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対策録001_振り返らせる声

「却下します。先輩の適正では、この任務の生還率はほぼ0です。」

 地下の一室、怪異対策局の施設内。リノリウムの床とどこか似た、無機質な表情の少女が言う。

「先輩の担当案件としては、こちら。商店街の振り返らせる声、あたりが妥当でしょう。」

 蓮見理子はそう言って手に持っているバインダーから薄いファイルを手渡してくる。

「いや、お前な。優先順位というものがあるだろ?その商店街の声と俺が持ってきた神隠しの案件、どっちが対策しなきゃいけないかなんて一目瞭然だろ!」

「もう一度言います。却下です。矢代調査員。」

 調査員、矢代歩。多少の無精ひげを生やした彼は、話が通じないな、と首を振る。

「神隠しの緊急度は確かに高いです。ですが、先輩を送り出したところで要救助者が一名増えるだけです。」

「お前、そんなものやってみないとわからないだろ・・・」

「いいえ。先輩の過去データから見る怪異への適正や判断力から考えて、却下とお伝えしました。」

 矢代はまだ何かを言おうとするが、蓮見から今回の対応が必要な怪異についてのファイルを渡され仕方なく受け取る。

「先輩の持ってきた案件ですが、今お渡ししたような低級の案件を複数、それも問題なくこなしたという実績が必要です。」

「・・・しょうがねぇな。わかったよ。その声の怪異、とっとと片づけてくればいいんだろ?」

 その少し投げやりともとれる態度に蓮見は目線を向ける。その目線は一見冷たげに見えるが、瞳の奥には調査員を失うことへの拒絶感のようなものが揺らめいているようだった。

「片づけなくても構いません。あなたのような調査員は怪異を祓うことが目的ではない。情報を持って、生きて帰ってくること。それが何よりも重要です。これが理解できないようなら出動の許可は出しません。」

「はいはい、わかったよ管理官様。若い管理官が担当になるとは聞いていたが、ここまで堅物とはね。」

 そういいながら、パラパラと渡された資料をめくる。

「発生場所は東区の商店街裏路地、午後11時から午前2時の間に発生報告が複数。通行者は背後から名前を呼ばれ、振り返ると誰もいない。」

「ええ、そうです。ただし、振り返った人は翌日以降、『何者かに後ろから呼ばれる』といった後遺症を報告しています。怪異による侵食の影響と考えるべきでしょう。」

 怪異による侵食。多かれ少なかれ人間が怪異に近づくと起こる精神汚染だ。症状は様々だが、一般的には幻聴や幻覚が多い。

「先輩の今回の任務は、音声記録装置で『声』の特徴を記録すること。発生条件をなるべく具体的に確認すること。そして、可能であれば声の主の正体を観察することです。」

「ほぅ、では振り返っても、」

 蓮見の目が細められる。刺すような視線が矢代に突き刺さる。

「ただし、絶対に振り返らないこと。これは命令です。名前を呼ばれても無視して、問題があればすぐに撤退してください。」

 そういいながら、音声装置など基本装備を並べ始める。

「いくつか質問がある。この怪異についてだ。まず声を掛けられる地点はどれくらい特定されているんだ?それと、声をかける周りに怪異のきっかけとなるような配置物、例えば地蔵とかそういうものはないか?」

 蓮見は少し目を丸くし、矢代を評価したような目で見る。

「いい質問ですね、先輩。今過去ログを確認します。・・・まず、発生地点は商店街裏路地、旧米穀店と月極駐車場の間、幅が約3m、長さ約20m程度の区間に限定されています。ここには地蔵、祠といった霊的なきっかけとなりそうな関係物は確認されていませんね。」

「そうか、わかった。そうしたら、声を掛けられる方向を特定したい。そうすれば、背後を動画でとっておくだけで怪異の正体がわかるってわけだ。」

「方向、ですか。それに関しては情報がありません。新たに、どちら側から侵入したら声をかけられるか、矢代調査員、調査をお願いします。」

矢代は、仕事が増えたことに少し不満そうに眉を顰める。

「ナチュラルに仕事を増やすなよ、構わんが。では旧米穀店側と月極駐車場、双方の路地入口にカメラを仕掛けたい。できればオンラインでモニターをお願いしたいんだが、お願いしてもいいのか?」

「構いませんよ。当分はあなたが問題行動を起こさないようになるべく連絡をつないだまま任務をしていただく予定でしたので。ついでに動画のほうもこちらでモニタリングしておきましょう。」

