エピソード8:ユカがお仕事。③
勾当台公園での仕事を終えた2人は、次なる目的地へ向かう。
仙台市は、市営地下鉄が仙台駅を中心に南北に伸びており、泉区の泉中央駅と太白区の富沢駅を結んでいる。
もうじき、もう1つの路線――東西線が開通する予定で、更に利便性が増すことだろう。
それはさておき。
地下鉄の勾当台公園駅まで戻ってきたユカと華蓮は、次なる目的地へ向けて、切符売り場の上にある路線図を見上げていた。
時刻は16時過ぎ。学校が終わった学生が多く行き交い、ざわついて、ゴミゴミしてきた。
「えぇっと、次の目的地は長町一丁目やけんが……130円っと」
「250円ですよ、山本さん」
子供料金の切符を購入しようとするユカに、苦笑いでツッコミを入れる華蓮。
本気で財布から130円を取り出していたユカは、華蓮の視線に「あはは」と乾いた笑いを浮かべて……静かに小銭を足す。
ユカが大人料金の切符を購入したことを見届けて、華蓮も自身の切符を購入した。
「片倉さん、地味に厳しかよね……」
「当然のことだと思いますし、山本さんの身長だと中学生に見えなくもありませんよ」
したり顔で言ってのける華蓮が改札口へ移動するので、ユカも慌てて後を追う。ここではぐれたら、目的地までたどり着ける気がしないのだ。
華蓮の後に続いてホームへのエスカレーターを下り、丁度やって来た富沢行きの電車へ飛び乗る。
約10分で目的の駅まで到着。改札を抜け、地上に出たところで2人は立ち止まり、改めて、次の『遺痕』について確認をすることにした。
「片倉さん、次の『遺痕』の情報を教えてくれる?」
「はい。2人目は……鶴谷遼平さん、38歳、生前は仙台市太白区長町に住んでいました。亡くなったのは一昨年の4月、仕事帰りに車両同士の事故に巻き込まれてショック死しています。残っている『縁』は、左手の薬指から『関係縁』が1本だけ。分町ママさんによると、間もなく稼働する新しい市民病院の周辺をウロウロして、周辺にいる『痕』に声をかけているとか」
「『痕』に声をかけとる?」
情報に顔をしかめるユカ。華蓮は書類から顔を上げずに説明を続ける。
「はい。えぇっと……無能な医者が集まっている市民病院なんか、ぶち壊してやろう……というような趣旨の主張をしていらっしゃるそうです」
「随分過激やね。というか……間もなく稼働するって、その市民病院、まだオープンしとらんってこと?」
「はい、確か……正式には今年の7月頃だったかと。既に建物は出来上がっていて、来月から引っ越しが始まるはずです」
「ってことは……敷地内に部外者は入れんかもしれんね。やったらどげんしよう……」
予め知っていれば、名杙の名を使って圧力をかけることも出来たかもしれないが……とりあえずまずはその場所へ行ってみることにした2人は、駅から歩いて新幹線の高架下をくぐり、国道4号線に出る。歩道沿いに少し歩けば、真新しい病院の建物がすぐに目に入ってきた。
しかし、ユカが危惧した通り……入り口は工事用のゲートで仕切られており、警備員の姿もあるため、部外者が病院の敷地内に入ることは出来ない。今もどこか工事が続いているのか、現場で働く人や工事車両が出入りをしている状態だ。
その現状を確認しながら入り口をスルーして、突き当りにある交差点まで移動。立ち止まったユカは……一度瞬きをしてから、自身の右手薬指を注意深く観察する。
「えぇっと……分町ママは……あった!」
そして、小指の先から繋がる一本の『関係縁』を左手の親指と人差し指でつまみ、ぐいっと引っ張った。
次の瞬間――
「……ちょっとちょっと、呼び出し方が乱暴じゃないかしら、ケッカちゃん」
ユカと華蓮の間に登場した分町ママが、不機嫌そうな声と態度で姿を見せる。
慌てて眼鏡を外した華蓮は、自分の目の前にいた分町ママに驚き、「ひへぁっ!?」と、変な声を出した。
分町ママのジト目に、ユカは「面目ない」と謝罪しつつ釈明を始める。
「だって、こんな町のど真ん中で、「分町ママー!」なんて大声で呼んだら変な人扱いです。だから静かに、それでいて確実に呼んだわけですよ」
