エピソード8:ユカがお仕事。①
時刻は少しだけさかのぼり、15時30分過ぎのこと。
学校帰りに『仙台支局』へ立ち寄った華蓮は、応接用のソファに座り、衝立の向こうに消えたユカを待っていた。
今日は髪の毛を肩から前に垂らし、青いストライプのシャツワンピースに、パステルグリーンのスキニーパンツ。脇にはトートバックを抱えている。
程なくして戻ってきたユカは、手持ちのクリアファイル2つを華蓮の前に置くと、彼女の前に座った。
「お待たせ片倉さん。何か飲む?」
ユカの問いかけに、華蓮は首を細かく横に振った。
「いいえ、結構です。あの……これは?」
半透明のクリアファイルなので、中身が何となく見える。履歴書のような形式で文字が並び、左上には顔写真が添付されていた。
自分が中身を見てもいいものかと戸惑う華蓮に、ユカがコンビニで買ってきたパックのコーヒー牛乳をすすりながら指示を出す。
「あ、それ、この場で2つとも簡単に目を通してくれる?」
「はい、分かりました……」
おずおずと書類を取り出した華蓮は、まず、上にあった方からひと通り目を通し……顔をしかめた。
そこに書かれていたのは、知り合いでもない、会ったこともない、今まで自分と無関係だった男女各1名ずつの個人情報だったから。
「あの、山本さん、これは一体……?」
この書類の意味が分からない華蓮に、ユカはストローを口から外し、説明を始める。
「それは、『痕』になった人が生前どんな人物だったのか、どんな理由で『遺痕』になったことが考えられるか、とか、その辺のことが書いてあるんよ。『良縁協会』的には『生前調書』って呼んどる」
「『生前調書』……」
「前にも少し説明したかもしれんけど、あたし達『縁故』は、好き勝手に『痕』の『縁』を切っていいわけじゃなかと。主に対処するのは『遺痕』っていう、その場に留まり続けて恨み言を吐き出しているような『痕』なんやけど……この『生前調書』で前もって調べておけば、自分に対しても、そして、第三者に対しても客観的に自分の正当性を主張出来る。この『痕』はここが問題で『遺痕』状態だと判断出来るから、『縁』を切らせていただきました――ってね」
「行動を、正当化……」
「勿論それだけじゃなかよ。でも、そういう側面もあるってこと」
ユカの言葉を受けて、華蓮は改めてその書類に目を通す。
名前から生年月日、生前の住所、通っている学校、交友関係、死んでしまう直前の行動と、『痕』になって出没する場所、そして、『遺痕』として周囲に与えている悪影響……箇条書きではあるものの、A4サイズの裏面に至るまで、事細かに記載されている。
こんな情報を、少人数でどうやって?
「これは誰が調べているんですか?」
当然の疑問に、ユカはにべもなく返答する。
「んー、組織によって専門の調査官を持っている場合もあるけど、人手不足だけどコネは一流の『仙台支局』の場合、警察の記録をちょろっと拝借することもあるみたいやね。『遺痕』になるのは事故や自殺が多かけん、警察で情報を把握しとる場合も多かとよ」
刹那、華蓮が書類から顔を上げ、顔をしかめてユカを見つめた。
「それ……大丈夫なんですか?」
ユカは首を横に振る。
「ううん、出るところに出たら完全にアウトだと思う。だから誰にも言わんとってね♪」
笑顔で念を押すユカに華蓮は真顔で頷くと、書類を並べて机上に戻し、そこに記載されていた名前を指さした。
「この、遠藤ミリアさんという女性と鶴谷遼平さんという男性が、今回『縁』を『切りに』行く対象、というわけですよね?」
彼女の言葉に、ユカは笑顔で首肯する。
「そ。片倉さんがここで働く場合、この『生前調書』の管理が大きな仕事になると思う。仕事が終わっても1年間は保存しとくってルールやけんね。仙台市は5つの区に別れとるし、この『仙台支局』は県の南の方も担当しとるみたいやけんね……これから先は災害の被害者の方も対応せんといかんやろうし。整理方法は政宗が改めて指示するし、片倉さんが直接『生前調書』を書くことはないと思うけど、一番触れる書類だと思うよ」
「なるほど……」
「とりあえず今日は、その『生前調書』に従って仕事をするあたしの姿を間近で見てもらおうと思っとる。この間はあたしのせいでちゃんと見せられんかったけん、仕切り直しやね」
刹那、華蓮の表情が曇った。そして、ペコリと軽く頭を下げる。
「あの時は取り乱して……申し訳ありませんでした」
ユカは飲み干した紙パックを畳みつつ、華蓮に顔を上げるよう促した。
「ううん、あれはあたしの配慮が足りんかったけんが……って、ここで謝罪合戦になってもしょうがなかね。時間も惜しいけん、さっさと出発しようか」
