Episode 6 - III / 眼
「ベルジくん、本は読む?」
「読書は苦手」
「えー」
口の中にまだ紅茶の香りが残ったまま、私たちはネーベの街を歩いていた。今日はあの日着ていた服にした。ジェスターが丁寧に折りたたんで、部屋に置いてくれていた。ベルジは違う服装に見えるが、いつもと似通っている。
高い声やはしゃぐ声がすると思えば、同じくらいの子供が多いような気がする。ベルジの目は相変わらず泳いでいた。それに今日はいつもに増して首まで動いている。不思議でしかなかった。
「なんか、ちがうね」
「え、俺?」
「ううん。周り。って言ってるけど私まだ外ぜんぜん歩いてなかった」
「ああ、そういう。おん、今日学園休みだもん」
ジェスターに渡されたコンパスを、思い出すたびにポケットから出して、家のほうを指しているのを見てみる。手を動かしても少し振ってみても、針だけは頑固に止まって見えた。
「ベルジくん……キョロキョロしすぎ」
「あ、ごめんごめん、ちょっとな……」
「大丈夫?」
「まあ、うん。気にしないで。そうだ、あの時のカフェの帰りに、ジェスターさんにもらったお小遣いあるから、使おうぜ」
「いいね、なにするの?」
「ああ、あはは、何しようかな」
「本屋さん、ある?」
「えぇ?ああ、えっと、こっちだ」
ベルジは跳ねた髪を指でつまみながら、前を歩きだした。彼の背中を見ながら私も続く。速足。置いて行かれそうになる。手を伸ばしても届きそうになくなるたびに、私は彼に飛びつくようにして、なんとかついていった。彼ばかり見ているもので、周りがあまり見れない。視線をはずした途端にどこかへ行ってしまいそうだから。
「……はやい」
我慢できなくなって私はつぶやいた。彼の足の動きは変わりなかった。
「ベルジくんはやい」
「あ、ああ、ごめん。つい」
「もうちょっと……ゆっくりじゃダメ?」
「マジでごめん、ははは」
私は覚えている。次に会ったら、どこか遊びに行こうって、彼はカフェに行った日に言ってくれていたこと。でも、彼はそれを忘れているようだった。何かが打ち消しているのか、邪魔をしているのか、あの時よりも慌ただしさを感じる。
「あ!ベルジくん、あれなに?」
目のような絵と、大きく「カメラ」と書かれた看板が、私の目を引き寄せた。道路に飛び出すようにして置かれた棚には、何かがたくさん吊り下げられている。白色や黒色で統一されていて、看板にある目のようなものが付いている物。間違いなくカメラだった。
「カメラのお店だよ。寄ってみる?」
「うん、おもしろそう」
「いらっしゃい」髪を結んだおばさんが、向こうから歩いてきた。私たちが挨拶で返すと、彼女はエプロンのポケットに手を入れて話した。
「スマホができてから、買う人も寄る人も減っちゃってさ、困っちゃうよ全く」
「まあ、そうだよな……」ベルジが腰に手を当てて言った。
「若い人が見に来てくれるだけでもうれしいわ。つい声かけちゃった。ゆっくりしてってね」
おばさんは微笑みながら戻っていった。店内は豆電球の明かりで細々とした温かさがあった。外からの光で明るく見えるのかもしれないけれど、入口に背を向けると印象ががらりと変わるほどに差があった。こげ茶色の棚がずらりと並び、いろんな形のカメラが私を覗いていた。四方八方から見られているようで、少し怖かった。
「アヴァ、こんなこと言うのあれだけどさ。なんでカメラ?」
「……カメラ、知ってるの」
「え、知ってる?」
「うん、こういうカメラ、持ってたの私」
「ああ……!そりゃすげえ、すげえ……?」
「なんでだろうね。使ってた時とかは思い浮かばないんだけど」
店の角の方に、「クラシック」と書かれて明確に分けられた場所を見つけた。そこには、レンズが縦に二つあって、首にぶら下げる、木で施されたカメラが並んでいた。豆電球のちらつく光が、カメラの肌に影を作っている。
「クラシック……?しぶいな、こんなの持ってたのか?」
