弥三郎駆ける
路傍では、青蛙がげこげこと鳴いている。見渡す限りの田園と、彼方に広がる山々。むくむくと盛り上がった入道雲が、青い空と緑の山をつないでいる。
「弥三郎殿、歩くのが速いぞよ」
「一刻も早く、有場村に行かねばなりませぬゆえ」
「ちょいとはわしに合わせんか」
「早く菜っ葉を食えるようになりたいもので」
「むむむ」
弥三郎と道治が、小楠村に向かって歩いていた。
「しかし、宮司殿が来るとは思いませなんだ」
「わしも、思っとらんかった」
「え」
「え?」
青蛙が、げこりと鳴いた。
(本当に、なぁ)
時を遡ること二刻前。
有場村に向かうことにした弥三郎は、権兵衛の同行を許さなかった。
これから弥三郎は、村一つ壊滅させ、代官の手勢を血祭りに上げた怪鳥軍鶏変化を退治しに行くのだ。いかに弥三郎が武勇の士とはいえ、己以外を守り切れるか自信がなかった。
「ここで、帰りを待っていてくれよ」
「あぁ、いつまでも待っているさ」
二人は、再会を願い、固く握手を交わした。
「まずは、有場村の様子を知るために、小楠村に行くのがいいでしょう。文を送ってきた小楠神社には、有場村の生き残りがおりますので、彼から話を聞きましょう」
弥三郎には、松寿丸が同行することとなった。
「うむ……」
弥三郎は、ただ一人で向かいたいと考えていた。ましてや松寿丸は少年である。
しかし、神社から二の宮に来た文によって、二の宮に関わりのなかった弥三郎が来るというのも、おかしな話ではある。つなぎ役が必要なことも確かであった。
「では、参ろうか」
「はい」
こうして、弥三郎と松寿丸が小楠村に行くことになったが、境内を出たところで待ったがかかった。
「こりゃ、松寿丸、いかんぞ、いかんぞ」
松寿丸の父、道治である。
「父上……」
「なぜお主が向かうことになっておるのじゃ」
道治の顔面は鬼灯の如く赤面膨張していた。
「軍鶏変化の下に、弥三郎殿だけを向かわせるわけにはいきません」
松寿丸は怒りの父に臆しない。
「権兵衛殿が行かんというのに、お主が行くことは、ならんぞよ」
「しかし父上……」
「い、かーんっ」
道治も引かない。
「お主はわしの跡取りじゃ。お主が行くぐらいなら、わしが行く!」
勢い任せの発言、意があって言ったことではなかった。
「はい、分かりました」
「え」
「え?」
すい、と松寿丸が引いたことで、道治の有場村行きが決定した。
「よくよく考えれば、私では足りぬこともありましょう」
「う、うむ、うむ」
「では、行ってらっしゃいませ。弥三郎殿、父のこと、宜しくお頼み申し上げます」
「む、む、ううむ」
(初めからそのつもりであったのではあるまいか)
弥三郎が少年の心を疑いたくなるほどに、鮮やかな引き際だった。
「結局、宮司殿が同道するということで、よろしいのですか」
二人のやり取りを傍で見ていた弥三郎は、道治に最後の確認を取った。
「ええわい、ええわいっ。わしが行くのじゃ!」
(全く、思いもかけぬことになった……。宮司というのは、もう少し慎重さや威厳が必要なお役目かと思っていたが……)
そして出発から二刻、弥三郎と道治は小楠村まで一里の距離に来ている。
「ところで、宮司。軍鶏変化とはどのようなものでしょうか」
「さぁてのう」
道治の口調は、のほほんとしたものだった
「は?……、いや、宮司ならば何かご存じでは」
しかし、弥三郎としてはたまったものではない。敵の情報は多い方がよいに決まっている。それが、何もわからぬでは済まされない。
「あのな、『変化の者』が何に変化するかは、そやつ次第なのじゃ。あの手紙に書かれていること以外分かるわけないじゃろ。だから、小楠村に行って直接話を聞くのじゃよ」