「分かりました。荷物は持っていったほうがいいですか?」
「うん、時間によっては現地解散するけんね。あと、前に渡した『絶縁体』、どこにつけとるか確認させてもらってもよか?」
ユカの言葉に、華蓮は鞄からスマートフォンを取り出した。ここに来た時に渡されたシルバーチャームは、スマートフォンのストラップとして装着されている。
その様子を確認したユカは、華蓮のズボンのポケットを指さした。
「スマホだけ、ズボンのポケットに入れることは出来る? シャツの胸ポケットでもいいけど……」
華蓮は直接『痕』と接触するわけではないので、手持ちの鞄に入っていても効果は見込めると思うが……やはり、直接持っていたほうが効力が強くなる。
ユカの言葉に従って、華蓮はスマートフォンをシャツの胸ポケットに滑り込ませた。
「無理言ってゴメン、念には念を入れとかんとね。さて……」
ユカが改めて、本日対峙する『遺痕』の『生前調書』を確認した。そして……無言で、顔をしかめる。
「山本さん?」
脇においていた荷物を持った華蓮に、『生前調書』の一部を指差しながら、ユカが苦笑いで尋ねる。
「そのー……あたしまだ、仙台の地理に詳しくないけんが、それぞれの場所まで案内してもらえると助かるな―。まずはココ、この、地下鉄の……匂い、当たる、台公園ってところなんやけど……」
ユカが指差す先に示された情報を確認した華蓮は、「あぁ」とすぐに納得する。
「勾当台公園、ですね。分かりました。ここからなら、歩いてでも地下鉄でも行けますけど……どうしますか?」
「歩いて行くとどれくらいかかると?」
華蓮は脳内で地図を思い浮かべ、ルートを試算する。
「そうですね……10分から15分、というところでしょうか」
「んー、時間も惜しいし疲れるよね、じゃあ地下鉄で――」
「――歩いて行け」
「うわっ!?」
刹那、真後ろから聞こえた唐突な声に、ユカが驚きの声をあげる。
慌てて振り向くと、衝立の影からジト目で2人を見つめている政宗と……目が、あった。
華蓮の位置からは見えていたので、彼女は苦笑いを浮かべている。
「まっ、政宗……どっ、どげんしたとね、いきなり……」
目を白黒させつつ彼を見上げるユカに、ジト目のまま近づいてきた政宗が、念を押すように言葉を紡ぐ。
「いいか、ケッカ、『仙台支局』は、決して、決して、財布に余裕があるわけではないのだ。勾当台公園くらいで地下鉄を使うんじゃないぞ、いいか?」
この言葉を受けて、ユカの表情が露骨に不機嫌になる。
「えー? だって歩くの疲れるやん。今日は短時間で2件も回るっちゃけん、それくらい認めてよー」
「じゃあ、処理件数を1件にしても構わんと言っているだろうが。2件もやるって豪語してるのはケッカだけだ」
「えー? それはそれでつまらんというか……」
「ワガママ言ってんじゃねーよ!! とにかく、勾当台公園までは歩いて行け、支局長命令だ!!」
「へいへーい……」
頬を膨らませたまま華蓮の方に向き直ったユカは、足元に置いていた自分のトートバッグを持ち上げ、一度、ため息を付いた。
「と、いうわけで……行こうか。道案内、お願いね」
「分かりました」
華蓮は政宗にペコリとお辞儀をして、ユカの後に続く。
こうして、2人きりの『縁切り』は、まずは歩いて行くこととなった……はずだった。
『仙台支局』における収入は、主に政宗の営業による顧客からの『縁結び/縁切り料』と、『遺痕』を処理したことによる名杙家からの報奨金です。
現時点で事務所の賃料や諸々の雑費(全員の大本の雇い主は名杙家なので、税金関係や雇用保険、社会保険は名杙家で処理・天引きされています)、『縁故』への賃金等(『縁故』は基本給+処理した『遺痕』の件数に応じたインセンティブあり)を差し引いてもプラスになっていた、の、ですが……ユカがやって来たことで、彼女の給料が必要になった(『特級縁故』なので基本給が地味に高い+仕事できる子なのでインセンティブ多め+仙台へ出向しているため特別手当が出る)&彼女が暮らす部屋の家賃とここまでの定期代&華蓮へのバイト代と交通費、など、地味に出費が増えています。
それを差し引いてもマイナスにはならない計算ですが……何が起こるか分かりません。ちなみに、賃金が発生するのは『初級縁故』以降なので、資格を取るまで心愛はタダ働きですが、家計を管理する政宗お父さんは気が気でないのです。
そのため、出来るところから削っていこうとしていた矢先、歩いていける場所にわざわざ地下鉄で行こうなんて言われたら……反対しますよ。ユカ、歩いて行ってあげてね……。