ユカの言い分はもっともだが、分町ママには分町ママの言い訳があるため、ユカを見る目が納得していないジト目なのは変わらない。
「大体、私の営業時間は17時からだって言ったわよね? 時間外労働は高いわよ?」
「その辺は支局長に何とかしてもらってください。あたしは下っ端なので、支局長の許可無く報酬の約束は出来ませーん」
「ケッカちゃんの場合は全部事後承諾でしょうが……」
分町ママのジト目は痛い。華蓮は苦笑いで事の成り行きを見守っていたが、勇気を出して話の中に入ってみることにした。
「あ、あの……それで、山本さんはどうするつもりですか? 病院内には入れそうにありませんけど……」
「おお、そうやった。片倉さん、分町ママにさっきの『生前調書』、見せてくれる? 対外的にはあたしに見せる感じで」
「わ、分かりました……」
手持ちのトートバッグから『生前調書』を取り出した華蓮が、ユカと目線の高さを合わせてくれた分町ママにそれを見せる。
すぐに思い当たった分町ママは「あーハイハイ、この人ねー」と、書類から顔を上げて、周囲をぐるりと見渡した。
「この彼……最近、病院っていうよりも河川敷にいることが多いんじゃないかしら?」
「河川敷?」
「そ。少し行ったところに広瀬川があって、そこの河川敷で勧誘活動をしてるはずよ。多分今日もそこにいるはず、案内するわね」
そう言ってふよふよと進む分町ママの背中を、2人は慌てて追いかけるのだった。
広瀬川――仙台市を流れる一級河川。大都市を流れるその姿は仙台市のシンボル的な存在でもあり、初夏には鮎釣り、秋には河原で芋煮会を楽しむ光景も見られる。ヒット曲「青葉城恋唄」の始まりに出てくるのはこの川である。
分町ママの案内で河原へ降りることが出来る階段を下った2人は、散歩道として整備されている歩道を歩き……足を止めた。
普段ならば犬の散歩やランニングをしている人が通りそうな時間だが、幸いにも、今は2人しか生きている人間はいない。
華蓮は眼鏡を外したままなので、歩道の3メートル先で片膝を立てて座り込んでいる『彼』の姿を見つけて……心なしか、ユカの後ろに身を隠すように歩く速度を落とした。
当然ユカも『彼』を見つけて……ニヤリと、口元に笑みを浮かべる。
「みーつけたっ♪」
その声に気づいた『彼』が、俯いていた顔を上げた。
そして、ユカと華蓮、分町ママを見やり……再び、顔を落とし、呟く。
「とうとう……とうとう俺にも迎えが来たのか」
髪の毛はボサボサで、無精髭が顔の輪郭を覆っている。着ているのはくたびれた作業着で、足元は薄汚れた健康サンダルだった。
そして、『彼』を包む空気は明らかに淀み、暗い。負のオーラが強すぎて、『痕』も近づきたくないと避けて通るくらいの。
写真で見た『彼』は、もう少しきちんとした姿だったのに……そのギャップに内心驚きつつ、ユカは笑顔で『彼』に近づいていく。
「えぇっと……鶴谷遼平さん、で、間違いなか?」
「……ああ、そうだよ」
すんなり名前を認めた『彼』は、顔を上げずに目線だけを川の向こう側へ向けて……重苦しいため息をついた。
その様子に拍子抜けしたユカは、肩をすくめて『彼』に近づく。
「聞いとった話と違うねぇ……もっと過激なのかと思っとった。病院をぶっ壊すんじゃなかったと?」
「……もうやめたんだ、そういうのは……」
「――あらあら、さっきから辛気臭いわねぇ」
とは、ユカの頭上にいる分町ママの呆れた声。
彼女は自分の右手にビール入りのジョッキ、左手にもビールの入ったジョッキを持ち、その左手分を『彼』へ差し出す。
戸惑う『彼』へ「いいから」とジョッキを押し付けた分町ママは、自身の持つジョッキの中身を半分ほど飲み干して、『彼』へ妖艶な笑みを向ける。
「それが持てるってことは、好きなだけ飲めるってことよ。さ、グイッと飲んじゃないなさい」
「……」
『彼』は少し躊躇いつつも……中身を一口、喉に流し込んだ。
『痕』に味覚はないはずなのだが、『彼』は一息ついた後、改めてその中身で喉を潤す。
その飲みっぷりに満足そうな表情を浮かべている分町ママに、ユカがジト目を向けた。
「あのー分町ママ、あたし、ママの飲み友達を紹介しに来たわけじゃないっちゃけど……」
