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本当の心は③

 リージェイクを見つめるキノの脳裏に、(いま)だ鮮やかな夏の記憶と現実とが交差する。


『…あなたなら、どうしますか? それを()めるか、ともに苦しむか』


『自分自身の意志で決めたことなら…』


『その理由によっては、反対した方がいい場合も…』


『反対されたい場合もあるかもしれない。言えない何かがあるのかもしれない。気づいてあげれば変えられる何かがあるのかもしれない。だから、私だったら…』


「『本当の心が知りたい』…」


 キノのつぶやきに、リージェイクが続ける。


「『あなたは、それを決めたのは彼女の本心だと思う?』そう、彼女は聞いた」


「あの時あなたが答えなかったのは、本心じゃないかもしれないって思ったからだよね。あの後、本人に聞いてみたんでしょ? 彼女の答えは…あなたの迷いを消すものだったの?」


「彼女の本当の心が望むもの、それを知った私に、自分がどうすべきかはもう問題ではなかった。どうしたいかは、始めから決まっていたからです。彼女の願いを叶えたい。それがどんなものだとしても、彼女が真実望むことなら…私は無条件で受け入れる」


「もし、誰かが悲しむとしても? 幸せが、そこにないとしても?」


「全ての(おもり)を外した心は、自分本意で身勝手なことを望むもの。少なくても、本人の幸せのひとつはそこにある。そう思いませんか?」


「あなたの心も?」


「…ほかの何をなくしても、悲しみと苦しみを伴ってもかまわない。彼女をさらって、逆らう運命に見放されるところまで…もし、彼女の心が私を求めていたのなら」


 一度だけまばたいたリージェイクの(ひとみ)が切な気に揺れ、優しくキノを見つめる。


「あなたの知りたい本心は、私のではないでしょう? そして、希由香さんの心はもう知っている」


「浩司の…心だけが望むもの…」


「あなたの聞くことは、彼自身も知りたい心かもしれない」


「確かめなきゃ…私が…」


 はっきりとは見えない、けれども、確かにそこにあると感じる何かに手を伸ばすかのようなキノの視線の先で、リージェイクが微笑んだ。


「どうしたいか、あなたが迷うことはない。彼らの幸せが同じところにあろうとなかろうと、決めるのが浩司なら、ひとつしか選べないのなら、彼にとって一番大切なものを選んでほしいでしょう」


 私…浩司の本心を知ってる気になってた。彼の一番の望みなら、叶えたくないなんて思うわけないのに…幸せにすることより悲しませないことを選んだ理由が、ひどく悲しくて悔しくて…だけど…。


 キノは固く目をつぶり、ゆっくりと開けた。リージェイクを見つめるその()には、残された(うれ)いの(かげ)が差している。


「あなたは…今何歳なの?」


 唐突(とうとつ)なこの問いの意味を、リージェイクは瞬時に理解したのだろう。


「4ヶ月後には31になります。浩司とそう変わらない頃、私の寿命も終わる」


 話の行き先の見当がついているかのようなその答えから一瞬の間を置いて、ためらいに声を落とし、キノが(たず)ねる。


「継承者はみんな…本当に33歳で死ぬの?」


「そうです」


「必ず…?」


「例外はありません」


「どうして…」


 キノは、思わず口にしかけた言葉を飲み込み(うつむ)いた。


 どうしてかなんて、それを一番聞きたいのはこの人の方なのに…。


「継承者の寿命の短さは、ラシャの力を持つことの代償でしょう。けれども、その時が来るまで、余程(よほど)のことがないかぎり死ぬことはない」


 顔を上げたキノの悲痛な眼差(まなざ)しを、リージェイクが柔らかく受け止める。


「キノさん。たとえ幸せと一緒に悲しみも大きくなるとしても、悲しみのないことと幸せであることは別です。そして、幸せのその基準も価値も、心を()める割合いも、人によって違う。希由香さんは…」


 一旦(いったん)言葉を止め、リージェイクが背後を見やる。キノの視線は、彼に向けられたまま動かない。


「幸せが何かを知っていた。自分の心を満たすものが何かを、欲するものが何かを。それを求めることが、幸せの本質であると。自分を幸せにするのは自分。誰かに与えてもらうものだけで心が満たされることはない。だからこそ、彼女は心の孤独を対極のものとして見ている。愛する者の死を恐れるほど、弱くはないはずです」


 その通りだ…。希由香の幸せは、浩司への思いから…。一番辛いのは、心に誰もいない、ひとりきりの世界にいること。死んで悲しむ人も悲しませる人もいないのが、一番悲しいこと…。


「いつ死ぬかじゃないよね…」


 短い沈黙を、キノのつぶやきが破る。


「私、継承者の寿命のこと…さっき浩司に聞いて、初めて知ったの」


 闇を薄める星々を目に映しながら、キノはひとり言のように続ける。


「ショックだった。それが、どうにもならないことだから、だけじゃない。それが、幸せを選べるはずの浩司に、希由香を悲しませないことを選ばせた。そう思ったから…浩司に何も言えなかった」


 あの祈りは、彼の一番の望みじゃない。心のどこかでそう感じてたのに、希由香の強さも知ってたのに、浩司の弱さには…気づかなかったから…。


「でも、今は言える」


 浩司の言うことは、理解出来るような気がした。でも、どうしても納得いかなかった。後の後悔を自分が負う覚悟で、希由香の運命を選ぶ。彼女の幸せを願いながら、それを奪う結果になるかもしれないと知りながら…その矛盾の理由が、やっとわかった。


「私、浩司に何を言いたいか…やっとわかった」


 祈りの発動を約束した時、浩司の本当の心を確かめなきゃと思った…私が。心を裏切る選択をしたら、浩司はきっと後悔する。見せない心を見ようとしなかったら、私は必ず後悔する。


「自分に出来ることが何か…」


 『希由香が自分を思い続けることが苦しい』それが、浩司が彼女の記憶から自分を消そうとする理由なら…『愛する者が死ぬ悲しみを希由香に与えることは出来ない』それが、シェラの呪いを()くことを拒む理由なら…私は反対出来る。


 キノはリージェイクを見る。


「ありがとう。あなたと話せてよかった。もし、いつかまた会うことがあったら…その時は、私が力になれたらと思う」


「3年前…私も、同じことを希由香さんに言いました」


 リージェイクがキノを見つめる。


「『彼に出会ったことは、私の一番の幸運だった。彼への思いがなかったら、今の私は大切なものもなく、ただ生きているだけだった』あの日の別れ(ぎわ)、彼に会わなければよかったと思ったことはあるかと(たず)ねた私に、彼女はそう答えた。大切なものがあるなら、それを守る強さもある…あなたにも」


 リージェイクの微笑みは、希由香のそれをキノの脳裏に(よみがえ)らせる。

 R市での記憶の中で一度だけ見た、希由香の(ひとみ)。浩司と会う以前まではあったであろう心を(とら)う闇。幸福の(ぬく)もりと(つい)を成す孤独の深淵(しんえん)は、そこになかった。


 希由香を救ったのは浩司…彼女は、彼を救いたかった。だから、護りを見つける私の運命が、二人に重なった…。


「うん…ありがとう。私、館に戻るね。浩司と話さなきゃ。涼醒にも…」


「早く行ってあげた方がいいわ」


 背後からのその声に、キノは驚いて振り返った。


「奏湖さん…」


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