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最終章第34話 夜の陽

 歩花を見失い、またふりだしに戻ったリーフェルトたち。闇雲に探しても魔力の無駄だと言うガートルードの勧めで、一度歩花の意識から現実世界へ二人は戻った。



「まあ、収穫はあったな」



 ガートルードの言う『収穫』とは、歩花の心の内を多少覗けたことについてだろう。



「闇雲に探したって仕方ねえ。今奮闘してる二人が手がかりを見つけることを願って、ちょっと休憩しとくか。何を言うか、ちったあ考えとけよ」



 言い残して和室の襖の向こうへ消えるガートルード。リーフェルトは目を落として、棺の中の歩花と、彼女に寄り添い眠る小夜と左一を見つめた。




『君は生きてね。君は、沢山の人に愛されているんだから――』




 歩花にとって、これは自分への遺言だったのだろうか。


 彼女がそうリーフェルトに言うのは、十分に理解できる。リーフェルト自身も、今までそう思っていた。しかし、それは単なる末の弟だからという理由ではない。愛されていたことは事実でも、その愛の裏側を父から聞かされた今では……。


 サキュバスの血をひいていることに触れられたくないなら、触れないでおこう、普通の女性のように扱うことが彼女のためだと考えていたのが駄目だったのだ。まさかああまで深く抱えこんでいるとは想像もしなかった。



 いや――




『お前、いざという大事な局面で、親兄弟に逆らったことないだろう』


『日本に来たのはせいぜい親に言われたか、兄弟に言われたか――ああ、それも図星か。

 自分の意見を競わせようとせず、面倒事を避け流れてきたから、大方許されない恋でもして親兄弟に反抗し、精一杯戦っているつもりになりたいわけか』




 家族に愛されている絶対の自信を持っているがゆえの、家への反抗。

 そして臆病な自分は、まっすぐ歩花のサキュバスの血と向き合うことをどこかで恐れていたのかもしれない。

 自分は、歩花が今まで世のため人のためしてきたことに比べれば、価値などない。

 それでも




『リーフェルト王子。本来なら歩花ちゃんは、十六歳で今のような状態となり死ぬはずでした。先程、あのインキュバスが話していたように』




 自分を見据えたハロウィーンの優しい眼差しが、脳裏をよぎる。




『歩花ちゃんが今日まで生きることができたのは、貴方の存在があったからです。

 彼女の寿命を延ばすことができた貴方なら、きっと――』











 流れた涙の跡を拭う余裕など、とうに失ってしまった。肩で息をしながら、小夜の心は疲弊していた。

 損傷した身体は都度治せても、骨をボロボロにされるほどの激痛を受けるほどに精神がすり減っていく。



<おい。なんで攻撃しねえ>

「……できるわけ、ないでしょ……」



 頭の中で響くミリーの声に、歩花に聞こえないほどの声量で低く応える小夜。



「昔のことを聞かないと。私、なにか歩花にしたかもしれないし……」

<あ……? お前、なに勘違いして――>



 ミリーの科白の途中、歩花は大槌を両手に軽やかに小夜に躍り迫る。聖書を持っていない左手で空を切り、盾を作り出すがあっさり打ち破られ、咄嗟に自分の身を庇った両腕の骨に槌の面に直撃する。

 嫌な音が脳に響く。両腕と肩が砕ける音だ。


 痛みに身体を抱こうとしても、ぶらりと垂れ下がっていてはそれさえもかなわない。

 隙に髪をひっ掴まれて引き寄せられ、足を引っかけられて転がされる。地面に伏せば脇腹を蹴り飛ばされた。



 すがるような気持ちで聖書の治癒を使って怪我を治すも、すぐさま振り下ろされる大きな得物。




「とっとと諦めなさいよ!! この泣き虫!!」




 大鎚の呪いの重さに耐えきれず、背骨が折れた。










 ぐにゃりと揺れる視界。なにかに酔ったような違和感と吐き気が左一を襲うが、構わず幻覚さだのりとの距離を詰める。走る速度をそのままに四方八方から飛んでくるボウガンを鬼の祝福の宿った魔石が填められたガントレットで避けもせず真正面から壊して砕き、不安定になる足場に恐れず彼に攻撃を仕掛けた。

 聖属の光の盾に拳のラッシュを食らわせ、叩き割る。距離を取ろうとする相手に、そうはさせまいと強引にゼロの距離を保つ。攻撃手段を手に入れたといっても、自分の手の内には羽団扇がない。遠距離からの攻撃ができない以上、相手にくっつき続けるしかないのだ。


