スラム、そして贄
ふと、一年前の出来事が脳裏を過る。
ノーマンと約束をするきっかけとなった事件のことだ。
スラム民惨殺事件。
結局あのあと名も無きスラムの住民が吊し上げられて、処刑されたあとに広場に丸一日晒され、住民たちから石を投げられたのだとか。
無実の貧困民に酷いことをするものだと当時は思ったが、今思えば重要なところはそこではない。
領主や憲兵はスラムの住民に固執しない。
実際毎日のように窃盗や殺人が起きているのだ。
惨殺事件が注目されたのはスラムの民が殺されたからではなく「復活祭の日に」「街中で」「無残に」人が殺されたからだ。
最初からスラム民だと知っていたら、現場がスラム街だったら、復活祭じゃなければ、そこまで大がかりの調査にはならなかった。
――つまり、スラムの人なら殺して良い。
この世界の人権はサブスクだ。
税金を払わなければ家を追われ、スラムに追われ、法の加護を失う。
「あはっ――」
なんて素敵な世界だろう。
弱者を好んで虐げる趣味は持ち合わせていないが、殺すことができるのならば弱者でも構わない。
楽しいことを考えていると、いつの間にか学校を抜け、地区を抜け、門を抜け、王都の外周にあるスラムへと到達する。
夥しい臭いが鼻腔を刺激する。
あまりの悪臭に眉間に皺を寄せる。
ハンカチで口と鼻を覆うが、それでもやはり微かな臭いは消えていない。
臭いと思うから臭いと感じるのだ。
ここは一つこれから食べるお肉のことを考えよう。
柔らかいお肉だろうか。堅いお肉だろうか。
雄だろうか。雌だろうか。
子どもだろうか。大人だろうか。
魔人は人間と違っていろんな種族がいる。
きっといつ何を食べても飽きが来ることはないだろう。
「……あら?」
スラムのだいぶ先までやってきた。
もはや集合住宅すらなくなり、そこにあるのは家とも呼べない木造の何かだ。
ベニヤ板でできた簡素な住宅街。
窓もなく、扉もなく、家によっては屋根もないただの区切りだ。
本当にここに人が住んでいるのかと思ったが、どうやらちゃんと人はいるようで――
「ウチになんか用?」
「……?」
突然声をかけられ、ラヴは声のする方向にゆっくり振り向く。
そこには獣人の少年が一人、警戒するようにラヴを睨んでいた。
「ウチ?」
「そこ、俺の家」
指した場所は朽ちた木造長屋の一角だった。
辛うじて屋根は付いているものの、吹けば壊れてしまいそうなほどの建物はもはやお化け屋敷だ。
「ここ……人が住めるの?」
「俺の家だっつってんだろ」
ガシガシと頭をかいて不快感を露わにする。
そりゃあ初対面の人間にお前の家は人が住めるような場所ではないと言われたら誰だって快く思わないだろう。
失言だったと素直に謝罪すると、少年は驚くように目を丸くする。
「お貴族様はもっと高慢ちきかと思ってた」
「私は貴族じゃないよ」
「は? じゃあとっとと帰れよ」
少年の言葉は決して疎ましく思っての発言ではなかった。
貴族殺しは重罪だが、平民殺しなら多少は言い逃れできる。
暴力を振るわれた。殺されそうになったと言えば、死刑にならないこともある。
だから報復が怖いスラム民は金持ち貴族よりも商人のような金持ち平民を好んで襲う。盗賊と同じ行動原理だ。
「お気遣いありがとう。でも私にはまだやることがあるから」
「ふーん。ま、いいけどさ」
「ねぇ、ボク。スラムについてもっと知りたいんだけど、ちょっとお話聞かせてくれないかな?」
そう言って銀貨を一枚取り出すと、少年の小さな手に置いて握らせる。
スラムの生活はその日暮らしだ。