私はひとつ、おためし用として展示されていたものを手に取った。革のストラップが、指先の動きに呼応してわずかに鳴く。一度だけスクリーンに息をかけ、袖で軽く払った。腰の高さでカメラを構えると、上部のフードを折り立て、覗き窓を開く。右手で支えて、左手で保つ。ピントを合わせられるのが分かると、ベルジの方を向く。
「マジのやつじゃん……」
ベルジのおもしろい顔。カメラ越しなら、彼は目を合わせてくれた。ノブを指でなぞって、いろんな色の彼が重なると、私はシャッターをきった。私は息をいっぱいに吸った。ファインダーを見ていたはずなのに、今は地面ばっかり見ている。自分でも信じられなかった。カメラが振動して、何かがゆっくりと出てきた。真っ黒に塗りつぶされた四角が、みるみるうちにいろんな色を帯びていく。じっと見ていると、私がファインダーから見ていた、ベルジが映った。
「え?」
「撮っちゃった」
ゴツゴツと床の音がしたと思えば、さっきのおばさんが変わらず微笑を浮かべてこっちへ来た。
「珍しいね。それ、使えるんだね。若い子なのに」
「そうなの?……そうなの?ベルジくん」
「えぇ?……ああ、だって、スマホあるし。わざわざそんな古いもん……使わねえからさ」
スマホってそんなに便利なんだと思った。たしかにとても軽そうだし、いろんなことができそうで、あれさえあればいらなくなるのかもしれない。でもスマホにはできないことを、このカメラはできる。その場で、写真を残してくれる。
「見て、ベルジくん」
「え、ちょっと……もうちょいなんか、あるだろ撮るの」
「あははは。そのカメラ、どれだけ値下げしてもだれも買ってくれないんだよね」
おばさんが私の撮った写真を上から覗き見ながら言った。
「ええ、そんな……。かわいそう」
「何十年ももう売れ残ってるのよ」
何十年もここで、ひとりぼっちだったのかと思うと、私は不思議とカメラに同情してしまった。自ら動き出したり意思を示している訳でもない。それでも私は感じた。だから手に取ったし、不思議と使い方も分かったのかも。私に残っていたのは名前だけじゃないのかもしれない。
「今なら……五百ヘイル!」
おばさんがかがんで、カメラをつつきながら言った。
「やっす……」
ベルジが空気を抜くような声でつぶやいた。そういえば――
「……ヘイルって?」
私がそういうとおばさんが口をグッと縮こませた。ベルジがすぐさま割り込む。
「ああ、アヴァ、おこづかい持ってきて無いんだな……!あはは……」
ヘイルはお金のことだった。右手のひらをこちらへ見せながら、左手でゴソゴソとポケットを探っている。
「よし俺が買ってあげる!――っと、はい、ちょうどあった」
「ちょっとベルジくん……」
「俺友達に何か買ってあげたこと無いんだ、おねがい」
「……もう」
どうして彼がここまでしてくれるのか、分からないところもあるけれど、言葉にできない温かさが、ジェスターとは違う色をして、そこに確かにあった。与えられてばかりで、なにも誰かにしてあげられていない。ベルジがお金を出すのを見て、胸の奥の光が出るか出ないかの瀬戸際にいるのを感じる。
「ありがとう、ベルジくん」
「いいんだ、俺も今すげえなんか、すっきりしてるからさ」
「今度ベルジくんに何かあげるね」
「え、いや、いいんだよそんな」
「私してもらってばっかりは嫌なの、お返しさせて?」
「……う、うん。」
私たちのやり取りを見ていたおばさんが小さく笑いながら、「どうぞ」とカメラを両手で手渡してくれた。理由は分からないけれど、改めて手に取ってからは赤の他人の物だというイメージが消え去っている。見るからに古びているのにさっきよりも輝いて見える。
「ありがとうね。女の子のほうは、どこで習ったの?」
「え?」
「そのカメラ、すっごく古くてね。百年単位の骨董品よ。まあ私も使い方よくわからなかったから、ジャンク扱いにしてたんだけど。うふふ」
「マジかよ。でも、たしかに教科書で見たような……?」
ベルジが初めて、はっきりとこっちを向いた気がした。
「しゅ、趣味です。好きで……」
