最終章第16話 護衛任務
アミュレットを肩に抱え上げると同時に、小さな呻きが聞こえて振り返る。どうやら彼の妾の女の一人が気付いたらしい。
命を狙われているのはアミュレット一人であるが、彼女たちも助けてやるべきかと歩花はふと思い立ち、起きていない方の妾を小脇に抱えた。
「起きられますか? 早く王子と一緒に、こちらに避難を――」
「ぁあ゛ぁ!?」
階下から破壊音が確実に迫ってきている状況、肩の上から余裕のないドス声が歩花の鼓膜に障る。いきなり主人から叫ばれた妾はびくりと扇情的な服からさらけ出された美しい両肩を大きく跳ねさせ怯えた顔になった。
「貴様らはここに残れ! 俺様が拾ってやった恩も忘れて裏切っておきながら、ぬけぬけと生きられると思ったのかァ!?」
「はっ……?」
「そこに転がっている役立たずのユハナと共にここで死ね! メロイル!」
蚊の鳴くような声と、状況が把握しきれていない反応しかできず、ただただ美貌に絶望を彩ることしかできないメロイル。真優たちを助けるため里央たちに頼んだせいで、ヒステリーに狂った王子に見放される二人の妾たちに、歩花は内心で彼女たちに少し同情する。
――無論どんな事情が過去にあろうとも、彼女たちも真優たちを盾に取ることを当然としていたことを思えば、アミュレットに逆らったという泥を被ったままにしておくが。
「護衛対象、無関係の者への被害を回避することはこちらの仕事です。メロイル様、こちらに」
歩花はメロイルを導きつつ、不満を垂れるアミュレットを右肩に、ユハナを左腕に割れた窓から早々に空高く舞い上がる。この三人がいなくなってしまえば少しはやりやすいはずだ。男のヒステリーを聞くだけでひどく心が消耗する。とっとと戦いに専念したいものだ。
人二人分通れるほどの穴が一部のみ空いた結界の壁の向こう側には、アミュレットの執事やメイドたちと、ミリー、シュガー、エイベルの姿もある。アミュレットを守るための護衛たちは皆重症で屋敷に取り残されたままだ。悪霊など相手したこともなかったのだろうから、無理もない。
「辰弥」
「ああ」
穴の傍ら歩花を待っていたガートルードが手を貸して、歩花が連れ出した三人を結界の外へ放り出した。
更に歩花が一枚、結界に退魔の札を投げつけたことで、穴がゆっくりと塞がっていく。外界と屋敷を完全に隔絶しようとしている途中、不意にガートルードが羽を大きく動かし、真上に背後からの攻撃を咄嗟にかわした。
「っぶねーな」
非難するガートルードの目線の先には、背後に迫っているであろう邸宅内の敵――ではなく歩花の顔だった。歩花は彼を蹴り飛ばそうとして空ぶった脚を仕舞い、何故か彼女も気にくわなそうにガートルードを見上げている。
そうこうしている間に、結界は完全に閉じてしまった。
「ンだよ、そのツラ。お前、蹴りで俺を追い出して一人でやるつもりだったろ。残念だったなァア、ばぁあ~か」
「チッ」
わざと餓鬼っぽく煽ってくるガートルードに対し歩花は隠そうともしない盛大な舌打ちで余所を向き、ついでに口の中に広がった血を唾液と共に吐き捨てた。既に破壊されているとはいえ、邸宅内で血を吐き捨てようものならあの王子に難癖でもつけられかねないと、気持ち悪さと吐き気に耐えながら口の中の出血をそれまで飲み込んでいたのだった。
邸宅の屋根の上によじ登り現れた黒い靄を捉え、各々武器を構える二人。しかしガートルードは歩花に「おい」と目を悪霊に向けたまま横の歩花に声をかけた。
「俺は笹永となにが違う」
「……何の話だ」
「あいつとなら一緒に戦えんだろ?」
陽人にあって、自分にないものは何なのか。彼女がガートルードの何が不満なのか。戦士として高みを目指すガートルードにとってそれは当然の疑問であったが、歩花の返答は
「……あいつは小夜しか見ていなかった」
という、予期せぬ考えから返ってきた。
「だから何よりも、僕達は小夜を優先して動けた。お互いを庇って死ぬようなことがない、お互いを男や女という目で見ない。だから誰よりも信じられた。
だけど君のような男には、それができない。大体の男は、女を守るのが当たり前だからな」
屋根の上からこちらに向かって突進してくる巨大な霊に、歩花とガートルードは左右に散った。
――男は女を守るのが当たり前――
元々は女である歩花だが、彼女の口調には女の傲慢さや男を揶揄するような響きは一切ないようにガートルードには聞こえた。まるでそれが世の真実だとありのままに口にしているような調子だった。
(……“女の二階堂歩花”としてじゃなく、“男の二階堂辰”として、木塚小夜を守ってきたってのか)
ここまで肝の据わった声が滲み出せるのは、男として戦ってきた積み重ねからだろう。決まった性別はないガートルードだからこそ、それがわかった。
