温もり
木造の柱に囲まれた円形の卓には、湯気を立てる料理がずらりと並んでいる。
焼き魚の香ばしい匂い。大根と人参の煮物の優しい甘み。湯気をまとった味噌汁が器の中でゆらゆらと揺れている。
その中で、僕は少しだけ戸惑っていた。
「……これ、全部この世界でとれたものなんですか?」
その問いに、陽凪さんが微笑んで頷く。「凪翔が剣術の稽古の終わりに魚を獲ってきてくれたので。やはりお魚やお肉はその日のうちに食べるに限りますからね。」
なるほどと思いつつ、いただきますと言って食事を始める…………のだが、ここで僕は強敵と出会うことになる。
その存在が………“箸“。
現在進行形で試行錯誤しながら動かしているものの、どうにも難しい。
しかも、セルフィスさんは速攻で使い方をマスターしたらしく、陽凪さんや凪翔さんと同じレベルで扱っている。
こういうときに限っていつもと全然違う天性の才能が発揮されるのはなんなのだろうか。
「ちょっと、失礼なこと考えてない?」
横から覗き込んできたセルフィスさんの問いをはぐらかしながら、僕は難易度の高い食事を続ける。「美味しいですね………少し不思議な感覚があって僕のいる世界とはまた違った面白さです。」
やっとも思いで掴み上げた魚を食べてそう言うと、陽凪さんは一瞬だけ手を止め、柔らかく笑った。「たくさん食べていってください。ここでは、食事は“無事に今日を終えた証”なんです。」
温かい湯気が、顔にあたる。やがて小さく息を吸い込み、焼き魚を口に運んだ。
塩の加減はほどよく、魚の身はふっくらとしている。隣では凪翔さんが煮物をつまみながら、何気なく笑っていた。
「姉上の作ったものも、美味しいようですね。」「当たり前じゃないですか。」
軽いやり取りに、僕は思わず笑ってしまう。戦いのないこの場所では、それが日常として息づいているのだろうか。
そんなことを思いながら味噌汁を飲み干し、僕はぽつりと呟いた。「………こういう時間、忘れてました。」
五百年とちょっと後。いや、前?にみんなと食べた食事も美味しかったが、いつもどこか余裕の無さがあった。
静かに、穏やかに。
ルーベルナさんとセルフィスさんと3人で暮らしていた頃の食事を、思い出す。
そんな僕に陽凪さんはそっと視線を向け、穏やかに微笑んだ。「忘れても、また思い出せばいいんです。生きている限り、何度でも食卓は囲めますから。」
外では、虫の声が静かに響いていた。湯気の立つ円卓の上には、平凡で、けれど確かに“生きる”香りが漂っていた。
夜風が、頬をかすめた。僕たちが自由に使っていいと言われた庵と呼ばれる場所の外に出ると、満ちかけた月が静かに空に浮かんでいる。
僕は縁側に腰を下ろし、膝の上に両手を置く。━━━━━あの食卓。焼き魚の香り、笑い声、湯気。それらが、どこか夢のように遠く感じた。
きっと、3人で過ごしていた頃のことを思い出してしまったから。
難しいことを考える必要もなく、ただただ3人で楽しく笑い合いながら過ごしていた日々。
やろうと思えばその後でもできたのかもしれないが、もうそれは叶わない。
ルーベルナさんが消えてしまった今では。
「本当に………できるのか?」思わず、声が漏れた。誰に向けたわけでもない。ただ、この静かな世界に、自分がいていいのかを確かめたかった。
自分がいるのかを確かめたかった。
あの笑顔を、優しさを、いつか取り戻すことができるだろうか。
その時━━━━━背後から足音がした。柔らかい草履の音。振り向く前に、月光を受けた淡い白衣が目に入った。
「陽凪さん……」そのまま、彼女は黙って僕の隣に腰を下ろした。衣の裾がそっと触れて、温もりが伝わってくる。
「眠れないんですか?」その声が、風に混ざる。僕は空を見上げた。「たった一日……いえ、まだ一日も経っていないですけど、僕は大切な人を失いました。
その瞬間は、弱い自分への怒りと、無力さと、いろんなことが混ざり合って頭の中がグチャグチャになってました。
失いたくないと思って生きてきたのに、結局僕は失ってしまった。
失わないために身につけようとしてきた力も、意味をなさなかった。
それなのに、その人は前に言っていたんです。
努力は必ず報われるって。僕ならできるって。
悲しませないように。自分が成長したって言い切れるように。あなたがいたから僕は強くなれたって言えるように。
涙を堪えてきました。
でも、忘れることはできませんでした。
忘れずに、涙だけ流さず生きていくなんていう道は、僕にはどうしても見つけられなかった…………」
僕の目元から、一筋の涙が流れていくのがわかった。
身体の震えは、止まることを知らない。
いつもそうだ。
決心したつもりになっただけで、少し冷静になっただけでその決心が霞んでいってしまう。
そんな僕の隣で、袖の中から細い手を伸ばし、陽凪さんは月を指さす。
「あの月は今でこそ明るく光っていますが、昼になれば太陽の輝きによって薄れてしまう。
ですが、昼には一切光っていないかと言われれば、それは違います。
昼にも、確かに月はあそこにあって、自分のペースで輝いている。
太陽も、それと同じです。
自分ができる刻に、できるだけやる。それも、人生の中では大切なことなのではないでしょうか?」
その言葉は、風に溶けるように柔らかかった。僕はその横顔を見つめる。月明かりが彼女の髪を銀に染め、まるで夜そのものが彼女を包んでいるようだった。
「自分ができる刻に、できるだけ…………」
「えぇ。泣ける刻は泣けるだけ泣いて、頑張る刻は頑張れるだけ頑張って。
そして、笑える刻に笑えるだけ笑う。
人生の一瞬を全力で生きていくというのは、そういうことだと思います。」
彼女はそう言って、そっと僕の肩に頭を寄せた。驚いて固まる僕の耳元で、彼女の息が小さく触れる。
「大切な人を護れなかった悔いがあるなら、取り返しに行けばいい。
そのために、今できることをする。
その人と再び会えた時に胸を張って、“生きてきた“と言えるように。自分の人生の物語を話せるように。」
僕は言葉を失ったまま、ただ夜空を見上げた。月は静かに輝いて、二人の影を重ね合わせる。
「夜は冷え込みますね。
1人でゆっくりと向き合うのもいいことですが、体を壊してはいけませんよ。
あなたの大切な人が、自分のことを考えていたせいで体を壊したなんて知ったら悲しんでしまいますから。」
そう言って、陽凪さんは静かに立ち上がる。
僕は、真っ直ぐに月を見て、深呼吸する。
いつまでもクヨクヨしたってしょうがない。か。
失ったのなら、取り戻せばいい。
取り戻すために、生きていけばいい。
この旅の終わりを、みんなで迎えられるように。
目を見開いて眺めた月は、先ほどよりも少し光が落ち着いて見えた。
こんばんは。羽鳥雪です。
昨日お話ししたように、明日から1日1話投稿へとシフトしていきます。
ですが、中途半端なところで1話が切れてしまったりする場合など時々1日2話投稿するときもあるかと思いますので、ぜひお楽しみください!