「別にいいでしょう? 時間外労働をしてあげているんだから、これくらいのワガママは許して欲しいわねー」
したり顔で楽々と一杯目を飲み干した分町ママが、持っていたジョッキの中身を再び満たし、幸せそうな表情でグビグビ喉に流し込んでいく。
そして……無言でビールを飲み続ける『彼』の隣に移動し、足を組み替えた。
「鶴谷さん、だっけ。貴方、この辺で元気に自己主張をしているって聞いていたのだけど……すっかり落ち込んじゃって。何かあったのかしら?」
「……」
『彼』はジョッキに口をつけたまま、一言も発しない。
丸くなった背中に疲れきった表情、このまま近づいて、強制的に『縁』を切ることは出来るけど……ユカはとりあえず、分町ママの言動を見守ってから判断することにした。
何事も、力づくは最終手段にしたいから。
既に2杯目を半分飲み干した彼女は、『彼』と見ている方向を同じにしてから、言葉を続ける。
「話したくないなら無理にとは言わないわ。でも、鶴谷さん、明らかに何かあった人の雰囲気だもの。何も知らない他人の私だからこそ話せることもある、そう思ったから……ちょっとお節介で隣にいるの。でも、あんまり時間がかかると……私は、貴方の思いを誰にも伝えられずに、貴方とお別れしなくちゃならなくなる。それはちょっと……ううん、大分、寂しいことだと思うのよ」
分町ママの言葉に、彼はビールジョッキから口を離し……ポツリと、こう、呟いた。
「姪が……退院したんだ」
「姪っ子さん?」
「ああ。俺の妹が、仙台市立病院で出産した。女の子で、未熟児で生まれてきたんだが……昨日、無事に退院出来たんだ」
「それは良かったわね。でも、どうしてそれで落ち込んでいるの?」
自分の妹が子どもを産んだ、というニュースだけならば、こんな悲しい表情になることもない。
『彼』は少し自嘲気味に、自分の感情を言葉にしていく。
「俺は……自分が事故にあって、今の仙台市立病院に搬送された。でも、助からなかった。それはあの病院の医者が無能だからだと思っていたんだ。俺が底辺の人間だから手を抜かれたんだと思って、そんな病院、どれだけ新しくなったって中身が同じなら無駄だ、ぶっ潰れちまえって……思った」
自分が死んだことを認識した瞬間、自分自身を、この世界を、全てを――呪った。
そして、標的を定めて声高に叫ぶ。
俺を助けられらなかった無能な医者共は、この世からいなくなってしまえ、と。
しかし、賛同者は得られず、孤独と闘いながら、時間ばかりが過ぎ去っていく。
そんな時……不意に、妹の存在を思い出した。
妹の姿を最後に見たのは、自分の1周忌の法事だった。両親を亡くし、兄妹である『彼』を亡くした彼女は結婚間近、親族席に何人分の写真を立てればいいんだ、なんて言って、笑っていた。
今、彼女は何をしているのだろうか……妹のことを知りたくなった。
『彼』に残っていたのは妹との『関係縁』だったため、自然と彼女の元へたどり着くことが出来た。
そして、知ることになる。
結婚した彼女が……間もなく、母親になることを。
「俺はずっと忘れていたんだ。恨むばかり、僻むばかりで……アイツが母親になるなんてなぁ……」
妹が自分の死んだ病院で新しい命を産み落とすというのは少々皮肉な気がしたが、臨月の彼女の検診にそっと付き添うこと2週間……予定日より1ヶ月速く自宅で破水した彼女はその場で倒れ、救急車で病院に搬送された。
そして……緊急の帝王切開を経て、女の子が生まれる。
それは――
「3月17日、俺の誕生日に生まれてきた姪は……昨日、4月15日、俺が死んだ日に退院したんだ」
「そうだったの……巡り合わせって時々ゾッとするくらい恐ろしいと思うわよね」
分町ママはクスっと笑って、ジョッキに残っていたビールを飲み干した。
『彼』は中身が少し残ったジョッキの水面を見つめ、目を細めた。
「そこで、虚無感に襲われちまったんだよ……どうして俺は死んでしまったのか、どうして俺は、妹の結婚式にも出られず、姪の手に触ることも出来ずに……こんな場所に留まらなきゃいけないのか、ってさ」
