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本当の心は④

 黒い森を背景に、青白い顔をした奏湖が立っていた。リージェイクはとうに知っていたのだろう。奏湖に向けた表情に驚きはない。


「あなたのことで()めてるみたいだった。涼醒君の声、廊下まで聞こえたわ。『怖いなら、あんたひとりで逃げればいい。それなら希音も納得するさ』って…。あの浩司にも、怖いものがあるのね」


 そう言って(かす)かに笑い、奏湖は真剣な眼差(まなざ)しでキノを見つめた。


「希音さん。あなたにはちゃんと謝らなきゃと思ってたわ。ここにいるとは思わなかったけど…。ごめんなさい」


 奏湖が頭を下げる。


 キノの心に、奏湖を責める気は毛頭(もうとう)なかった。力の護りを(めぐ)る今回の苦境(くきょう)が、すでに終わったものだからか。それを()いたのは、ジャルドではなく運命だと思っているからか。あるいは、不条理とわかっていても、奏湖のしたことは全て愛故(あいゆえ)のものであると知っているからか。


 いずれにしろ、無意識に首を振るキノの心は、奏湖の謝罪ではなく、その前の言葉に向けられている。


 『怖いならひとりで逃げればいい』…涼醒も、私と同じことを思ったんだ。浩司は、愛することを禁じられた。だから、幸せも幻想(げんそう)のまま…触れなきゃ壊れない、手にしなきゃなくさない…求めちゃいけないものだった。心が何をほしがってるのか、ずっと見ないようにしてきた。だから…。


「知るのが怖いの…?」


 自分の心も、幸せの意味も…。強い人間ほど、消えない幻想(げんそう)が必要なら、それをなくすことも…。


「え? 何を…?」


 キノのつぶやきを自分への問いだと思い、奏湖が聞き返す。


 ハッと我に返ったキノの目が(とら)えた、(けん)のない落ち着いた奏湖の(ひとみ)。涙の乾いた後のその()に、愛する者の真実はどう映ったのだろうか。


「ううん…何でもない。今朝のことは…もういいの。護りはラシャに戻るし、希由香も無事だから」


 キノは奏湖を真直ぐに見つめる。


「奏湖さん。今も…ジャルドを愛してる?」


 奏湖は目をまばたいた。何故(なぜ)そんなことを聞くのかわからないといった表情が、柔らかい笑みに変わる。


「愛してるわ。昨日までの彼も、私の知らない彼も…ジャルドはジャルドだもの」


 彼が彼であるかぎり、真実も虚像(きょぞう)もなく彼を愛する。

 ひたむきで純粋であるが(ゆえ)のその思いは、強さとともに弱さをも(あわ)せ持つ。相手の全てを許容(きょよう)し得るということは、疑念(ぎねん)や不信の芽吹きを阻害(そがい)し、見えない真実の存在を見逃(みのが)してしまうこともある。特に、それが(たく)みに隠されたものならば。


 希由香も…奏湖さんと同じように、浩司が浩司であればいい。彼女は、心で感じる彼の本質を愛してる。だから、見せない心は見えないまま、言わない本心は聞かないままでかまわなかった。思いは変わらない自信があったから。だけど…知りたかった。


「もっと早く、知りたかったわ」


 奏湖の声が、キノの思考に重なる。


「ううん、気づけばよかったのね」


「本当のジャルドに…?」


「…本当の自分がわからなくなるほど、彼が…自分の心を無視することに慣れきってたんだってこと。『ジャルドの支配』から一番(のが)れたかったのは彼自身だってことに…」


 溜息(ためいき)を吐きながら、奏湖が空を(あお)ぐ。


「不要な感情は表さない。心の奥は誰にも見せない。それがジャルドだったの。いつだって冷静で冷酷で、怖いものなんて何もない。その代わり…彼にはほしいものもなかった。彼の望むことはいつも、継承者として、支配者としてのものだけ…不自然だと思うべきだったわ」


 不可解(ふかかい)そうに眉を寄せるキノを見つめ、奏湖が寂し気に笑う。


「自分のために何もほしがらない、何も怖がらない…それは、自分のために生きてないってことと同じだもの」


「でも、ジャルドはそのフリをしてたんでしょ?」


「そうね。ただ、確かに始めはそうでも、子どもの頃から、ずっとよ。()の自分を見失うには充分な時間だわ。だから、ないがしろにしてた本心に気づいても、自分からは言い出せなかったのかもしれない。彼は…臆病(おくびょう)になってたのよ。踏み込もうとしなかった、私もね」


「こうなってよかったと思ってる?」


「…ええ。リージェイクの言った通りだとしたら、ジャルドは彼を待ってたような気さえするわ」


 キノは目を見開いた。出口を見つけた答えに、確信の力が宿る。


「これからの心配もあるけど…」


 奏湖がリージェイクを見やる。つられて向けられたキノの視線の先で、リージェイクがいうなずいた。


「浩司にも、心を()くきっかけが必要だとしたら…あなたはそれになれる」


 微笑むリージェイクに、キノはしっかりとうなずき返す。


「ありがとう。あなたと話せて、本当によかった。私…戻らなきゃ…」


 キノは勢い良く立ち上がった。夜に()けた館の(はし)に一瞬目を()め、その視線を奏湖へと戻す。


「あなたにも、今ここで会えてよかった」


「私もよ。夜明けには…私たちも、中空の間に行くわ」


「…またね」


 キノはつぶやいて微笑んだ。奏湖に、リージェイクに、そして、補色(ほしょく)を散りばめた濃紺の天と地に。




「会は無事に…?」


 森へ向かうキノの後姿が闇に同化する頃、リージェイクの静かな声が沈黙を破る。


「私が目を()ましたのは、ついさっきよ。会には出てないわ」


 奏湖の声が(かす)かに震える。


「詳しいいきさつは知らないけど、浩司が…何の混乱も起こさずに解散させたらしいわ。ジャルドの謝罪も…」


「ラシャには…?」


 奏湖が腕時計を見やる。


「交信は、お姉ちゃんと浩司がすることになってる。『護りは明日、希音さんたちが無事持ち帰る。ラシャの者が降りるような状況は起きていない』って。今朝のことは…何も報告しないみたい。あんな目に合わされたのに、不思議よね」


「必要ないとわかっているからでしょう。ジャルドが自分で片をつけるなら、一族の問題をラシャに持っていくことはない」


「…むこうはきっとそう思ってないわ。それを承知で、彼は明日ラシャに降りるつもりなの。呼ばれても呼ばれなくてもよ」


 リージェイクの()にあるかなきかのとまどいが(はし)るのを見て、奏湖が深く息を吸う。


「その理由も聞いたわ」


 穏やかな水面が突然沸騰(ふっとう)するかのように、二人を取り巻く空間が緊迫(きんぱく)する。


「もっとも…全部じゃなく、まだほんの一部だけだけど」


「…きみがここに来たのはそのためか」


「あなたに…聞きたいことがあるの」


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