 視界に捉えているはずの定紀に引いた拳をそのまま振り下ろそうとした直前、彼が自分の名前を叫んだ。しかしそれは懐かしい定紀の声ではない。



『左一さん!』



 彼がいつの間にか自分の妻へと姿が変わっていた。悲鳴をあげて、恐怖に顔をひきつらせている茜に、反射的に慌てて拳を引っ込めた。

 だが、直後にしまった、と思ったときには既に遅い。自分だけが歩花の意識に入り込んだのに、茜がここに来ているはずがないのだ。これも歩花の幻覚だ――。



 目の前の茜がすぐに定紀の姿へ戻り、彼の掌の上に乗った偽りの聖書のが光った。

 両腕を前にクロスさせ急所を守りながら痛みに備えた左一。だが、後頭部に不意に走った衝撃と鈍痛に、彼のがっしりとした体躯は前のめりに傾いた。




「ばぁか」




 冷たい声が頭上から落ちてくる。腰を横殴りになにかで打ち付けられ脊椎にヒビが入り、再び四方八方から飛んできた無数のボウガンとダーツが左一の身体に次々突き刺さった。


 倒れた左一は頭から、身体の至る場所から血を流しながら、顎を上げて上目で見上げる。

 ぐらぐらとした意識で認識できたのは、無表情で自分を見下ろす定紀と、その後ろで大槌を片手に冷めた視線をくれている歩花。




(ああ……お前か――)




 他人事のようか思考に、自分でも笑いたくなる。幼馴染の影を挟んで見つめ合う義理の娘との距離は、遠く感じた。




(容赦ねえな。……当たり前か)


 


 幼い歩花はいつも自分の顔色を窺っていた。家族三人でどこかに出掛けても、自分と茜が肩を並べて歩いているのに、歩花だけが離れて後ろからついて歩いていた。

 茜が近くに来るように言うと、自分のペースで色々見たいから。ちゃんと着いてきてるから大丈夫とニコニコしていた。


 好奇心旺盛な子供なんてそんなものかと、当時自分と茜は気にしていなかった。自分は呆れたことに――目の前に付く場所でうろちょろされたら煩わしいので都合がいいとさえ思っていた。

 突然ハロウィーンに前触れもなく、ロッドで殴り飛ばされたあの日までは。




 退魔に必要な道具を購入するため商人のハロウィーンと約束をしていた日、二階堂家に訪れ、必要なものを自分に売った後に手加減なしでぶっ飛ばされた。



 その日の一週間前、歩花は一人外出していた。外出といっても、隣の家の小夜と遊んでくると言っていたので茜も心配していなかったが、どうやらそれは嘘だったらしい。ハロウィーン曰く、どうやら見知らぬ中年男と一緒にいたという。

 理由は、『アイスを買って欲しかったから』。買ってもらったアイスを両手に男の車に乗り込もうとした歩花を、たまたま他の退魔師との約束の時間まで暫く暇があるのをいいことに、魔女の世界の孤児院に送る玩具を日本で物色していたハロウィーンが見つけたのだ。


 不審に思い中年男を警察に突き出したところ、幼い少女をターゲットにした誘拐犯だった。無事逮捕されたのを見送った後、知らない人に付いていくことがどれだけ危険か歩花にハロウィーンが説明したところ、彼女はそれを十分にわかった上で男に付いていこうとしたことがわかり、では何故、わかっていて付いていったのかを聞き出そうとすれば歩花はなにも答えなかった。

 歩花の態度から違和感を嗅ぎ取り、なにも聞かず家まで送り出す際に監視用の魔法の花粉を彼女につけて一週間前二階堂家を監視してみた結果、親失格だとハロウィーンは左一を罵ったのだ。



 過去にだっこをねだってきた歩花を殴り飛ばしたことがそこからバレて、茜の口から離婚話が出たのは、その出来事から更に一週間後。歩花が自分のために離婚しないでほしいと泣いて叫んでその話は流れたが――





(恨まれても、仕方ねえなあ……定紀)





