奴隷、そして教育
時は過ぎ、秋も終わりが近付いてきた頃、ラヴが家を空けると言ってきた。
「お仕事、ですか?」
「商会からの依頼でね。水曜日には帰ってくるから」
四泊五日の外出なんて初めてだ。
先日大量の食料を買い込んでいたのはそのためのものだったのかと納得する反面、ファーストの頭には疑問が浮かぶ。
「私は、連れて行かないのですか?」
「え? なんで?」
「何でって……」
五日もあれば逃げる方法なんていくらでも試せる。
そして逃げ出してしまえば、さすがのラヴでも見つけ出せないだろう。
考慮してないなんてことはないはずだ。
ラヴ含め、この屋敷を訪れる魔人は皆頭が良い。
どのくらい頭が良いのかは学のないファーストには分からないが、少なくとも自分より教養があるのは確かなはずだ。
きっと魔人の貴族なのだろう。
こんなに美人でこんなに頭が良くてこんなに強いなんて反則だ。
――何考えてるんだ。私。
閑話休題。
つまりファーストですら思い付くようなことを、ラヴが思い付かないはずがない。
「私が逃げるとは思わないんですか?」
「そんなの思うわけないよ」
「え……?」
どうして。
口には出さなかったが、きっと表情で伝わったのだろう。
ラヴは口元を手で隠し、くすりと笑って答えを渡す。
「ファーストはもう、心も、身体も、私のものでしょう?」
人差し指で顎を持ち上げられ、強制的に視線を合わせられる。
嗚呼、なんて綺麗な方なんだろう。
普段の優しい振る舞いも。狂気に満ちた笑顔も。
ご主人様の全てが愛しく、全てが好きだ。
彼女は決して届かぬ紅い月。
只人がいくら手を伸ばしたって、絶対に届かない。
けれどもそれはどんな宝石よりも綺麗で、手を伸ばさずにはいられない。
「ご主人、さまぁっ……」
「あらら。いつからこんな甘えん坊になったんだか」
お尻の尻尾がきゅうきゅう食い込む。
まるで本当に尻尾を振っているようだ。
「でも残念。帰ってきたら構ってあげる」
「わん!」
そうしてラヴは二人の奴隷を残して旅立った。
とりあえず今まで通り掃除と洗濯をして一日を過ごす。
そうして日課が終わると空き時間は震えて待つ――なんてことはもうしない。もうラヴに怯える必要はないのだ。
「そろそろ夜ご飯……」
ラヴが作り置いてくれたおかげで五日間おかずは開封するだけで良い。
ファーストがやるべきことはお米を炊くことだけだ。
「あれ……お米ってどうやって炊くんだっけ……?」
ラヴは自分が食べない割には食にうるさい。
そのためファーストは基本的に調理室に入れて貰えず、入れてくれても器具や火には触らせてくれなかった。
「えっと、まずは薪を……あれ?」
そう言えば調理中にラヴが薪を扱っていたところを見たことがなかった。
簡単なことだ。
ラヴほどの莫大な魔力があれば魔法の炎を常時出し、薪なんかよりも高効率高精度で温度調節を行える。
そのため薪の火力は必要無く、薪はあるものの使ったことは一度もなかった。
「うぅ……」
数十分後、そこには無惨にも敗北を重ねたファーストの姿があった。
「何とかお粥はできたけど……」
初手でふっくらしたご飯を作ることは諦めた。
本来のお米とはこうしてべちゃべちゃに溶かして食べる物。
ラヴが作るあの異様に美味しいご飯が異常なだけだ。
「セカンド……起きてる?」
部屋の扉を開くと、そこからは噎せ返るほどのメスの匂い。
あの日以来、この部屋は掃除しても掃除しても強烈な匂いを発するようになってしまった。
その理由は――
「あぁ……あんっ……ファーストちゃん……んんっ! 今、イクッからっ!」
いつまでも快楽を貪るセカンド。
あの日以来、セカンドは狂ってしまった。
いや、狂ったと思っているのはファーストだけかもしれない。
箍が外れたと言った方が適切だろう。
言葉通り死ぬほどの快感を叩き込まれたセカンドは、その快感を忘れられずに自ら快楽の沼にのめり込んでいった。
自室では当たり前。
入浴中や着替え中、果てはお手洗いの中までも。至る所で行為に及ぶ。
そうしてラヴに見つかってつまみ食いという名のお仕置きをされるのだ。
きっと彼女は分かってやっている。
そうすれば、お仕置きが貰えると考えての行動なのだろう。
「……もう」
「ファーストちゃんも一緒にどう? 気持ちいいよ?」
「遠慮します」
彼女は人間界に居た頃から奴隷だった。
それも高級娼婦の類いだそうで、従軍慰安婦として初めての戦場を移動している最中に魔人に襲われたらしい。
ラヴ曰く、非正規軍によるものだろうと。
正規軍ならば敵陣の後方になんて行かないし、行ったとしてもわざわざ慰安婦を乗せている馬車を襲うメリットはない。
大方奴隷商に雇われた傭兵か、金稼ぎの賊紛いの傭兵だろう。
「……あれ、でも初物って……?」
「私まだ処女ですよ? 玩具も入れたことないですし」
超が付くほどの高級性奴隷店は十数年かけて技術を持った生娘を育成し、それをとんでもない値段で売り出すらしい。
セカンドもそう言う知識を持っているのに未だ穢れを知らないというのはそんな成り立ちに起因していた。
「……人間が人間を奴隷としているなんて」
「当たり前ですよ」
高級娼婦には政府の要人や高官とも円滑な会話を図るためにかなりの教育が施されている。
いわば軍学校の予科に相当する知識は持ち合わせており、知識量だけで言うならきっとラヴとも謙遜なく会話ができるだろう。
「魔王国だから言えますけど、領主に生殺与奪権を握られている時点で領民は皆貴族の奴隷です」
「……知らなかった」
それが当たり前なのに、わざわざ「だから君たちは奴隷なんだ」と言ったりしないだろう。
生まれたときから貴族に逆らうなと教わり、それを何の疑いもなく受け入れて、その癖魔王国が人間を奴隷にしていることに憤慨する。
それを知って言っている者も、それを知らずに言っている者も、とんだ道化たちだ。
「ねぇ、セカンド。私に勉強教えて」
「え?」
むしゃむしゃと焦げ臭い粥を食べながら、ファーストはセカンドに教えを請う。
昔誰かが言っていた。
バカと天才は話ができないらしい。
何も知らないままラヴに呆れられるのなんてイヤだ。
もっとラヴとお話ししたい。
「んふ、良いですよ。……ただし」
「……ただし?」
「欲求不満に付き合って……ね?」
言うが早いか、ファーストは途端に組み伏せられる。
そしてその日、彼女は腰が立たなくなった。