(サキュバスである自分を守るために男として生きただけじゃない――お前はそれほどの女だった。そこまでお前を見極められなかったから、俺は振られた)
理解する一方で今、ガートルードには別の疑問が胸に生まれていた。しかし今は、それを考えるときではない。彼はトンファーを握り直して、自分たちが避けたことで突進した先を失い結界にぶつかった巨大な悪霊に向き直る。
(歩花。お前……お前は――)
息を切らし暗闇を走る。立派な邸宅の並ぶ住宅街は静かで、その中にある一軒の邸宅も遠くから見ればなんの欠陥もないほどに素晴らしい外観をしている。しかし目を凝らせば、それが幻だということが見て取れた。普通の人間ならば、そこだけが既に災害にあった後のような有様だということにさえ気づきはしないだろう。
足を踏み入れようとすれば、見えない壁にばちりと音を立てて身体が弾かれた。呆然として目の前の邸宅を見上げ、見えない壁を今度は片手で触れて確かめた後、双眸を閉じ、意識を寄せた。
<……ランフランク君>
何も聞こえず、反応は返ってこない。もう一度呼びかければ、<あ……?>と小さな声がやっと響いた。
<リーフェルト。お前、なに、帰ってきて……>
<歩花は……?>
<……とっとと帰れ>
声をかけられる意識が、結界の中から一つしか感じられない。彼女の意識が感じられなくて、リーフェルトは自分の拳が火傷で傷つくのも構わず、結界を叩いた。
<生きてるの……?>
<……お前がここに来る意味なんて、ねえだろうが……帰れよ……>
<……歩花は……?>
<うるっ、せえな……>
<歩花は、何の意味があって今、戦ってるの――?>
『その場の感情に振り回され、そこに王子としての大義などない』――ここに残ろうとする自分に歩花はそう言った。
ここにいる、大切な意味。戦う意味。それが自分には欠けていると、歩花はリーフェルトの家の城兵に言って自分を守らせた。
過去に半端な覚悟で戦場に出るなとも、歩花は自分にそう叱ったことがある。
<でももう、木塚さんを守らなくていい。……なのに、学校を辞めてまで戦っているのは、なんのために>
<……独り立ちでもしたかったんだろ>
<退魔師は、割りに合わない仕事だと……沖縄の旅行で、狭山さんが……。退魔師だけで生きていくためには、よほどの天才でなければ一般的な仕事やバイトと両立じゃなければ一人で食べていくのは難しいと……歩花も、自分はまだ独り立ちできるには何年か必要だって>
稼いでも回復アイテムも多く必要になるので、そう多くは残らない。今まで陽人や歩花、天澤みやびたちがある程度それでも貯金できていたのは、まだ若く、主生活が親の保護下にあったが故だ。しかし一人暮らしとなった今の歩花の生活状況はどうだろうか。
まだ高校中退するにしろ、どこかでバイトをしていたほうがまだ現実的といえる。何故なにかを守る理由もないのに、この仕事にこだわっているのか。
あんなにボロボロになってまで。あれほどまでに。
<歩花は、自暴自棄になってない……?>
<……お前は、なんで戻ってきた>
<……王族の現実的な話とか。僕はそういうものから逃避するために、歩花を利用したかったとか。そういう気持ちがあったとかどうかとか。姪に、いろいろ言われて。その通りかも。そうかもしれないって、言われた時は思った。
僕は一番王子の中で無能だし、王女の姉さんにも勝てないし、自分に自信がないから>
一方――明かりがついたままのリーフェルトの住むマンションには、男が一人佇んでいた。
その男は、歩花が戦っていた戦地からリーフェルトを引き離した城兵だった。
『警護はあまり気を張らないで。リーフェルト叔父様のことですし、あれだけ言えば外出する気すら失せたでしょうし』
「本当に、そうですか――?」
自分の上司であるスターチス王子の娘にして、そして自分の教え子である、その場にいないサルビアに彼は静寂の中で問いかけた。
<でも、結局。何度考えても、何度悩んでも、答えは――……。父さんから、兄さんから、褒められなくてもいい。周りから何を言われてもいい。歩花に憎まれてもいい。これから先、彼女と触れられなくても、話せなくてもいい。
やっぱり僕は、歩花が好きだ……!>
歩花にもう、感謝されなくていい。カッコいいと思われなくたっていい。凄いねって微笑んでもらえなくていい。
心から笑っていてほしい。傷だらけになって、無理に笑っていないで。死んでほしくない。
陽人や歩花がそれを、小夜に望んで戦ってきたように。
自分は間違った。間違いだらけの愛しかたばかりしてきた自分は当然、歩花とは結ばれることはない。たとえそうでも、ここで歩花が死ぬこと以上の『間違い』など、あってはならない。
その間違いだけは、見逃せなかった。