 特異体質で親戚中をたらい回しにされた末辿り着いた、退魔師の家系、比企ひが家。そこには退魔師を営む夫婦と、後に歩花の母親となるレインが住んでいた。

 レインのことは嫌いだった。自分の嫌う女の魔で、更にはサキュバスだったからだ。だがそこの後継者となる予定の定紀は、少年の頃からレインと姉弟のように仲が良かった。




『左一。俺達、結婚することになった』




 いつしか互いを男女として意識するようになったという二人に、若かった左一は本気で耳を疑った。

 頭がおかしいのかと聞けば、正気だと定紀は笑って答えた。




『半年後結婚式やるんだ』

『……そうかよ。ま、勝手にしろ』

『ああ』

『面倒ごとに巻き込むなよ。なにがあっても俺は知らねえ』

『ああ。けど結婚式くらいは、お前にも出席してほしいかな――』




 定紀とレインの死の真実を聞いてからよく思い出すようになったのは、昔の好敵手との会話。





(あの時。俺がもし、なにかあったら助けになるとでも言っていれば……お前は死なずに済んだのか……? あのババアも――レインも)





 歩花に、寂しい思いをさせずに。親子三人、楽しく笑って生きていられたのだろうか。



 歩花は――











 身体は再び修復されたが、小夜の瞳から最初ほどの光はない。痛みが何度も繰り返されるこの状況に疲労していた。

 暗い瞳で自分を見つめている歩花の視線を受け止め、小夜は一体どうすればいいのかとずっと考えていた。自分が加害者ならば、彼女が死ぬのを止める権利はないと思われるのは覚悟の上ではあったのだが、このままでは繋ぎとなっているミリーの魔力以前に自分の心が持たない。




「……私と歩花の間に何があったの?」

「……」

「歩花。せめて、それだけでも」




 歩花のやや俯いた表情は、紫がかった前髪でよく見えない。

 彼女が自分に対してなにを思っているのかわからない。答えない歩花に、小夜は再び彼女の名前を呼ぶ。



「歩――」



 すると、歩花の肩が微かに揺れた。口を閉ざしたまま小さく笑い、すぐに止まった。

 再び訪れた沈黙――しかしそれは不穏を纏い、小夜の気持ちを落ち着かないものにする。



「歩花?」

「……面白かったから」



 ぽつりと彼女の口の中で呟かれた言葉に、小夜は「え?」と眉をひそめる。



「アンタが、面白かったから」

「……?」

「過去に何かあったかなんて、そんなんじゃない。

 私がアンタと一緒にいたのはね――」



 唇の端を吊り上げ笑う幼馴染は、まるで別人のようだった。


 黙って聞いている小夜に、歩花は続けた。




「なにも知らないバカな女が、ちょっとでも自分の体質に気づいたとたんに発狂して。リセットする度にまたバカに戻って、ギャンギャン喚いての繰り返し。

 滑稽で惨めで見物だったよ」




 まさかの言葉に、小夜の心臓が凍り付く。


 「わからない?」と歩花は笑いながら





「アンタなんて、大っ嫌い。

 昔から甘ったれで泣き虫で我儘で、虫酸が走るくらい嫌い。だから――」





「アンタをここで滅茶苦茶にするの、楽しくって仕方ないの」

「……私を、今まで守ってくれてたのは……?」

「発狂するアンタをバカにするために決まってるでしょ」

「――」

「本当にアマちゃんすぎて、ヘドが出る」




 嫌悪を籠めた口調で吐き捨てる歩花。


 小夜は顎を引き、やや上目で彼女を呆然と見つめるのみだ。歩花は地に下ろしていた大槌を再び持ち上げ構えると




「でも、飽きちゃったから。アンタの顔なんか、もう二度と見たくない」

「……歩花」

「うるさい」




 低くうなるように小夜を黙らせた歩花の大槌から、黒く重い空気が洩れ出した。




「帰らないなら、ここでアンタを――殺してやる。

 聖書で身体が戻っても、何度だってアンタをグチャグチャにしてやる!!」




 とん、と軽く足で地を蹴り、異形の羽を広げて速度を上げながら今までより速く歩花は小夜に接近する。

 話に聞き入っていたため、小夜の反応が遅れて盾を作る動作は間に合わない。



 これから自分に襲いかかる痛みを覚悟し身を固くする小夜。

 青く輝いた歩花の瞳が、あっという間に近くなる。



 戦いの間、見つめ合う二人の少女の視界の中――白い影が互いを遮った。




「……!」




 小夜は、驚きに目を見開く。そしてそれはおそらく、歩花も。

 小夜の前に立ち、歩花の前に立ちはだかったのは、小夜を守るように両手を広げる小さな少年の背中だった。



 そしてたちまち少年の身体が小夜の背を越すほどに急成長し、彼は呆気にとられ攻撃の手を一瞬止めた歩花の頬を右の拳で殴り飛ばした。





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