自分が彼女の手を握って、一緒に隣を歩いていたはずだったのに。
いつの間にか彼女は自分の手を離れ、前へ前へと進んでいく。
自分は――もう、一歩も前へは進めない。
彼女と並ぶことは、ない。
「なるほど、忘れていたお兄ちゃんの本能が戻ってきたってわけね。良かったじゃない」
ジョッキの中身を再びビールで満たした分町ママが、笑顔でそう言う。
「鶴谷さん、私も死んでそこそこ長くなってきたけど……死んでから後悔することって多すぎるのよね。でも逆に、開き直れるのよ。こうしてこの世界に留まっているんだから、その間に生きている間の後悔を消費してやろうって思って、実際行動してるのよ。おかげで47都道府県も制覇出来たし、心を許せる友達も作れた」
「随分アクティブなんだな、アンタ」
「そうよー、余生の余生だもの、最期まで楽しむって決めたの。で、鶴谷さん、不本意ながら死んだ後だけど、姪っ子ちゃんの顔は見たんでしょ? どう、可愛かった?」
ここで初めて、『彼』は、目尻を下げて口元に笑みを浮かべた。
「……ああ。目元が俺に似て二重だった。あと、俺を見て笑ってくれた気がするんだ」
「ちっちゃい子は視えるって言われているわよね。きっと……姪っ子ちゃん、おんちゃんが会いに来てくれたことに気づいて、笑ったのよ」
「だといいけどな」
「……で、新米おんちゃんはこのままずっと、姪っ子ちゃんの成長を見守りたいとは思うんだけど……」
言葉を濁してジョッキに口をつける分町ママに、『彼』は自身のジョッキに残ったビールを飲み干し、空っぽのそれを分町ママに突き出した。
「ああ、自分の終わりは自分で分かってるつもりだ。ただ……俺は臆病なんでな、俺の決意が変わらないうちに、引導を渡して欲しい」
『彼』から空のジョッキを受け取った分町ママが、後ろで事の成り行きを見守っていたユカに目配せをする。
分町ママの隣に並んだユカは、残っている『彼』の『関係縁』をそっと掴み、自分の方へ引き寄せた。
ユカが右手でピースサインを作り、指の間に『関係縁』を挟む。
「――ビール、美味かったぜ。ありがとな」
「どういたしまして」
『彼』が穏やかな表情で目を閉じたことを確認して、ユカは……『縁』を『切った』。
「この方は……放っておけばいずれ、消えたのではないでしょうか……」
眼鏡を外し、華蓮がポツリと呟く。
『彼』が消えたことを確認したユカは、「どうやろうね……」と、空を見上げた。
「もしかしたら、自分が死んだことの後悔がこびり付いて、余計にマイナス思考や自暴自棄になったかもしれん。もしかしたら――仮定の話やけどね」
視線を戻し、華蓮から『生前調書』を受け取ったユカは、自身のトートバッグへそれを片付ける。
そんなユカの背中へ、華蓮がこんな質問をした。
「自然に消えることと、『縁』を『切られる』こと……どちらが良いのですか?」
ユカは振り向かずに、首を横にふる。
「さあ。そんなこと、誰にも分からんよ。あたしはただ『痕』の数を減らす、『遺痕』なら余計確実に減らす、目の前の『縁』を『切る』……そういうお仕事やけんね」
そう言って華蓮の方へ向き直ったユカは、頭上で4杯目のビールを飲もうとしている分町ママにジト目を向けた。
「……分町ママ、飲み過ぎ」
勿論、出来上がった彼女に届くはずもない。
「えー? いいじゃない、時間外なのにお仕事手伝ったのよー? 少しは年上を労ってもバチは当たらないと思うけど」
「好きにしてください……」
ため息をついて彼女の対応を諦めたユカは、もう一度、日が落ちてきた空を見上げた。
「さて、今日も無事にお仕事終わりっと。帰ろっかね」
仙台市立病院が長町で稼働したのは……リアルには2014年の11月からなので、作中における4月はまだオープン前の工事の状態です。
そして、ここで分町ママが出しゃばったのは……単純にお酒が飲みたかったから。「エピソード7.5」で彼女がほろ酔いだったのはこのせいです。ユカが絡んでいなければ、彼を舎弟……もとい飲み友達にしていたかもしれませんね。自分と同じ状況の彼を静かに(?)見送った分町ママは、次なる飲み友達を探す旅へ出るのでした。(違)
 