悪気があった訳ではなかった。おばさんに心配されたくなかったし、考えさせたくもなかった。私が違う私を作っている、そんな感覚。記憶なんて失っていない、ネーベで暮らしている普通の女の子。心のどこかで憧れてもいた存在。肩のあたりで虫が這っているような感覚がした。おばさんの顔が崩れないか怖かった。
「え、アヴァ――」
ベルジがそう言った瞬間、私は詰まった声を出しながら彼の目の奥を引っ張り出すようにして見た。彼はぐっと息を飲んで、肩を下げた。
「そう、おばさんもなんだか嬉しいわ。フィルムたくさん余ってるけど、おまけにあげるよ?」
「やった……!あ、でも、ごめんなさい、鞄持ってなくて……」
「あはは、そっかそっか。じゃ、また今度ここ来てね」
「ありがとう」
首にかけたカメラを見ると、胸の靄が晴れる感じがしてたまらなかった。おばさんに笑顔を返しながら外に出ると、落ち着きを完全に無くしていたベルジに気が付いて、私は冷や汗をかいた。
「なあ、もしかして……!」
「もうベルジくん。おばさんにまで私、心配かけたくないの」
「ああ……ごめん、さっきは」
「もうちょっと、落ち着いて、ね」
「気を付ける、うん。でもすげえな。体が覚えてるってやつか」
いつ思い出したのかを考えてみるが、はっきりしない。カメラを見る前から知っていたような感覚。この重みも知っている。体が覚えていると言われれば、そうとしか言いようがなかった。
「カメラ、うれしい」
「……おお。ダメだ俺、褒められるのも慣れてねえ」
「慣れてよ。そうだ……写真撮ってあげる」
「ええ?う、うん。分かった。こうか?」
『チャーリーレンズ』と大きくコミカルに書かれた看板をかかげたお店の前で、ベルジは両手を腰に当てて、どっしりと構えたポーズをとった。髪の暴れ用と気の抜けた服装が、彼らしさを何倍にも醸し出していた。歯を見せて作った笑顔もまた、ぎこちなくて面白い。ファインダーに向かって思わずふっと声が漏れる。かちりと小さな音を鳴らしても、ベルジはまだそのまま動かなかった。カメラからはゆっくりと淡い色のベルジが顔を覗かせた。
「もう撮ったよ?ベルジくん」
「え?あ、そうなの?静かすぎて、分かんなかった」
「ほら、いいの撮れた。あげる」
フィルムの黒い窓に、絵の具が染み込んでいくみたいに像が浮かんでいく。さっきのあの瞬間を、ここに封じ込めてしまったようだった。
「すげえ。いいな、これ。こういうのって、振るんだろ?こうやって――」
「ダメダメ!」
「え、ダメなの?」
「うん。ダメ、だったような。なんでだったっけ……」
「そこ覚えてないのかよ……。よし、俺も撮ってあげる、アヴァ」
「え、いいの?これ使う?」
「いやいや、それほんとに、分かんねえからさ。スマホで」
「スマホね」
ベルジが立っていたところで、ジェスターと写真を撮った時の、あのポーズをする。彼が持っているスマホには、カメラと同じ眼がくっついている。それと目を合わせ、前髪が凪いだその時、カシャと音が鳴った。崩れた髪の毛を指でなぞると、もう一度鳴った。
「いい感じに撮れたよ、ほら」
「素敵」
「見てて、こうやって――」
彼がスマホの面を指でつつくと、私が写った写真の色が儚くなったり、鮮やかになったり、淡くなったり、白黒になった。雪みたいに動く飾りや、文字を書いたりと、写真が華やかになっていく様に、私は瞬きができなくなるほど心を打たれた。
「すごい……!動画だよ動画!」
「あはは、撮れるよ、動画」
「ほんとに?」
手鏡になったスマホに映る白い丸に、ベルジが指で触れると「ピッ」と鳴った。
「えーっと、アヴァもいまーす」
画面に向かって彼がそう言いながら手を振った。私も映っている。貰ったカメラを見せつけるようにして、私は笑顔を作ってみた。もう一度マルを押すと、ここ数分の出来事が収められているのが見れた。こうやってみんなは動画を撮っているんだ。
「あれー、たのしそうだね」
その声に先に気がついたのはベルジだった。男の子の声と、一人じゃあり得ない足音の数。同い年くらいの背丈のバラバラな三人が、ポケットに手を入れてこっちを見ていた。彼らの顔とベルジの顔を見て分かるのは、決して仲のいい関係ではないということ。




