53話「悪魔は嗤う」
レイネは苦悶の表情を浮かべていた。
頬に汗を流し、変貌した男から目を離さない。
「……まずいわね」
肌を指す魔力の圧に、呼吸が速くなる。
あの不気味な太陽が現れたせいだ。
そのせいで、この魔神に勝つ未来が見えない。
先ほどの魔神とは、まるで別物だった。
「逃げてもいいぞ、無駄だがな」
ガラティーンは歩いてくる。
得体の知れない剣を引きずって、ゆっくりと。
抑えられていた魔力は戻ってきた。
それでも、体力が万全ではない。
変貌する前なら、勝てる算段はあったのに。
今は、どうすればこの窮地を脱せるか──
「お待ちください」
「なんだ、クロイツ総司令官」
踏み出す足に迷っていた時。
ガラティーンの歩みが止まる。
クロイツと呼ばれた男は、ガラティーンの傍らに駆け寄った。
「こんな小娘に構わず、カルヴェルム城へ向かうべきかと。ここは私が処理しておきますので──」
「そうか」
クロイツは一歩前に出ると、レイネを鋭く睨みつけた。
チャンスかもしれない。
今の魔神を相手にするよりかは、まだ勝機がある。
その内に、打開策を──
「え?」
思わず声が漏れた。
ガラティーンが、クロイツの胸に剣を突き立てていたからだ。
「我に指図するとはな」
ひどく不機嫌な顔で、剣を引き抜く。
「それとも、レオンとして扱っていた癖が抜けていなかったとでも?」
「ガ、ガラ……」
クロイツはその場で崩れ落ちた。
屋上に、また赤い血が流れていく。
「貴方、どうして仲間を……!」
「仲間? 此奴は眷属ですらない。帝国を内から崩すために利用した駒に過ぎん」
冷徹な眼差しを、クロイツへ向けるガラティーン。
「先代の剣士斬りといい、滑稽だな。真の強者を前にした時、奴らは平気で己が故郷を差し出すのだから」
彼は利用した相手を、とことん見下していた。
尊厳を踏みにじり、命を無差別に奪う。
自分の兄と同じように繰り返すのだと。
レイネは奥歯を噛み締めて、唇を震わす。
「ふ、ふざけないで……!」
「言ったであろう、例外はないと。誰一人、生かしておく気はない」
もはや怒りは抑えられないと、赤雷は迸る。
短剣を強く握り、足を踏み出そうとした。
その時、彼女の瞳孔が見開かれた。
「かはっ──!?」
体の動きが突然硬直してしまう。
地面に両膝をつくと、激しく咳き込み始めた。
「常人に我が太陽は直視できん。帝国にいる人間のほとんどは、灼かれる苦しみで意識を手放しているだろうよ」
ガラティーンは背後の太陽を振り返った。
人体に何らかの作用を引き起こしているらしい。
人間にとって害で、魔神には強化を施す。
レイネの顔色は、段々と青ざめていく。
「紛い物なりに耐性があるようだな。では、殺す前に聞いておくとしよう」
ガラティーンは、四つん這いになった彼女の前まで来た。
いたって平然のような顔をして、見下ろす。
「なぜ我にそこまでの恨みを抱く。肉親でも殺されたか?」
突拍子のない問いに、レイネは目を見開いた。
短剣を支えにして、片膝を立てる。
顔をあげた時、彼女の瞳には消えない憎悪が渦巻いていた。
「私の兄を殺した──その報いは必ず受けさせる!」
「だろうな。そんなところだろうと思っていた」
予見していたと、ガラティーンは口元を歪めた。
「復讐を望む時点で勇者ではない。所詮は真似事、貴様に我は殺せん」
レイネは苦悶の声を漏らす。
ただ、ガラティーンからは目を離さない。
「両腕は止めだ──貴様の首を落としてやろう」
剣が振り上げられ、容赦なく斬り伏せられる。
覚悟して身構えた、その時。
ガラティーンの振り上げた右肩が、撃ち抜かれた。
剣の軌道は逸らされ、あらぬ方向へ斬撃が飛ぶ。
水を圧縮した玉が、高速でどこからか──
「……小賢しい。余計な足掻きを」
レイネは勢いよく振り返った。
そこには、青髪の少女がいた。
屋上入り口の上に立ち、右手を突き出している。
ガラティーンを撃ち抜いたのは、彼女?