言われて見ればそのとおりで、同じことを松寿丸に言われれば弥三郎も納得しただろう。しかし、道治ではそういう風にはならなかった。
「お主、わしを頼りないとか腰が軽いとか思っておるな」
じろ、と湿った気配が弥三郎を見ている。
「いえ、滅相もない。ただ、直接話し合うと、人の思いもかけぬ一面が見えて興味が尽きません」
「ふん、そういうことにしておくわい。わしが頼りないのは、事実じゃしの」
「はぁ」
「あそこはもう、松寿丸のものじゃ。年少故に表立って宮司職を譲ってはおらんが、神人たちは皆、松寿丸を当主と認めておる。わしは菓子でも食いながら、松寿丸の元服を待っとればええのじゃ」
(どうも、この御仁は器が小さいというか、心根が縮んでいるというか)
頭を振って、弥三郎は肩を落とした。こういった類の人間との付き合いは、あまり得意ではない。
「だからこそ、前途あるわしの希望、松寿丸を、危険にさらすわけにはいかんのじゃ」
肩肘を張って、大手を振り道治は歩を進める。そこには、父親としての責任感とでも呼ぶべき自負が、確かにあった。
「……、ご子息を愛されておられるようですな」
ちちち、と木陰で雀がさえずっている。
「ふん」
「そろそろ、小楠村です。急ぎましょう」
弥三郎の急ぎ足が、駆け足に変わった。
「ま、待て、待てというに!」
小楠村の入り口には櫓が備えられ、物見が周囲に目を配っていた。
木戸の前まで行くと、門番が近づいてきた。
「今、この村は非常事態だ。主は一体、何用か」
門番は居丈高な物言いだった。
「実は……」
弥三郎が口を開くのを遮るようにして、道治が懐から巾着袋を出し、門番に握らせた。
「わしは南州大社の宮司じゃ、小楠神社の神主に用があってな」
「むむむ、通れ」
「ほれ、ゆくぞ」
(さすが、南州大社二の宮の宮司だけはあるということか)
真面目に用件を話したところで、門番が通すかどうかは分からない。
これが己や松寿丸では、もっと時間がかかったやもしれぬ、と、弥三郎は道治に対する認識を改めた。
村の中央、広場の一角に小楠神社があった。
小さいながらも綺麗に掃き清められており、御神木と思わしき杉の巨木と幾本かの椚の木が木陰を作り出して、涼やかな印象を与えていた。
「これは宮司様、よくぞおいで下さいました」
小楠神社の神主は、髪と髭に白いものが混じった初老の男だった。物腰は柔らかく、髭は綺麗に整えられており、神主の人柄を感じさせる。
「うむ、こやつは軍鶏変化を討ち果たすために来た武芸者じゃ」
「弥三郎と申します」
「これはこれは、よろしくお願いします」
神主は深々と頭を下げ、ゆっくりと弥三郎の方に向き直った。
「軍鶏変化に襲われて、逃げ切った男がいると聞きましたが……」
「はい、こちらです」
弥三郎と道治は、奥の間へと通された。
「あまりの恐怖に動揺しております。碌に食べ物も喉を通らず、専ら糖蜜を舐めて生き延びているといったところでして……」
「左様ですか」
「彼が、平太です」
奥の間のさらに奥の方に布団が敷かれており、毛布に包まった平太が、夏だというのにがたがたと震えて縮こまっていた。
「ひっ、だ、誰だ、あんたら!」
こけた頬、落ち窪んだ瞳、肌からは張りが失われ、たっぷりと十年分は年を取ったかの如き容貌であった。
「弥三郎と申す。……、有場村の軍鶏について、お伺いしたい」
「しゃっ……ぎゃあ、ああああ、ああああああっ」
恐怖の叫び声を上げた平太は、毛布を頭から被って丸まってしまった。
「こりゃ、平太殿、お主が頼りなのじゃ、知っておることを話さんか」
「うるさい!」
「ふぎゃ!」
