エピソード5:だから、素直に仲直り。②
名杙家の次期当主と言われている統治ではなく、なぜ、名杙ではない政宗が『仙台支局』の支局長を務めているのか。
その理由は……やはり、今から10年ほど前に遡る。
「あの事件があって、俺と佐藤は山本と別メニューになった。麻里子様から山本の様子を聞くことは出来たんだが、結局、会えないまま……俺達は宮城に戻ってきた」
ユカの現状を決定づけた事件。それ以降、今まで彼らがどうしてきたのか、改めて聞くのはユカにとっても何だか新鮮だった。
「宮城に戻ってきて、半年くらいは……俺も佐藤も『縁故』の仕事からは遠ざかっていたんだ。連絡を取るでもなく、それぞれの普段の日常で時間を過ごしていた」
ユカのことを忘れられずに、後悔ばかりが押し寄せていた日々。前が見えずに、どこへ進めばいいか分からなくなっていた……そんな、日々。
これまでは名杙家の跡取りとして持ち上げられて、気分が良かった、幼少期から『縁故』としての教育を受けてきた自分には、他の『縁故』とは違う実力がある、今回の形式的な修行なんて適当にこなせばいい……そう思い込んでいた統治を変えてくれた、大切な仲間。
ユカの事件は、これまでの統治のプライドを根本からへし折るのには十分すぎた。
結局自分は、目の前で苦しんでいる仲間を助けられなかったばかりか、その元凶である『痕』を消すことも出来ず、その場で立ち尽くしていただけだった。
――何も、出来ながった。残った事実は、それだけだ。
「そんな俺のところに、佐藤が訪ねてきたんだ。忘れもしない2月14日、ご丁寧にチョコレートまで持参してな」
当時のことを思い出したのか、統治が口の端に笑みを浮かべた。
「その日、夜遅くまで佐藤と話をした。その時に決めたんだ。俺たちがもっと強くなって、山本の現状を何とかする。何の遠慮もなく、また、同じ立場の『縁故』として切磋琢磨出来るように」
「統治……」
「山本が九州で活躍していることは知っていたし、その話を聞くたびに俺たちも奮起していた。そして、今から3年ほど前に……先の災害で亡くなった方々の対応を考えなければならないことと、分かりやすい対外用窓口の設置を顧客から求められたことがあって、仙台に1箇所、拠点を構えようという流れになった。そこで親父が、俺にそこを取り仕切るように通達してきたんだ。親父としては、『仙台支局』で俺がトップに立つことを想定していたんだと思うが……俺が、佐藤をトップにするよう働きかけた」
「政宗を、どうして?」
「元々俺が佐藤の下でならば働きたいと思っていたし、仙台で新たな顧客を開拓してきたのは佐藤だから、仙台では佐藤をトップにした方が、円滑に物事が進むと判断したんだ。事実、佐藤の営業能力は俺なんか足元にも及ばないと思っている。親父には、下で働く者の立場を知るために、とか、適当な理由を付けて承認させた」
「よ、よくそれで当主が承認したね……」
「親父としても、俺よりも佐藤の方が自分の言うことを聞くと判断したんだろう。事実、今回の心愛のことは俺も予想外だった」
「……そっか」
統治の後ろに佇んだまま、おにぎりを半分ほど食べたユカは……初めて触れたかつての仲間の思いを、自分の中でどう処理すればいいのか、分からなくなりそうになっていた。
現実として、ユカは……2人を避けてきたことも否めないのだから。
自分を見ると、2人が過去のことを思い出して罪悪感を感じてしまうのではないかと思ってきた。特に政宗は、自分が原因だと思い込んでいる節もあるから、必要最低限の接触にとどめてきたのに。
自分以上に自分のことを大切に思ってくれていた彼に……ユカは、ひどい言葉をぶつけてしまった。
統治は肩越しにユカの様子を確認してから、再びパソコンに向き直り、言葉を続ける。
「正直、こんなに早く山本を仙台に呼ぶつもりはなかった。それもこれも半分以上は俺の責任なんだが……案の定、佐藤もどこまで山本に頼っていいのか分からずに、情報を小出しにしてしまった。慣れない土地で前のようなトラブルに巻き込まれてしまうのではないかと心配しすぎて、何のために山本を呼んだのか、佐藤自身が忘れかけていたんだと思う」
「……それは要するに、政宗があたしに対して過保護になりすぎたってこと?」
ユカの言葉に統治は一瞬考え込み、チラリと横目で彼女を見やるが、すぐに視線をパソコンへ戻す。
「そうだな。少なくとも……どんな距離感で接すればいいのか、悩んでいる感じはあったと思っている」
「……距離感、ねぇ……」
政宗はユカに対して、出来る限り気を遣ったつもりだったらしい。肝心の本人にはちっとも伝わっていないどころかマイナスになってしまったのが残念な結果だが。
過去のことを思い出す。昔の彼は……ユカに対して、そんなに気を遣って接していただろうか?