 問題行動?心当たりはないのだがな、と思いつつも矢代は引き続き蓮見とミーティングを続ける。

「ほかに何か情報はあるか?」

「はい、そちらのファイル、最後のページを見てください。事件記録です。この路地で30年前、一人の女性が行方不明になっています。その後の捜査では何も見つからず、未解決のままとなっていますね。」

 矢代は顎に手を当て考える。この情報は関係がないか、それともこの怪異の被害者、もしくは・・・。

「矢代調査員、そろそろ確認事項は終了しましたか?それでは、必ず帰ってきてください。」

 そういって蓮見は矢代を送り出す。と言ってもインカム内で通話はつながったままだ。


 23時、蓮見は深夜の商店街へと来ていた。シャッターはどこも締まっており、人気もない。件の路地は明かりが入らず暗くなっている。怪異の情報を聞いた後だと、不気味さがより深まって見えるようだ。

 蓮見は路地を回り込むようにして、目的の路地両端へカメラを設置する。

「映像、受信しました。音声も正常ですね。先輩、準備が整いました。これより調査を開始してください。繰り返しますが、くれぐれも、振り返ることのないように。」

「了解、調査を開始する。」

 そういって矢代はタバコに火をつける。これは矢代なりの怪異の見分け方だった。タバコの煙はまだなんの変化もなく、天へとまっすぐ上っている。矢代は怪異が出現していないことを確認し、記録装置の電源をつけながら路地へと足を踏み入れる。