ずずいと前に出た道治が毛布の大玉を揺すったが、平太に撥ね退けられてしまった。立ち位置悪く、撥ね退けられた拍子に箪笥の角に頭がぶつかる。
「……、平太殿」
弥三郎が、静かに語りかける。
「軍鶏変化は、それがしが必ずや討ち果たします。どうか、お教え頂きたい。あの村にいる軍鶏変化が、何者であるかを」
「う……」
「平太殿」
「うぅ……、軍鶏変化ってのか、あの化け鳥は」
じい、と二人の間に熱が籠る。
毛布の中の平太は、ちろちろと目を覗かせ、ぽつぽつと己に降りかかった恐ろしい体験を語り出した。
――、二本の羽、二本の足。ずるりと一本だけ生えた腕に刃の潰れた鉈を持ち、血のように赤い鶏冠を持つ黒色の怪鳥。
身の丈は人よりもなお大きく、瞬発力・跳躍力は比類なきもの。
一度狙った生き物は、完全に息の根を止めるまで執拗に攻撃を加える。
傷口からの血は、黒煙と共にやがて治癒する――。
(これが、元は人間……。しかも、おれもこやつを倒さねば、いずれはこのような化け物になる、か)
平太の口から語られた軍鶏変化の外見気性は、なるほど化け物としか思えない。では、人を襲う熊や虎にあって、化け物にないものとは……。
「平太殿、軍鶏変化は、人を喰らうのだろうか」
「い……や、あれは、人を食って、なかった。村人たちは、さんざ痛めつけられて、皮袋に肉がこびり付いたようになってて……、うぅ、蛆虫だの、蝿だのがたかって、そのまま、そのまま打ち捨てられていただよ……」
弥三郎は、心中にて戦慄した。軍鶏変化を忖度してみても、何を求めて凶行を繰り返しているのか、皆目見当がつかなかったのだ。
怒りか、憎しみか、食欲か、そういった人らしい何かや獣の本能といったものを、軍鶏変化から感じることができなかった。理外の化生としかいいようがない。
「おらは、ここまで逃げ延びたけど、おらを追ってこの村に来るかもしれねぇ。それが怖い。それが恐ろしい」
「平太殿、よくぞ話してくださった」
平太に礼をし、弥三郎は立ち上がった。
「神主殿、奴は、まだ有場村にいるでしょうか」
「近隣の神社と連絡を取っていますが、別の場所に現れたとは、聞いておりません。恐らくは、まだ有場村にいるでしょう」
「ずっと有場村におるつもりかものう」
楽観論を口にしたのは、道治であった。側頭部に出来たこぶをさすっている。
「いやいや、宮司様、それはさすがに軍鶏変化に聞かねば分からぬことでございますよ」
やんわりと、神主がたしなめる。
「結構。それでは、それがしは有場村へ向かいます。道治殿、同道、感謝いたします。こちらで待たれよ」
道治に告げた次の瞬間には、草鞋を履いて有場村の方に向けて駆けて行った。
「あっ、こりゃ!」
道治が呼び止めようと思った時には、弥三郎の姿は遥か彼方へ消え去っていた。
弥三郎は駆ける。
昨晩までの雨によるぬかるみも、弥三郎の疾走を妨げなかった。走法に秘訣があるのか、まるで重さを感じさせない動きで、滑るように駆けてゆく。
まさに俊足つむじ風、広場を駆け抜け木戸を走り抜け、野を越え山に入り、峠を越えるまで半刻ほど。『南州一の武芸者』の健脚は、いささかも衰えてはいなかった。
「む……」
峠を越えると、有場村が遠くに見える。一見して、それなりの規模の集落と分かる。だが、村はすでに死んでいる。
進むにつれ、村から漂うおぞましき腐臭は、弥三郎にまとわりつくほどに濃密になりつつあった。
(……)
死臭が弥三郎を呼ぶ。怪鳥討ち果たすべしと、弥三郎に語りかける。
あの文を読むまでは、夢物語かと思っていた。平太の話を聞くまでは、対岸の火事であった。今、死臭の中にあって、弥三郎は軍鶏変化を己自身の五感で感じていた。