そんなつもりはなかったのに。
……変えてしまったんだ、過去が、ユカが。
だとすれば――
「……統治は、あたしに対してどんな距離感で接していいのか、悩んどる?」
ユカの問いかけに、彼は振り向かずに返答した。
「いいや、特に。今の俺に、他人を気遣う余裕はないからな」
その答えを受けたユカは口元にニヤリと笑みを浮かべて……残りのおにぎりを口に含み、丁寧に噛み砕いた。
「そういえば、里穂ちゃんは何しにきたと? 統治に呼ばれたっちゃろ?」
再び政宗の席に戻ったユカが、統治から奪い取った板チョコのかけらを口の中で溶かしながら問いかける。
無言でお弁当を綺麗に食べ終えた里穂は、ミネラルウォーターを半分ほど飲んで、右手の人差し指を統治に向けた。
「うち兄に呼ばれたっす。リッピーの声をあてて欲しいって」
「り、リッピー……?」
これまた聞きなれない単語にユカが首を傾げると、統治が机上に立てかけたクリアファイルを引き抜き、中から真っ白のコピー用紙を取り出した。
そして、おもむろにペンを取ると、サラサラとペンを滑らせて……完成。ユカに見せる。
「これがリッピーだ」
「は……? お、おにぎり? でも、兜かぶって眼帯しとるし、体は動物っぽいし……」
統治が数秒で描いたのは、顔がおにぎり、体が猫だか犬だかの4足歩行の小動物、という、ゆるキャラの色んな所をパクった……もとい、インスパイアされたようなイラストだった。
いかにも宮城っぽく、片目を隠す眼帯と、三日月モチーフの飾りが目立つ兜を被っている。でも、体は小動物。
カワイイかと聞かれれば、「まぁ……カワイイんじゃない?」と、悩みながら答えてしまいそうな風貌を持ったキャラ、それがリッピー。
「統治ゴメン、リッピーが何なのかいっちょん分からん」
顔をしかめるユカに、統治はパソコンの画面を指さして解説する。
「リッピーは、開発中のアプリのナビゲートキャラクターだ。細かい動きはある程度俺でも何とななるんだが……喋り声は、俺よりも里穂の方が適任だと思って頼むことにした」
「喋り声!? こ、このキャラ、日本語しゃべるとね!?」
「ああ。仕事をこなせば成長する、育成要素も実装予定だ。おはようからお休みまで、『縁故』の仕事をサポートすることが出来る」
「もしかして、さっき言いよった遊び心って……このこと?」
イラストを引っ込めた統治が首肯したことを確認したユカは、今度は立ち上がって柔軟体操を始めた里穂に視線を移す。
「で……里穂ちゃんはなんばしよっとね?」
里穂は屈伸をしながら、さわやかな笑顔で返答した。
「声を出すための準備運動っす! こんなカワイイ公式キャラクターの声を担当するんですから、体を温めて、最高の状態で臨みたいっす!!」
