組織、そして侵食
王都の高級住宅街。
城壁都市の内部に、それも王都に一軒家を構えるというのは特権階級ですら難しい。
その中でも一際大きな屋敷に一人の少女が来訪する。
「こんばんは」
「何だ、お前? ……あぁ、貴女様でしたか」
一瞥を投げると誰しもが頭を下げ、少女を快く出迎える。
「ボスはどこ?」
「はい。会長は執務室にいらっしゃいます」
漆黒のドレスを身に纏い、優雅に歩みを進めて男に近寄る。
貴族の令嬢ですら、これほどまでに美しい歩き方は出来ないだろう。
少女の一挙手一投足は知識と長年の経験を兼ね備えているからこそ出来る技だった。
「案内して」
「御意」
そうして少女は黒服の男たちにエスコートされていった。
◆
男たちに連れられて屋敷に入るラヴ。
煌びやかな内装は、まるで欧州の博物館を彷彿とさせるような品々が飾られている。
壺や食器、果ては剣や人間が使うようなプレートアーマーの類いまで。
骨董品から最新の魔具まで長い廊下に等間隔に置かれている。
ラヴは人並み程度にしか芸術品の価値は分からない。
何となくこれは高そうだなと思うものはあるのだが、それよりは実用的な可愛いティーカップや渋い陶器、シンプルな白い食器の方が好きだった。
――ヤマザキ春のパン祭の白い食器、こっちでも手に入らないかな。
あれは良いものだった。丈夫でシンプルな純白の食器。何を盛り付けるにしても合ってしまうあの食器は、何度単品で売ってくれと思ったことか。
あのためだけにご飯派なのに家族一丸となって毎食ダブルソフトで生活していた日もあったほどだ。
そんなことを考えていると、男たちがピタリと止まって道を開ける。
どうやらここからは側近しか進めないらしく、魔眼の二段階目程度では突破できないほどに強く言われているらしい。
魔眼の力を極めていくうちに、六段階に分けられることが分かった。
ラヴを旧知の仲として認識させるのはそれの二段階目。太陽の光に当てたらすぐに解ける弱い洗脳だ。
ここまでなら大して意識せずとも難なく出来る。
言葉を発するのと同じくらい簡単にできることなので、むしろ抑えるように注意する方が難しい。
「止ま――失礼しました」
側近たちが刀のような刃物を取り出し警戒するも、ラヴを見るとすぐに構えを解く。
組織の要人がこうして足を運んでくださったのだ。それを止めるなんて出来るはずがない。
そんな感情に支配された側近たちは、何の疑問もなくラヴを会長の執務室へと案内する。
ノックを三回。
名を名乗り、入室の許可を得ると、男たちは扉を引いてラヴを丁寧に招き入れる。
「会長。お連れ致しました」
「ん……そいつは誰だ?」
「こんばんは」
ラヴが会長とやらに歩みを進めようとした瞬間、首筋にピシッと冷たい感触が伝わった。
肌に当てられるまで気付きもしなかった。
黒装束の魔人たちがラヴを囲み、喉元には幾つもの刃が向けられている。
「凄い。あの子よりも巧いなんて」
「何者だ」
男が席を立ち、窓際の位置と移動する。
二人の間にはぞろぞろと護衛が現れ、視線は遮らずともいつでも盾代わりになれるように配置についた。
「名乗りが遅れて申し訳ございません。魔王軍士官学校夜行部本科候補生のラヴと申します」
「軍学校だと……?」
目の前の少女の意図がまったく読めない。
仮に本当に軍学校の候補生だからと言って、所属と名前だけで目的が分かるほど軍学校の情報は持っていない。
男は軍学校についての一番新しい記憶を掘り出す。
確か今年は竜王と熾天使長の直系が同学年にいるという奇跡の年だ。
結果、コネ作りのためあらゆる種族から最高峰の候補生たちが集まった去年の予科試験、今年の本科試験の倍率は異常な数値だったと聞く。
そのせいか、軍上層部でも一年ほど前から「できうる限りの優秀な人材を夜行部に集めよ」と触れ回りがあったらしく、今年の夜行部の公募組は社会の表裏問わず実力者たちが集まっているのだとか。
目の前の少女が公募か予科か推薦かは知らないが、余裕を崩さないところを見るにかなりの自信だ。
何を目的にここに来たかは知らないが、最悪の場合に備えて逃げる手立ては確保しておく。
「軍学校のお嬢さんが、一体何の用かね」
「会長、アヴァリティアのボス、なんですよね」
「アヴァリティア? 悪名高い犯罪組織とうちのような商社を間違えて乗り込んで来るだなんて、近頃のお嬢さんは大胆なことをする」
