57.動揺
「うーん……転生前のあだ名とか、無い?」
「……。えっ?」
その言葉に思わず間の抜けた声を出してしまい、しまったと思いながら息を飲む。
やってはいけない反応をしてしまったかもしれないという焦りが、背筋が凍りそうな感覚と同時に襲ってくる。
「……ユノキ、今それを確認するのは悪手じゃと思うが……」
彼の横にいる巫女服を着た狐亜人が呆れたように呟いたが、冷や汗を抑えるのに必死な俺には反応する余力はない。
「……えっ……と、転生前ってどういう意味―――」
……違う。
咄嗟に惚けようとした俺だったが、【高速思考】を使って言葉を中断した。
(……冷静に、考えろ。そのためのスキルだ)
擬似的に止まった時間の中、装っているだけなのか本心なのか、それすら分からない無邪気な笑顔の彼。隣にいる狐亜人はユノキを見ているが、その表情は少し険しい。
向こうが根拠があってふっかけてきた事は、ウルムの先程呟いていた言葉から推測出来る。……と、するならば誤魔化すには手遅れだ。
転生という言葉を選んだ時点で、向こうはこちらが『転生者』だと知った上で発言したはず。
今の今まで転生者だということを積極的に隠してはいなかったが、ボロは出ないようにしていたつもりだ。
つまり、どこかで油断したのだろう。深呼吸は出来ないが、心を落ち着けるために思考を一旦リセットする。
……気付かれていないかも、なんて淡い希望を持つには、可能性が薄すぎる。
(……大丈夫だ。向こうがこちらをどうこうするつもりなら、堂々と接触してくる訳が無い)
考えるべきは、こいつがこちらを転生者と分かった理由。……前提としての段階で、予想出来る可能性は二つ。
一つは、この異世界において転生者というものが当たり前にいる場合。
(……これは無い)
俺の中の知識、そして十日程度の経験から考えれば、転生者という身寄りの無い人間が働ける場所は限られている。
この世界でも身元がはっきりしていないと任せられない職業は多い筈。
(……冗談だったとはいえ、娼館送りを勧められるような立場だったからな)
文明の発展度合いを見る限り、人手に困っている界隈なんてそうはない。そうなればある一定の職業……冒険者に集中するのは容易に想像出来る。
(でも、他の面々には転生者だと悟られていない)
もし転生者の存在が一般的だったなら……それこそガドルやセフィー、メラン等のギルドの関係者は気付くだろう。
自分で言うのも何だが、見た目に不相応な話し方をしている自覚はある。そして、ギルドカード作成した時の出身地が不明という情報……転生者という物に対して知識があれば、怪しむには十分な材料となる。
つまり、俺がバレていないのは『転生者という概念が一般的ではないから』だ。
……転生者という情報を秘匿しているだけで、知っていた可能性もあるかもしれないが……機密だったとして、こんな所では話さないだろう。
それよりも可能性が高いのは―――。
「―――いや、何でもない。お前も、か」
こいつ自身が、転生者である場合だ。
【高速思考】を解除し、目の前の彼に問いかける。この場で取れる最善は相手が転生者かを確認する事……ユノキが転生者だとすれば、俺を見抜くのは容易い。
彼が転生者だと言うならその奇抜な格好にも納得がいく。……まあ、この世界は服に関して変な発展をしている節があるから、証拠にはならないが。
「あ、よかった」
「じゃろうな。とはいえ、警戒もしとらんかったようじゃがの……」
「……」
「その通り、僕も転生者だよ。厳密にはちょっと違うけど……」
にこにことこちらに話しかけてくる金髪の彼を見ながら、思考を整える。
彼の話の節々の単語は元の世界の知識と合致する。
(のじゃロリ狐っ娘?……とかいうフレーズも、前世で聞いたことがあったかもな)
……そう考えると、こいつは隠してすらないな。この異世界にはそういう概念も有りそうだから、堂々とされていると気付き辛い。……だが、流石にオタク文化と呼べるような物は無いようでよかった。
「で、特にあだ名とか無かったの?」
「……無いな」