これも一つの仕事と思ってくれたらと耳元で囁くと、ビクッと震えて戸惑いながらも了承する。
そうして彼の家に入ろうと玄関まで来ると――
「ん……」
急にピシっと身体が動かなくなり、本能が家に入るのを拒もうとする。
初めての現象だが、ラヴは記憶の中からその現象を呼び起こす。
――吸血鬼の特性か。
「ど、どうしたんだよ、急に止まって」
「ねぇ、お家、入って良い?」
「あん? この流れで聞くかよ。良いに決まってんだろ」
すると身体を支配していた金縛りが一瞬のうちに霧散し、今度はすんなりと家に入れた。
「で、何が聞きたいんだ?」
「その前に、ご両親はいらっしゃらないの?」
一度挨拶しておこうと思ったのだけど。
そんなことを言うと、少年は吐き捨てるように呟いた。
スラムの子どもはたいてい親に捨てられたか親が殺された者たちだ。
もちろんスラム民同士の子どももいるが、困窮している住民が子どもを無事に育てられるはずもなく、結局は捨てられるか、慈悲があれば生まれてすぐに殺される。
スラムでの命の価値なんて、芋一つより断然安い。
「不躾な質問をしたね。ごめんなさい」
「いいよ。ここじゃあ普通のことなんだし」
それを歯切りにラヴは幾つか質問をする。
スラムのルール。
スラムの危険度。
危険人物や組織。
リーダー的存在。
日銭の稼ぎ方。
貴族への感情。
憲兵への感情。
などなど。
基本的にスラムの生活に関わること全般を掘り下げる。
途中、スラムに住む予定でもあるのかと聞かれたラヴだが「もしかしたらお世話になるかもしれない」とだけ答えておいた。
「特にヤバいのはアヴァリティアの連中」
「アヴァリティア」
その名はノーマンからも聞いていた。
王都だけじゃなく、複数のスラムや闇市を牛耳る犯罪組織のことらしい。
しかし実行犯は下部の下部。幾つにも枝分かれした小さな組織が行動して、上位の組織はその徴収で成り立っている。
たとえ悪事がバレても切り捨てられるのは最下層の者たちのみ。
上は上でまっとうな仕事をしているらしく、過去に何度か疑わしい下部組織に憲兵隊の監査が入ったものの、アヴァリティア本部の手がかりは殆ど掴めなかったらしい。
「ありがとう。最後に一つ、良いかな?」
「あん、何だよ」
「貴方のはらわたを、見せて欲しいの」
「は――?」
少年が何を言っているんだと振り向いて、ラヴを視界に入れたその瞬間。
あり得ないくらい強い力で喉元を握られ、形容しがたい音と共に呼吸が出来なくなる。
「――!? ――!!」
激痛は後からやってきた。
喉を潰された少年は、悲鳴をあげることもできず理解が及ばないまま組み伏せられ、抵抗も虚しく馬乗りにされる。
どうして。なんで。
意識が飛びそうになるほどの激痛の中でも疑問だけははっきりと頭の中で感じていた。
「一目見たときから、可愛い、って思ってたんだ」
狂気に歪んだ瞳。
ペロリと下唇を湿らせる彼女はどこか扇情的で、命が危ういと言うのに生殖本能が掻き立てられる。
「あはっ……これは、合意、ってことなのかな」
痛い。綺麗。怖い。気持ち良い。
「いただきます」
グチュグチュと、ゴリゴリと。
少しずつ命が削られていく少年は、今まで感じたことのない苦痛と、魅惑と、恐怖と、快楽に思考が塗りつぶされていく。
「ア……ア……ッ……」
「美味しい。美味しいよ。大好き」
時には恋する乙女の口付けのように。
時には熟した恋人の深い愛のように。
時には無理矢理犯す不埒者のように。
ゆっくりと、たっぷりと少年の命を吸い上げたラヴは、恍惚の笑みを浮かべて紅月が照らす夜空の下に出た。