「あはっ、ビンゴ」
ようやく見つけたとラヴは語る。
「この前にも三箇所、貴方たちの拠点に行ったの。確か三区、八区、九区だったかな」
そこは確かにアヴァリティアの直下組織がある区域だった。
しかし襲撃を受けたという情報は入ってきていないし、第一あの忠臣たちが口を割るとも思えない。
足が付くと思ったら、すぐにでも自殺するほどの忠誠心ある部下たちだ。小娘一人にどうこうできるものではない。
そもそもどうやってここまで辿り着いた。
戦闘が行なわれていたらいくら広い屋敷と言えど騒音がするだろうし、必ず部下が情報を寄越しに来るはずだ。
「貴方の言葉、嘘の香りがする」
「斬れ!」
男が叫び、部下たちは脳が理解する前に身体を動かす。
首のナイフが一斉に引かれる。
四方から首を切られて一瞬のうちに首と胴体が切り離される。
首から大量に噴き出した鮮血が天井を汚し、壁を汚し、床を汚し、服を汚す――はずだった。
「私にナイフは効かないよ」
「なっ!?」
その首には傷一つなく、ナイフを擦った痕さえ残っていない。
そして、ラヴが反撃に出る。
人差し指で男を指し、ピッと指を下に向ける。
「伏せ」
その瞬間、部屋の重力が何倍にも増したかのような重圧が部屋にいる全員にのしかかった。
出血も厭わずに額をゴツンと床に付け。両手は頭の横から動かせない。
ラヴが思い描く平伏とは土下座以外に他ならない。
正式な作法は覚えていないが、それでも武道の座礼なら体育の授業で習った。額の前に三角を作り、深く礼をするのだ。
「私、あらゆる人の意志には敬意を払うべきだと思うの」
「何を……!」
ラヴは人を殺したいが、当然相手は殺されたくないだろう。
誰だって殺されるのは嫌なはずだ。自殺者だって、他人に殺されるのを望んでいるのはごく一部だけだろう。
だからラヴは、そんな人の意志を魔眼なんかで書き換えたくなかった。
意志とは尊いものだ。何かをやりたい。やりたくないと言うのは意思ある生命が持つ基本原理。行動の根幹を成す要因だ。
殺して欲しいと願う人を殺したところで何になる。そんなのただのお手伝いだ。
殺されたくないと言う強い意志を持った者が、それでも届かず絶望の中果てると言うのが素晴らしいのに、魔眼はその意志をねじ曲げる。
魔眼で変わった人は、はたして元の人と同一人物と言えるのだろうか。
殺したいと思った相手と同じだと言えるのだろうか。
魔眼を使った時点で、その人は、その精神は、そこで一度死ぬのだ。
「ごめんね。貴方には一度死んで貰うよ」
「や、やめ、ろ……! やめ、て、くれ……!」
自分の中の何かがボロボロと崩れていく。
知らない知識が、感情が、過去が、崩れた塵から浮かび上がって、新しい人格を形成する。
「だず……げデ……ぎエル……ワだジが、ギえる……おマえは、ダレダ……ダ、ダ……」
その人格は、何もかもが前と同じ。
ただ一点、ラヴを主人と認識する。それだけが違う、元のコピー。
この力で変えた人格は、元に戻せない。
正確には限りなく元に近い何かには戻せるが、歪んだ鉄を逆側に折り曲げたところで僅かな凹凸が残るように、完全には元に戻らない。
日光に当ててもダメだった。
魔眼が作用するのは人格を書き換えるときのみ。
書き換えた後のものはちゃんとその個体の人格であり、既に魔眼の支配下からは解かれている。
だから、愛する人には使わない。
だから、殺したい人には使わない。
「おはよう」
「主よ。おはようございます」
狐の老人が立ち上がり、恭しく頭を垂れる。
「気分はどう?」
「まさに欣快至極に存じます」
薄い笑みを浮かべて傅く男は、本当にラヴのことを主人だと認識しているようだった。
しかしラヴの中では男の「人として価値」は無価値に変わる。今はただ、道具としてしか見ることが出来ない。
「それで、貴方はアヴァリティアのボス、で良いんだよね?」
「その通りでございます。名をチャールズ。以後お見知りおきを」
「チャールズ。さっそく頼みたいことがあるんだけど」
少女は恋する乙女のように恥じらって――
「私、もっと人を殺したいの」
その日、裏社会を牛耳る犯罪組織アヴァリティアは、何の予兆も宣言もなく、誰にも気付かれずに、たった一夜にして生まれ変わった。




