買い物、そして食事
宿を出たラヴたちが最初に向かったのはパン屋さん。
そこでパンの耳を購入し、次に植物油も購入する。
「昔パンの耳を残してたらパン菓子にすると美味しいって言ってたの」
パンの耳と料理で余った油を使い、そこに少しだけ黒砂糖をまぶして炒めると、召使いにとっては貴重な甘味のできあがりだ。
お付きのメイドは召使いよりも地位は高く結構な給与も出ているはずだが、それでも彼女は一貫して質素な暮らしをやめなかった。
「次はフルーツね。確かオレンジが好きって言ってた気がする!」
オレンジとは言っても日本のそれとは大きく異なる。
何せ日本で市販されているものは科学の力と何百年も続く品種改良によって生まれた人工物。
この世界のものは果肉が少なく、皮は分厚く、実はほとんど種ばかり。
その上甘いと言っても柑橘類特有の酸っぱさはかなりキツく、剪定されていない野良の果実は加工無しには食べられなかった。
しかしオレンジは南部ではレモン同様そこら中に木が生えており、放置されている果実を適当にもいでも誰も責めはされない。
これまた貧民にとっては人気の甘味だ。
尤も用途としては甘さを求めて食べるより、酸っぱさを求めて眠気覚ましに食べたり子どもが度胸試しに食べたりすることの方が多いのだが。
「……マーガレットのメイドさんって虐められてたの?」
「そんなわけないじゃない」
既に両手に抱えるほどの買い物をしたが、そのどれもが銅貨で買えるようなものばかり。
凡そ貴族の使用人とは思えない嗜好にラヴたちは困惑を抱く。
しかしマーガレットの話す限りでは特に虐められていたと言った印象はなく、むしろしっかり主人を諫める良い従者という印象が持てた。
「これくらいでいいでしょ」
「これくらいにしてくれないともう持てませんよ」
「軟弱ね」
この世界に来て初めて軟弱と言われた気がする。
これはこれで新鮮だ。
屋敷に帰ったマーガレットはそのまま手も洗わずにキッチンへと向かったが、それはいけないとラヴが制す。
キッチンに入るときは最低限手を洗って髪を結って綺麗な服で行くこと。
いつになく強い口調でそう言われたマーガレットは先ほどのトラウマを思い出したのか小さな悲鳴をあげて洗面所へと走って行った。
そうして偶然廊下に居たメイドに髪を結ってもらい、服を着替えて再び登場。
事前に厨房で作業をすると言っていたからか、その服装は先ほどの可愛いフリル満載のドレスではなく素朴で作業のしやすいものに変わっていた。
「これで万全ね!」
「はいはい」
そうして厨房に入る。
そこでラヴは垣間見る。如何に義務教育が人間形成に置いて重要な役割を果たしていたかを――
「マーガレット! 包丁は逆手で持たない!」
「え? なんで? こっちの方が持ちやすいじゃない」
「あー! だめだめ! 指を伸ばしたまま切らないで!」
「上手く押さえられないのよ」
「火力強すぎ! 焦げちゃう焦げちゃう!」
「ちんたらやってたら夜が明けちゃうでしょ!」
ラヴはマーガレットの行動に危機感を通り越して恐怖を覚える。
確かに工具の扱いが分かっていない人にレンチを渡してもどう使えば良いのか分かるはずがない。ラヴだって分からない。
「マーガレット。包丁はこう持つの」
「あっ……」
後ろから覆い被さるようにマーガレットに密着し、覚束ない手を上から掴む。
初めてなのだから仕方がない。
包丁を奪ってラヴが一人でやった方が早いし安全だ。
しかしそれではいつまで経っても成長しない。
それにこれはマーガレットが言い出したことで、彼女自身が作らなければ意味がないだろう。
「こうやって力を入れて」
「ひゃ、ひゃい……」
最初は間を置いて、トン、トンと一つ一つ確認するようにゆっくりと確かめるように感触を伝える。
「ラヴこういうところあるよね」
「誑しめ」
ラヴは人を惹き付ける。
距離感を掴むのが上手いのだ。
それも友達のするような距離ではない。人が嫌と思わず心地好いと思うほどの距離。
それを無自覚にやっているのだからラヴに魅了された人は不幸だろう。
何せラヴにはその気がないのだ。本当は好意があるのではと勘違いしてラヴに告白し、見事フラれた人は二桁に上る。
「どう? 覚えられた?」
「ひゃい……お姉様……」
「は……?」
聞き間違いだろうか。
お姉様と聞こえた気がする。と言うか聞こえた。
ラヴには妹も居なければ弟も居ない。
確かに近所の幼馴染からはお姉ちゃんと慕われていたけどそれはそれだ。
マーガレットとは幼馴染でもなければ血縁関係もなければ戸籍上の関係もない。
尤も関係なければ興味もないため無視するが。
「じゃあ、一人でやってみて」
「はい!」
もう先ほどまでの大雑把な手つきではなく、恐る恐る震える手で慎重に切っていく。
蛮勇は勢いがあるが、それは無知だからできることだ。
一度知ってしまうとその勢いは使えなくなり、ただの素人へと成り下がる。
しかしそれこそが学習の第一歩なのだ。
「できた……!」
形は不揃いだが味はラヴが監修したので少なくとも食べられはするだろう。
これをメイドの元へと持っていき、食べさせられたら依頼達成だ。
「カテリーナ」
メイドの名はカテリーナと言うらしい。
略したらカティと同じでダブルカティだ。
カテリーナの部屋は三階にあり、今は療養のため個室が用意されていた。
夜行性というのに室内は暗く、部屋の蝋燭には灯火一つ付いていない。
「……お嬢、様……?」
「カテリーナ。これ食べて!」
「これは……」
寝込んでいると聞いて菓子パンを送るのはどうかと思ったが、思った以上に元気そうで何よりだ。
「そちらの方は……?」
「ラヴよ! 一緒に作ってくれたの!」
「そう……ですか……」
カテリーナが身体を起こして礼を言う。
お淑やかにはにかむ彼女はお転婆マーガレットからは想像できないほど良くできたメイドだった。
「ありがとうございます。ラヴ様」
「わ、私が作ったのよ!?」
「はい。存じておりますよ。よく頑張りましたね」
そうして数々の不格好な料理を一つずつ食べ、どれを食べても美味しい美味しいと言って喜んでいる。
「とても美味しかったです……勇気が出ました」
「良かった!」
彼女は最後まで笑いながらも、終始どこか悲しみを含んだ目で主人を見ている。
ラヴはその光景にどこか違和感を覚えていた。