「か、カワイイ……?」
先ほどのイラストを思い出した首をかしげるユカだが……もしかしたら、完成品の中にいるリッピーは、もっと愛嬌のある姿をしているのかもしれない。勝手に期待しておこう。
準備運動を終えた里穂に、立ち上がった統治が小型のICレコーダーと文字が印刷されたコピー用紙を手渡した。どうやら、言って欲しいセリフが記載されているらしい。
「統治……録音環境が悪いっちゃなかとね……?」
「問題ない。ノイズは出来るだけ処理する。里穂、あまり口を近づけ過ぎるとリップノイズやブレス音が入ってしまうから、何度か録音して、程よい距離を見つけて欲しい」
「了解っす! じゃあ……一番上から試しにやってみるっす!!」
里穂の言葉に、全員が息を潜めて様子を見守り……約20分後。
「……とりあえずこれで大丈夫だろう。助かった」
「お役に立てて光栄っす! ちょっと恥ずかしかったっすけど……」
統治の脇に立ってはにかんだ笑顔を浮かべる里穂は、手元の資料を彼に返却して、「そういえば……」と、あることを思い出した。
「心愛ちゃんって、東北本線を使ってるっすか?」
唐突な質問に、統治は首を横に振る。
「東北本線? いや……学校と自宅の位置から、仙石線を使っているはずだが……」
東北地方の主要ターミナルである仙台駅には、新幹線だけではなく、多くの在来線も乗り入れている。
東京駅から盛岡駅までを結び、白石―仙台―小牛田と、宮城を縦に走る東北本線、仙台市街地から秋保や作並といった温泉地を抜けて山形に続く、仙台駅から左に伸びる仙山線、そして、仙台駅の隣のあおば通駅から、塩竈、松島と沿岸を走り、石巻駅までを結ぶ、仙台駅から右に伸びる仙石線。
他にも乗り入れている路線はあるが、主なものはこの3つだ。
そして心愛は、自宅がある塩竈から学校がある多賀城、そして、この仙台まで、仙石線を使って通っている。
東北本線でも通えないことはないのだが、電車の本数や利便性を考えて仙石線を選択している。
余談だが……山の中を走る仙山線は、落ち葉や動物や強風でよく止まる。
里穂の質問に答えた統治が、その真意を尋ねた。
「心愛が、どうかしたのか?」
「私、駅のコンビニでお弁当を買って来たっすけど……年上っぽい女性と一緒に改札口をくぐる心愛ちゃんの後ろ姿が見えたっす。そしたら、2人して東北本線のホームに降りていったから、あれー、心愛ちゃんって本線使ってたかなって、ちょっと気になって」
年上の女性と一緒に改札をくぐった心愛。相手は恐らく華蓮だと思うが……ユカは腑に落ちない。あの2人、一緒に行動をするほど仲が良かっただろうか?
