えてるよ。今年は言われる前に気づいただけ」

「今の間は怪しい」

 2人の間を抜けるように、子どもが改札へ向かって歩き出す。

「海、あっち?」

「駅を出たら見えるよ。でも走らない」

 美帆が呼び止めると、足取りが少しだけゆっくりになった。

 色の褪せた案内板も、軒先に風鈴を下げた土産物店も残っている。

 古い商店の1つは別の店に変わり、ホテルの白い外壁は塗り直されていた。

 変わったものと、変わらないものが同じ道に並んでいる。

 3人は荷物をホテルへ預け、海沿いのカフェへ向かった。

 路地の先に青い屋根が見えると、美帆が子どもの手を引いた。

「あそこだよ」

「何があるの?」

「海が見えるお店」

「海は外にもあるよ」

 もっともな答えに、直人が吹き出した。

「それ、俺も最初に言いそうになった」

「直人と一緒にしないで」

「まだ何も言ってないだろ」

 扉を開けると、窓の向こうに夏の海が広がっていた。

 窓際の席は1つだけ空いている。

 以前は向かい合い、その次は隣り合って座った席へ、今は3人で並んだ。

 直人はアイスコーヒー、美帆はアイスティーを頼む。子どもの前には冷たいジュースが置かれた。

「また同じもの頼んでる」

「美帆もだろ」

「私は覚えてて頼んだの」

「俺も」

「本当に?」

「もう何年ここへ来てると思ってるんだよ」

 美帆は笑い、左手でグラスを持ち上げた。

 薬指の指輪が、窓から差し込む光を反射する。

 直人の左手にも、同じ時間を重ねてきた輪があった。

「お父さんとお母さん、ここに来たことあるの?」

 ジュースを飲みながら、子どもが尋ねた。

「何度もあるよ」

「最初は2人で来たの」

「そのとき、いなかったの?」

 直人と美帆は顔を見合わせ、美帆が笑って答えた。

「まだ一緒じゃなかったね」

「どうして?」

「その頃は、お父さんとお母さんも、今みたいな家族になる途中だったから」

「途中?」

「少し難しいな」

 直人が苦笑すると、美帆が海へ視線を向けた。

「でも、今は3人で来られたでしょ」

「うん。来年も来る?」

「来たい?」

「来る!」

 決定事項のような返事に、2人は笑った。

 夕方、3人は浜辺へ下りた。

 子どもは寄せる波から逃げては、また自分から近づいていく。

 危なっかしい足取りを、直人と美帆が少し離れた場所から見守った。

「あまり近づくと転ぶよ」

 美帆が声をかける。

「美帆も毎年、同じことしてたな」

「私は転んでません」

「転びそうにはなった」

「直人の助け方が雑だったの」

 何年経っても変わらない言い合いに、直人は笑った。

 砂浜には小さな足跡が続き、その少し後ろに直人と美帆の足跡が並んでいる。

「あのとき、ここに来てなかったら、どうなってたかな」

 美帆が静かに尋ねた。

「最初の夏?」

「それも。直人が、もう一度ここへ行こうって誘ってくれた夏も」

 直人は海を見た。

 恋人として初めて来た海。言えない言葉を残した月明かりの渚。離れて暮らしたあと、2人の未来を選び直した場所。

 そのすべてが、今ここにいる3人へ続いている。

「分からない。でも、来たんだろ」

「うん。来たね」

 美帆が直人の隣へ並んだ。

 子どもが波打ち際から振り返り、2人へ大きく手を振る。

「早く!」

「呼ばれてる」

「行こうか」

 直人が手を差し出すと、美帆は自然にその手を取った。

「来年も?」

「来年も。その先も」

「忘れないでね」

「今度は大丈夫」

「本当に?」

「手帳にも書いてある」

「まだ手帳に頼ってるの?」

 美帆は呆れたように笑いながら、直人の手を握り返した。

 2人は子どものもとへ歩き出す。

 かつて恋人たちの思い出だった海は、今では家族の思い出を重ねる場所になっていた。

 波が寄せ、3人の足元を濡らす。

 驚いた声と笑い声が、夕暮れの渚へ広がった。

 海は変わらず、その先まで続いていた。

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