最終章第35話 父の願い
時は少し遡り、数日前。ヴァンパイアの世界に帰省中――北の古城。町を一望できる場所から、リーフェルトは王である父、ダリアの話に耳を傾ける。
「アゼリアは、本来王の器に相応しくない私には過ぎた子供だ」
初代王ノスフェラトゥには複数の妻がおり、息子や娘がいた。
父の血を濃く受け継ぎ、残忍で自己中心的な兄弟たちの中、王位や人間たちとの争いに消極的なダリアと兄のグロリオーサは幼い頃からよく気が合った。ダリアの前の妻と兄の妻も姉妹のように仲がよかったという。
戦争終了後人間との戦争で王子たちのほとんどが戦死し、ダリアとグロリオーサだけが生き残った。戦争で多くのものを失い疲れた二人の王子は、人間に復讐を望む者たちが上の立場に立たぬよう自分たちが血で物を言わせて王になり国を創り直したのだと、ダリアは上記の科白を口にする前にリーフェルトに語った。
「次期王にするために多くを求めすぎてしまった。あの子は私に反発するようになり、やがて一人の魔女と恋に落ちた。王になることより一人の男としての生き方を選び、突然城を飛びだしたのだ」
「……兄さんが……」
「お前がまだ、母の腹の中に存在さえしていなかった頃だがな。一時期の反抗期だとばかり思っておった私には、正に天地がひっくり返ったような出来事だった。それだけ、私はアゼリアのことを見ていなかったのだ。
私もグロリオーサも、人間に恨みを持つ者にいつ暗殺されてもおかしくはない身。一人でも多く私たちの想いを継いでくれる者を増やさなければと必死なあまり、スターチスやパルたちにも負担をかけてしまった。
だが――また何の前触れもなく、突然アゼリアは帰ってきた。あの子になにがあったのかはわからないが、自分が王になると今度は自ら私に言ってきた。城に帰ってきたアゼリアがお前たち下の兄弟に優しいのは、自分が消えたことで次期王の重圧を弟たちにかけてしまったことの後ろめたさからなのだろうよ。
スターチスとストックも、アゼリアの気持ちを汲んでお前に甘かった。パルだけは、お前が腐らぬようあえて厳しくしていたようだがな」
初めて知った長兄の素顔――歩花と別れた自分に、兄が自分に言った科白を思い返して胸が痛んだ。そういえばスターチスとストックに、王になりたいと思ったことはないのかと過去に聞いたことがあった。二人は苦々しく笑い、自分たちには向いていないと濁し気味に答えたが、なにかあったのだろうか。
兄は自らの経験や心の傷から、末弟のリーフェルトに親身になってくれた。自分の幸せより、兄弟の幸せを願ってくれている。ダリアはリーフェルトの名を呼び、両肩に手を置いた。
「リーフェルト。私はお前の父だ。だが、お前だけの父ではない。
お前は、アゼリアのためにも幸せになれ。あの子の頑張りを、あの子のお前たちへの愛情を無駄にするような生き方は、決して許されぬ」
父の強い目を見て、リーフェルトは気付かされる。自分への愛はすべて、兄の犠牲の上に成り立っていることを。
そして、今。兄のためになにができるだろう。
兄は、歩花から自分に寄せられていた気持ちの正体を教えてくれた。愛しい気持ちがまだあるのなら、諦めてはいけないと。
愛してくれた人に、自分は、なにができるだろうか。
何を望めば、良いのだろうか。
歩花の意識の中。聖書に宿った陽人の魂の残滓に殴り飛ばされ、歩花が吹っ飛ぶ。小夜を守った陽人は、こちらを振り返ることなく消えた。
小夜は戸惑う。痛みは免れたが、歩花も女の子だ。自分は守ってもらえたのに、容赦なく頬を殴られた歩花はいい気分ではないだろう。
尻餅をついたまま俯いたまま口を閉ざしている歩花を気にして、彼女の顔色を窺う小夜。
歩花は唇をきつく引き締め、黙りこんだまま動かなくなった。
「あ、歩――」
<勘違いすんなっつってんだろうが! 馬鹿が!!>
歩花を気遣おうとした小夜の言葉は、頭の中からの本気の怒号に殺ぎ落とされる。
びくりと怯んだ小夜に、ミリーが叫んだ。
<プライドがクソみたいに高ぇあの女が、安い同情で喜ぶと本気で思ってんのか! お前、なんでそいつが笹永と組んでたかよく考えろ!! 笹永がそいつをぶん殴った理由はなんだ!