「今のところ変化はない。光が届いていないだけの普通の路地だな。」

 5m、10mと歩いていくが何も起こらない。タバコの煙も上へと昇っていく、異常なしだ。しかし15m地点。

 ぞわり。

 空気が変わる。タバコの煙がわずかに横へ流れる。風もないのに。

「・・・・・・先輩。映像に変化があります。」

 冷静な声だが、蓮見の声からは若干の緊張も伝わってくる。

「路地の奥、先輩の後方約5m、・・・・・・何かが映っています。人影、ではありません。輪郭が不明瞭です。」

―――矢代。―――

 背後から、低く、かすれた女性の声。

 タバコの煙が揺れる。背後に、何かがいる。

「・・・・・・!先輩、振り返らないで。背後、です。移動している!今の距離は約4m、白い何かが!」

―――矢代、歩。―――

 もう一度。今度は、もっと近い。首筋に、冷たい息を感じる。タバコの煙はもはや上へと上っていない。後ろへと吸い込まれるように流れている。

「っ!」

 矢代は振り返らず、前へ。早足で路地を抜けようとする。16m、17m・・・出口まであと3mほどだ。

―――歩。―――

 三度目。今度は耳元で囁くように。

 背後から、濡れた足音。ぴちゃ、ぴちゃ、ぴちゃ。

 水たまりのない路地に音が響く。

「先輩、背後の”それ”が接近しています!距離1mを切って、映像も乱れて・・・・・・」

通信のノイズが強くなる。蓮見の声も途切れる。

―――ねぇ。―――

 声の主が何かを言おうとしている。

―――どうして。―――

 18m、19m、出口まであと1m。タバコの火が消える。背後から冷気。

―――振り返って。―――

 強い引力。首を、後ろへと向けたくなる衝動。

「先輩!――少しで、出口――!――抜けて――――!」

 蓮見が必死に叫んでいる。

―――ガシッ

 左肩に何かが触れた。冷たく、濡れていて、細い指―――

 だが矢代は振り返らない。最後の一歩を踏み出す。


 抜けた。

 背後の冷気が急速に遠のく。濡れた足跡も、声も止まった。肩に残る冷たさだけが、接触の痕跡を残している。

「先輩!応答してください!」

 蓮見の声もクリアになる。

「映像確認・・・路地出口付近で怪異との接触を確認しましたが・・・・・・先輩、無事ですか?」

「あぁ・・・なんとかな。」

 そういって路地へと目を向ける。路地の奥、その中央付近に白い人影が立っている。輪郭は曖昧で、顔は見えない。ただ、じっと、こちらを見ている。

 そして、――ゆっくりと闇へ消えた。

「先輩、侵食の可能性があります。怪異との接触によってほぼ確実に。今回はここで調査を終わりにしましょう。」

 確かにだいぶ情報は手に入った。映像と音声記録、十分な成果だろう。しかし矢代の脳はまだ回転していた。そして、情報の整理がてら、蓮見へと報告をする。

「あの怪異、名前を呼ぶだけじゃないぞ・・・。話しかけてきた。しかも接触まで・・・。危険度の再評価が必要だと進言しておく。」

「・・・了解しました。それでは、撤退しますか。」

 雪代は少し考え、タバコの火をまたつける。空気はさっきより軽い。煙は今度は正常に上へと昇った。

「蓮見、少し待ってくれ。路地の様子を確認したい。まだ俺の侵食も軽度だ、行けると思うが。」

「先輩、しかし・・・・・。わかりました。ただし路地には絶対に入らないようにしてください。私は先ほどの映像を解析します。その間、路地の外から見える範囲で記録を続けてください。」

 路地の外から中を記録しながら矢代は地面が濡れていることに気づく。路地の真ん中の少しくぼんでいるあたりから、それは続いている。月明りに照らされて、わずかに光っているそれは、足跡のように見える。

「先輩、カメラの映像、解析が終わりました。先輩の後ろを追っていた”それ”ですが、路地の中央あたりから現れています。移動は先輩の動きに同期というより、少し早かったです。」

「こちらからも情報だ。路地だが、おそらく怪異が動いたであろうあとが濡れている。足跡のようになっているな。おそらく10m地点、ここからはよく見えないが、路地のくぼんでいる場所あたりから俺が接触した19m地点まで、だろうか。」

「なるほど。その地点だと、ちょうど怪異が出現した地点から止まった地点に一致しますね。怪異の足跡だと考えていいでしょう。出現地点ですが、くぼみがあるのですか?ほかには何か見えますか?」

 カメラのズーム機能でくぼみの近くを見る。そこには古い木の看板が立てかけてある。

 『立ち入り禁止 昭和63年8月17日 浅木警察署』

「蓮見、昭和63年8月と書いてある立て看板だ。これは、30年前だよな?」

「はい、昭和63年8月。30年前、行方不明の女性の事件と関係があるかと。おそらく、そこが30年前の事件現場だと思われます。」

「それはつまり・・・。」

「はい、おそらく”振り返らせる声”の正体は―――行方不明になった女性。彼女が今もあの場所で呼び続けているのでしょう。」

 そして蓮見が続ける。

「先輩、もう十分情報は揃いました。撤退してください。」

 しかし矢代は返事をせず、路地のほうを見ている。

「先輩!聞いていますか?これは管理官としての命令です。矢代調査員、帰還してください。」

「なぁ、蓮見。もう少し待て。水、だ。この怪異は水が関係している。後ろから近づく水音も、濡れた足跡も、そしてあの接触した時の冷たさも。30年前の記録、もう少し詳しく調べられるか?」

「・・・わかりました。少し待ってくださいね・・・。30年前に女性が一人行方不明になりました。この行方不明者の女性ですが、最後に目撃されたのは豪雨の中だったと記録されています。」

 矢代は考える。水との関連性。雨。そしてあのくぼみ。そして、怪異の”振り返って”という切実な声。

「蓮見、すまん。調査を続ける。再度路地に、侵入する。」

「なっ!?先輩!何をしようとしているんですか!すでに先輩は怪異に一度接触までされています。次何をされるか!撤退です!撤退してください!!」

「落ち着け。おそらくあのくぼみ。あそこにマンホールか何かがある。それの確認だ。近づかないと見えないからな。」

 そういって、くぼみへと近づいていく。タバコの煙は正常に真上へと上っている。くぼみの近くには立て看板、そして枯れた花束がおかれている。

「先輩!あぁもう・・・。モニタリングしていますから、怪異が現れたら今度こそすぐ撤退してくださいね!」

 路地の中央、わずかにくぼんだ場所。そこには排水溝の蓋があった。古い排水溝で、さびている。 そして、蓋がずれていた。

 中を覗き込んでも真っ暗で何も見えない。

―――ざぁ、ざぁ、ざぁ―――

 何かがかすかに流れるような音が聞こえる。

「先輩、排水溝、ですか?ここから怪異が・・・」

「あぁ、おそらくな。行方不明の彼女、この怪異は30年前ここに流されて未だに発見されていないんだろう。それで振り向いてほしくて声をかけている。そんなところか。」

「確かに、当時の捜査記録、排水溝の記述があります。豪雨により排水溝が溢れ、内部の捜索は困難を極めた、と。まさかこれは、実施されていない、ということだったのでしょうか・・・。」