「そっか。じゃあ、ツクモちゃんって呼ぶね」
呼び捨てにしてくれと言った筈だが、わざわざ指摘する程ではないため流す。そもそも記憶がない俺には、あだ名以前の問題なのだが。
刺激しないように敵意を剥き出しにはしていないものの、友好的な感情を抱けるほど楽観的でもない。
考えていた通り、向こうはこちらを転生者だと確信している。いつからそうなのかは分からないが、今までの自分の行動に転生者だと判断出来る何かがあったのは確かだ。
(映像記録を届けに行ったのはパーズだったが……)
そもそも、三日間かけて往復するような場所だ。短くても片道1日はかかるとして、メランが映像記録を届けてからすぐこちらに向かってきたとは考え辛い。
そうなると考えられるのは、BEASTとかいう文字を読んだ事か。
(少なからず、自分が今まで見た風景には使われていなかった文字だ)
この世界には確かに元の世界と似た言語体系こそあるが……アルファベットを使う文化が無いなら、筆か何かで書かれたその五文字を読む事が出来るのは同郷の奴だけという事になる。
あの時は小声で読み上げたが、【感覚強化】があれば小声で話した事が聞こえる事は、自分が体感済みだ。このメイド服の製作者だ、あのTシャツにも【感覚強化】を付けていてもおかしくはないだろう。
ウルムの『無警戒だった』という発言が、判別のために作られていたその文字を自分から読んでしまった事に由来しているなら……この推測は間違っていない筈だ。
「やっぱり、猫亜人は可愛いよねえ。ウルムはふわふわしてるけど、さらさらした毛並みの尻尾も捨てがたいし。ねえねえ、触ってもいい―――」
「……目的は何だ」
「―――。ん?」
奥に引っ込んでいる二人を気にして声を抑えつつ聞くと、彼は顎下に手を当てて首を触る。
「目的……?……えーと、ドジっ娘メイド服を返してもらいに来た事?ツクモちゃんを見に、っていうのも理由だけど」
「……」
……あくまでそれで通すつもりだろうか。ユノキには変わらず飄々とした態度をとられている。
彼の戯言を聞き流して訝しげな目を向けていると、服の裾を伸ばすように弄っていた狐亜人が話しかけてきた。
「……誤解しておるようじゃが、こやつは本当に猫亜人のお主を見に来ただけじゃぞ。表向きの理由が、メイド服の回収というだけじゃ」
「信じろって言うのか」
「いや、本当の事じゃし……ああもう、じゃからワシは後で確認しろと言っただろうに……」
こちらの言葉に面倒臭そうに返答するウルムに警戒の視線を送り続ける。援護射撃があろうと警戒を緩める事は出来ない。先程までの様子を鑑みるまでもなく、彼等がグルであるのは確かだ。
すると、やり取りを見ていた彼が頬を掻く。
「……僕、結構警戒させちゃってる?」
「今更気付いたのかお主……そういう性格なのは分かっとったじゃろ……!」
「ここから会話が弾む予定だったんだけど……友達になれるかなーと」
「そんなつもりだったなら、お主は口を開くな。喋らない方がマシじゃ」
「そ、そこまで言う……」
「……?……」
見ようによっては小芝居のように感じるそのやり取りに、流石に疑問符が浮かび始める。
これも俺を騙そうとしているのか……そもそも、害するつもりが無いならなんでわざわざ接触してきたのかも謎ではある。
ひょっとしたら、本当にユノキはこちらに挨拶しただけなのだろうか……と、考えていると、ウルムが外を見ながらユノキに話しかけた。
「じきに人も増える。元々あの服の回収が目的じゃし、今はどちらにせよ無理じゃろ?」
「あー、確かにそうだね。今は替わりのも無いし」
「それに、そろそろ時間じゃ。一旦戻るぞ」
二人で話を進めていて少し置いてけぼりになっている中、唐突にユノキがこちらに手を合わせたかと思うと頭を下げてきた。
「ツクモちゃん、ごめん!……えーと、どうしよ。また夜にでも来るから、その時に話そうか!」
「……へ?……えっ、ちょっと……」
そう言って足早に去ってしまう金髪の二人に呆気に取られて反応出来ず、思考が追いついて言葉が出る頃には二人とも外へ出ていってしまった。
……なんだって言うんだ、一体。