花咲翁さん
「おはようございまs━━━━━
ど、どうしたんですか?」
朝、昨日夕食を食べた部屋に訪れると、陽凪さんが部屋の隅で縮こまっている。
「見てもらったほうが早いですね。」
陽凪さんを置いてけぼりに、凪翔さんは呆れ顔で僕を手招きする。
廊下を歩いていき、たどり着いたのは木々が生えている場所。
「この庭は、いつも姉上が手入れしているのですが………
姉上は数日外界に出ていて、僕も外界からの脅威がないかどうかを偵察していたので、手入れがされていなかったんです。
今日の朝起きて姉上が思い出して駆けつけたところ、こうなっていたと。」
20メートルくらいの奥行きと横幅の土に、4種類の木がそれぞれ一本ずつ生えている。が、その中の一本が、真っ黒になっているのだ。
「これは………?」
「姉上が最も好きな木である、桜の木です。
ただ、この桜に関しては他のものと違いまして………とある神様に植えてもらったのですが、姉上が使う太陽の光を1日に一度当てなければ枯れてしまうのです。」
「だからこうなって陽凪さんは落ち込んでいると………」
「そういうことです。」
陽凪さんが放心状態の説明を受け終わり、再び部屋に戻ってくると、ロックが陽凪さんの髪をまた噛んでいる。
なぜだろうか。たった1日しか経っていないはずなのに当たり前の光景のようになっている。
「姉上、そろそろ正気に戻ってください。
翁の所へ行けば大丈夫でしょう?」
つい昨日の夜に僕にあんな希望溢れる言葉を言った本人とは思えないほど暗くなっている陽凪さんを連れて、僕たちは出かけることになった。
隠離世も結構広いんだな………
そんなことを思いながら、僕たちは森の中を歩いていく。
ただ、森一つとっても外の世界とは違う神秘感があるのだ。
木の一本一本が淡く光り、木漏れ日が僕たちに先を照らしている。
この心地よい空間に胸を踊らせつつ歩いていくと、小さな小屋が見えてくる。
「目的の場所はここです。」
こちらを振り返り、凪翔さんが言う。
「はぁ………なんと言われるやら………」
「姉上、覚悟を決めてください。誰も助けてはくれませんからね。」
「うぅっ………」
この小屋にいる相手はそんなに怖い人なのか………
身震いしながらも、陽凪さんは扉を開ける。
その横から中を覗いてみると、木の入れ物に入った小さな木と睨めっこしている1人のお爺さんがいる。
あの木は本物なのだろうか?
鳥の声だけが時々響いている中、しばらくするとその老人は顔を上げる。
「これは申し訳ない。盆栽に夢中になって………おっと、姫様でしたか。
お客人も一緒とは珍しい。」
ゆったりと過ぎる時間そのものかというほど、その老人は落ち着いた口調で言う。
「上がってゆかれますか?ついこの間上質な茶葉が採れたところでしてな。」
「そ、それではお言葉に甘えて…………」
苦笑を浮かべながらも、陽凪さんは小屋に入っていく。
石畳の上に靴を置き、僕たちも畳に座る。
やっぱりそんな怖い人には見えないんだけどなぁ………
手慣れた様にお茶を淹れていくその老人を見ながら、僕は思う。
しかし、陽凪さんも凪翔さんもずっと顔を引き攣らせたままだ。
セルフィスさんは家の中をキョロキョロしているし、ロックはその腕の中で眠っている。
「お待たせしましたね。して姫様、今日は何用ですかな?」
僕たちにお茶を出し、円卓を囲む最後の1ピースように座ってから老人は言う。
「え、ええっとですね………あ、その前にこの子たちのご紹介をさせてください。」
そう言って、彼女は光の速度で僕たちの後ろに回って肩を持つ。
「え、エール・メルぺディアでひゅ…………!」
痛い痛い痛い!