 豪雨で足元が見えない状況で、なぜか開いていた排水溝に足を滑らせてしまった。そして流されて・・・。彼女は誰にも見つけてもらえず、助けてほしくて呼び続けている。”振り返って”と。

「先輩、重要な発見です。これで事件の真相はだいぶわかりました。もう十分です。それ以上周囲の何にも触れず、撤退してください。これ以上の調査は―――」

 その時。

―――ありがとう―――

 背後から声。だが、今度は呼びかけではない。感謝だった。

 雪代の後ろに白い人影が立っていた。輪郭がはっきりしている。若い女性、濡れた髪に白いワンピース。顔は見えないが、敵意はないようだ。

 彼女はゆっくりと排水溝を指さす。

―――見つけて―――

 声がはっきりと聞こえる。それは怨念ではなく、願い。次の瞬間彼女の姿は薄れていく。

 消える前にもう一度。

―――ありがとう―――

 そして、消えた。

 路地は静かになる。濡れた足跡も、冷気も、もう感じない。排水溝の蓋だけが、わずかに開いたまま残っている。

「先輩。」

 蓮見の声が静かに響く。

「彼女は成仏したわけではありません。ですが、先輩が真相に気づいたことで・・・少し楽になったのかもしれません。」

 そして、もう一度、少し優しい声で続ける。

「記録を完了してください。そして、帰還してください。」


 矢代は排水溝の写真などを記録した後、機材を回収して怪異対策局へと帰還する。管理室では蓮見理子が待っていた。彼女は矢代の帰還をみて、少しだけ肩の力が抜けたようだった。

「・・・・・おかえりなさい、先輩。」

 彼女は端末を操作し、帰還時刻の記録を始める。

「帰還時刻は予定より早いですね。装備の返却も確認しました。それでは、生還報告をお願いします。」

 生還報告。今日の出来事を報告し、記録に残す時間。

「先輩の言葉で、正確に。お願いします。」

矢代は報告を行う。その報告は性格で、蓮見は驚く。てっきり、自分がモニタリングをしていたことを言い訳に適当にされるだろうと思っていたからだ。

 矢代は報告の最後にこう続ける。

「最後に、今後のこととして以下の要請を提案する。一つ、あの排水溝下流の捜索。怪異となった彼女の願いだ。見つけて、供養してやるべきだ。もう一つ、あの排水溝の管理をきちんとするべきだ。彼女のような犠牲者をもう出さないため、蓋が必要でないときに開かないようにする対策をしてほしい。以上だ。」

 蓮見は深く息を吐き、わずかに笑みを浮かべる。彼女は端末を操作しながら、矢代に告げる。

「適切な報告です。二件の提案については、私の名前も併記して上へと申請しておきます。」

「あぁ、よろしく頼む。これで今日は終わりか?」

「はい。お疲れさまでした。先輩の評価、低く見積もってしまっていました。修正しておきます。あなたは優秀な調査員ですね。ただ、今後は撤退指示には従ってください。帰還することが何よりも優先されるのですから。」

そして、矢代に袋に入ったお守りを渡す。

「これは侵食の浄化用お守りです。本日は怪異との接触がありましたからね。次回任務まで身に着けていてください。」

 そういって退室を促すが、矢代が出ていこうとすると、もう少し言葉を続ける。

「先輩・・・・・今日先輩は正しい判断をしました。振り返らず、記録し、推理し、生きて帰ってきた。私が最も恐れているのは調査員が返ってこないことです。怪異を祓えなくても、構いません。情報を持って、生きて帰れば、それが勝ちです。」

 彼女の言葉にはどこか必死さが見え隠れする。少し目が潤んでいる。

「あなたはそれを理解し、帰ってきた。だから―――次の任務もお願いします。先輩。」

蓮見理子は一歩下がり、いつもの管理官への表情に戻る。

「明日は休養日です。侵食の経過観察を行いますので、メディカルチェックに来てください。次回任務は明後日以降を予定しています。今夜はゆっくり休んでください。おやすみなさい、先輩。」

 部屋を出る直前、端末へ向かい報告書をまとめている蓮見の横顔は、どこか安堵しているように見えた。

―――必ず帰ってきてください。

 その言葉がまだ耳にのこっている気がした。

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