「……!」
レイネは即座にガラティーンへ視線を戻す。
地面を蹴り砕き、一気に間合いを詰めた。
決死の特攻に声は出ない。
短剣は半円を描き、赤雷が後に続く。
大雑把でも、高スピードの薙ぎ払い。
つんざくような雷音が鳴り響いた。
「ふん、効かんな」
雷撃は直撃した。
だが浅い。致命傷には遠く及ばない。
ガラティーンは後退しただけだった。
「詰めが甘いぜ──レオンッ!」
その時、建物の外から声が聞こえた。
巻き起こる風に乗って現れたのは、軍服の中年男。
レオンと叫び、ガラティーンに斬りかかった。
「バルドル元帥。なぜ生きている」
剣がぶつかり、鍔迫り合う。
バルドルと呼ばれた男は、獰猛に笑った。
「あの程度でくたばるか、それで元帥務まるかっての」
「……回復魔法か。貫かれてなお意識を取り戻すとは、確かに侮っていたぞ」
強く斬り返され、バルドルは押し除けられる。
レイネの側まで退き、剣を構え直した。
「テメェら誰だか知らんが共闘してくれ。軍司令官の不法侵入は不問にしてやる」
「うーん、僕は別に……」
青髪の少女も、レイネの横へ降りてきた。
「あなた、確かアメハルが言っていた……」
「ティオナだよ。お礼は後でたっぷりしてもらおうかな」
「……えぇ。助かったわ、ありがとう」
素直に感謝すると、ティオナは両肩をすくめた。
詮索は後回しにする。
今は味方が増えたことを喜ぶべきだろう。
「でも、どうしよっか。このままじゃジリ貧だよね?」
「帝聖隊も来ねえ。クソ、陛下は何考えてんだ……!」
ティオナの言う通り、状況は大して変わっていない。
レイネの赤雷は魔を滅ぼす力がある。
それを受けて、ガラティーンはもろともしなかった。
黒い太陽は常に人間を照らし、灼いている。
このままでは、全員の身は持たない。
「……あれを使えれば。私に、『エクスカリバー』を出すことができれば……!」
もはや手は残されていないだろう。
であれば、最後の可能性に賭けるしかない。
「……エクスカリバーだと?」
その名を聞いて、ガラティーンは目を細めた。
──エクスカリバー。
勇者が使っていたとされる聖剣。
勇者の血統、もしくは神に認められた者のみが扱えるとされる武器の名称だ。
問題は、自分はまだ一度も聖剣を呼び出せていない。
それでも、やるしかない。
レイネは短剣から手を離す。
その右手を、胸の前へ掲げた。
「来て……!」
魔力を練り、勇者の血を巡らせる。
思い浮かべるのは、兄が振るっていた聖剣の姿。
「……っ!」
──だが、何も起きない。
もう一度魔力を注ぐが、聖剣は応えなかった。
「やっぱり、私にはできないの……?」
焦りが募るだけだった。
震える指先と、乱れる呼吸。
「お願いだから……エクスカリバー……!」
魔神を前にしても。
覚悟を決めたとしても。
沈黙が返ってくるだけだった。
「──茶番は終わりだな」
ガラティーンは宙へ浮かび上がった。
同時に、黒い太陽が脈打ち始める。
魔力は膨れ上がり、大気が揺れ動く。
「剣を握れる人間が、こうもワラワラと。虫唾が走る」
「おい、まずいぞこりゃあ……!」
ガラティーンは剣を振り上げた。
太陽から黒い炎が流れ出て、剣先は燃え盛る。
「大掃討の時間だ。この地を焦土にしてくれる」
膨大な魔力が渦を巻く。
剣を振り下ろされれば、何もかもが焼き払われる。
全員が、このどうしようもない状況に身構えた。
レイネの額に汗が垂れる。
もう間に合わない。
誰も動けない。
誰も止められない。
その瞬間だった。
「──フフ、フハハハハハハハハハ!」
突然、空から場違いな高笑いが聞こえてきた。
誰もが反応するよりも、速く。
黒い影は飛来し、ガラティーンの顔面を鷲掴みにした。
「な──」
ガラティーンの姿が消えた。
衝撃波が遅れて炸裂する。
帝国中央広場が爆ぜた。
石畳が砕け散り、建物が何棟も吹き飛ぶ。
魔神の身体は、地面を抉りながら叩き落とされていた。
「──フ、フフ」
黒い影は翼を広げる。
「200年前の借りを、取り立てに来てやったぞ」
黒い髪。
捻れた2本の角。
背に生えた漆黒の翼。
学園の制服を着た、愉悦に笑う赤い瞳。
「………………アメハル?」
レイネは信じられないものを見るように呟く。
そこにいたのは──クモリ・アメハルだった。
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