顔色窺ってその場の感情でフラフラすんな!!>
突如怒られ呆然と彼の言葉を聞いていた小夜だったが、次に意識に触れてきた一言にハッと顔を上げる。
<お前の欲はなんだ!?>
小夜は、よろよろと立ち上がった歩花を改めて見た。
(私の欲……私が、歩花に望んでいたことは……)
『まったく小夜は』
『仕方ないな小夜は』
『わかったわかった』
『成長したな小夜』
『小夜の割に頑張ってるじゃないか』
「……歩花」
名前を読んでも、小夜の足元あたりをぼんやりと見ているだけで、こちらを見ない歩花の双眸。小夜だけが、一方的に歩花を見つめている。
「歩花。私は」
「……」
「私の欲は――『歩花と対等になりたい』」
歩花の肩が、ぴくりと一瞬だけ反応した。
「今から……これから、私はちゃんと見たい。もう、目を逸らしたりしない。自分のことも、周りのことも。
もう守られなくてもいいくらい――誰かを助けられるくらい、強くなりたい。今更、って思われるかもしれないけど……これが今の、私の欲」
そう。だから今までのすべてを、ここで壊さなければならない――自分の欲を叶えるために、自分たちの関係を変えるために。
陽人や歩花と同じくらい。否、二人よりも、強く。
「傷つけるための力じゃない。私が望むのは――」
歩花を安心させてあげられるくらいの、自分と誰かを守る力。
聖書から溢れた光が集まり、無数のダーツへと姿を変える。
「見ていて、歩花――」
そしてこれからもずっと。強くなる自分を見ていて欲しい。
大槌をゆっくり構えた歩花を迎え撃つ姿勢を見せた小夜は、口の中で小さく聖書に囁いた。
「いくよ……! 陽人君」
地に伏せながら、左一は砕けた身体の痛みの中で考える。
歩花の意識の中、夢魔の掌の上でありながら左一の退魔道具のガントレットが出てきたのは、小夜が持っている聖書の影響だ。
聖書の過去の使い手だった歩花の父、定紀の魂がもたらした恩恵。
『それでも娘を助けたきゃ、娘の想像を越えてみな。ハッキリとした欲を持った上でな』
(……何を望む――)
自分は、何を望んでここに来た。
今まで、何を望んだ。
――誰かの愛情。自分を愛してくれる者、妻である茜の温かな眼差し。
誰からも愛されなかった日々に戻るのを怖れた。機嫌を取るための子供じみた表向きだけの愛情……それは、今も同じか?