叫びそうになるほど強く掴まれた肩から、激痛が伝わってくる。
セルフィスさんも自分の名前を言い、老人が長く伸びた白い髭を撫でながら言う。
「出で立ちから察しはついておりましたがやはり外界の方ですか。
外界の方を見るのは私の長い人生……いえ、神生の中でも初ですな。
私の名前は花祈翁。自然を愛する年老いた神ですじゃ。
人々からは翁と言われておりますがね。」
「お、翁って結局どういう意味なんですか?」
肩に置かれた手を強引に離しつつ、陽凪さんに聞く。
しかし、彼女は今にも泣き出しそうな顔で何も答えてくれない。
「翁とはまぁ、老人という意味ですな。」
代わりに答えてくれた翁さんにお礼をして、今更この空間の異様な気まずさを実感する。
「それで………わざわざ急に話を変えてくるということは、何か言いにくいことのご相談のようですが、なんでしょうか。」
柔らかい笑みが、ホラーチックに思えてくる。
なぜだ。なぜこんなにもこの人の笑みには威圧感があるのだ。
「姉上、逃げてばかりでは何も始まりませんよ。」
そう言って凪翔さんは立ち上がり、靴を履き始める。
「すみませんが、私は剣術を教えに行かなくてはいけないので先に失礼いたします。
今日のお茶も美味しかったです。」
「ふふ、またいつでもいらしてくださいな。」
手を振る翁さんに一礼して、凪翔さんは出ていく。
ちらっと視線を移すと、この世の終わりみたいな絶望を醸し出している陽凪さんの顔が映る。
「さて、姫様?」
「えっと………実は……ですね…………天寿の桜が枯れてしまいまして……………
い、いや、枯れてというか弱ってしまったというか………
隠離世の安全を確保する見張りに出ていた間にって感じでして………すみません…………」
怯えながらそう告白する陽凪さんの言葉を聞き、翁さんは黙り込む。
「ほう………天寿の桜が枯れた、と………」
地獄のような沈黙から1分、翁さんが小さく呟く。
翁さんがこちらを見た瞬間、陽凪さんは僕の後ろにしがみついて隠れる。
あ、いい匂い。
じゃない!
この人は出会って1日も経ってない相手に身体をくっつけるなんて防御が甘すぎませんか!?
じゃない!!
僕を盾にしないで!
ガタガタと震えている陽凪さんの振動をそのままに、僕の体も震えていく。
本来陽凪さんに向けられるはずの視線が、僕に突き刺さる。
「はぁ………まったく、姫様は昔から時々ポンコツになりますなぁ。」
「ふ、ふぇ?」
どんな怒声が飛んでくるのかと覚悟していたが、翁さんは呆れているような、それでも柔らかさを持った口調で言った。
「そう怯えなさらんでも。屋敷に向かうとしましょう。」
お茶を飲み、翁さんはゆっくりと立ち上がる。
「う、うぅ………」
今にも泣き出しそうな陽凪さんを含め、僕たちは屋敷へと戻っていくのだった。
「枯れ朽ちし命よ、時の囁きに応えよ。
風は芽吹きを、土は眠りを解き放ちて、
此処に再び息吹を。
花命ノ再咲━━━━咲き誇れ、いのちの樹よ。」
その言葉と同時に、庭が温かい緑の光に満たされる。
弱々しく枯れていた枝が、地面から生気を取り戻していく。
そして、花が開く。
「すごい………」
たった一本の木から感じるものとは思えない生命力に、思わず言葉が溢れる。
「そうでしょう?天寿の桜と言いましてな。
私が大切に育ててきたものなのです。
昔…姫様がまだ幼かった頃にこれを自分の家にも欲しいと言い出して、私が必死こいてもう一度苗木から育ててきたのですじゃ。」
「本当にすみません………」
ずっと落ち込んでいる陽凪さんが、頭を下げる。
「それにしても、良い桜に育ちましたなぁ。姫様がよく愛してらっしゃるからですぞ?」
そう言って、翁さんは陽凪さんに笑いかける。
気恥ずかしそうに視線を逸らす陽凪さんを見て、僕は安堵する。
あ、そうだ。
「これって神術だと思うんですけど………原理というかコツというか教えてもらうことはできませんか?」
「ん?よろしいですが……お客人も木や花がお好きなのですかな?」
「好きというか……少し前に何個か外界の森を吹き飛ばしてしまいまして………
こういう風に治せたらなぁと。」
……………………僕の言葉で、時が止まる。
「森を……………吹き飛ばした……………?」
次に聞こえたのは、か細く呟いてその場に倒れ込む翁さんの声だった━━━━━━