恐らく統治も同じ考えだろう。パソコンと接続していたスマートフォンを引き抜き、確認するように問いかけた。
「今日の午前中は『縁故』としてここにいたから、恐らく友達だと思うが……年上だったのか?」
「後ろ姿だけしか見えなかったっすけど、身長差があったので同じ学年じゃないのかなって」
「そうか……恐らく、ここにバイトで入った女性と一緒だったんだと思う」
「バイト……? ああ、桂樹さんの知り合いの女性っすよね?」
「え……?」
刹那、以外な人物の名前が里穂の口から出たことで、統治とユカは揃って目を丸くした。
華蓮と桂樹が知り合い? 華蓮の資料にも桂樹の口ぶりにも、2人に接点があることは感じ取れなかったのだから。
そして、2人の反応からその事実を知らなかったことを感じ取った里穂が、「あちゃー……」と言わんばかりに苦い表情を浮かべ、少し声を潜めてから言葉を続ける。
「あー……コレ、『ジン』が調べてた内容なんで、私が口走ったことは秘密にしておいて欲しいっす」
また出てきた聞きなれない名前にユカが顔をしかめると、「さっき話した仁義のことだ。漢字で『仁義』と書くから、里穂はそう呼んでいる」と、統治がフォローを入れる。
「それで、里穂、その調査の内容はいつ頃こちらへ届く予定なのか分かるか?」
「昨日、まとめてたから……恐らく、政さん宛てのメールに届いてるはずっす。ジン、ここに呼んだほうがいいですか?」
「いや、そこまでしなくていい。とりあえず、ここに佐藤を呼び戻すか……」
右手でスマートフォンを操作する統治を横目で見つめながら……ユカは、オロオロしている里穂に近づくと、自身の机の引き出しに入れておいた華蓮の写真付きの書類を取り出した。
「里穂ちゃんが見た女性って、こんな感じのふわっとしたヘアスタイルだった? 身長は160センチくらいで、今日の服装は、白いタートルネックに黒いベロアのワンピース、足元はグレーのタイツとショートブーツだったけど……」
まじまじと写真を覗き込んだ里穂が、少し自信なさげに首肯した。
「はい、確か……そんな感じだったと思うっす。スラっとしてモデルさんみたいだなーって思ったっすねぇ……」
「なるほど……ちなみに、彼女は片倉華蓮さん。この顔、一応覚えとってね」
里穂が頷いたのを確認したユカが資料を片付けていると……統治がおもむろに立ち上がり、スマートフォンと財布をズボンの後ろポケットに突っ込んだ。
「里穂、今日のお礼をさせて欲しい。ちょっと付き合ってくれ」
「え? そんないいっすよ、お礼だなんて……」
一瞬謙遜しようとした里穂だが、すぐに何かを察して、上着を持って立ち上がった。
「そうっすね!! 折角なのでお礼を受け取ろうと思うっす!! そして折角なので、全員で食べられるおやつ的なサムシングを買って欲しいっす!! 勿論、お金を出すのはうち兄で、選ぶのは私っす!! さぁ、出発するっすー!!」
気がつけば統治よりも先に部屋を出て行く里穂。統治は統治で「30分ぐらいで戻る」と一言言い残し、里穂に続いて部屋から姿を消してしまった。
後に残されたユカは……唐突な展開についていけず、目を丸くしたまま。
そんな彼女の隣にやってきた分町ママが、閉じた扉の方へ視線を向けて、口元に笑みを浮かべた。
「あら、帰ってきたんじゃない?」
「帰ってきた? 今出て行ったばっかりなのに?」
忘れ物でもしたのだろうか。益々混乱するユカに、分町ママは意地悪な笑みを浮かべると、そのまま天井近くにふわりと舞い上がって。
「統治君と里穂ちゃんじゃなくて、ここの責任者の彼が……よ」
「っ!?」
ユカが帰ってきたのが誰なのかを悟った瞬間、分町ママが「じゃーねー」と消えていく。
刹那、静かな室内に、鍵を解除した音が聞こえて――扉が、開いた。
統治が語る、ユカがいなくなったその後のお話。
この『仙台支局』こそ、ユカの受け皿として2人が頑張った『ケッカ』生まれたものなのですが……ここに至るまでの道も大変だったと思います。主に政宗が新規顧客の開拓、統治が名杙家とのバランス調整(名杙家のお得意様を奪うことになったらいけませんからね)と政宗のサポート、と、役割分担をしっかりしてここまでのし上がりました。うん、よく頑張った。
あ、アプリ版「リッピー」のイラスト募集中です。(笑)イメージとしては、県のゆるキャラである「むすび丸」っぽい顔に、体が4足歩行の犬、みたいな……そんな感じです。うん、多分可愛くないですね。