……違う。
身体の傷が癒えていく。最後まで治りきる前に、勝手に身体が自身を持ち上げていた。
「だーかーらぁ。わざわざ立たなくたっていいよー。なんで頑張るのー?」
天を仰いだ歩花の、うんざりしたような締まりのない間延びした声。彼女が身に纏う露出の高い服。どちらも女女した、左一が嫌悪しているものだ。
歩花が普段しない言葉遣いに服装。どれだけ自分に対し彼女が気を遣っていたかを今更になって気付かされる。
「……歩花」
娘の名を呼ぶと間に入るのは夢の中で実体化した定紀の幻覚。歩花に目配せすると、嬉しそうな顔で自分を庇う“それ”を見ている。
父親の定紀の望みとはまったく異なる行動を“それ”が取っていることがわからないような愚かな娘ではないはずだ。
左一は更に一歩踏み出せば、柔らかな感覚が彼の身体に触れた。
「左一さん」
瞳を下に落とせば、こちらを見上げる優しい眼差しと至近距離でぶつかった。
「私、子供が欲しいわ。左一さん」
自分の胸に両の掌を当てた妻の茜が頬を紅潮させ、目を細めてこの上なく幸せそうに笑っている。
まるで少女のように愛らしい顔をして、自分を見上げていた。
「ちゃんとした妖怪になれば、貴方との本当の子供を産める。早くこの腕で貴方に似た赤ちゃんを抱いて育てたいの」
「……」
「ね。早く帰って来て? 左一さん。本当の妖怪になれば寿命も延びて、貴方が死ぬまで私は貴方の傍にいられる。
貴方をひとりぼっちには絶対にさせないわ。早く、魔女の『紙』に願いを書いて叶えてもらいましょう?」
再度歩花を見やれば、彼女は背を向けて楽しそうに彼女の実父の幻覚とおしゃべりなどしている。
暫し左一は二人を無表情で見つめていたが、黙ったまま茜の幻覚の肩に手を置き、脇へと押しどけ歩きだした。
定紀がこちらを振り返り、聖書を開く。それでも左一は迎え撃つ姿勢も見せず、歩花だけを見据えたまま二人と距離をゆっくり縮める。
すると光の無数の槍が、左一の背中から身体をぶち抜いた。
口からごぽりと血が溢れ零れ、倒れそうになる身体をなんとか脚でふんばり堪える。
歩花から目を離さないまま、歩を進めた。
ボウガンとダーツの矢が飛来し身体を貫く。頑丈な身体が傾き膝が地についたとき、左一の右手が光に包まれ、なにもなかった場所から羽団扇が現れる。
傷ついた彼は大きくそれで空を切ると、大きな竜巻を歩花の周りに発生させた。ただし、竜巻の中心部にいる歩花は下手に彼女が動こうとしない限りは怪我ひとつ負うことはない。
左一は歩花の目が離れた隙に定紀の幻覚を鬼火で燃やし、一拍遅れて反撃しようとした歩花の反応よりも速く、幻覚の腹部に羽団扇の長い柄の先を突き立てて宙に持ち上げ、地に叩きつけた。
「左一」
「うるせえよ。死神が」
穏やかな幼馴染の顔をした、人を惑わせ死に導くだけの存在に吐き捨てて、羽団扇の風で容赦なくその首を切った。
すぐさま左一は羽団扇を投げ捨て、両手のガントレッドを脱ぎ捨て歩花を囲む竜巻に向かって駆け出した。
「歩花――!」
竜巻の勢いが弱まりきる前に、逃げだす隙もない内に歩花を捕まえようと手を伸ばす。
風と風の間、歩花と瞳がかち合う。どんどん近づく左一を見て、歩花の顔はひきつった。
義理の娘の表情は、たった一色。恐怖のみに彩られていた。
『おとうさん。だっこ』
頭をよぎるのは、幼く拙い歩花の声。だが目の前の歩花は身体を縮こませて、両手で頭を守る自衛の姿勢を取っている。
それを見た左一の手が何もない空を掻いて、彼女に触れる前に止まった。
歩花は震えていた。大人の顔をしながら、怯えている。
左一はそれを見て伸ばした手を降ろし――代わりに静かに、その口を開いた。
「……お前の、勝手だ」
今更父親ヅラをして、いきなりこの場で抱き締めるなど、やはりできない。
たとえしてやりたいと心の底から願っても、歩花は自分を一生許さないかもしれない。
「お前がいつ死のうが、お前の人生だ。
俺みたいなボンクラが、お前に説教垂れる資格なんざねえのはわかってる」
説教はしない。ただ、ここで自分にできるのは、嘘偽りない自分の『欲』を、彼女に押し付けるのみ――
「これから言うのは、俺の我儘だ。……だが、言うとおりにしなくたっていい。
ただ――
『一人だった』と振り返りながら死ぬことだけは、やめてくれ」
頭を守る姿勢のまま、止まる歩花。
左一は言葉を続けた。
「『一人でもいい』と諦めながら死ぬような真似は、しないでくれ。
……茜に会うまでの、俺のように――」
それは今まで自分のことばかりを考え生きてきた男が初めて口にした、他者のための欲。
歩花がゆっくり顔を上げ、見開いた大きな瞳を瞬きさせる。
血の繋がりのない歪な親子は、この時初めて互いを見た。