有場村まで二町の距離まで近づいたところで、弥三郎は山道から脇に逸れ、藪に入る。
「ふッ」
手ごろな木に登って、中ほどの枝の上に立つと、枝のしなりと足の発条を巧みに組み合わせて、木から木へと飛び移った。正面から軍鶏変化に挑むことを選ぶほど、弥三郎は浅はかではない。
ぐるりと、木々の上から村の状況を確認する。特に、軍鶏変化の居場所を特定することは急を要していた。もし、すでにこの村から離れていれば、見つけるまでに更なる被害者が出るだろうことは想像に難くない。
村のいたる所に、屍肉が散乱している。人、畜生の区別なく、等しく無残に打ち捨てられていた。
(むごいことを……)
むせかえる腐敗臭、元は人や畜生であったあれやこれに群がる蛆と蝿。
(軍鶏変化、どこだっ)
気は逸るが、力みはない。山猫の如きしなやかな動きで、音も立てずに飛び回る。殺気はおろか、気配すら消して、木々と一体となっている。
来た道から西におよそ一町ばかりの家屋の前、大きな杉の木の下に、軍鶏変化はいた。
杉の木には稲妻が落ちたのか、半分ばかり焼け焦げて黒くなっている。
「うううううううううううううううううううううううう」
唸り声を漏らし、鶏冠を震わせて俯いている。動きはないが、その佇まいからはある種の動的な力強さが感じられる。
(……ッ!)
いざ強敵を両の眼に見て、弥三郎の気は昂ぶる。しかし、身に纏う気配は猛る気に相反するように、さらに周囲に溶け込んでいく。ここで焦り怪鳥に気取られる弥三郎ではない。
(大きい、な)
並みの男より頭一つ大きい弥三郎よりも、なお大きい。
おまけに、遠目に見ても筋骨隆々、背中に弥三郎を乗せたまま三里は全力で走り抜けられそうな風格である。
(さて、どう攻めるか)
軍鶏を目視できる限りで一番遠くの木まで離れた弥三郎は、軍鶏変化への第一撃を思案する。
第一撃にて仕留めきれなかった場合は、正面から攻めることになるが、話に聞く軍鶏変化と己との身体能力を比較して、著しい不利は否めない。
第一撃は慎重を期す必要があった。それに、いざという時に頼りになるのは腰の刀だが、それのみを頼りとするのは心もとなかった。勢い込んで身一つでやってきたのは短慮であったかと、弥三郎はわずかに後悔した。
(とはいえ……)
軍鶏変化の周囲は広く空間があり、気配を悟られずに近づくのは困難であった。背後からの一撃は不可能に近い。
(そういえば)
与作以外の者は皆斃れたが、彼らの使った武器がどこかに落ちているはずだった。
弥三郎は思案する。
弓矢で第一撃を加えるのは、どうか。遠距離からの一撃は、魅力的に感じる。
(いや、弓の一撃は、致命傷にはならん)
すぐさま思い直す。軍鶏変化の強靭な生命力を聞いていなければ、それもよいかと思ったが、そうはいかなかった。
では、槍ならばどうか。槍の間合いは剣に比するまでもない。村の入り口あたりに、斧共に捨て置かれていたのを先ほど見ている。どこにあるとも知れない弓を探すよりも、手間が省けるだろう。とはいえ、懸念がないわけでもない。
(……、槍の不意打ちも、厳しいか)
取り回しが派手になり、折角気配を消した意味がなくなる。斧も見かけたが、あれは論外だった。
ここが思案のしどころと、沈思黙考、あれこれと思いついては消えていく。軍鶏変化も、いつまでも同じ場所に留まるとは限らない。状況が変わらないうちに先手を仕掛けたい。
風のざわめきを肌で感じ、一枚の木の葉が弥三郎の前を風に流れていく。
(待てよ……?)
目算が、ついた。
再び木々に隠れて目当ての得物を手に入れると、準備万端整えて、軍鶏変化のところへと向かっていった。